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第3章 帰領編
(17)マガリッジ領へ
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とりあえず一旦帰領して、父に報告しなければならない。弟が第二王子の側近で、俺は第一王子たる王太子の元で働くとなれば、当主の判断も必要となるだろう。我が家は中立派のはずだが、俺が王太子に与するのが不味いとなると、場合によっては早々に縁切りしてもらう必要がある。俺はとりあえず、その日のうちに伯爵邸まで飛んだ。
実家の門を叩くと、たった二週間と経たずに出戻った俺に執事頭が驚いていた。彼としては厄介払いをしたつもりなのだろうが、事情があるので仕方ない。早々に父上に面会を申し込んだ。応接間で使用人に遠巻きに監視されていると、邸を清掃していたマーサとミアが飛んできて、甚く歓迎された。俺はやっと「帰って来た」という感覚を得た。自分では平気なつもりが、王都では少し気が張り詰めていたのかもしれない。俺は一瞬で飛んで帰って来たのだが、彼女らは「疲れただろう」と、かつての俺の部屋に俺を案内した。部屋はそのままだった。「何をおっしゃいます、坊ちゃんのお部屋ですよ」と言われた。もう間もなく縁の切れてしまう場所ではあるが、自分の居場所があるって嬉しいことだ。
彼女らに手土産を渡し、今回なぜ一旦帰領したのかを説明しようとしたところ、執事頭がやって来て、すぐに父の執務室に出向くように告げられた。
ドアをノックすると、誰何するまでもなく「入れ」との声。入室するなり、彼は顔も上げず、
「王宮から報せは届いている。問題ない」
と告げた。俺は一言も発することなく、面会は終わった。俺の帰領は、呆気なく終わった。
こうなったら、もうこの邸に用はない。俺の部屋で待っていてもらったマーサとミアには、用事は済んだので、これで辞去する旨を告げたところ、強く引き止められ、仕方なく一泊して帰ることにした。
彼女らは俺を歓迎してくれた。未だ居室を宛てられているとはいえ、俺はもうこの家の者ではない。彼女らにも席を勧めて、皆で茶を啜りながら、久しぶりに会話を楽しんだ。こうして話をしたのはいつぶりだろう。マーサは学園入学前、ミアとは初めてかもしれない。俺は王都で起こったことをかいつまんで話した。とはいえ、学園の同級生に誘われて王宮に仕えることになった、としか。まさか彼を散々嬲り犯してメス堕ちさせました、などとは言えない。
マーサとミアは、俺が去った後のことを語った。とはいえ、元々引きこもりだった俺が一人いなくなったくらいで、彼らの生活が変わったりしない。俺を見送ったのは彼女らだけだし、現にさっきだって、他の使用人は俺を腫れ物扱い。執事頭も目を合わせようとしない。無能を厄介払い出来て、さぞ清々したことだろう。と思っていたが、
「何をおっしゃいますか、坊っちゃま」
俺が去ってから、邸は騒然としていたという。半年ほど姿を見せなかった長男が、しばらくぶりに部屋から出て来たと思ったら、当主と面会するなり邸を飛び出して行った。しかも、しばらく見ない間に、目の覚めるような美貌を湛えて。当家に仕えて新しい者は、あまりの美しさに言葉を失い、古くから仕える者は、ミュリエル様の再来、いやそれ以上だと。元々気難しかった当主はますます不機嫌になり、執務室から人払いをして閉じこもることが増えた。一体何があったのか。皆、表立っては言わないが、邸の中はかつて無いほど浮き足だっているという。
「先程も、応接室の前には使用人が入れ替わり立ち替わり。皆坊ちゃまに釘付けですよ」
マーサは我が子のことのように誇らしげだ。ミアも、「こうしてお茶をご一緒できるなんて、感激です」などと言っている。マーサはともかく、このミアも、あの冴えないみじめな俺を知っていて、そんなことを言う。田舎から出て来たばかりの純朴な娘だ。他意も下心も無いのが伝わって来る。
今日は王城に仕えることに関して当主の判断を仰ぐために帰って来たのだが、結果的に、俺は彼女らに会いに来たのかもしれない。会えてよかった。もうしばらくして弟が家を継げば、いよいよ彼女らとの縁も切れてしまうが、それまではもう少しだけ、この温かい交流を楽しみたい。
夕食には食堂に呼ばれたが、俺は固辞して部屋で用意してもらった。そしてこの邸を出るまでずっとそうだったように、彼女らは入浴の用意や寝具の用意などの世話を焼き、「おやすみなさいませ」と去って行った。
久しぶりに自室でゆっくりと入浴し、名残惜しさを噛み締めながらベッドに身を投げてぼんやりしていると、カチャリと音がして、部屋の扉が静かに開いた。
この部屋の鍵を持っているのは、俺と翌朝担当の使用人、だいたいマーサ。そして、マスターキーは執事頭と、
「———父上」
そこには、昼間目も合わさなかった父上が立っていた。彼は物も言わずに立ち尽くしていたが、俺には彼がここに来る予感がしていた。暗闇の中で、不死種の特徴である紅い瞳が、うっすらと輝いている。
