推定聖女は、恋をしない。

緋田鞠

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「申し訳ないのだけど、この部屋にお客さんが来る事はないから、ろくなおもてなしもできなくて」
 外国人イケメンの口から出る『おもてなし』の破壊力たるや。
 大きな机は、書机であると同時に、食事用の机なのだ、と、彼は言った。
 膝が震えて立っていられなくなったニーナを、そっと椅子に誘導して座らせる。
 彼の体に合わせたものらしく、座面が高くて、ニーナの爪先は床に触れない。
 手持無沙汰でぷらぷらと足先を揺らしていると、ミニキッチンで温かなお茶を淹れてくれた。
 色味は紅茶に似ているようだが、香りは日本茶に近い。
 あぁ、異世界ってこう言う事か、と、ニーナはぼんやりとカップを手に取る。
「自己紹介がまだだったね。僕は、ディーン。そして、先程も言ったように、ここはガルダ王国と言う国だ」
「私は…ニーナ、です。日本人、です…」
 日本から来た、と言う言い方は、できなかった。
 言ってしまったら、ここが異世界だと認める事になってしまいそうで。
 部屋の灯りはついていないが、大きな月が二つあるからか、不便には感じない。
 更に、眼鏡をなくしてしまった事も、大きな衝撃を受けたばかりのニーナには丁度良かった。
 ぼんやりとした視界の中、薄くベールを被っている程度に物の輪郭が見えるのが世界の曖昧さを強調して、視界から受ける刺激が和らいでいる。
 ディーンの声を聞きながら、ニーナは先程の彼の言葉を思い出していた。
『この部屋から、外には出られないよ』
『結界に触れると、死んじゃうからね』
 つまり、彼はこの部屋に閉じ込められていると言う事だ。
 だが、この部屋は、牢獄には見えない。
 ベッドも机も椅子も、どう見ても高級品だ。
 一体、何者なのだろう。
 疑問に思いながらも、手にしたカップから一口、お茶を口にする。
 紅茶のような色に日本茶のような香りだったが、味はコーヒーだった。
 温かな飲み物が体内に収まる事で、思っていた以上に動揺が静まっていく。
 初対面の怪しい人間が淹れたお茶なのに口にしたのは、ディーンもまた、このお茶を飲んだのを確認したからだ。
 その程度の警戒心はまだ残っている事にホッとすると同時に、この世界の人間にとって問題なくても、日本人には毒かもしれないじゃないか、と気が付く。
 けれど、なるようになれ、と思ってしまうのは、思考が鈍くなっていると言う事なのか、自暴自棄になっていると言うなのか。
「色々と聞きたい事はあると思うけど、まだ真夜中だ。話は朝になってからでもいいかな?…見ての通り、この部屋の家具はこれだけだから…同じベッドで寝る事になっちゃう、んだけど」
 戸惑うような声音は、初対面の異性との同衾に躊躇する気持ちからだろう。
 それは、ニーナも同じ事なのだが、異世界ドッキリの可能性は、まだ捨て去っていない。どこかに隠しカメラがある事を期待しよう。
 衆人環視の元ならば、ディーンも無体な事はできない。
 …いや、そもそも、フラれたばかりの自分が手を出されるわけがない。
 今のニーナは、少々、卑屈になっている。
「…判りました」
 結婚秒読みだと思っていた相手の浮気が判明したと思ったら、異世界ドッキリだなんて、余りにもわけの判らない事が続いて、体はともかく心が疲れ切っていたニーナは、力なく同意した。



 瞼に明るい日差しを感じて、ニーナは覚醒した。
 出勤時刻を意識しなくていい土曜の朝だ。
 マットレスは固すぎず柔らか過ぎず、体を優しく包み込んでくれて、手足を伸び伸びと伸ばして、ぐっすりと深く眠る事ができた。
「……あれ?」
 そんなわけがない。
 ニーナのベッドは、通販で買った安物のセミダブル。
 当時、付き合っていた恋人に、「せめてセミダブルにしてよ、シングルで二人は無理だって」と押し切られて買った物だ。
 一人ならば多少手足を伸ばせるけれど、伸び伸びと言うには程遠い。
