資生堂のアートディレクターを務める成田久さん。カラフルで情熱的、「ぶっ飛んだバイタリティー」で、いくつもの美のイメージをつくりあげ、世に送り出しています。組織にいながらにして「個」を発揮し、多くの人々の心を掴むビジュアル・クリエイション。その原点にあった、「人気者で生きる」決意とは。藝大4度落ちからのリベンジ、30歳手前での就職……。悩みながらも進み続けた成田さんの道を辿ってきました。
(インタビュー・文/沖中幸太郎)
成田久(なりたひさし)
アートディレクター・アーティスト。1970年生まれ。多摩美術大学・東京藝術大学大学院を修了し、1999年に資生堂入社。宣伝・デザイン部に所属。アネッサのCMで蛯原友里を起用し、楽曲にBONNIE PINK「A Perfect Sky」を使用したことで一躍話題に。そのほかマシェリやマキアージュ、ベネフィーク、HAKU、インテグレート、unoなど多彩なブランドのアートディレクションを担当。更にTSUBAKIで初めて男性キャストとして福山雅治を起用するなど、資生堂商品のブランディングに大きく貢献する。社外活動では13年NHK大河ドラマ「八重の桜」のイメージポスターのアートディレクションを担当するほか、多数のアーティストのCDジャケットやMVのアートディレクション等を手掛ける。更に雑誌「装苑」にて演劇レビューを連載するなど活動範囲は留まるところを知らない。活動情報を「キュキュキュカンパニー」にて発信中。 |
成田久氏(以下、成田氏):僕のお仕事は、ざっくり言うと資生堂のビジュアル・クリエイション。宣伝・デザイン部に所属しアートディレクターを務めていますが、アネッサ、マシェリ、マキアージュ、uno 、TSUBAKI、マジョリカマジョルカなど、資生堂商品のブランドアートディレクション、ストーリーを視覚化して、お客さまに美しいイメージを創り伝えるのが僕の役割です。
こうした資生堂でのお仕事がおかげさまで好評を頂き、自分のブランドでもある「キュキュキュカンパニー」としてもお仕事をお引き受けしています。ブランドコンセプトからマイクを持ってのイベントまで、コミュニケーション・デザイン全般にギラギラと目を光らせています(笑)。
――「キュキュキュカンパニー」のアイコンは、一度見たら忘れられないカラフルな久(CUE)さんの頭が……。
成田氏:このヘアスタイルが僕のトレードマーク。「狂った感じで鮮やかなのが好き」なんです。「キュキュキュカンパニー」のすべてのアイテムに僕の顔を使用しています。対談や公演などでも、この顔柄のアロハシャツで、もうユニフォーム(笑)。「覚えやすい形で皆様に知ってもらいたい」という想いから始まっているのです。これは僕のクリエイション全般に言えることなのですが、感覚的な世界に終わらせず、常にコンセプチュアルでなければならないと考えています。
――クリエイションをコンセプチュアル(明確)に。
成田氏:感情から生まれたものでも、「作品」としてしっかりプレゼンテーションできなければ、お客さまへは届きません。クライアントからご依頼をいただく時も、しっかりと企業や商品の目指したいもの、未来のニュアンスを聞き出し、それがしっかりとコンセプトとハマるよう入念に考えて、アイデアをひねり出します。そこが聞きそびれていたり、ブレたりしていては、世の女性に愛される商品ブランドは生み出せません。
僕はコンセプチュアルにするための時間は惜しみませんし、普段から頭に浮かんだイメージや言葉、目に飛び込んできた景色を、すぐに写真に撮ったり愛用のジャポニカ学習帳に記録したりして、準備しています。アイデアのパーツの欠片、破片を断片的に拾い出し、頭の中で空に浮かべてそれらを広げるだけ広げ、散らかしたアイデアの欠片を一気に掻き集め整理整頓をします。言葉の関係性、コンセプトとの距離感。繋がっていく文字を世界地図のように広げて、点と点をつなぎ、線と線を結び、面にして、立体にする。これが僕のコンセプチュアルの過程です。
だから、作家性を追求するマニアックな「個」も大切にしたいと思う一方で、明確なコンセプトによって得られるマス(大勢)からの評価、「売れている」も「ランキング」という言葉も大好きなんです。
もともと作家性を追求する「個」としての僕と、マスの世界が大好きなミーハーな僕がいたのですが、その両方の世界を行ったり来たりしながら、大学を4回も落ちたり、30歳目前で就職に悩んだりしながら、徐々に自分の道を進んできました。
――今のような久(CUE)さんにもbeforeが……。
成田氏:ありました、ありました。小さいころは周りとのコミュニケーションが苦手だったのか、今とは真逆のまったくしゃべらない子どもだったみたいで。そのくせ自己主張はちゃんとする。扱いにくい子どもだったと思いますよ(笑)。
ただ僕の根の部分は、やっぱりこのころに創られていて、美術に感心がある親や、よく舞台に連れて行ってくれた祖母の影響もあって、アートは身近なものでした。
幼稚園ぐらいから僕を美術館に連れて行ってくれたり、お絵描き教室に通わせてくれたりしたおかげで、絵を描くことが大好きになりましたね。
ミーハーなのもこのころから変わっていなくて、なぜか資生堂のCMキャンペーンに出ている女性の抜擢や演出が好きでよく見ていました。「ザ・ベストテン」「歌のトップテン」などの歌番組全盛期、CMに起用された曲はのきなみヒットソングという、この時代特有のキラキラした世界が大好きだったんです。
アートやファッションカルチャーなどを企画展示していたTHE GINZA下のアートスペースにもよく通っていましたし、月刊誌である『花椿』は毎回楽しみにしていてずっと集めていました。地上波では世界のファッション、流行がいち早くオンエアされるTV番組『流行通信』も見ていました。
内の部分は、そのまま。「before=しゃべらず目立ちたくない僕」が、「after=今のようなキャラ」をひらくきっかけを作ってくれたのは、小学4年生から3年間受け持ってくれた担任の松田先生でした。ペーパーテスト以外でモチベーションを上げる仕掛けを100個ぐらい用意してくれたおかげで、何かを一緒懸命やって、頑張れば次の未来のドアが開くことを教わりました。
ナリがこんななので、「インドアで汗をかくのが嫌いそう、運動神経なさそう。体育会系独特のノリが大変苦手そう」な雰囲気を醸し出しちゃっていますが、実は僕、バリバリの体育会系。全国大会を目指してバスケをやっていた時期もありました。何もかも完璧にできないと気が済まないという今の性格ができあがっていったのは、このころですね。