20~30年ほど前のビジネス書には、誇張ではなく「糊とハサミ」でつくられていたものがあった。実際、原稿用紙にコピーを貼り付けて「原稿です」と渡されたことは、一度や二度ではない。まさに文字通りのコピー&ペーストだった。さらに、その本がそのままベストセラーになったことさえある。
昭和の時代のビジネス書は、オリジナル理論のノックダウン(普通のビジネスパーソンに理解しやすいよう、やさしくかみ砕く)が基調だったので、著作権に対してややゆるやかに捉えていた傾向があった。簡単に言えば、作家も編集部もあまり深く気にしていなかったのである。
といって事件がなかったわけではなく、著作権侵害でクレームが来るということは何回かあった。本当に著作権を侵害していたケースもあれば、訴えたほうに無理があるというケースもあったように記憶している。しかし、いずれも何10万部を回収という大事件には至らなかった。不思議なくらい謝れば解決したのである。
当時に比べれば、現在はビジネス書出版社も著作権に神経を使うようになった。その理由は知的財産という概念が一般化したことがひとつ、もうひとつは、コピーペーストがしやすくなったため、著作権侵害の頻度が高くなっていることが背景にあると思われる。
実際、いい原稿だからと編集作業を進め、発刊寸前までいったところで大幅なコピーペーストが発覚し、急遽出版取りやめとなった話は、ほぼすべての出版社で耳にする。言うまでもないが、不正なコピペで自分の本をつくることは、オリジナル作家の権利を侵害することになる。コピペという言葉からは罪悪感の響きに乏しいところがあるが、コピペは剽窃(ひょうせつ)、盗作に限りなく近い。剽窃、盗作は「犯罪」である。
とはいえ、コピペにも不正なコピペと、そうでない許される範囲のコピペがある。作家を志す人は、この違いは知っておくべきだろう。
コピペのすべてが違法というわけではない。コピペにも違法、合法がある。しかし、一般には合法なコピペはコピペとは言わず、違法なほうを総称してコピペと言っているように見える。では、合法なコピペは何と言えばいいのか。それは引用である。
引用だけは、オリジナル作家の許諾をもらわずとも、オリジナル作家の書いたある部分を勝手にコピペすることができる。引用は無断でもよいのだ。ただし、引用には定められたルールがある。
最も肝心なのは表記のルールだ。簡単に言うと、出所(誰が書いた何という書物か)を明示する、引用した箇所がどこからどこまでか、「 」でくくる、行を分け書体を変えるなどして、明白に引用文であることが識別できるように表記すること、などなどが引用する時のルールである。
自分の文章と他人の文章をはっきり区別し、他人の文章には出所を明記するということだが、それだけを満たせばOKかというと、そうはいかない場合もある。著作権は文章だけなく、イラストや写真にも生じる権利だ。もし、ページのクオリティを上げようと有名イラストレーターや写真家の作品を複製して使おうと思ったら、イラストレーター・写真家の名前や出所を明示すれば勝手に使えるのか。当然ながらそんなことはできない。もしやれば、立派な著作権侵害である。引用が許されるのは、その文章なりイラスト、写真なりが、研究または論説の対象である場合だ。
「手塚治虫の研究」というテーマであれば、論文に必要なイラストのカットは引用扱いで使用することができる。しかし有名な絵だからと、飾りとして使うことは引用扱いとはならない。いくらオリジナル作家の名前を出しても、出所を明らかにしてもダメなものはダメなのだ。では、研究対象であれば無制限にOKかというと、それもそういうわけにはいかないことがある。
引用のルールには、引用した部分は「従」であるという定めがある。つまり、引用は自分の意見や考えを補完する、あるいは対比させる、または事例として示すためなどの目的で行われるものであって、「主」はあくまでも自分の文章であることが条件となる。したがって、引用ばかりで本をつくることはできない。
引用のルールで代表的なものは、もうひとつある。それは引用できるのは公開されたものという点だ。公開されていない手紙などの私文書は引用できない。引用できなければどうすればいいか。本人か遺族の許可を得るしかない。引用は著作権者の許可を得なくてもできるところが便利なのだが、著作権者の許可を得ることができるならば、今度は引用のルールに縛られる必要はなくなる。