この頃からエコノミストの顔触れは、景気のいい話をする積極派から反省型の人にシフトした。最近はそうでもないが、テレビのワイドショーにエコノミストが常連になったのもこの頃で、平成以前の時代にはなかった現象である。バブルピークの頃は積極派と投資顧問的なエコノミスト、崩壊後は反省型、その後に登場したのが構造改革派だ。思えば、エコノミストや経済学者が華々しく活躍したのも平成という時代の特徴といえる。平成は「経済」の時代だったのである。人々の関心が経済に集まるというのは、極めて稀だったのではないか。
先ほどの『複合不況』はビジネス書ではないが、本格的な経済書がベストセラーになるというのは、出版界でも、いまだかつてなかった現象である。人々の関心が、なぜバブルは崩壊したのか、なぜ日本経済は不況から立ち直れないのか、どうすれば立ち直れるかのかに集まっているのは明らかだった。人々の関心が経済にあるのだから、当然、ビジネス書でも経済がメインテーマの一角を占めるようになった。
しかし、バブル崩壊の原因究明も、なぜ立ち直れないのかも、ビジネス書の苦手な「WHY」の分野である。どうすればバブルから立ち直れるかは、ビジネス書の得意な「HOW」ではあるが、普段扱っているのは個々の企業や個々人の問題である。大きな経済問題は、ビジネス書の手に余る。
そこでビジネス書業界は、そもそも経済とはどういうものかを切り口に本づくりをはじめる。「経済入門」がビジネス書風につくられたことは、それ以前にはなかった。そうやって「どうすれば儲かるのか」だけではなく、経済学のイロハがビジネス書のジャンルに加わることになる。年末になると出てくる「大予測! 〇〇年の景気経済」は、いまでは各出版社が定番のように発行しているが、こうした状態になったのは平成に入ってからのことである。
平成の時代のビジネス書の変遷をひと言で表現すれば、「チームの力を上げる本」から「個人の力を上げる本」へと、主流が変わっていった時代といえる。バブル崩壊からしばらくは、会社一丸、チーム一丸となって苦境を打破するという方向が日本全体の前提だった。会社一丸、チーム一丸は昭和の時代から続くビジネス書の常識でもある。景気後退でリストラはすでに始まっていたが、それでも社員をやめさせない出光興産の「家族主義経営」が称賛の的になっていた。
バブル崩壊から10年くらいは、ビジネス書は従来の常識のままで推移していた。しかし、売上は伸びない。逆に売れ行きを伸ばしてきたのが、スピリチュアル系の自己啓発書である。マネジメントとは、本来チームや組織の力を上げて、その力を最大限に発揮させる手法だ。こうした本を我々は実務書と呼んでいた。
しかし、平成も半ばを過ぎる頃には、マネジメメントはしだいに個人のスキル、個人の成績を上げるための手法に装いを改めはじめる。チームから個人へと、前提が変わったのである。周囲の力を引き出すというよりも、周囲を上手く動かして自分の成果に結びつけるということだ。マネジメントは、できる人のツールとなった。ビジネス書は、できる人の自分磨きが主流となる。個人のための、個人のスキルを磨く本を、我々は昔から自己啓発書と呼んでいる。
では、なぜチームから個人へシフトしたのか。読者がそれを求めたからである。では、なぜ読者はそれを求めたのか。理由はいくつかあろう。ひとつは、従来のマネジメント手法は、すでにネットで検索すれば基本情報が手に入るようになったことだ。理由のもうひとつは、昭和の時代に会社のために力を尽くした先輩たちがリストラによって追われて行ったのを見て、多くの人が組織やチームに貢献しても、必ずしも報われないと考えだしたのではないかと、わたしは見ている。
組織が信用を失えば、どんなに全社一丸とスローガンを掲げても、だれも本気にはしない。この当時に流行して、いまでも使われている言葉が「自己責任」だ。
本来はチームや組織の機能を上げるための、マネジメント手法のひとつであったコミュニケーション・スキルは、話し方、会話力、雑談力という個人のスキルとなってビジネス書の主要テーマとなった。話し方も会話力も、元をただせばコミュニケーション技法である。同じコミュニケーション技法を使っていても、チーム力を上げるためのコミュニケーション論を踏襲している作家の本にはあまり読者がついて来ず、話し方や会話力など個人のスキルという視点で本を書いている作家が成功している。
バブル崩壊以後に登場したビジネス書の主なテーマを、思いつくままに挙げてみよう。BPR、ムダ取り、5S、これらはバブル崩壊直後のテーマで、まだチームや組織の力を上げるための手法だった。時短、PL法、コンプライアンス、税効果会計、国際会計基準、個人情報保護、これらは法律の施行、改正によるものだ。金融ビッグバン、ISO、インターネット、IT革命、ナレッジマネジメント、CSR、構造改革、これらは社会の変化によるもの。コーポレート制、オフバランス、成果主義人事、選択と集中などは、企業が生き残るための手法だった。
対照的なのは、BPR、ムダ取り、5Sグループと、最後の成果主義人事を含むグループで、前者は社員が主役だが、後者になると社員は受け身なだけである。そして、バブル崩壊から10年が過ぎた頃から目立ちはじめたのが、話し方、決算書の読み方、勉強法、仕事のスピードアップ、片づけ、そうじである。これらは自己啓発書として登場した。しかし、以前の自己啓発書とは趣が異なる。
1980年代からビジネス書に携わってきている人間とっては、実務書も自己啓発書もチームや組織の力を上げるための本である。自己啓発書といえども、どちらかといえば軸足はチームにあった。ところが、今日の自己啓発書の主眼は自分の幸せであって、チームの幸せは視界の外だ。果たして、それでよいかどうかはわからない。だが、個人の視点を外した自己啓発書では、読者を獲得することができないのは事実である。恐らく元号が改まっても、しばらくはこの状況が続くだろう。自己啓発書の作家にとっては大事なポイントと思う。
利己と利他は、共存したり、一方に偏ったり、互いに近づいたり離れたりを繰り返す。かの渋沢栄一は順理則裕(道理に順えばすなわちゆたか)と言った。ビジネスが個人だけでは成り立たないのは明白な道理なのだが、人々が求めるものは往々にして理屈に合わないことが多い。
新元号の時代がどうなるかはわからないが、ビジネス書が道理と現実の両方に足をかけて立つ本であることは、元号が変わっても変わることはないだろう。
次回に続く