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後日談

3.私と彼の宝物

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 2LDKのアパートで、三人で暮らし始めて二カ月が経つ。
 一人家族が増えたけれど、まだ彼は小さいしそんなに場所をとるようなサイズではない。それなのに、私は朝から居住スペースを確保するのに悪戦苦闘していた。
 
「ぎゃああああん!!!」
「あっ……起きちゃった? ごめんねー、太一たいち。うるさかったねぇ」
 
 寝室に置いてあるベビーベッドに寝かせていたはずの息子が、大声で泣き始める。
 隣の部屋でこうもガサガサと物音を立てていたらそりゃうるさいか、と思いながら声のする方へ向かって、泣き続ける我が子を抱き上げた。
 
「ごめんごめん。うるさくて起きちゃったのよねー」
 
 しばらくそうやってあやしていると、玄関のドアが開く音がした。そして、数人分の足音とともにリビングのドアが開く。
 
「やっほー、倫! 元気だったぁ?」
「七海、久しぶり! 坂木くんも、忙しいのに来てくれてありがとう」
「ううん。ずっと楽しみにしてたんだよ、七海も俺も」
 
 やってきたのは、久しぶりに会う七海と坂木くんだった。
 今年二人は結婚する予定で、その挨拶も兼ねて帰省しているところらしい。
 
「大和さん、お迎えに行ってもらってありがとうございました」
「全然いいよ。あれ、太一起きてるんだね」
「はい、ついさっき起こしちゃって……」
 
 二人の後から部屋に入ってきた大和さんが、目をぱちぱちさせている太一の頬をつつきながら笑う。そして私の腕からひょいっと太一を抱き上げると、手慣れた動きであやしはじめた。
 
「わあ、かわいー! 目ぇくりっくり!!」
「本当だ。こんなにちっちゃいんだなぁ」
「ねー! こんにちは、太一くん! 七海おねえちゃんですよー」
 
 大和さんの腕に抱かれた太一に、七海と坂木くんが挨拶をする。起こされて機嫌が悪かったはずだが、見慣れない二人に興味があるのか、太一は大きな目でじいっと二人を見つめた。
 
「ほんと、平原さんにそっくり! よかったね倫、自分に似てほしくないって言ってたじゃん」
「うん、そうなんだけど……でも、なんか最近目元が私に似てきちゃって……」
「え、そう? うーん、言われてみれば確かにちょっとつり目かなぁ……あ、でも目の色は平原さんと一緒だね」
「そうなんだよ。俺はもっと倫に似てほしいんだけど……あ、上田さんと坂木くん、良かったら抱っこしてもらえる?」
「えっ、いいんですか!? ぜひぜひ!!」
 
 とりあえずリビングの床に座ってもらって、順番に抱っこしてもらう。まだ人見知りもしないから、太一は大人しく抱かれている。その隙に、いつの間に持ってきたのか大和さんがカメラでその様子をパシャパシャと撮っていた。
 
「なんか、将来モテそうな顔してますねぇ」
「あ、トモヤもそう思う? ほんとこれ、絶対イケメンになるよ、太一くん」
「そうかな? 大和さんに似てくれればイケメンになるだろうけど……」
「ちょっと倫、さりげなく惚気ないでくれる? ……ていうかさ、何この部屋? 荷物だらけで、引っ越しでもすんの?」
 
 太一を坂木くんにバトンタッチしてから、七海が部屋を見回して無遠慮に言い放った。
 七海の言う通り、さほど広くない部屋にいくつも箱が重なっていて、それで部屋の半分を占拠しているのだ。それで先ほどまで、その箱の山を何とかしようと悪戦苦闘していたのである。
 
「あはは……実は、出産祝いが一気に届いてこんな感じになってるの」
「え!? これ全部!? あっほんとだ、よく見たらこれあたしが送ったやつ!」
「ご、ごめん、七海と坂木くんからのは最初の方に届いたから、一番下になっちゃってまだ開けてないんだ」
「もう、何やってんのよ! 超可愛いやつ贈ったんだから、早く見てほしかったのに! しょうがないなぁ、手伝ってあげるからこのプレゼントの山崩していこうよ」
「本当に? 助かる!」
 
