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番外編

俺は女に興味が無い?

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 その日、俺は駅で倫を待っていた。
 改札を出てすぐの柱に背をもたれて、何をするでもなくじっと倫を待つ。
 
 今日は倫が買い物に行きたいと言うから、電車で一時間ほどの場所にあるアウトレットモールに行くことにした。俺自身はわざわざ遠くまで行って買い物をしたいと思ったことはないが、倫と一緒となれば話は別だ。
 倫に似合いそうな服や雑貨を選ぶのも楽しいし、倫が俺のために一生懸命コーディネートしてくれるのも嬉しい。

 以前、短期間付き合っていた女性とも買い物に行ったことがあるけれど、その時は退屈で仕方なかった。似たような服を見比べていつまでも悩んでいる女性にうんざりして、うっかりあくびをしたらそれだけで機嫌を損ねてしまったのだ。
 あの頃は、買い物一つに長々と時間をかける行為に嫌気が差すのだと思っていたが、倫が同じようにあれこれ悩んでいても可愛いとしか思えない。結局、惚れた相手なら何をしても愛しく思えてしまうのだと勝手に結論づけていた。
 
 そんなことを考えていると、ふと俺の目の前で誰かが立ち止まる気配がした。倫が来たかと思ってぱっと顔を上げたが、そこにいたのは倫ではなかった。
 
「……大和くん、よね? 久しぶり、偶然ね」
「そう、ですけど。えーっと……」
「ひどいわね、元彼女の顔も覚えてないの? そんなに昔のことじゃないと思うけど」
「ああ、すみません。ちょっとど忘れしただけですよ」
 
 話しかけてきたのは、数年前に付き合っていた女性だった。つい先程思い返していた、長い買い物にうっかりあくびをした俺を怒った女性その人だ。
 俺よりいくつか年上だったように記憶しているが、それ以外はうろおぼえだ。もうすぐ倫が来るだろうし、この彼女のことをあまり覚えていないということもあって早く立ち去ってほしかったのだが、彼女は興味深げに俺に尋ねてくる。
 
「元気そうね。まだバスの運転手してるの?」
「まあ、はい」
「私、午後から仕事なんだけど今は時間があるの。よかったらお茶でもしない?」
「いえ、待ち合わせしてるので」
「……相変わらず、そっけないのね。もしかして彼女と?」
「はい」
 
 きっぱりとそう返事をすると、彼女はむっとしたように顔を歪めた。そんな顔をされたところで、いきなり話しかけてきたのは彼女の方だ。話すこともないし、こんな場面を倫が見たらまた勘違いをされかねない。やきもちを焼く倫は可愛いけれど、いらぬ心配をかけたくはないのだ。
 
「あ、あの……平原、さん……?」
 
 背後から控えめな声が聞こえて、慌てて振り向く。
 そこには、怯えたような顔をした倫が立っていた。倫に会えたのは嬉しいけれど、何ともタイミングの悪いことである。
 
「遅れちゃって、ごめんなさい……でも、あの、ご用事があるなら私、待ってます」
「ううん、大丈夫だよ。たまたま知り合いと会って、少し話してただけだから」
「え……そうなんですか?」
「うん。じゃあ行こうか」
 
 おどおどしながら、倫は俺と彼女の顔を交互に見ている。
 知り合いだと言ったけれど、倫は妙な所で勘が良い。きっと彼女が、ただの知り合いではないことに気付いているのだろう。
 これ以上倫が妙な気を利かせないようにそそくさとその場を立ち去ろうとすると、顔を歪めたままの彼女が嘲るように言った。
 
「可愛いね? 一応付き合ってたんだから、私にも紹介してくれればよかったのに」
「えっ……」
「でも、大和くんとは全然似てないのねぇ? どこにでもいそうな顔だし、ぱっとしない感じ。お兄さんと比べられて、嫌な思いしてるんじゃない?」
 
 さっき「彼女と待ち合わせ」だと言ったはずなのに、その女性は自分よりずいぶんと幼い倫を彼女とは認めたくないようだった。
 悪意と敵意をむき出しにしたその言葉に、倫はあからさまに落ち込んでしまった。化粧の濃い彼女の顔をじっと見たまま、何も言い返せないでいる。普段ならこの手の嫌味を言われても毅然としている倫だが、明らかに攻撃力の高そうな彼女に完全に怯えているみたいだ。
 
「……妹じゃないですよ。彼女です」
「あら、そうだったの? ごめんなさい、まさか大和くんがこんな子と付き合ってるとは思わなくて。つい勘違いしちゃったわ」
 
 倫はその言葉を馬鹿正直に受け止めて、またショックを受けたような顔をした。
 俺は俺で、倫を傷つけることを言った彼女に腹が立ったし、どうしてこんな優しさの欠片もない女性と付き合っていたのかと過去の自分を責めたくなった。
 