 何か忘れている気がして、パチリ、と目を開けると、
「!!!」
 目の前に、きらきらの金髪が飛び込んで来た。
 間近で生まれつきの金髪の人の髪を見た事はないけれど、何と言うか、宝石の粉でもまぶしているのかな?と言うレベルできらっきらしている。
「…うわぁ…」
 夢、じゃなかったのか。
 ニーナの脳裏に、昨夜の出来事が蘇る。
 目の前で眠っているのが、昨夜、言葉を交わしたディーンと言う男性なのだろう。
 彼が目を閉じているのをいい事に、まじまじと凝視する。
 紗のように顔に掛かる前髪と、首筋にまとわりつく髪は、背中の中程まであるさらさらの長髪だ。
 昔、付き合っていた男のせいで、長髪の男はちょっと自己愛が強そう、と偏見があるニーナの目から見ても、よく似合っているのではないだろうか。
 一筆で描いたようにすっと伸びた眉毛は、髪色よりも少し濃い金。
 睫毛が長く、くるん、とカールしているのが、固い直毛でビューラーが無意味な睫毛の持ち主としては、羨ましい。
 高い鼻に、少し厚めの唇。
 キスしたら柔らかそうだな、と思わず考えて、欲求不満か…?と落ち込む。
 声から、若い男性だろう、と思ってはいたものの、年齢がはっきりと判らない。
 二十代なのは確かだろう。
 白人系の顔立ちは、ニーナからするとどうにも年齢不詳だ。
 まだ若そうだと言うのに、一体、何を仕出かして閉じ込められているのか。
 やっぱりこれは、ドッキリなのか、と言う気持ちが浮上してくる。
 いつまでも人の寝顔を見ていたら、隠しカメラ経由で恥ずかしい姿が公開されてしまいそうだ。
 ニーナはそっとベッドから起き上がると、顔を洗うべく、昨夜確認した浴室へと向かった。
「…ん?何、これ」
 洗面台はあるし、蛇口もあるけれど、水栓がない。
 代わりに、水栓があるべき場所に、半透明の丸い玉のような物がくっついている。
 完全に固定されているようで、ひねる事はできない。
 センサー式だろうか、と赤外線センサーを探すように手を翳してみたけれど、水が出る気配もない。
 どこかにマークか何かがあるのだろうか、と顔を近づけて見ていると、
「これはね、掌全体で、包み込むように触るんだよ。頭の中で、水を出すかお湯を出すか、考えてみて」
 声と共に、ニーナの肩越しに手が伸びて、玉に触れた。
 途端に、蛇口から流れ出す水。
 背中に人の熱を感じて、ニーナが思わずびくりと後ろを振り返ると、いつの間に起きたのか、ディーンが立っていた。
「あぁ、ごめん。驚いた?」
 近い。
 何って、距離が。
「いえ…有難うございます」
「止める時も、掌全体で触れて、『止まれ』って念じて」
 ディーンは、思っていたよりも背が高かった。
 百六十センチのニーナが見上げて、少し首が痛い位だ。
 体つきもしっかりしているから、とてもではないが、室内に閉じ込められているようには見えない。
「はい、これで拭いて」
 一旦、浴室を出て行ったディーンがタオルを手に戻って来て、顔を洗ったニーナに渡してくれる。
 なかなかにまめなタイプらしい。
「着替え…は…」
 しげしげとニーナを見ると、
「僕の服だと大きそうだけど…仕方ないよね」
と言った。
「いや、あの。家に帰してくれれば、それで」
 これで寝ているとは言え、一応、ルームウェアだ。
 スウェット上下の中には、ナイトブラ代わりにカップ付きキャミソールも着ているし、外を歩いても大丈夫。
 ちょっと昼間だと恥ずかしいだけで。
「帰してあげたいのはやまやまなんだけど…昨夜も言ったように、この塔からは出られない。それに、僕は君の世界に帰る方法を知らないんだ」
 ごめんね。
 そう、本当に申し訳なさそうな顔で言うから、ニーナは戸惑いながら、問い掛けた。
「出られない、って、でも、私は何もしてないですよね?」
「あぁ、うん。それは、そうなんだけど…僕から外部に連絡を取る手段がなくて」
 その時。
 鈴のような音が聞こえ、ディーンは、ニーナに一言断って隣室へと向かう。