俺は立ち上がり、父へと歩み寄った。そして頬に手を添えて、そっと唇を重ねた。
「渇いていらっしゃるのですね」
彼は無言で俺の髪に指を滑らせ、そして強く深く、口付けた。
実家の門を叩くと、たった二週間と経たずに出戻った俺に執事頭が驚いていた。彼としては厄介払いをしたつもりなのだろうが、事情があるので仕方ない。早々に父上に面会を申し込んだ。応接間で使用人に遠巻きに監視されていると、邸を清掃していたマーサとミアが飛んできて、甚く歓迎された。俺はやっと「帰って来た」という感覚を得た。自分では平気なつもりが、王都では少し気が張り詰めていたのかもしれない。俺は一瞬で飛んで帰って来たのだが、彼女らは「疲れただろう」と、かつての俺の部屋に俺を案内した。部屋はそのままだった。「何をおっしゃいます、坊ちゃんのお部屋ですよ」と言われた。もう間もなく縁の切れてしまう場所ではあるが、自分の居場所があるって嬉しいことだ。
彼女らに手土産を渡し、今回なぜ一旦帰領したのかを説明しようとしたところ、執事頭がやって来て、すぐに父の執務室に出向くように告げられた。
ドアをノックすると、誰何するまでもなく「入れ」との声。入室するなり、彼は顔も上げず、
「王宮から報せは届いている。問題ない」
と告げた。俺は一言も発することなく、面会は終わった。俺の帰領は、呆気なく終わった。
こうなったら、もうこの邸に用はない。俺の部屋で待っていてもらったマーサとミアには、用事は済んだので、これで辞去する旨を告げたところ、強く引き止められ、仕方なく一泊して帰ることにした。
彼女らは俺を歓迎してくれた。未だ居室を宛てられているとはいえ、俺はもうこの家の者ではない。彼女らにも席を勧めて、皆で茶を啜りながら、久しぶりに会話を楽しんだ。こうして話をしたのはいつぶりだろう。マーサは学園入学前、ミアとは初めてかもしれない。俺は王都で起こったことをかいつまんで話した。とはいえ、学園の同級生に誘われて王宮に仕えることになった、としか。まさか彼を散々嬲り犯してメス堕ちさせました、などとは言えない。
マーサとミアは、俺が去った後のことを語った。とはいえ、元々引きこもりだった俺が一人いなくなったくらいで、彼らの生活が変わったりしない。俺を見送ったのは彼女らだけだし、現にさっきだって、他の使用人は俺を腫れ物扱い。執事頭も目を合わせようとしない。無能を厄介払い出来て、さぞ清々したことだろう。と思っていたが、
「何をおっしゃいますか、坊っちゃま」
俺が去ってから、邸は騒然としていたという。半年ほど姿を見せなかった長男が、しばらくぶりに部屋から出て来たと思ったら、当主と面会するなり邸を飛び出して行った。しかも、しばらく見ない間に、目の覚めるような美貌を湛えて。当家に仕えて新しい者は、あまりの美しさに言葉を失い、古くから仕える者は、ミュリエル様の再来、いやそれ以上だと。元々気難しかった当主はますます不機嫌になり、執務室から人払いをして閉じこもることが増えた。一体何があったのか。皆、表立っては言わないが、邸の中はかつて無いほど浮き足だっているという。
「先程も、応接室の前には使用人が入れ替わり立ち替わり。皆坊ちゃまに釘付けですよ」
マーサは我が子のことのように誇らしげだ。ミアも、「こうしてお茶をご一緒できるなんて、感激です」などと言っている。マーサはともかく、このミアも、あの冴えないみじめな俺を知っていて、そんなことを言う。田舎から出て来たばかりの純朴な娘だ。他意も下心も無いのが伝わって来る。
今日は王城に仕えることに関して当主の判断を仰ぐために帰って来たのだが、結果的に、俺は彼女らに会いに来たのかもしれない。会えてよかった。もうしばらくして弟が家を継げば、いよいよ彼女らとの縁も切れてしまうが、それまではもう少しだけ、この温かい交流を楽しみたい。
夕食には食堂に呼ばれたが、俺は固辞して部屋で用意してもらった。そしてこの邸を出るまでずっとそうだったように、彼女らは入浴の用意や寝具の用意などの世話を焼き、「おやすみなさいませ」と去って行った。
久しぶりに自室でゆっくりと入浴し、名残惜しさを噛み締めながらベッドに身を投げてぼんやりしていると、カチャリと音がして、部屋の扉が静かに開いた。
この部屋の鍵を持っているのは、俺と翌朝担当の使用人、だいたいマーサ。そして、マスターキーは執事頭と、
「———父上」
そこには、昼間目も合わさなかった父上が立っていた。彼は物も言わずに立ち尽くしていたが、俺には彼がここに来る予感がしていた。暗闇の中で、不死種の特徴である紅い瞳が、うっすらと輝いている。
俺は立ち上がり、父へと歩み寄った。そして頬に手を添えて、そっと唇を重ねた。
「渇いていらっしゃるのですね」
彼は無言で俺の髪に指を滑らせ、そして強く深く、口付けた。
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