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 広間の片隅での出来事だったからか、アマリアがレナルドに声を掛けられた事、また、そのレナルドからランドールが半ば強引に奪い去った事は、一部の人々の目にしか触れていないようだった。
 アマリアを狙う令息達の人垣が、丁度いい目隠しになっていたのだろう。
 広間の中央では、滞りなくダンスが続いている。
「…殿下…?」
 無言のまま、アマリアの腰を抱いて広間を移動するランドールに、恐る恐る声を掛けると、ランドールは、はぁ、と深く溜息を一つ吐いた。
「あの…申し訳ございません…私が、上手くお断り出来なかったばかりに」
「いや、違う。貴女は何も悪くない。私がただ、自己嫌悪に陥っているだけだ」
「自己嫌悪…ですか?」
 自己嫌悪とは、ランドールとは最もかけ離れた言葉のように聞こえるだけに、アマリアは首を傾げた。
 白い肌に映える藍色のドレスは、前から見ると装飾がなく形の美しさが際立っている。
 くっきりと大きな瞳に上向いた長い睫毛が、装飾灯の灯りの下できらきらと輝きながら、ランドールを見つめていた。
 その姿を眩しそうに見て、ランドールは困ったように笑みを浮かべる。
「まずは、ダンスに誘わせてくれないか」
 ランドールが、アマリアの体を離して向かい合うと、優雅に片膝を折って頭を下げ、アマリアに白手袋をはめた手を差し伸べる。
「…喜んで」
 本当に、ダンスに誘ってくれた。
 胸が一杯になったアマリアが、震える指でその手を取ると、二人は近づいて向き合った。
 アマリアは向かい合うランドールの左手に右手を重ねてから、左手を彼の右上腕に添え、ランドールはそれに応じて、右手でアマリアの背を支える。
 しっくりと来る位置に、ランドールはホッとしたように微笑んで、同時に、手袋越しに感じる感触に息を飲んだ。
 ドレスの滑らかな感触とは明らかに異なる、熱。
「…随分と、大胆に背中が空いているようだが…」
 下ろした長い髪で、背後から近づいたランドールも気づいていなかったが、ランドールの長身で自然に背を支えようとすると、素肌に触れる位、背中が大きく開けられている。
「自分では見えないのですが…はしたないでしょうか」
 恐縮したように、アマリアが言葉を続けた。
「ミーシャさんが、これ位開けても大丈夫だ、と仰ったのです…小柄な方でないと、着こなすのが難しいのかもしれませんね」
「あぁ、いや、そうではない」
 ランドールは、ミーシャが計算して背中の開きを作った事を確信する。
 恐らく、ランドールよりも小柄な男性であれば、ダンスの為に腕を回しても、直接素肌に触れる事はないだろう。
 ならば、モヤモヤと嫉妬する必要もあるまい。
 無意識に、すっと右手の人差し指でアマリアの背を撫でると、クスクスと笑われた。
「殿下、くすぐったいです」
 絹の手袋が触れるこそばゆさに、アマリアが思わず零した屈託のない笑みに見惚れ、ランドールは自分が何をしたか気づく。
「…っ、久し振りに貴女に会えて…浮かれているようだ」
「私もです。…夢のよう」
 丁度、曲の変わり目に入ったので、そのままランドールはアマリアを誘導すると、ダンスの輪に加わった。
「すまない、最初に言いたかった言葉を伝えられなくて。…とても、綺麗だ」
 その言葉に、アマリアの頬が目に見えて赤く染まる。
 ミーシャの勧めに従って、彼の隣に立つのであれば、最上の自分でありたい、と思えるようになった事に感謝した。
 ランドールの蜜色の瞳と、アマリアの赤い瞳が、お互いを見つめあう。
「あ…有難うございます…殿下も、とても素敵です。広間に入場された際は、見惚れてしまいました。ですが…よく、直ぐに私だとお判りになりましたね?」
 一度も、アマリアの顔を見た事がない筈なのに。
 不思議そうなアマリアの声に、ランドールは片方の眉を器用に上げた。