 思えば、知り合いの紹介でこの女性と出会って告白されて、好きでもないのに承諾の返事をしてしまったのが間違いだったのだ。
 自分に自信があるらしい彼女は、ことあるごとに自分の仕事や容姿の自慢をしてきたし、俺という存在も彼女にとっては単なるステータスの一つだったのだろう。
 俺自身も、人に容姿を褒められることが多々あったから自覚はある。でも、それだけだ。おかげで声をかけられることはあっても、誰も内面なんて見てくれやしない。彼女も、俺の外面にしか興味がない人間の一人だった。
 だから俺も彼女に興味を持てなかったし、恋人らしいことを求められても応えられなかった。付き合って三カ月経っても、セックスどころかキスすらしてこない俺に彼女は見るからに苛立っていた。でも、そうしたい気持ちになれなかったのだからどうしようもない。
 結局、彼女は最後に無理矢理キスをして俺の前から去って行ったのだ。
 
「どうせ、あなたもすぐ飽きられるわよ? 大和くん、女に興味ないみたいだから」
「え……?」
「先輩面するわけじゃないけど、やめておいた方がいいんじゃない? 早めに諦めないと、あなたが傷つくだけよ」
 
 好き勝手なことを言う彼女を、倫は困った顔で見上げている。
 そりゃそうだ。倫に飽きることなんてこの先訪れるはずがないし、倫もそのことは身を以て理解しているはずだ。それに、まだ高校生の倫にあれだけ好き放題キスをして、前戯一歩手前の行為までしてしまった俺に対して、「女に興味ない」だなんて塵ほども思っていないだろう。
 
「倫、行こう」
「え……でも、平原さん」
「いいんだよ。おいで」
 
 何一つ的を得ていないが、これ以上彼女の暴言を倫に聞かせるのは嫌だった。
 挨拶もせずに彼女に背を向けて歩き出すと、もう満足したのか何も言ってこなかった。無駄に自尊心の高い彼女は、ああやって自分を守っているのだろう。それは個人の自由なので何も言わないが、倫を傷つけたことは確かだ。多少仕返ししても罰は当たらないだろう。
 そう思って、彼女から少し離れたところで立ち止まり、倫を正面から抱きしめる。慌てて抵抗しようとする倫を押さえつけて、そして俺たちの姿を彼女が見ているのを確認してから顎をすくって口付けた。
 
「んっ……!? んうっ、んーっ!!」
 
 まさかこんな駅の構内でキスをされるとは、倫も思っていなかったのだろう。目を見開いたまま、批難するようにくぐもった声を出している。しかしその声は俺の口内に飲み込まれ、大した抵抗にはなっていない。
 そして少しだけその唇と舌を味わってから体を離すと、倫は涙目になって俺を見上げた。
 
「なっ……なんてことするんですかっ!」
「何って、キスだよ。何回もしてるでしょう?」
「そ、そうじゃなくって! こ、こんな、大勢人がいる中でっ」
「大丈夫、誰も見てないよ。……ああ、一人は確実に見たかもしれないけど」
 
 そう言って彼女の方を見ると、口をあんぐり開けた間抜けな顔でこちらを凝視していた。
  女に興味がないはずの俺が、こんな風に倫にキスしたことが信じられなかったらしい。これだけで彼女のプライドは多少なりとも崩れただろうし、倫を傷つけた罰はこの辺で勘弁しておいてあげよう。
 
「女に興味がないんじゃなくて、倫にしか興味がないんだよ」
 
 ぼそっと呟いた言葉は、辛うじて倫の耳に届いたらしい。一層顔を赤くする倫が可愛くて、さっきまでの鬱屈とした気持ちも一瞬で吹き飛んだ。
 








「……っていうことがあったんですよ。可愛いでしょう、俺の倫」
「あー、分かった分かった。大和の惚気話はもう聞き飽きた! 聞いてるこっちが恥ずかしくなる!」
「そんなこと言わないでくださいよ、屋代さん」
 
 営業所の中にある休憩室で、たまたま休憩時間が一緒になった屋代さんにこの前起きた話をした。
 倫と付き合い始めた当初は、屋代さんも面白がって俺と倫の話を聞きたがったものだが、最近では俺の方から進んで屋代さんに倫との話をしている。誰かに話したくてたまらないのだが、それを話すような家族や友人はいないし、事情を知っている屋代さんにしか話せないのだ。
 
