8月22日の試合前、僕は今季限りでヤクルトの監督を退任することをマスコミ各社に発表しました。開幕当初から下位を低迷し、最下位も決定してしまった以上、監督として責任を取るのは当然のことでした。今シーズンも、あと数試合を残していますが、今だからこそ語れる退任を決めた理由をなるべく正直にお話ししたいと思います。苦境にあえぐチームの監督が、どんなことを考えていたのか。現状を打破するために、どんな取り組みをしようとしていたのか? 少しでも何かの参考になれば幸いです。
僕が退任を考え始めたのは7月上旬、ちょうど14連敗の真っ只中のことでした。このとき僕は、衣笠剛球団社長にお電話をして時間を作ってもらい、その席で「今季いっぱいで監督職を退かせてください」と伝えました。しかし、それは「途中休養」とは違います。シーズン途中でユニフォームを脱ぐつもりは、僕にはまったくなく、「シーズン最後までまっとうする」という覚悟でいました。
この時期に退任を申し出たのは、「来季に巻き返しを図るのならば、後任監督人事を含めた新チーム作りは少しでも早い方がいい」と考えたからです。一方、今シーズン最後まで続けるつもりだったのは、契約途中で投げ出したくなかったことと、選手たちには「最後まであきらめるな」と言っている自分が、途中で投げ出すように辞任してしまうことは矛盾していると考えたからでした。このとき、社長は「ひとまず監督の気持ちは分かった。一度預からせてもらう」と言ってくれました。結局、僕の考えは変わらぬまま、8月に正式発表となったのでした。
退任を決意した決定的な理由は、「ライアン」こと、小川泰弘のクローザー転向でした。先発ローテーションの一角でもあった小川は、今季途中に背中の張りを訴え、一時期、戦線離脱しました。そして、6月末にようやく復調の兆しが見え、一軍に復帰する際に、僕は小川にクローザー転向を指示しました。この時点ですでにチームは低迷状態にあり、イヤな流れを変えるための「現状打破の起爆剤」として、大きな賭けに出たのです。それは、大げさではなく、監督生命を賭けたものでした。
しかし、結果的に小川のクローザー転向は失敗に終わりました。もちろん、その責任は小川にあるわけではありません。すべてが指揮官である僕の責任です。当初、「打てる手は打った」と決意していたものの、結果的にうまくいかなかったことで、「これから何をすればいいのか?」と、正直なところ行き詰まりを感じていました。まさに、この時点が僕の監督としての分岐点となりました。
たとえば、チームを率いる最高責任者として、「今季はダメだったけれども、来季はこうしよう」というヴィジョンが持てるのであれば、僕は「来季も監督続投を」と望んだかもしれません。しかし、自分の中で「もう手詰まりだ」と感じている以上、このまま監督を続けることはチームに迷惑がかかるし、ファンのみなさまに対しても失礼です。そして、僕自身も何をしていいのかわからない状態では、来季もまた同じ過ちを繰り返すことになりかねません。
前述したように、監督退任は7月にはすでに決意していましたが、この間、僕は一度も「途中休養」を考えたことはありませんでした。もちろん、連敗中には「もう辞めたい」と思うことも、確かにありました。けれども、おごった言い方になるかもしれませんが、本音の部分では「ここで監督が代わったとしても、チームの状況は大きくは変わらないだろう」と思っていました。それでは、代行監督に迷惑がかかるだけですし、繰り返しになりますが、選手たちに「最後まであきらめるな」と言っている以上、途中で僕が辞めるわけにはいかなかったのです。
理想としては後半戦にチームは勢いを取り戻し、Aクラスを確保し、クライマックスシリーズに出場した後に、「それでは辞めさせていただきます」となればまだ格好もついたかもしれませんが、現実はそんなに甘くありませんでした。後半戦も失速したまま、チームは3年ぶりの最下位に沈み、本当にファンの方々に申し訳ない気持ちでいっぱいです。