「本当の所、私も入場するまでは自信がなかった。だが…広間に入って直ぐに、貴女が何処にいるのか判ったよ」
「そうなのですか?…あぁ、アレクシス様が傍に居て下さったから」
「アレクシスよりも先に、貴女の姿が目に入った」
 一旦、言葉を切ってから、僅かに見下ろす位置にあるアマリアの顔を見て、ふわりと笑う。
「正確には、貴女の姿だけが、目に飛び込んで来たのだ」
「っ!」
 アマリアが、その笑みに見惚れて息を飲んだ。
「不思議だな。頭の中で思い浮かべていた姿と、今の貴女は似ているようで違う。けれど、確信があった。『あぁ、彼女がアマリアだ』と」
「…殿下、いつから名を…」
 言われて、ランドールはアマリアを呼び捨てにしている事に今更気づいたらしい。
 気まずそうに目を逸らして、
「…実は、貴女のいない所では、名で呼んでいたものだから…気を悪くしただろうか」
「いいえ、そのような事は。親しみを感じて頂いているようで嬉しいです」
 にこりと微笑むアマリアに、ランドールもまた、笑みを返す。
「今だけは、ダンスの間だけは…貴女も、名で呼んでくれないか」
「…ランドール様?」
「そう。…あぁ、やはり、私は思っていた以上に浮かれている。ダンスとは、楽しいものだったのだな…」
 密着して踊る場では、二人の会話は周囲には聞こえない。
 だが、その表情は彼らを見つめる者達からすれば一目瞭然で、例え笑みを浮かべたとしても僅かに口端を上げる程度のランドールが、柔らかく笑い、アマリアの顔色を窺っている様子に、周囲の人々は度肝を抜かれていた。
 何も言わずとも、彼がアマリアに抱いている感情は、手に取るように判ってしまうだろう。
 如何に異常事態なのか気づいていないのは、アマリアばかりだ。
「…兄上に話をしなくてはいけない。少し飛ばす。私が誘導するから、身を任せてついてきてくれるか」
「承知致しました」
 ちら、と広間の反対側の端にいるユリアスの姿を目に留めたランドールは、アマリアの背を支える腕に僅かに力を込めると、傍目には優雅に大胆にステップを踏みながら、移動を始める。
 人々の間をすり抜けて広間を横切っていく姿は、自然と人々の目を集めてしまうが、二人の息の合ったダンスに、溜息を誘うばかりだ。
 藍色のドレスは、アマリアの肌の白さをくっきりと浮かび上がらせる。魔法石の装飾灯の灯りにきらきらと銀色に輝くと、夜空に輝く星々のようだ。
 ダンスの動きに合わせて裾が大きく翻り、右足首に巻きつけられた細い金色のリボンが、流れ星のように揺らめく様子を覗かせる。
 腰から何段にも重ねられたチュールレースのフリルは空気をはらみ、美しくひらりと軽やかに揺れた。
 銀色の小さな飾りが散りばめられた深紅の髪が光を反射しながら靡き、その隙間から見える背中の曲線の美しさに、男性ばかりでなく女性も見惚れた。
 長身のランドールが歩幅を大きくして移動していくのにも、難なくついていくアマリアに、令嬢方の羨望の眼差しが送られる。
 藍色のドレスのアマリアと、白地に藍色で刺繍を施された礼服を纏うランドールは、最初から対となっているようにしか見えない。
「ランドール様…そのピンは…」
 アマリアが、目の前にあるランドールのスカーフを留めるピンに目を留める。
 どう見ても、自分の胸元を飾る首飾りと同じ石に見えたからだ。
「気づいたか?貴女の首飾りと対になる魔法石で作らせた」
「対、とは」
 戸惑うようなアマリアの表情を、ランドールは窺うように見つめた。
「…贈った首飾りの魔法陣は、まだ完成させていない。もしも、貴女が魔法陣の完成を許可してくれるのであれば…対となる魔法石が必要になるものだから、揃いで作らせた」
 説明になっているようで、曖昧に誤魔化すようなランドールの言葉に、アマリアが首を傾げる。
「では、何の魔法陣なのかは、まだ教えて頂けないのですか?」
「あぁ。現状、何の効力もない、ただの模様だ」
