監督生活において、希望に満ちた瞬間というのは2月のキャンプインの時期でした。たとえば、海外旅行に行くときでも、事前に準備をしたり、旅の計画を練ったりしているときは楽しいものですよね。まさに、キャンプの時期というのはそんな感じで、「今年はどんな戦い方をしようか?」と、さまざまに思いを巡らせている瞬間はとても楽しいものでした。
しかし、オープン戦が始まり、シーズンが開幕する頃になると、その楽しさはすぐになくなってしまいます。ペナントレースが始まれば勝っても苦しいし、負けても苦しいし、楽しいことはほとんどありませんでした。特に負けが続いた今年は「試合に行きたくないな」と思うことも、正直ありました。それでも、やはりグラウンドに出れば目の前の試合に夢中になり、必死になって戦いました。
僕の3年間の監督生活は初年度が優勝、2年目が5位、そして3年目が6位となりました。最初が優勝で、最後が最下位です。僕がこんなことをいっては怒られるかもしれませんが、個人的にはとてもいい経験をしたと思っています。もちろん、理想は3連覇して、「名将」の評価を得ることかもしれません。
けれども、結果的には優勝と最下位という両極端な3年間となりました。その結果、酸いも甘いも嚙み分けることができたし、いいときとわるいときを同時に経験できたことは、単に監督としてだけではなく、一人の人間として、なかなかできないことを経験させてもらいました。優勝直前のドキドキ感と、連敗が続いたときの何とも言えない悔しい思い。両極端な感情を経験できたことは、これからの僕の人生に役に立つのではないかと考えています。
退任が決まった後、自分が感じたこと、経験したことを球団社長にお伝えしました。ヤクルトが強くなることは僕にとっても嬉しいことですから、出し惜しみすることなくお話ししました。同時に、未来を担う若手選手の育成も急務です。今シーズンは故障者が相次いだことで、藤井亮太や奥村展征、山崎晃大朗など、若手選手を起用する機会が増えました。それを称して「真中の置き土産」と言われたこともありました。
しかし、それはちょっと綺麗ごとすぎると個人的には思います。経験を積めば、自然に若い選手が台頭するのは当然のことですから。特に山崎の場合は、僕と同じ日本大学出身で背番号も僕の現役時代と同じ《31》ですから、「真中二世」と呼ばれることが多い、期待の選手です。今季限りで僕の退任が決まった後、彼は「真中監督に最後の恩返しをしたい」と語っていました。マスコミから、「去り行く真中監督へメッセージを」と聞かれたから、そのように答えたのでしょう。でも、僕は山崎を呼んで言いました。
「オレのことを褒めてくれるのはありがたいけど、次の監督がやりづらくなるから、もうオレの名前は出すな」と告げると、彼はとまどいながらも「わかりました」と言っていました(笑)。確かに彼は、大学の後輩だし、僕と同じ背番号《31》です。けれども、だからと言ってえこひいきで起用しているわけではないし、彼の実力を信頼していたのですから、わざわざ「真中監督のために」と言う必要はないと思ったのです。自分の実力で、不動のレギュラーを勝ち取ってほしいと願っています。