では、前回ご説明した「第5水準」のリーダーシップには、はたして何が必要になってくるのでしょうか? 私はまず「努力をすれば、必ず報われる」と自分を信じる強い気持ちを持つことだと思います。
これまた、私の学生時代の野球部での実体験があります。高校時代に野球に燃え尽きて、大学は別のことをしようと思っていたのですが、友人に誘われ、私は大学でも野球部に入り、また野球漬けの日々になりました。上級生が少ないこともあり、早くから外野手として試合に出ることができました。
ところが、私は早々に練習中に右膝の半月板を損傷してしまったのです。手術して1年ほどリハビリを強いられました。その間ずっと球拾いやノックの手伝いをしていました。
復帰にあたって、私はひとつの決意をしました。それは幼い頃からずっと憧れていたピッチャーになることでした。実は高校時代もピッチャーをやってみたかったけれど、同級生が絶対的なエースとなっていたので、私は早々にあきらめざるを得ない状況でした。
ケガから復帰するとき、どうせゼロから始めるなら、自分の夢であったピッチャーを目指そう、と。そこで、外野手からピッチャーに転向したい、と宣言したのです。まわりからは強く反対されました。近畿リーグ1部という高いレベルのチームでしたし、ピッチャー経験は私にはない。外野手なら試合に出られるのに、何もわざわざピッチャーなんてやる必要はないじゃないか、と。
実際その通りでした。やはりピッチャーというポジションは簡単には務まりません。まったく鳴かず飛ばずでした。たまに練習試合に投げさせてもらっても、1回もつかどうか。ただ、あきらめず、バッティング投手やピッチング練習だけは黙々とやっていました。夏場の1000本ダッシュや、練習が終わってから必ず大学のまわりを毎日5kmは走っていました。
そんな姿を見ていたチームメイトが、3年生の秋の公式リーグ戦最終戦に「岩田を投げさせてやってくれ」と、試合当日に監督に進言してくれたのです。でも、みんな5回も持たないだろうと言いあっていたようです。ところが私は相手打線を2点に抑えて完投し、勝ち投手になることができたのです。ずっとリーグ戦中でも腐らずに黙々とブルペンで、いつでも投げられる準備をしていたおかげで、このワンチャンスを生かすことができました。こうして4年生の秋からは、何回か先発をさせてもらえるようになりました。
私にとっては、これが大きな成功体験でした。地道にコツコツ頑張っていると、誰かが見てくれている。どこかで必ず花開く、という思いが私の中に確実にインプットされたのでした。
コツコツとした地道な努力がどうしてできるのか。それは、頑張ればきっといつかその努力が実を結ぶと信じられるからです。
ある本で読んだのですが、捕虜収容所で一番つらい労役は、毎日ただ穴を掘らせて、翌日その穴を埋めさせることだそうです。畑を耕すでもなく、意味もなく穴を掘らせて、それを毎日埋める作業の繰り返し。これを行うとほとんどの収容者は、心身ともにおかしくなってしまうそうです。
賽(さい)の河原での石積みのごとく、自分がしている努力が無駄になるかもしれないと思うと誰も努力が続けられません。
トンネルの中の遠い先に薄明かりが見えていると、人はそちらに歩みを始めることができるが、真っ暗な暗闇では、ただただ立ち止まっているしかない。
自分の今の努力がいつか身を結ぶと思うとその努力が続けられるが、自分を信じる気持ちがないとその努力は続けられない。
その自分を信じる気持ちは、小さな成功体験の積み重ねと「これだけやったのだから」と言えるほど日々努力することで生まれてくるのだと思います。
(次回に続く)