「私が許可しなければ、未完成のまま?」
「そうなるな」
 はぐらかすようなランドールの顔を、アマリアがじっと見つめると、ランドールの頬が赤く染まった。
 アーモンド型の大きな目は、長い睫毛で密に囲まれ、更に大きく見せるように濃く縁どられている。
 瞼に薄く乗せられた色もまた、瞳を印象深く見せているのだろう。
 髪色よりも僅かに薄い紅玉のような瞳には、所々、紫水晶の紫が混ざって、どれだけ見つめても見飽きない。
 少し厚めの唇は、藍色のドレスに合わせてか暗めの紅が差され、頬紅は高い位置に薄く施されるのみ。
 通った鼻筋も、綺麗に弧を描く柳眉も、何処を取っても「美しい」と言う凡庸な言葉しか出て来ずに、ランドールは思わず口を噤んだ。
 これまで、意識して令嬢達を賛美しないようにしてきたが、まさか、本当に称えたい相手への言葉すら出て来ないとは。
 いつも、揶揄ってばかりの幼馴染達の評価が正しかったと、認める日が来るなんて。
 好意を持っているから、と言う以上に、アマリアは美しかった。
 何故、彼女の自己評価があれ程までに低かったのかが判らない。
 それだけ、元婚約者の言葉に囚われていたと言う事なのだろうか。
 ロイスワルズ人らしい美人の定義に当てはまらなかろうが、関係ない。
 今日の夜会に招待されている貴族達は、他国との夜会にも出席し慣れている中央の高位貴族ばかりだから、ある意味、正当な評価を受けたと言う事だろう。
 アマリアにダンスの誘いが来る事は想定していたものの、あそこまで人だかりが出来るとは。
 だが、これだけ美しければ当たり前だ、とも思う。
「…本当に、貴女は美しい」
 思わず、と言った様子で零れ落ちたランドールの言葉に、アマリアは息を飲む。
「そのような事…初めて言われました」
 最初の称賛は、踊る相手への社交辞令だろう、と思い込む事が出来たのに、余りにも熱い目で見つめられるから、そこにランドール自身の本音が込められていると錯覚してしまいそうだ。
 もしかすると、彼は自分の容姿を、疎まずにいてくれるのだろうか。
「本当か?先程も、キース達に囲まれていただろう?」
 拗ねたような声に、アマリアは苦笑を浮かべた。
「確かに、恥ずかしくなる位に褒めて下さいましたが…女性を称賛し慣れてらっしゃる方なのだな、と」
「はは、そう思ったのか。キースも報われないな。彼はあれでも、嘘は吐かない男だ」
「キース様は、殿下の…」
「あぁ、母方の従弟だ。ああ見えて公爵家嫡男だから、婚約者狙いの令嬢が多くてね。恋に夢見る男だから、政略ではなく、自力で婚約者を見つけてみせる、と意気込んでいるのだが…」
 可哀想な事をしたかな、とは、口の中だけで呟く。
「ミーシャさんに、感謝しなくてはいけませんね」
「ミーシャに?」
「えぇ。私は普段、余りお化粧をしないので…今夜は、ミーシャさんの指示通りにしてみたのですが」
 ランドールは、普段のアマリアを知らない。
 今日はミーシャの指示に従って、くっきりとした顔立ちが映える化粧をしているから、美しいと言って貰えるのだろうと思う。
「お化粧で、女性は文字通り、化けるのですわ」
「あぁ、聞いた事があるな。幼年学校の同窓の男の話だが、細君の素顔を、結婚以来一度も見た事がないらしい」
「まぁ」
「風呂上りも、寝起きも、常に完璧な化粧姿なのだそうだよ。肌に悪そうだから、そろそろ素顔を見せて欲しいと懇願しても、頑として聞いてくれないらしい」
「その方は、不安なのかもしれませんね。旦那様が、お化粧した顔を褒めて下されば下さる程、お化粧を落とす事が怖くなるのだと思います」
「なるほど…そういうものか」
「お互いを思い合っていらっしゃるからこそ、なのでしょうが…何だか、切ないです」
 人の話だと言うのに、眉を顰めて悲しそうな顔をするアマリアが愛しくて、ランドールは思わず、背中を支えていた右手を外し、人差し指の背で、そっと彼女の頬を撫でた。
