『敵は家康』刊行記念【特別対談】早川隆×伊東潤
<歴史・時代小説の面白さ -史実と物語の狭間で->
『敵は家康』 刊行記念! 本作がデビュー作となる新鋭、早川隆氏と『峠越え』など数々の著作で知られる伊東潤氏の特別対談が実現。 第6回歴史・時代小説大賞で特別賞を受賞し待望の書籍化を果たした本作や歴史・時代小説を書く醍醐味について語る。
兵士の眼で物語を書いてみたいと思った
私はずっとインターネット業界で働いていたんですが、この業界っていろんな分野のオタクがいて、その中に歴史オタクも相当数含まれているんです(笑)。そんなオタク同士が、互いに好きな人物や事件をプレゼンし合うという集まりがありました。私は歴史の知識がそれほどあるわけではないんですが、ネタとして面白いプレゼンをかまして、その集まりでひたすら笑いを取るのが好きだったんですね。そんなある日、名古屋の徳川美術館で三英傑(織田信長・豊臣秀吉・徳川家康)の城をテーマにした企画展があったんですが、城郭考古学者の千田嘉博先生の講演の前に、歴史好きの素人が5組ほど前座を務めることになり、そこに私も出ることになったんです。
伊東いくら前座でも、千田先生と同じステージに立つなんて、ビートルズの日本公演の前座に出たドリフターズのようなものじゃないですか(笑)。
早川あの、みんなドテッ、ってズッコけたあと「解散!」するやつですね(笑)。講演テーマとして、三英傑が関わる城についてという縛りがあったんですが、へそ曲がりな性格なので、安土城や大坂城のような有名な城ではなく、鷲津砦と丸根砦を採り上げさせてもらいました。そもそも城ですらないですが、まあ三英傑のうち二人は絡んでいますしね。そこで、これらの砦にどんな人たちがいたのか調べたものの、主将の織田玄蕃允や佐久間大学といった人たち以外、名前がほとんど残っていなかった。あと、同じ立て籠もるにしても、城のような重厚な建築物だとあちこち隠れて戦うこともできますが、丸根砦なんてもう全方位から見えるし、吹きっさらしの中にたぶん柵しか立っていなかった。いったい、こんなおっかないところで戦っていた人たちってどんな奴らだったんだろう、その視点、つまり兵士の眼で物語を書いてみたいと思ったんです。それで、礫投げの腕前を持つ弥七という架空のキャラクターを考え出しました。
史実とドラマの兼ね合い
そうでしたか。最近、井原忠政さんの一連の作品がベストセラーになりましたが、確かに当時の雑兵の心理状態を描いた作品は少ないですよね。雑兵たちが腰が引けているのか功名心に逸っているのかは状況次第ですが、鷲津砦と丸根砦にいた雑兵たちは相当びびっていたと思いますね。それにしても、そうした雑兵たちの物語の舞台を、桶狭間の戦いにしたのはどうしてだったんですか。
早川この時代って、史料があるようでないですよね。
伊東確かに、桶狭間の史料は少ないです。
早川史料の密度が粗い感じがしますよね。踏まえなければいけない歴史事実はあるものの、その周辺には実はまだグレーゾーンが非常に多い印象です。『敵は家康』でも、例えば山口親子を一族もろとも死なせてしまいましたが、残っている記録では『信長公記』に山口親子が駿府に呼ばれて切腹させられたと書かれているだけなんです。こんな具合なので、周辺の事件やイベントをどんどん膨らませられるという創作の自由度があるなと思いました。これが江戸時代や幕末になると、踏まえないとならない史料がグンと増えてくる印象です。戦国時代は一番書きやすい時代だと感じています。
伊東そうなんです。ただし自由度が高いというのは、自由に物語を展開させられるという反面、作家としての技量が問われることでもあります。とくに桶狭間の戦いのように、確定した史料が少なく、戦いを完全に再構築するのが困難な場合、まさに戦場を舞台にして作家同士が鎬を削ることになります。そうした中、どこに重点を置くかによって描き方も一変します。早川さんは、この戦いを舞台にすることで、何を描きたかったのですか。
