本が売れることで起きる「よいこと」とは、概ね次のとおりだろう。読者が増えて作家の知名度が上がる。その結果、講演などのオファーも増える。もちろん次の出版のオファーも入ってくるため、著書も増える。著書の数が増えると、本業のクライアントに対してもアピール度が高くなる。ひょっとするとギャラのレートも上がるかもしれない。そして、先ほどから述べているとおり、本が売れれば売れるほど印税が入る。本が売れたときのメリットとしては、概ねこのあたりと思われる。
では、本が売れることによる悪影響もあるのだろうか。本は売れることを目的につくっているのだから、基本的に本が売れて悪いことは起きないはずだ。実際、あったとしても、いわゆる「うれしい悲鳴」の類ばかりなのだが、それでも不幸な結果を招いたことがないわけでもない。
ある作家はデビュー作が10万部のヒットとなり、その結果、本業のコンサルタント業も超多忙となった。ここまでは、ご同慶の至りである。しかし、休みなく全国を飛び回っているときに出張先で急逝してしまった。ベストセラーが命を縮めることにつながったと言えなくもない例である。また、ベストセラー作家の中には、ベストセラーを出した後、世間が狭くなったという人がいる。
わたしのような者でも、本がそこそこ売れた時には、昔の友人から数10年ぶりに連絡がくることがある。ベストセラー作家となれば、昔の友人はおろか、「見ず知らず」の友人や先輩、後輩からも連絡がくる。同窓会からは必ず寄付の依頼がくる。その他、さまざまな形でいろいろな人からアプローチがあるので、そうした話にいちいち応えていくことが大変で、結局すべてを断ち切ってしまったという人がいた。
世の中、すべて「禍福(かふく)はあざなえる縄(なわ)のごとし」である。よいことだけというのは、あり得ないということだろう。
日本語で書いた本を買って読んでくれるのは、日本語がわかる人、すなわちほぼ日本人だけである。日本の人口は約1億2,000万人ほどだ。12万部のベストセラーは、日本人の1,000人にひとり、人口の0.1%が読んでくれたということになる。本の損益分岐点である2万部超だと、日本の人口の0.02%足らずが読者だ。
もし、日本の人口が3,000万人であれば0.02%は6,000部である。人口が少ないからといって本の定価を4倍にすることはできないので、この水準では作家は到底生活できない。つまり、言語人口は多ければ多いほど作家にとって有利なのだ。
ただし、国の人口と言語人口は必ずしもイコールではない。ポルトガル語のように本国の人口は少ないのに、言語人口は数億人ということもある。英語も、スペイン語もそうだ。こうした大航海時代の覇者の言語を母国語にしている作家は恵まれている。逆にスウェーデンやギリシャなど、言語人口の少ない国で作家生活を営むのは、苦労の多いことだろうと思う。
世界で1億人以上の言語人口を持つ言葉はそう多くない。中国やインドのような人口国に比べると少ないように見えるが、日本語で本を書けるということは、世界的には割合幸運なことなのである。また、日本の作家にとって委託販売制という本の流通システムも、相当な恩恵をもたらしているように思う。委託販売制とは、要するに売れなかった本は返品OK、お金も返しますという制度である。戦前の日本では、出版は買い切りが主流だった。委託販売が出版の常識になったのは戦後のことである。
買い切りは返品不可であるから、仕入れリスクはすべて書店が負う。そのため戦前の書店は必要最小限の仕入れしかしなかった。一方、委託販売制では返品のリスクをメーカーである出版社が負うことになる。書店はリスクが小さいため、安心して仕入れの量を増やすようになった。見込み生産、大量仕入れが一般化したのである。結果、見かけの流通量は大幅に増え、書店の店頭には大量の本が並ぶようになった。
アマゾンなどのネット通販がなかった時代、本は書店の店頭に置かれていなければ読者の手に届かなかった。したがって、書店の仕入れが少なかった戦前は、自ずと売れる部数も少なく、戦前の初版発行部数は500部や600部がざらで、1,000部を超える本は一部だった。それが戦後、委託販売制によって書店に置かれる本の量が増え、それは同時に返品の量も増やしたものの、読者の手に渡る本の量も大幅に伸ばした。
近年、あまり評判のよろしくない委託販売制だが、戦後、日本の出版市場が拡大したのは、人口増加、経済成長とともに、委託販売制がひと役買っていたことも無視できないのではないか。今日の出版界は返品を恐れ、発行点数を絞り、発行部数を抑えている。確かに返品の増加は、出版社の経営を危うくしかねない。しかし、出版の歴史を見れば、あえて戦後、返品OKの委託販売制に踏み切った先人たちの決断にも、一理あったようにわたしには見えてならない。
次回に続く