「っ!」
「可愛い事を言うのだな。だが、アマリアは大丈夫だろう?」
「そうでしょうか…自分でも、今日の私は上手く化けていると思うのですが」
「『ただのアマリアを受け止めたい』と言う言葉には、素顔の貴女を見せて欲しい、と言う意味を込めたつもりだったのだが」
 もう一度、頬を撫でてから、背中に右手を戻し、その勢いでくるりと体を回転させる。
 アマリアは、ランドールの行動と言葉に翻弄されっぱなしだ。
「あぁ…もう終わりか。楽しい時間は早いな…」
 演奏の変化から、曲が終わりに近づいた事に気づき、ランドールは溜息を吐くと、アマリアの顔を改めて見つめる。
「貴女と踊れて良かった」
「私も…嬉しかったです。お時間を頂き、有難うございました…ランドール様」
 これが、彼の名を呼べる最後だろうから、小声で付け足した。
 曲の終わりと同時に、アマリアは組んでいた手を離し、膝を折って挨拶をする。
 ランドールはきっと、この後、何人もの相手を務めなくてはいけない。
 ユリアスと話があると言っていたから、次の曲は休憩するかもしれないが、踊り終えた以上、彼の傍にいつまでも留まるわけにはいかない。
 夜会が始まるまでは、ランドールと本当に踊れるのか、いや、踊れなくても当然だ、と、必要以上に期待しないように、自分の気持ちを抑え込んでいた。
 けれど、本当に、ランドールは来てくれた…しかも、絶対に不手際のあってはならない隣国の国王にダンスに誘われると言う、夜会初心者であるアマリアの手には余る状況から、救い出してくれた。
 離宮でも共に踊ったが、楽団の演奏に、踊る人々の間を縫ってのダンスは、それとはまた違う高揚感があった。
 話しながらでもステップを間違えなかったのは、ランドールのリードが上手いからだろう。
 直ぐ傍で見つめる素顔のランドールは、記憶していた以上に美しくて、見ているだけで溜息が零れそうで…執務の際に幾度も触れた素肌ではなく、手袋越しだったにも関わらず、より熱く感じた、熱。
 取り合った手の温かさを、一生、忘れない。
(お慕いしております、ランドール様)
 心の中で、呟く。
 この思い出を大切に抱えて、この先を生きていこう。
 胸の中の硝子瓶に、今日の夜会の記憶を閉じ込める。
 思い出す度に、溢れ出す程の幸福感が蘇るだろう。
 そう決意したアマリアは、にこりと笑みを浮かべて、ランドールが立ち去るのを待つ。
 だが、ランドールはアマリアの腕を取ると、その腰を抱き寄せた。
「あの、殿下、」
「さぁ、兄上に挨拶をしよう」
「ですが、私は、」
「貴女はまだ、自分の価値を理解していないようだな」
 困ったような笑みを浮かべるランドールに、肩越しに顔を覗き込まれて、アマリアは困惑して首を傾げる。
「私の価値…ですか?」
「そう。…貴女の事だから、エスコートするには距離が近過ぎるんじゃないか、とか、この後のダンスの相手が、とか、考えているのだろう?」
「…何故、お分かりになったのですか」
「ダメだ、離さない。私が一瞬でも手を離したら、誰が貴女を連れて行ってしまうか、判らないのだから」
「まさか」
 ランドールらしい冗談だと思って笑おうとしたが、真剣な顔に口を噤む。
「…ご冗談ではないのですか…?」
「私の杞憂に済めばいいのだがな」
 ランドールの顔に浮かんだ憂いに、どうやら自分は、何か想像以上の事態に巻き込まれているらしい、と漸く気づく。
「…レナルド陛下は、偶然、私にお声掛けになったわけではない…?」
 アンジェリカの侍従が引き起こした事件に、アマリアが遭遇していた事を知っていたのだろうか。
 そうであれば、アマリアの持っていた守護石…チートス王家秘伝と噂されるあの守護石の持ち主が、アマリアである事も判っているかもしれない。
 いや、確実に、アンジェリカの口から、アマリアの名を聞いているだろう。
 秘伝の魔法陣を持っていたアマリアは、何か疑われていると言う事だろうか。