早川私が特に強調したかったポイントのひとつは、今川義元の優秀さです。義元って、ちょっと不当に扱われていますけれど、実はとても優れた武将だったと思うんですよね。そんな義元の立てた精緻で完璧な作戦が、あるひとつのボタンのかけ違いで、ガラガラと崩れていく過程を描きたかったんです。要はコントロール不能なヒューマンファクターとして、松平元康(徳川家康)にいろいろやらかしてもらっているんですが(笑)。実際の桶狭間の戦いを再構築できたとは思いませんが、とにかく創作として難しかったけれど、一番楽しかった部分でもありますね。
伊東楽しかったですか。調べることも書くことも楽しめるのは、作家にとって大切なことです。楽しくなければ、この仕事を長くは続けられませんからね。それで義元ですが、私も子供の頃から信長よりも義元には思い入れがあり、今川家を贔屓にしてきたのですが、五月に出すノンフィクション作品『合戦で読む戦国史』のために、この戦いの数少ない史料を精査していった結果、極めて残念なのですが、やはり義元はダメな武将だったという結論に至りました(笑)。
早川うむむ、それは残念(笑)。ただ私としても、伊東先生にはまだまだご満足いただけないかもしれないと思うところがあって。『敵は家康』では軍事作戦における補給や兵站の要素を前面に押し出して書いたんですが、当時の現地の道路事情を調べることができず、脳内で道をいくつも作り、しまいには“サシバ道”なんていう概念まで創作してしまいました。
伊東ご存じの通り、私は当時の道について調べるのが好きなので、桶狭間周辺の道についても各種史料をあたりました。『合戦で読む戦国史』でも、そのあたりに重点を置いて書いていますので、ぜひご一読いただき、次回作に生かして下さい。
早川それはもう! 大いに参考にさせていただきます! そういえば、義元はもう大高城に行っていたのでは、なんていう説もありますよね。
伊東ありますね。家康の行動も兵糧の搬入ではなかったという説もあります。そのあたりについて、『信長公記』に記されていることと、義元や家康の動きが矛盾を孕んでいるんです。つまり桶狭間の戦いは、整合性を取っていくのが非常に難しい題材です。僕はノンフィクション作家でもあるので、史実をしっかり調べることがポリシーですが、調べれば調べるほど新解釈が出てきます。そうした試行錯誤や仮説検証の果てでないと、「実はこうだったのではないか」という結論は出せません。
早川私もつっこんで調べていくといろんな事がわかりましたし、バラバラだったことがとつぜん繋がったりして、すごく面白かったです。自分だけの仮説かもしれないけれど、その仮説を小説に生かすこともできる。調べれば調べるほど面白くなると思いましたね。そういえば、最近は関ヶ原の戦いを書いた小説って少ない気がするんです。新規の学説がこの4〜5年でかなり議論されていて、そもそもいわゆる「関ヶ原合戦」自体が無かったかもしれない、という話すら出ている。そんな、歴史小説のネタとしては触れにくい雰囲気もある中、堂々と書いてらっしゃるのが伊東先生ですよね。
伊東『合戦で読む戦国史』はノンフィクション作品ですが、研究者の方々の最新の研究成果を参考にし、定説はこうだが、自分としてはこう思うという書き方をしています。ノンフィクションはそれでよいのですが、小説は少し厄介です。すなわち歴史小説の怖いところは、ベースにしている定説が覆ることなんです。私も司馬遼太郎氏の諸作品に胸躍らせてきた世代ですが、例えば関ヶ原の戦いひとつとっても、司馬さんの執筆当時と今では、全く様相が異なってきています。物語として読めば面白いのですが、歴史小説と名乗るからには、ある程度の史実をベースにすることも大切です。その前提が崩れてくると、小説自体の価値も下がってしまいます。しかし『敵は家康』のフォーマットなら、背景になるのは大まかな歴史の流れなので、リスクは少ないですよね。早川さんは登場人物の心理描写を緻密に描くのが得意なようですが、史実とドラマの兼ね合いの中で、人物をどのように描いていこうとお考えですか。
広島県出身、インターネットベンチャー勤務の傍ら、2019年より執筆活動を開始。アルファポリス第6回歴史・時代小説大賞の特別賞を受賞した「礫」を「敵は家康」に改題し、出版デビュー。
早川隆さんの作品をもっと見る1960年、横浜市生まれ。早稲田大学卒業。ビジネスマンを経て2010年より専業作家。主に歴史・時代小説を執筆。文学賞多数受賞。代表作に『修羅の都』『茶聖』『巨鯨の海』『国を蹴った男』『江戸を造った男』『囚われの山』などがある。