 その後をニーナが追うと、ミニキッチンの脇にある壁の一部が、ぽかりと口を開けているのが見えた。
 ディーンが何かを手にした途端、シュン、と穴が消え、元の壁に戻る。
「え?」
 駆け寄ったニーナが壁に触れても、何の変化もなく、そこには漆喰のような塗り壁があるだけ。
「あれ?さっき、確かに」
 こんこん、と拳で壁を叩いてみるが、他の壁と違いがあるようには感じられない。
 ディーンの顔を見上げると、彼は両手でトレイを持っていた。
 恐らく、朝食なのだろう。
 見た感じでは、パンとサラダに卵料理らしきおかず(但し、色は紫)と言う、典型的な洋食だ。
「時間になると、食事が届くんだ。時限式の魔法石で、転移してくるんだよ。机の上で作業している時もあるから、直接、机には出て来ないように設定してる」
 昨夜は遅かったから、ちょっと寝坊しちゃった、と照れたように笑うディーンの瞳は、サファイアのように真っ青だった。
 全体的に淡い色彩の視界の中、ディーンの瞳の色が、くっきりとニーナの脳裏に残る。
「まずは、着替えがしたいでしょう?ちょっと待ってて、まだ袖を通してない服があった筈だから」
 トレイを机に置くと、ゴソゴソとクローゼットを探ってくれる。
「あった。数年前の仕立てだけど、小さくなっちゃって結局着なかった服」
 渡されたのは、シンプルな白のシャツに黒いボトムス。
 状況は判らないながらも有難く受け取って、着替えの為に浴室を借りた。
 今のディーンには小さいのだろうが、ニーナにとってはぶかぶかで、シャツの袖を二つ、ボトムスの裾を三つ折り返して、漸く収まった。
 ウェストは、緩いけれどすとんと落ちる程ではない、と言うのが…ニーナからすると、何とも悔しい。
「すみません、お借りして。助かりました」
 ルームウェアとは言え、寝ていた服のままでいるのは、ちょっと落ち着かない。
 浴室から出て来ると、ディーンは振り返って、愕然と目を見開いた。
「えぇと…」
「はい」
「あの…」
「…何でしょう?」
「もし、かして、なんだけど…ニーナって、女の子…?」
「…男に見えます?」
「あぁ、うん…その、ガルダの女性は、髪を肩より短くする事がなくて…スカート以外穿かないし…その……」
 しどろもどろになった結果、潔く頭を下げる。
「ごめんなさい」
 寧ろ、何で気づいたのだろう、と、ニーナは自分の格好を確認して、あ、と、口を開いた。
 黒のカップ付きキャミソールを着ていたから、白シャツから透けている。
 先程まで着ていたスウェットは、寝る時はゆったりがいい、と言う理由で大きめの男性用を着ていたから、体のラインが隠れていたのだろう。
 真っ赤になったディーンを見て、女の子に放っておかれないであろうイケメンなのに、意外に初心うぶなんだな、と、変な感慨を覚える。
「カルチャーギャップってヤツですね」
「ん?」
「文化間の相違、です」
「あぁ、それなら判る」
 ディーンは英語圏の人ではないのか、と思って、あぁ、そう言えばここ、異世界だった…と遠い目になった。
 着替えの際に、浴室の窓から外を見て、もうドッキリだと思えなくなってしまった。
 何故って、太陽が二つあったからだ。
 一つは大きく、もう一つはそれよりも少し小さく見えた。
 顔を出してはいけない、との教えを守って外を覗き込んではいないものの、窓から見える範囲に建物らしきものはない。
 幾ら、ニーナの視力が悪いとは言え、視界がぼやける程度で何も見えないわけではないのだ。
 窓が大きなスクリーンになっていてCGで作った映像を流しているのなら別だけれど、一般人、しかも極普通の会社員であるニーナ相手のお金の掛け具合と思えない。
 ならば、ディーンの言葉通り、異世界に来た、と言う方が納得できてしまう…と言うのも、変な話だけれど。
 ともあれ、ここが現実だとするのならば、南国の植物のような濃い黄色のジャングルの中に、この『塔』はぽつりとあるようだった。
「…聞きたい事は、色々とあると思うんだけど。まずは、食べようか?」
 返事の代わりに、ニーナのお腹が、くぅ、と鳴った。