 ――…だからこそ、ランドールは、アマリアの家名が洩れる事を恐れたのか。
「…そう言う事だ。後で、説明するから」
 話しながら歩いて来た事で、目の前にはもう、ユリアスとシェイラがいる。
 ランドールは表情を切り替え、アマリアの腕を自分の腕に添えると、
「兄上、シェイラ姫」
と、膝を折って挨拶をした。
 その横で、アマリアもランドールの腕に手を添えたまま、彼に倣って頭を下げる。
「よい時間をお過ごしになれていますか?」
「そうだな。この式典が終わると、後は婚礼の準備が本格的に始まる。シェイラも、これからはずっと王城に滞在するから、よろしく頼む」
 ユリアスは、ランドールと面立ちは似ているものの、騎士だからか、幾分、線が太くがっしりとした男性的な容貌をしている。
 シェイラは艶やかな笑みを浮かべて、ユリアスに頷きかけた。
「準備は大変ですが、婚礼が待ち遠しいですわ」
「事前の取り決め通りに進めてはいるが、もしも、気になる事があったら、何でもランドールに聞いてみるといい」
「ユリアス様は、わたくしがランドール様と直接お話しても、気にされませんの?」
 少し拗ねたような口調も、シェイラ程の美女だと、嫌味にならないのが不思議だ。
「私はそこまで心が狭くはないよ。弟とは違ってね」
 意味あり気な視線をユリアスに向けられて、アマリアはきょとんとする。
「それに、シェイラが不誠実な女性ではないのは、よく判っている」
「ま、お上手です事」
 顔を見合わせてくすくすと笑い合う二人は、仲睦まじい婚約者にしか見えない。
 アマリアの身分では判らぬ事だが、二人は政略結婚ではなく、恋愛結婚で結ばれるのだろうか。
「それで?ランドール。ご機嫌伺いだけではないだろう?言ってごらん」
「兄上達が、お二人の世界を作るからでしょう。…事態が想定以上に早く進んでいます。お力添え下さい」
「可愛い弟の為だから、何とかしてあげたいのだが…」
 またしても、ユリアスに視線を向けられて、困惑してランドールに目を遣ると、ランドールは溜息を吐いてから、諦めたように二人にアマリアを紹介する。
「…本当は、改めて場を設けたかったのですが。こちらが、アマリア嬢です」
「初めまして、ユリアス殿下、シェイラ王女殿下。アマリアと申します」
 何故かにこにこと笑顔でアマリアを見る二人に居たたまれず、かと言って目を伏せるのも不敬に思えてアマリアが緊張していると、ユリアスが朗らかに声を掛けた。
「弟と仲良くしてくれているようで、嬉しいよ、アマリア嬢」
 王族からとは思えない気さくな声掛けに、戸惑いを覚える。
「お目に掛かれて光栄でございます」
「あぁ、いいよ、堅苦しい挨拶は。正直、聞き飽きてるんだ。誰も彼も似たような愛想笑いで同じような言葉ばかり…どうせなら、多少無作法でも心の籠った言葉が聞きたいんだよね」
 にこやかな表情とは裏腹な辛辣な言葉に、アマリアが瞠目すると、ランドールが隣で苦笑した。
「兄上は、見た目の爽やかさに反して、私以上に腹黒なんだ」
「いやだわ、ランドール様。そこがユリアス様の素敵な所じゃありませんか」
 目を輝かせてユリアスを恍惚と見上げるシェイラに、ランドールとアマリアは顔を見合わせる。
 自分の言葉で、心を籠めて言える事。
 アマリアは少し考えて、
「ユリアス殿下とシェイラ王女殿下の仲睦まじいご様子に、わたくしも幸せな気持ちを頂きました」
と、微笑みかけた。
 その笑顔と、裏の読みようもない言葉に、ユリアスが驚いたように目を見開いて、シェイラも唖然としたように口を開くと、直ぐに破顔する。
「可愛らしい方!ユリアス様、わたくし、この方が気に入りました」
「気が合うな、私もだ」
 よく判らないが、受け入れて貰えたらしい、と、アマリアがホッと息を吐くと、ランドールが不機嫌に、
「あげませんからね」
と念を押す。
(シェイラ王女殿下の侍女をお探しなのかしら?)