 お言葉に甘えて、七海と坂木くんにも部屋の片づけを手伝ってもらうことになった。
 部屋の片づけというよりも、贈り物を開けてその箱を畳むだけでずいぶん片付くはずである。
 
「あれ? この田中って……もしかして、書道部の田中先生?」
「あっ、そうなの。お宮参りで神社に行ったときにたまたま会って、それでいろいろ話してたら一筆贈ってくれるって言って」
「うわ、ほんとだ! 超達筆!」
 
 田中先生からの贈り物は、太一の名前を書いたオリジナルの筆文字アートだった。墨だけでなく絵の具も使っているのか、カラフルな花も描き添えられている。おまけに立派な額縁に入れられていて、すぐにでも部屋に飾れそうだ。
 
 それから、屋代さんからは子供用の食器セット、喫茶店の店長からは本格的なコーヒーメーカーが届いている。それに、莉子からは「ママになったからって美容に手を抜くな!」との厳しくも嬉しいお言葉付きで、彼女の好きなブランドのボディケアグッズを贈ってもらった。おまけに滋野くんからも触り心地の良いタオルギフトが送られてきて、彼の優しさにとことん感服する。
 その他にも、バス会社の社長さんや同僚の方たち、私の職場の先輩や大学時代の同期からもたくさんのお祝いが届いた。七海たちと一緒にそれらを開けていくと、感謝とともに懐かしい思い出も蘇る。
 
「あ、やっとあたしらが送ったやつに行きついた! ほら倫、開けて開けて!」
 
 数人がかりで作業したおかげで、ようやく七海と坂木くんからの贈り物に辿り着くことができた。
 七海に促されてわくわくしながら箱を開けると、胸元に動物のシルエットが描かれた白地のTシャツが入っていた。
 
「わっ……可愛い! これ、太一の?」
「ふっふーん! それがね、太一くんの分だけじゃないの! 倫と平原さんの分もあるから、親子三人お揃いで着てほしいなぁと思って!」
 
 箱から取り出すと、七海の言った通り三人分のTシャツが出てきた。シンプルなデザインだから、私と大和さんでも無理なく着られそうだ。
 
「太一くんには、セットでハーフパンツも付いてるから! まだブカブカだと思うけど、大きくなったらお出かけするときに着てよ」
「うん、ありがとう! 大事に着るね」
 
 試しに、大和さんに抱かれたままの太一の体にTシャツを合わせてみる。確かにまだ大きいけれど、子どもはすぐ大きくなると言うし、そのうちすぐに着られるようになるだろう。
 不思議そうな顔をしてTシャツに手を伸ばす太一に笑って、大きくなったらね、と言ってもう一度箱に仕舞った。
 
「七海、そろそろお母さんとの約束が……」
「あっそうか。じゃあ倫、平原さん、そろそろ失礼します!」
「え……もう行っちゃうの?」
「うん、これからうちのお母さんとランチ食べに行く約束してるの! そんな寂しそうな顔しないでよ、また来るからさ」
「さ、寂しそうな顔なんてしてないけど……また来てね。今度はちゃんと部屋片付けておくから」
「ふふっ、了解!」
 
 そして、七海と坂木くんはあっという間に帰ってしまった。
 片付けを手伝ってもらっただけのような気がするが、また来てくれると言うからその時こそゆっくりしていってもらおう。
 なんだか静かになっちゃったな、と思って大和さんの方を見ると、彼の腕の中で太一が寝息を立てていた。
 
「あ……寝ちゃったんですね。静かだと思った」
「うん。もう少ししたら、ベッドに寝かせてくるよ」
「はい、お願いします」
 
 仕事中は一緒にいられないからと言って、家に居る時はほとんど大和さんが太一の面倒を見てくれる。無理をしなくていいと言うのだが、こうして太一の世話を焼くことが楽しくて仕方ないらしい。
 確かに、ミルクをあげるのもおむつを替えるのも、大和さんはいつも楽しそうにやっている。その姿を見て、私も密かに癒されているのだ。
 
「七海と坂木くんのおかげで、だいぶ片付きましたけど……まだ残ってますね」
「あー、例のやつね。ほんと、ろくなことしないよ俺の親は」
 
 リビングにあった箱の山は片付いたものの、その隣の部屋にはまだ箱が山積みになっている。
 そっちの方は、すべて大和さんのご両親からの贈り物なのだ。彼の実家にはあの一件から本当に一度も帰っていないが、結婚や妊娠の報告はちゃんとしていて、そして今回この大量の荷物が届いたというわけである。
 
