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第4章:名前の思い出せない常連さん

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11月に入って4・5日が経ったある日、夜勤で田村さん夫妻が営業していた時の話です。

『他にはないかね?』大きな大きなゴミ袋を抱えて清司さんが英恵さんに声をかけました。キリキリと音を立てて、年季の入った台車にゴミ袋を載せて、清司さんは店内をグルっと回りながら、ゴミ出しをするために出入口へと向かいました。お店の清掃には気を配っていた清司さんが、ゴミ出しの時に店内をグルっと回るのはいつもの事でした。

しばらくすると、ゴミ出しを終えて帰ってきた清司さんは息を切らしていました。いつもよりゴミの量が多かったのだろうと思った英恵さんは『大丈夫ですか?お茶でも入れましょうか』と声をかけると、『いや、ち、違うんだ。はぁはぁ。そんなことよりあの人なんて言ったかな。』途切れ途切れに清司さんがそう話し始めると、『あの、・・・8月くらいにミカンの箱詰めを仙台の娘さんに送ってた、なんだったかなー』清司さんは白髪もほとんど抜けかかった頭を掻きながらそう言いました。

英恵さんが顔は思い出せるけど名前が分からないし、ミカンの箱詰めは人気商品だから誰の事ですかねと清司さんに告げると、『・・・そうか。まぁ、いいんだ。さっきな、声を掛けられたんだよ。多分仙台の娘さんの人で間違いないと思うんだが。名前が思い出せなくて、いつもありがとうなんて言葉しか出なかったよ』清司さんは不意に遠い目をしてかすれたような声で言いました。

『そうですか。まぁ、また来てくださるんじゃないですかね。』英恵さんがそう言うと『そうだなぁ。今月来てくれるかな。11月だしな。・・・11月だからな。』清司さんはそう呟いて台車をバックヤードに持っていきました。『あー、これかな、上岡さん。上岡さんじゃないですかね。』英恵さんが例の野菜を送るための帳面をもって清司さんに声を掛けました。

『そうか。上岡さんか。あの人奥さんに先立たれてからあんまり来なくなっちまったからな。今年もお盆の時にしか見かけなかった気がしたな。上岡さん、奥さんの一件があった時のケガで喋り方が特徴あるんだよな。まぁ、基本的には無口だけど。』

この上岡さんというのはもうすぐ還暦になるころの年齢ですが、田村さんのコンビニが開店したころは働き盛りの若者で土方仕事を頑張って、しばらくすると地元の同級生だった奥さんと結婚した常連さんでした。昔からお酒が好きで、40歳になる前位に飲酒運転で捕まって断酒しますが、その後奥さんを急性の食中毒で亡くしてから娘さんを一人で育て上げました。田村さんの店にはよく通ってくれましたが、娘さんが仙台に引っ越してからは、なかなか店に来る姿を見かけなくなったそうです。

『暗かったし、顔はぼやけて見えなかったけど、声が多分あの人だったと思うな。』清司さんはそう言い、深夜のレジ金の締め作業を始めました。次の日、本来なら朝晩の人が午前5時に出勤したら、田村さん夫婦は仮眠を取るために帰宅しますが、清司さんは『上岡さんが来てくれるかもしれないから』と言って、バックヤードの休憩室で仮眠を取ることにしました。

『どれだけお客さん思いなんだろう』と早朝シフトのアルバイトは思いましたが、その日はお昼過ぎの配送トラックが帰っても、上岡さんらしきお客さんは来店せず、夕方の18時に清司さんも自宅へ帰りました。長時間ほとんど睡眠を取っていない清司さんを気遣って長女の君枝さんが代わりにその日の深夜シフトを担当することとなり、清司さんは自宅へ帰って布団で眠ることが出来ました。

君枝さんが清司さんの代わりを買って出たのは理由がありました。それは真理子さんの命日が近く、墓参りの予定であることを知っていたからです。アルバイトの欠勤や夜勤のシフトは、自分の予定を差し置いても代わりをしている清司さんですが、真理子さんの墓参りだけは『年に一度だけわがまま言わせてください』と周りの理解を得て2日間休みをとって、墓参りと真理子さんが好きだった近くの湖に出かけるのです。
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