 王族、それもいずれは王妃となるシェイラの侍女は大変そうだし、補佐官室の仕事に遣り甲斐を感じているから、所属は今のままがいいのだが…。
 後で、ランドールに頼んでおこう、と思う。
「ランディ、お前の依頼は、兄が確かに引き受けた。いいね?シェイラ」
「はい、ユリアス様。あ、でも、ランドール様が、『シェイラお義姉様、お願いします』と頼んで下さったら。わたくし、弟が欲しかったの」
 人差し指を顎に当てて、うーん、と思案するシェイラに、ランドールが呆れたような視線を向ける。
「シェイラ姫よりも、私の方が年上ですよ」
「えー、でも、義姉上になるのは確かですのよ?」
「…シェイラお義姉様お願いします」
 小さな早口で言うランドールに、ユリアスとシェイラが人の悪い笑みを浮かべた。
「陥落が早い」
「弱みを握られたランドール様が面白いですわ」
 腹黒夫婦め…と、口の中で毒づくランドールを心配そうに見つめるアマリアに、ユリアスがにこにこと声を掛ける。
「では、アマリア嬢には、『ユーリお義兄様、お願いします』と言って貰おうか」
「え?」
 ランドールがシェイラを義姉と呼ぶのは理に適っているが、何故、自分が王弟の令息を義兄と呼ぶのか。
「アマリア、いいから、兄上に合わせて」
「は、はい。…ユーリお義兄様、お願いします…?」
 意味が分からずに、語尾が上がるアマリアを微笑ましそうに見て、ユリアスが、
「任された!」
と、胸を叩く。
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「ユリアス様。妹なら、たくさんいらっしゃるでしょう?」
 不意に、シェイラが声を潜めてユリアスの視線を彼方に誘導すると、ユリアスの笑みが、不敵なものに変わった。
「…エイダか。確かに、妹だな。よし、エイダの相手は私がするから、お前達は今のうちに行きなさい」
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「では」
 ランドールもエイダに気づいて、アマリアを連れてさっと身を翻す。
 大股で歩くランドールにつられて、アマリアも小走りになりながら、ランドールに小声で尋ねた。
「どちらへ?」
「いいから、少し待っておいで」
 ランドールとアマリアに注視している人々の視線が気になって黙り込むと、背後から、手を一つ打ち鳴らす乾いた音がした。
「イアン陛下の御代を寿ぐ今日のこの善き日に、皆の前で宣言したい事がある」
 ユリアスだ。
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 イアンの声も、心なしか楽しそうだ。
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「シェイラ・ユルタ王女殿下」
「はい、ユリアス殿下」
 先程とは打って変わって、可憐な愛らしい声で返事をするシェイラ。
「私と貴女は、両国の結びつきを深める為、国同士の思惑の元、婚約を取り交わしました」
 ざわ、と広間の人々がざわめく。
 王族の結婚が、政略づくである事は、誰もが認識している言わば暗黙の了解。
 それを、敢えて言葉に出すユリアスの意図が判らない。
「私も、王家に生まれた以上、自らの気持ちに正直に、結婚相手を選べるとは考えておりませんでした。…例え、伯父上や父上が、夫婦仲が良くて、その熱に中てられていてもね」
 ここで、笑いが僅かに起きた。
 国王夫妻、王弟夫妻の仲睦まじさは、国民であれば、誰もが知っている事だ。
「ですが…私は、神の采配に感謝したい。国の思惑と言いながら、他でもない貴女と引き合わせてくれました」
 ここで、ユリアスが声を一際大きくして、両手を広げる。
 そして、おもむろに片膝を床につき、片手をシェイラに差し伸べた。
「貴女を、心より愛しております。どうか、私と結婚して下さい」
「はい…っ!わたくしも、心よりユリアス殿下をお慕いしております」
 おぉ、とどよめく広間を背に、ランドールは扉を細く開け、アマリアを連れて廊下へと滑り出た。
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