ビジネス書業界の裏話

「本当に自分は作家になれるのか?」と思ったら

2017.10.12 公式 ビジネス書業界の裏話 第41回
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いつでもどこでもメモを離さない

単行本として成り立たないニッチな実績が、なぜ雑誌ならOKなのかと疑問を抱く人がいるかもしれない。大体、単行本の初版部数よりも雑誌の発行部数のほうが大きいのだから、雑誌はより広範な読者をつかまなければならないはずだ。ところが全体の傾向として、雑誌は読者を狭くしたほうが売れて、単行本は読者を広く設定しないと売れない。ニッチな雑誌は成立し得るが、ニッチな単行本だと本当にニッチに終わる可能性が高いのである。そういうことで、Sさんはせっせと専門誌・業界誌に原稿を送り続けた。

その頃からSさんの習慣になったことがある。それは常にメモとペンを離さないということだ。歩いているときに閃(ひらめ)いたアイデアは、その場でメモをする。電車の中吊り広告によいコピーがあったら、すぐにそれをメモする。誰かと話していてよいヒントがあったら、それもメモする。いまはスマホも使っているそうだが、メモとペンは相変わらず肌身はなさずにいるという。アイデアはスマホ入力だと時間がかかって忘れてしまう。といって音声入力は人前では恥ずかしい。メモ用紙にペンで走り書きするのが一番よいのだそうだ。メモは原稿執筆の時に役立てるためである。

ただし、こうしたアイデアメモは、メモしたうちで使えるのは全体の2%ほどで、残りの98%は使いものにならない。メモしたときは「使える!」と確信しているのだが、あとから読み返してみると、たいていの場合、意外につまらないものでしかない。Sさんのメモも同様だった。しかし、それでもSさんのメモは続いた。

2年、3年と続けるうちに使えるメモは、全体の2%から2割程度になった。Sさんのメモが生かされるのは、もっぱら繁盛店レポートである。Sさんはある時からサービスの現場レポートを手掛けるようになり、本業のコンサルティングや講演で主要都市や地方に出張するたびに現場取材を入れるようにした。

取材先の話を聞いてそのまま書くなら、Sさんでなくてもよい。ライターで済むことだ。しかし、Sさんには現場体験がある。取材先がやっていることを自身の体験と照らし合わせ、どこがユニークでどこがなかなか真似できないことかという、現実に即したレポートができたのである。

5年越しの作家デビュー

初めて会った時から5年ほど経ったある日、わたしは偶然Sさんの書いた繁盛店レポートを雑誌で読んだ。そして、この時少し驚いた。原稿が格段にうまくなっていたのである。読者が関心を持って、その先を読みたい原稿だった。これも、やはり「継続は力なり」である。

この時、市場では『真実の瞬間』(ダイヤモンド社)という翻訳本が話題になっていた。わたしはSさんで日本版の『真実の瞬間』ができるのではないかと思い、本人に連絡を取った。本人もふたつ返事でOKしてくれた。5年越しの作家デビューである。

本はベストセラーとはいかなったものの何度か重版となり、たしか2万部手前くらいまでいったと記憶している。思い立ってから作家デビューまでは、遅くても4年以内と冒頭で書いたが、Sさんはゆうに5年かかった。もし、出版社のカウンターパートナーが私でなればもっと早かったかもしれないし、別の出版社にもアプローチしていれば、間違いなくもっとデビューは早かったはずである。Sさんはやや遠回りしたといえる。しかし、その遠回りも決してムダではなかった。

作家にとってデビューはゴールではない。Sさんはその後も2~3年に何冊かずつ新刊を出している。それは5年間の蓄積があったからだと私は思っている。

次回に続く

 

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プロフィール

ミスターX
ミスターX

ビジネス雑誌出版社、および大手ビジネス書出版社での編集者を経て、現在はフリーの出版プロデューサー。出版社在職中の25年間で500人以上の新人作家を発掘し、800人を超える企業経営者と人脈をつくった実績を持つ。発掘した新人作家のうち、デビュー作が5万部を超えた著者は30人以上、10万部を超えた著者は10人以上、そのほかにも発掘した多くの著者が、現在でもビジネス書籍の第一線で活躍中である。
ビジネス書出版界の全盛期となった時代から現在に至るまで、長くビジネス書づくりに携わってきた経験から、「ビジネス書とは不変の法則を、その時代時代の衣装でくるんで表現するもの」という鉄則が身に染みている。
出版プロデューサーとして独立後は、ビジネス書以外にもジャンルを広げ文芸書、学習参考書を除く多種多様な分野で書籍の出版を手がけ、新人作家のデビュー作、過去に出版実績のある作家の再デビュー作などをプロデュースしている。
また独立後、数10社の大手・中堅出版社からの仕事の依頼を受ける過程で、各社で微妙に異なる企画オーソライズのプロセスや制作スタイル、営業手法などに触れ、改めて出版界の奥の深さを知る。そして、それとともに作家と出版社の相性を考慮したプロデュースを心がけるようになった経緯も。
出版プロデューサーとしての企画の実現率は3割を超え、重版率に至っては5割をキープしているという、伝説のビジネス書編集者である。

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