「すべり台に三輪車って……あの人たち、やっぱり自分勝手だよね。こんなの今もらったって置き場に困るだけなのに」
「ま、まあ、買うと高いですから有り難くもらっておけば……それに、きっと喜んでくれてるんですよ」
「それは分かるけど、こっちの事情も考えてほしいよ。遠回しに帰ってこいみたいな手紙も入ってたし。会いたいなら向こうから来いって言ったはずなのにね」
 
 誰にでも優しい大和さんだけど、両親に対してだけは人一倍厳しい。それも彼の置かれた境遇を思えば仕方のないことではあるが、私は彼に同調するわけにもいかず苦笑いするだけだ。
 
 太一が本格的に寝付いたようだったので、大和さんがベビーベッドに寝かせてくれる。それから少し休憩しようと、温かいお茶を淹れることにした。
 ソファに座って、二人でのんびりとお茶を飲む。太一が寝ていると、家の中はすごく静かだ。
 
「お昼、焼うどんでもいいですか?」
「うん。あ、でも俺が作るから倫は少し寝たら? 昨夜もあんまり寝れなかったでしょう」
「大丈夫ですよ。大和さんもお仕事で疲れてるんですから、ゆっくりしててください」
「俺はいいの。休みの日くらい、奥さん孝行させてよ」
「ふふ、いつもしてもらってますよ」
 
 小さく笑って、隣に座る大和さんの肩に頭を預ける。すぐに彼が頭を撫でてくれて、私はこの上なく幸せな気持ちになった。太一と三人で過ごす時間も大好きだけど、たまにやってくる二人の時間もまた私にとって大切なものなのだ。
 
「本当に、倫はいつまで経っても可愛いね。なんでこんなに可愛いのかな」
「え……それはこっちの台詞です。どうしてそんなにかっこいいんですか?」
「ふふっ、嬉しい。まだ倫にはかっこよく見えてるんだ?」
「当たり前です。私、未だに毎日どきどきしてるんですからね」
「へえ、それは知らなかった。俺もだよ」
 
 大和さんはおどけたようにそう言うと、私の後頭部に手をやって深く口付けた。
 大人しく目をつぶって、ぬるりと入ってきた舌も受け入れる。こうして二人でゆっくり過ごすのはなんだか久しぶりで、私は夢中になって彼の舌に自分のそれを絡めた。ぴちゃぴちゃと水音がするのにも構わず、彼もキスに集中しているのが分かる。求められているのが嬉しくて、キスをしながら私も彼の髪にそっと触れた。
 
「っ、は……、もう、倫……煽らないでよ。したくなる」
「えっ……だ、だめです、こんな昼間から」
「ほら、駄目なんでしょう? だったらあんまり可愛いことしないで」
「そ、そう言われても……私だって大和さんに触りたいんです」
 
 正直に言っただけなのに、大和さんはぐっと息を詰まらせたかと思うと、再び私の口を塞いだ。彼の舌がいやらしく口内を這いまわって、その快感を知っている体は自然と熱くなる。無理にでも私をその気にさせようとしているのだと察して、慌てて腕を突っ張ったけれどびくともしない。
 
「んぅ、だ、めっ……! ふ、あっ……ん、やまと、さんっ、んんっ……!」
「んっ……ねえ、いいでしょう? あんまり激しくしないから。倫が欲しいんだ」
「は、んんっ……、で、もっ……太一が、起きちゃう……」
「大丈夫だよ、よく寝てるから。それに、倫が大きい声出さなきゃ起きないよ」
「なっ……! も、もう、大和さんのばかっ……! あ、んんっ」
 
 いつものように大和さんの強引さに流されて、まんまと罠にはまってしまった。もうすっかり体はその気になって、彼に与えられる快感を期待している。悔しくて彼の髪を少し引っ張ると、困った顔をして笑った。
 
 まあいいか。
 彼と触れ合うことは好きだし、今は甘えたい気分だ。こうなったらとことん甘えてやろう、と彼の首に腕をまわして、より深く口付けてもらう。やっぱりいつまで経っても、彼の口付けは優しかった。
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