70年代後半から80年代は、まさにビジネス書にとっての青春時代といえよう。80年代はビジネス書が経営書から大きくウイングを広げた時代でもある。その中で最も顕著であり、いまでも続いているのは「英語」の本だ。英語の本をビジネス書として出したのが80年代半ばである。
その時代、すでに日本企業の海外進出は活発化していた。まだ極端な円高ではなかったが、大企業だけでなく中小企業も海外へ出て行くのが一つの時代の流れでもあった。そういう時代を感じてか、当時ダイエーの中内社長は新入社員への挨拶を英語で行った。企業では英語の特訓研修が流行り、英語しか使ってはいけない部屋や部署というものも登場し話題となっていた。
そこで、ビジネスマンが「今からでも英語をマスターできる本」というものが出てくる。従来のビジネスのテーマからは外れた本だ。英語の本なら語学書としては昔からある。学習参考書にもある。しかし、ビジネスマンが英語をマスターする本は、語学書としては扱われなかった。ビジネス書として扱われたのである。このときから英語のマスター法はビジネス書のテーマとなったのである。
バブルの時代は個人投資もビジネス書のテーマとなった企業経営とは関係のない、個人資産の形成方法、金融商品についての入門書が次々とビジネス書の出版社から出てきた。ビジネス書の出版社が専門出版社から、総合出版社になりはじめたのが80年代後期から90年代のことである。
バブルの崩壊は日本経済にとっては深刻なダメージだった。出版社も何社か倒産した。ビジネス書も出していたような出版社が何社かつぶれたが、彼らはバブル期に大型の投資をして、その資産が不良化して倒産したのであって、出版だけやっていた「堅気」の出版社にとっては、バブル崩壊は痛手ではあっても致命傷ではなかった。
むしろバブル崩壊後はビジネスの世界では新しいテーマが次々と登場した。「規制緩和」「リストラクチュリング」「リエンジニアリング」「金融ビッグバン」「インターネット」「構造改革」「カンパニー制度」「成果主義人事」「年俸制」「IT」などなど、テーマには困らなかった印象がある。
ただし、この頃から徐々に営業・販売のテーマがビジネス書から消えていった。商品を売らなくてよい企業はないのだが、営業マンや販売員のスキルよりもシステムのほうに軸足が置かれ始めた時代である。その傾向は2017年の今日でも続いている。
出版界にとってバブルの崩壊は、雑誌の広告量(料)の減少というマイナスを生んだ。しかし、雑誌自体はその後も増えている。マイナス分を新雑誌で補おうとするかのように、毎年雑誌は増え続け1997年にピークを迎える。このときが限界だったのだ。
日本企業も山一證券の倒産や金融再編など、バブルから何とか立ち直ろうとしたが、このあたりで力尽きた感がある。日本企業はついに、オイルショックでも、バブル崩壊でも手をつけなかった人材育成予算を仕組みから変えた。すなわち企業が社員を教育育成する型から、社員の自己責任・自助努力型に変えたのだ。
会社が一律に教育研修を行うのではなく、必要に応じて社員の自己啓発の補助をするという形である。会社が社員教育用の図書を買い、社員に一律配布するのではなく、必要な書購入には補助を出すということだ。
90年代末から日本企業は社員に冷たくなった。会社に冷たくされた社員は、会社に貢献するマネジメントスキルの本よりも、個人の幸福を追求する本へと向かってしまう。ビジネス書は、いまや個人の幸福を求めるための本となっている。いわゆる自己啓発本ばかりが市場に溢れている原因を、私は企業が社員の育成を放棄したからだと思っている。しかし、企業もバブル崩壊以後、本当に苦心してあれこれと再浮上のための試みを行ってきたことも事実である。
哀しいかなその中で唯一効果的だったのが、社員を育てるという負担を切り捨てることだったのである。ビジネス書は時代とともにある。今の自己啓発本全盛も時代を抜きには語れない。そしてこれからも時代とともにあるはずだ。
次回に続く