千載一遇のチャンスというほど期待できるわけでもないが、民法改正はせっかくお上(かみ)が用意してくれたテーマである。中味もすでに決まっている。いわば据え膳であるにもかかわらず、食指を伸ばそうとしないのでは、いささか活力に欠ける感がある。私のような出版界の隅で細々と生きている身で言うのもおこがましいが、現在、出版界全体が縮み志向にある。だが、出版界、とくに書籍出版の世界はずっとそんな状況の中で生きてきた。
終戦直後の1945年から数年間は、紙不足にもかかわらず一種の出版ブームだった。統制下に生きてきた人々は、情報に飢えていたのである。この時代の情報はファクトとフェイクが入り乱れ、危うさはあったが業界に勢いがあった。だが、勢いだけの業界は安定性に乏しかった。
勢いだけでやってきた反動は朝鮮戦争特需が冷めると、一気に出版界に押し寄せる。1948年には4600社あった出版社は、1951年には半分以下の1900社へと激減。この頃に各社が生き残りのために次々と新ジャンルを創刊したのが、いまの文庫である。文学のみならず、学術、生活文化へと広がりジャンルの合計は60種に及んだという。
縁は奇なるもので、戦前の岩波文庫創刊と文学全集の関係について以前に本ブログで記したが、この戦後の文庫創刊ラッシュの時にも、一方で全集がブームとなっている。全集は値段の高いセット商品だが、文庫は単価が安い。そのため文庫頼りの出版は、部数は伸びるが資金繰りが苦しい。古来、出版社は資金繰りに苦しくなると発行点数を増やして、資金不足を補てんしようとする。
文庫で資金繰りに苦しんだ出版社が選んだのは新書であった。新書の単価は単行本より安いが、文庫よりやや高い。単行本に比べると判形が小さくページが少なく、テーマも軽いものや時事性の強いものを扱う。そのため刊行のスピードが速い。資金繰りをつなぐには好都合な出版物だったのである。
日本が高度経済成長を迎える直前の出版界は、このようにして危機を乗り越えた。その後時代は変わってコミック全盛となるが、そのコミックもゲームに押され、次には携帯に押されて往時の隆盛は陰りはじめる。その穴を埋めるかのように登場したのが「ライトノベル」、いわゆるラノベである。
ラノベで育った読者はすでに社会に出て久しい。ラノベの読者層は意外に歳を食っているのだ。ビジネス書作家を目指すような人は、ラノベやBLといってもほとんどなじみはないだろうが、ラノベの表現形式は一部のビジネス書にはすでに影響し始めている。
2000年代初頭も新書の創刊ラッシュだった。年間の発行点数を確保し、売上を確保するという目論見では、昭和20年代後半の頃の出版界とさほど変わりはない。
出版界で、これまでアップダウンを続けてきた主役は雑誌である。出版社は、だいたい雑誌で失敗して大穴を空けると、書籍でカバーしようとする。古くは平凡社が『大百科事典』を出したのも、雑誌「平凡」で空けた大穴を埋めるための社長・下中彌三郎の窮余(きょうよ)の一策だった。
最近では、大手の出版社などには「安定した大企業」というイメージを抱く人もいる。そう思ってもらえることは大変にけっこうなことであるが、実際、出版界の歴史を見ても安定経営を続けていた時代というのは極めてわずかである。よい時は長く続かず、悪い時期に苦しんでいても、どういうきっかけからか不思議と立ち直る。そういう業界なのである。
したがって、いまは何だかしょぼくれたように見える編集者も、明日には突然花開くかもしれない。いつも後ろ向きなコメントしかしない編集者も、突然、出版に前のめりになることもある。
ダメだ、ダメだと言われても、言葉どおり本当にダメだと思い込む必要はない。いまはとても新人作家の本を出せる状況ではなくても、明日には潮目が変わって積極的にトライできる余裕が生まれることは大いにあり得る。現状の出版業界は、新人作家が次々とデビューできる環境ではないが、この状態が永遠に続くと考えるのは間違いだと思っている。
確かに現在の出版業界は凋落(ちょうらく)傾向にあるが、新たに出版業界を支える新ジャンルが紙にインクを載せるものか、電子書籍か、あるいはそれ以外の何ものかであるかはわからないものの、何らかの新ジャンルは生まれると思う。それが出版業界の歴史だからだ。
作家は、出版業界とはそういうものだと腹をくくり、自分の作家としての可能性をあきらめずに待つしかない。待つといっても、チャンスがやって来るまでそう長くはかからないと、私は思っている。
次回に続く