「はあ……まさかあの大和が、こんなベタ惚れするなんてなぁ……しかも女子高生相手に」
「それは関係ないですよ。早く卒業してほしいし」
「本当、変わった奴だなぁ……若い体目当てかと思えば、律儀なことに手も出さねーし」
「屋代さん、その言い方おじさんっぽいですよ」
「うるせぇ!」
 
 四十代半ばの屋代さんは、今年中学生になる娘さんがいるらしい。その娘さんや奥さんに、「パパ臭い」「あっち行って」と散々言われるのだと愚痴っていたが、俺にとってはその愚痴すら羨ましかった。
 今は俺にも倫がいるから寂しさは感じないが、いつかは俺も屋代さんのように家族の愚痴を言えるようになりたいと思っている。
 
「つーか、大和。お前、前の彼女とヤってなかったのかよ? めちゃくちゃ美人だったじゃねぇか」
「え? ああ、してないですよ。キスはされましたけど」
「まさかとは思うが……お前、勃たねぇのか?」
「失礼だな、勃ちますよ。前も屋代さんにAV借りたじゃないですか」
「あ、そうだったな。じゃあなんでヤらねぇんだよ? 今の嬢ちゃんはともかく、お前よく女に声かけられるんだからヤりたい放題じゃねぇか」
 
 なんとも下品な会話だが、おじさんなんてこんなものである。今は休憩室に俺と屋代さんしかいないし、こんな下品な会話も弾んでしまうのだ。そんな屋代さんの質問に、俺は少し考えてから曖昧に答えた。
 
「なんで、と言われても……したいと思わなくて。倫以外」
「でも、溜まるだろ。まだ若ぇんだから」
「一人で済ませますよ。何とも思ってない人として、もし子ども出来ても嬉しくないし。いつか倫だけ抱ければいいんです」
 
 素直に思ったことを口にすると、屋代さんは納得がいっていないような顔をした。屋代さんだって奥さん一筋のくせに、倫以外を抱けばいいみたいなことは言わないでほしい。
 それにセックスをするということは、少なからず子どもができる可能性があるということだ。そんな大事な行為を、どうでもいい相手とするような気にはなれなかった。
 
「……ん? おい、大和」
「なんですか?」
「お前まさか、童貞ってことは無いよな?」
 
 俺の話に何か引っかかることがあったのか、屋代さんは訝しげに尋ねて来た。しかも、これまでも散々「倫だけがいい」と言っていたのに、今さらな質問だ。
 
「童貞ですよ。言ったじゃないですか、倫以外したいと思わなかったって」
 
 当たり前のことを言ったはずだが、屋代さんは目尻の皺が全部伸びるんじゃないかというくらい大きく目を見開いた。そして、大声で俺に詰め寄る。
 
「お前、バカか!? もう二十五だろ!? しかもその腹立つくらい綺麗な顔して、何童貞守ってんだよ!?」
「え? でも、したいと思わなくて」
「バッカお前、男で二十歳過ぎても童貞なんて引かれるぞ! お前みたいな奴なら、何か他に問題があると思われてもおかしくない! 今すぐ捨ててこい! 嬢ちゃんにドン引きされる前に!」
「嫌ですよ。そんなゴミみたいに言わなくても……」
「ゴミみてぇなもんだろ! そりゃ彼女が処女だったら嬉しいかもしれねぇけどな、童貞なんてずっと取っておいたって何にもならねぇぞ!」
「そうかなぁ……」
 
 屋代さんは熱弁しているが、俺にはどうもしっくりこなかった。
 別に取っておこうと思って取っておいたわけではないが、したい気持ちにならなかったのだから仕方ない。今すぐ捨ててこいと言われたが、たぶん倫じゃないともう勃たないんじゃないだろうか。今は一人でする時もAVを見ながら倫を想像するし、子どもを作りたいと思うのも倫だけなのだ。
 
「やっぱり、俺は倫しか抱きたくないです。倫に引かれるって言うなら、黙っておきます」
「……はぁ。お前、見かけによらず頑固だからな……」
「そうですか?」
「そうだよ。まあ、あの嬢ちゃんなら大丈夫か」
「はい。何か困ったことがあったら、屋代さんに聞きます」
「そりゃいいけどよ、頼むから情事中に電話とかしてくるなよな」
 
 そう言って屋代さんは笑って、お茶を飲み干してから勤務へ向かっていった。
 俺もそろそろ次の乗務の時間だ。スマートフォンの待ち受け画面は、最初に倫と行った遊園地で撮った写真を設定してある。少し緊張しているような倫の笑顔を見て癒されて、脇に置いてあった帽子を被り直した。
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