編集部 日本人は、やはり世界でもスピーク・アウトの苦手な国民なのでしょうか。
例えば、私が世界各国で講演をしたとしましょう。
各国とも聴衆は100人とします。
この時話している相手がアメリカ人であれば、質問する人の数は100人中30人~40人はいます。相手が中国人であれば100人中60人~70人、インド人なら100人中100人が質問してきます。
それも講演終了後ではなく、講演中でもかまわずに、です。
それに対して我が日本人はどうかというと、100人いても自主的に質問する人はゼロということも珍しくはありません。
しかし司会者に促されたり、こちらから誰かを指名したりしてやや強制的にしゃべらせると、アメリカ人や中国人、インド人よりも的を射た質問をすることが少なくありません。
質問する能力がないから、質問しないというわけではないのです。
よくいわれるジョークに「国際会議において、インド人を黙らせ、日本人にしゃべらせることができれば、その会議は成功したと言ってよい」というのがあります。
これでは、国際会議のような各国の主張が飛び交う交渉の場では、とても勝ち目がありません。
質問も発言もできるのにしないのが日本人ですが、世界の人はそう親切な見立てはしてくれません。質問も発言もしないのは、モノを考える能力がないゆえだと決めつけられてしまいます。
そういう日本人ですが、能力はあるのに質問や発言をしない背景には、日本人特有の文化があるのだろうと私は考えています。
「セルフ・アサーション(Self Assertion)」というのは自己主張のことですが、外国人、とりわけ欧米人やインド人、中国人にとっては当たり前の習慣です。一方、日本人にとっては自己主張というのはいささかマイナスの影がつきまといます。
日本人は相手の気持ちを忖度(そんたく)する(自分の気持ちを忖度してもらう)、「以心伝心」的なものを上級のコミュニケーションと考えているところがあります。
平たい言葉でいえば「オレの目を見ろ、何にも言うな」の世界です。
物言わずとも伝わる以心伝心の文化が、日本人のスピーク・アウトやセルフ・アサーションを妨げているのだと思います。
そのため、スピーク・アウトが根付かないのでしょう。
編集部 日本の文化が日本人をスピーク・アウトの苦手な国民にしているわけですね。
日本文化は世界に誇れるものだと私も確信しています。
しかしながら、率直にモノを言う、積極的に発言することを妨げているという点では、マイナスに作用することもあります。
以心伝心のみならず、日本には謙譲(けんじょう)の美徳とか、長幼の序という文化もあります。
年長者を敬うというよい文化なのですが、モノを言うのも上から下へと一方的になり、下から上へ自由な発言は控えないといけない、という弊害もあります。
また、上下関係を重視する文化は、組織の中でいつも大声で一方的に話しているのは社長や部長で、一般社員はモノが言えないという、困った社風を生んでしまいます。
これでは、若年者や一般社員は、年長者や上司に遠慮なくスピーク・アウトできない。言いたいことも胸にしまい込んでしまう「スピーク・イン」に陥ってしまいます。まさにイン(陰)にこもってしまうわけです。
こういう社風の職場では、下の人は自由闊達に仕事などできませんから、当然よい結果も出ないことになります。
スピーク・アウトは会社にとって非常に重要な習慣ですが、日本の企業には欧米企業に比べ、文化的に不利な部分を抱えていることを知ったうえで、社長やリーダー自らが、部下が自由闊達にモノを言える習慣を社内につくり上げなければなりません。
編集部 では、新さんの人生を変えた2つめの言葉について伺いたいと思います。
私の人生に大きな影響を与えた2番目の言葉は「ファン(Fun)」です。
ファン(Fun)とは「楽しむ」という意味。人は心から楽しめないことには不安を覚えるものです。
このファンという言葉を私にくれたのは、ジョンソン・エンド・ジョンソンの元CEOであるジェームズ・バーク氏でした。
私は42歳のときに2度目の転職をします。
私は45歳までに社長職に就くという目標を立てていました。ところが、在籍していた日本コカ・コーラ㈱は当時、組織の事情からトップはアメリカ人が務める体制がとり続けられていました。
このままコカ・コーラにいてもナンバー2にはなれる。しかし、トップにはなれない状況でした。
それでは、私の目標は達成できないことになります。そんなときジョンソン・エンド・ジョンソン㈱から社長含みで招きたいという要請がありました。
いわゆるヘッド・ハンティングですが、この種の話は常に年に3つ4つありましたから、特に珍しいことではありません。
いつもなら聞き流してしまう類の話ですが、今回はジョンソン・エンド・ジョンソンというアメリカでも有数の名門企業であること、近い将来社長を務めてほしいというプロポーザルでした。