 ディーンは食事をきっちり半分に分けようとしたので、体の大きさから考えても、突然の闖入者である事を考えても、そんなに食事を奪うわけにはいかない、と遠慮したニーナと、暫し、揉めた。
 結局、三分の二と三分の一に分ける事を主張したニーナとの妥協点で、五分の三と五分の二と言う配分で、ディーンは折れた。
 食事の間は互いに無言だったが、ディーンはどこか、そわそわした様子だった。
 一人前の食事を分け合ったのだから、満腹とは言えないものの、何とか腹の虫を宥めた所で。
「大前提を、話しておかないといけない」
 空の食器を脇に寄せて、ディーンは神妙な面持ちで話し始める。
 トレイにも魔法石が組み込まれていて、時間が来ると自動的に回収されるのだそうだ。
「ここは、人里離れた森の中にある塔だ。外部との扉は一つもなく、また、あらゆるを跳ね返す結界が張られている為、出る事も入る事もできない。食事は外部から一日に三回、決まった時間に転移の魔法石を利用して運ばれてくるし、洗濯物も同様。あらかじめ指定された動作しかできない魔法石以外、すべての魔法は使用不可。照明用の魔法石も点灯時間が決まってる」
 だから、コンロはあるけれど、お茶位しか入れられないんだ。お腹に溜まる物がなくて、ごめんね。
 ニーナは暫し、頭の中で、ディーンの言葉を繰り返す。
 入る事ができないだけではなく、出る事もできないと言うのは、やはり、牢獄にしか思えない。
「…ディーンは、犯罪者なんですか?」
 敢えて直球で尋ねたニーナの「犯罪者」と言う強い言葉に、しかし、ディーンは困ったように笑っただけだった。
「犯罪者…では、ないかな。少なくとも、今はまだ」
「じゃあ、何で閉じ込められてるんです?」
「閉じ込められてるんじゃないよ。閉じ籠ってるんだ」
「え、何、究極の引き篭もり?」
「…まぁ、あながち、間違ってはいない」
 苦笑すると、ディーンは背後の書棚を見渡した。
「ここに居れば、自分の興味のある事だけ学べるし、厄介な面倒事に巻き込まれる事もないし、悪い人間は近づけないし」
 義務も果たしてはいないけど。
 そう言う横顔は、少しだけ、苦しそうに見えた。
「ともかくね。そんなわけで、ニーナがここから出て行く事はできない。少なくとも、後二週間は」
「二週間?」
「二週間後に、一ヶ月に一度の面会がある。その時に多分、出してあげられると思う」
 ディーンは、「だから、それまではここで我慢して欲しい」と言った。
「外部との連絡手段がない、って…じゃあ、病気になった時とか、緊急事態は?」
「この塔は結界が張られているから、そもそも、魔が入って来ない」
「マ…?」
「病気の元となるものだよ」
「怪我した時は?」
「怪我の可能性を排除する為に、刃物も置いていない。だから、僕は髪が切れないんだ。これも、」
 そう言いながら、ディーンは何気ない動作でカトラリーを手にする。
「木製だから、食事程度はできても、人体を傷つける事はできない」
「刃物でできる怪我だけじゃなくて、例えば、転倒して頭を打つとか、色々あるでしょう。机の角とか、浴槽とか、ぶつけて出血したら失血死の可能性ありますよ」
「…あぁ、なるほど。そう言う可能性もあるねぇ…考えた事、なかったな」
 何だろう。
 本当にそれでいいのだろうか。
「えーと…正確に言うと、僕は人よりもちょっと魔力が多いから、自己治癒能力が高くてそう簡単には怪我をしない。万が一、僕の魔力が著しく低下したら連絡が飛ぶようになってるから、怪我で孤独死の危険性は低いかな。それに試した事はないけど、食器の返却時に手紙を置いておけば一緒に転移する筈だから、外部に状況を伝える事はできるかもしれない。でもね、僕は君の事を、誰彼構わず言いふらすつもりはない」
「何で、と聞いても?」
 こくり、と、ディーンは頷いた。
「僕は、一ヶ月に一度面会する兄以外の人間を、信じていないから」
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