新チームでまず行われたのが、キャプテン選びです。私は当然、1年生の時から上級生に混ざって活躍していた、エースや中心選手がなるものだとばかり思っていました。
ところが、監督がキャプテンの名前を発表すると、いきなり私の名前が呼ばれのです。私だけではなく誰もが、驚いたと思います。思ってもみない人選でした。
高校から本格的に野球をはじめて、目立った活躍もしていない。試合にも出ていない。2軍戦でも出してもらえない。そんな私に、どうしてキャプテンを命じられたのか?
後で聞いて分かりました。下級生たちが、「岩田さんをキャプテンにしてほしい」と強く推薦してくれたというのです。
私はなぜ、社長にまでなれたのか?
小さい頃、私はやんちゃで、どちらかというとワガママで人に嫌われていたと思います。それでいてリーダーシップを発揮している友達に憧れる子どもでした。
後に社会に出てからも、自らリーダーシップを発揮しよう、などと意識したことはありません。みんなのために今、自分は何をするべきか。それを考えて行動していたら、自然とリーダー的な役割をしていることが増えていったのです。
いつの間にか、いろいろな組織のリーダーを命じられるようになっていった。その繰り返しでした。子どもの頃や社会人になりたての頃の私を知る人は、私が3社で社長を経験することができたなど、とうてい信じられないだろうと思います。
だからこそ、私がみなさんに強調しておきたいのは、リーダーシップというのは生まれつきなどでは決してない、ということです。
誰でもその気になれば、リーダーになれるのです。
私が強調しておきたいのは、リーダーシップのイメージを変えてほしい、ということです。リーダーシップといえば、多くの人がイメージするのが、オレについてこい、というカリスマ的な力で、グイグイ人を引っ張っていく、というものではないでしょうか。強いリーダー、一歩前に出るリーダーでなければいけない、と。
実際、一国のリーダーにしても、企業のリーダーにしても、そうしたカリスマ性を持って強いリーダーシップを発揮する人も確かにいます。しかし、それだけがリーダーシップでは決してない、ということです。
私の愛読書のひとつに、名著『ビジョナリー・カンパニー2 飛躍の法則』があります。普通の会社が優れた企業になることができた秘密とは何か、を検証した本ですが、ここではリーダーについても言及されています。
たしかに、多くの人々がイメージする、「俺についてこい式」のカリスマ的リーダーはこの本の中では「第4水準」であり、その上のリーダーとして「第5水準」というリーダーがあるというのです。
カリスマ性の有無はまったく関係がない。むしろ、控えめな謙虚さを持っている。何かがうまくいったとしたら、「それは運がよかったからだ」「部下が頑張ってくれたからだ」と自分以外の成功の要因を探す。
逆に、うまくいかなかったときには、他に責任を転嫁するのではなく、「すべて自分の責任だ」と反省する。
そのようなリーダーを「第5水準」のリーダーと定義しています。
私は30代でこの本を読んだとき、とても勇気づけられたのでした。私自身、カリスマ型のリーダーにはおそらくなれません。もし自分が企業の中でリーダーシップを発揮しなければいけなくなるとすれば、この「第5水準」を目指せばいいのだ、と。
何より、それはもともと自分でぜひ目指したいと思ったリーダー像でした。
(次回に続く)