私は、とことん考えに考え抜いて、再び清水の舞台から飛び降りる覚悟で転職を決めました。
「鶏口となるも牛後となるなかれ」と、かつて常に父が私に言っていた言葉も背中を押してくれたと思っています。
ジョンソン・エンド・ジョンソン(株)に移ると、早速アメリカ本社を訪ねました。
ジョンソン・エンド・ジョンソンの本社は、ニューヨーク州の隣のニュージャージー州にあります。そのとき当時のCEOであったジェームズ・バーク氏が言ったのです。
「ミスター・アタラシ、よい仕事をしようと思ったら、すべからくFunでなければならない」
仕事を楽しむことができなければよい仕事などできない、よい仕事ができなければよい結果も得られないよ、だから仕事を楽しみなさない」というアドバイスでした。
Funは私が42歳のときに強く影響を受けた言葉なのです。
そして、仕事を楽しむ、すなわちFunの重要さを述べていたのは、バーク氏だけではありません。
日本でもソニーの創設者である井深大氏も、ソニーの前進である東京通信工業の設立趣意書の中で、「真面目な技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」という宣言を会社設立の8つある目的の筆頭に挙げていました。
また、堀場製作所の社是「おもしろおかしく」も、同様にFunを大事しているのだと思います。
編集部 そうはいっても、現実にはあまり楽しくない仕事やしんどい仕事もあるかと思うのですが、そういうときにも仕事を楽しむことはできますか。
結論から言えば、もちろんできます。
高杉晋作の辞世の句といわれる「おもしろきこともなき世をおもしろく 住みなすものは心なりけり」は、まさにFunの極意といえます。心とは即ち、「FUNごころ」ということです。
世の中には、楽しいだけの仕事というものなど存在しません。楽しくない仕事、苦しい仕事であっても、面白い、楽しいと思えるかどうかは自分自身の「心」次第なのです。
心のスイッチを切り替え、辛い・苦しいを、「楽しい」思いに変えることはできます。人は自己暗示にかかりやすい動物ですから、楽しいと思って仕事をすれば、次第に楽しくなるものです。
私自身も、自分が実践している、いわば「Funになるコツ」があります。
私は年に何冊か本を出していますが、顧問先の仕事や講演など忙しいスケジュールの合間を縫って原稿を書くという作業は、資料に当たらなければならないし、表現にも工夫を求められますから、これでなかなか苦労の多い作業です。
ときにしんどいと思うこともありますし、先送りにしたくなることもしばしばです。
そういうときに私が実践しているのは、本が完成して書店に並べられている光景をイメージすることです。「何かを達成できた時の状態をイメージする」と、心が躍り出します。
成功のピクチャー(絵)を描くことによって、原稿執筆というしんどいプロセスにワクワク感、ウキウキ感が生まれるのです。
山登りでも同じことがいえます。
麓(ふもと)から重い荷物を背負って登っている最中は、景色も見えませんし、ただ苦しいばかりです。それでも途中でやめず登り続けるのは、山頂に立って周囲の景色を見下ろすイメージを描くからに他なりません。
ゴールのイメージ、成功の瞬間をイメージすることは、スポーツ選手の間でも1つのイメージトレーニングとして広く浸透しています。
成功のピクチャーを描くことは、苦しい気持ちをFun(楽しい)な気持ちに変える1つのテクニックといえるのです。
Funの効果は、仕事を成功させる力強い原動力というだけではありません。
Funは人を魅力的にします。Funで働いている人にはファン(Fan)がつきます。ニコニコ楽しそうに仕事をする人の下には人が集るものです。反対に、しかめっ面で嫌々仕事をやっていると、人をフアン(不安)にさせます。ファンがない人は、フアン(不安)な人なのです。
そう、ファンとフアン。その差はとてつもなく大きいのです。
人だけではありません。
幸運の女神は人が集っているところに引き寄せられますから、Funな人は幸運にも恵まれることになります。
楽しそうに仕事をする人は、こうやって人生の歯車がよい方向へと回転し始めるのです。
さらに、Funな人は職場もFunにします。
Funな職場からはよい仕事が生まれます。職場に笑いがさざ波のように広がる会社は、概してよい会社であるといえます。反対に、笑い声の1つも立たない静まりかえった会社は墓場のようであり、往々にしてよくない会社であることが多いです。
こうして私は「スピーク・アウト」と「Fun」を習慣化し、45歳のときにジョンソン・エンド・ジョンソン㈱で初の日本人社長に就任しました。
以下後編に続く