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クレーマー三号(ホンちゃん)
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「なつみ先生! 遅くなってすいません」
順平は、バタバタと応接間に走り込んで来た。
「絹子おばあさんとお話ししてたから、いいよ。それより、もう先生は止して」
いつまでも家庭教師時代の癖が抜けないらしい順平を、なつみは微笑ましい思いで見つめた。とはいえ、浪人時代とは、外見はかなり変わった。髪にはパーマをかけ、普段着も少しずつお洒落なものに変化している。大学生活を謳歌しているらしいことに、なつみは安心した。
「はい。ほな、えっと、なつみさん。今日は、どうしはったんですか?」
「うん。この前、お友達と一緒に、伏見稲荷大社に来てくれたじゃない?」
なつみは、慎重に言葉を選んだ。ただし深刻に取られないよう、口調は明るくする。
「その時、雪絵さんていう巫女さんと喋ったの、覚えてる?」
そのとたん、順平の表情は曇った。おや、となつみは訝った。
「どう……かしたの?」
「あの巫女さんかいな」
順平は、顔を覆った。
「いや、実はなあ。友達が、そのことでちょっと揉めててん」
「どういうこと?」
なつみは、ぎょっとして身を乗り出した。
「あん時、雪絵さん、遊びに行きたいゆうてはったやん? せやけど、俺ら、今夏休みやからなあ。これから帰省する奴もおんねん。ほんで、夏休みが終わって全員そろったら、皆で遊ぼう、ゆう結論になったんやけど。そこで抜け駆けする奴がおってん」
順平は、大きくため息をついた。
「勝手に、雪絵さんと二人で出かける約束をしてしもてな。で、俺らん中に、めっちゃ雪絵さん狙いの奴がもう一人おって。そいつ、今関東の方に帰省中なんやけど。マジでキレとんねん」
何と、となつみは唖然とした。ホンちゃんへの報告目的は果たせそうだが、何やら厄介な状況ではないか。
「友達同士で仲間割れ、みたいな?」
せやせや、と順平はうなずいた。
「せっかく同じ大学入って仲良うなったのに、喧嘩して欲しくないやん? ほんで今後どうするか、他の連中と話し合ってたとこやねん。バイト帰りに皆と会ってたから、遅うなった。なつみさん待たして、申し訳なかったけど」
「私のことはいいよ。それより、仲直りできそうなの?」
うーん、と順平は首をひねった。
「さっき会ったメンツは、彼女おったり、雪絵さんに興味無い奴ばっかしやから、冷静な話し合いはできたんやけどな。肝心の二人が、もう意地になってしもて」
「順平君も? 彼女できたの?」
なつみは、ふと尋ねてみた。順平が、赤くなってかぶりを振る。
「俺は違うけど。でも、雪絵さんには興味無いわ。何てゆうか……、遠回しな言い方しはるやん、あの人? 俺はもっと、ハッキリ喋る女の子が好きやねん」
「そうなんだ。頑張って探してみなよ。何となくだけど、医学部みたいな理系って、サバサバした女の子多そうじゃん」
雪絵とホンちゃんの件が片付いたら、誰か紹介してあげようかな、となつみは思った。取りあえずは、雪絵のデートについて探る方が先だ。皆で行かないなら、順平から写真を入手するのは無理だ。こうなったら現場へ潜入しよう、となつみは決意した。写真でも撮って見せれば、ホンちゃんだって納得するだろう。
「で、その雪絵さんと抜け駆け君のデートっていつなの? 場所も知りたい」
ストレートに尋ねると、順平はさすがに怪訝そうな顔をした。
「明後日に、京都の鉄道博物館て聞いたけど……、何で? なつみさん、何か協力してくれるつもりなん?」
「うーん……、実はね」
なつみは思案した末、ある程度真実を語ることにした。順平を騙すのは、心苦しかったのだ。
「雪絵さんの身内の人とたまたま知り合ったんだけど、彼女の交友関係を心配してて。それで、どんな男の子と会うのかなって」
「あー、変な男と付き合うのが心配なんやね」
普通はそう考えるよなあ、となつみは思った。ホンちゃんの依頼は、真逆なんだけれど。しかも、彼氏までは行かない付き合いを希望だと言う。
(ああ、めんどくさい……)
「あいつなら、大丈夫だと思うけど。卓人っていって、『モムロン』の社長の息子なんだよ」
「へえ、『モムロン』!」
なつみは、目を見張った。京都に本社を置く、日本有数の電子機器メーカーだ。
「明後日、京都鉄道博物館、相手は卓人君ね。了解」
復唱すれば、順平は妙な顔をした。
「あの、なつみさん。まさか、見に行く気?」
「邪魔はしないよ!?」
なつみは慌てた。
「ただ、身内の人がすごく心配されてるからさ。少し様子を見る程度。でもって、仲直りができるような案も考える。だから、卓人君には言わないでね?」
「いや、言わへんけど。そういう意味やなくて……」
順平は、ちょっと口ごもった。
「鉄道博物館には、俺も前、行ったことあるけど。ほとんど、家族連れとカップルやで? ……で、そのお、男性連れの方が、格好がつくんやないかと……」
最後の方を、順平は小声で言った。そこでなつみは、ふと思った。最近、同じ台詞をどこかで聞かなかったか。
(ああ、そうか)
なつみは、思い出した。前回、渡辺と井原の見合いを偵察に行った時だ。付いて来ようとした白銀は、こう言ったではないか。
――男性連れの方が、格好がつくでしょ?
(確かに、結構楽しかったけどさ)
なつみは、あの時のことを思い出していた。渡辺とテイちゃんには腹が立ったが、お洒落なワンピースを着て、美味しいものを食べられた。でも、理由はそれだけではなかった気がする。
(誰かと一緒の食事って、やっぱり楽しいんだよね)
この二日間、夕食は一人だ。今のアパートに入居して八ヶ月、ずっと白銀と一緒だったから、何だか変な気分である。プライバシーを守りたいと言ったのは自分だが、勝手なもので、一人だと寂しい気もする……。
「あの、それに! ほら、奴らを伏見稲荷大社に連れてったのは、俺やから。何か、責任を感じる、みたいな?」
順平の声に、なつみはハッと我に返った。なつみが気を悪くしたと思ったのか、何だか必死な様子だ。
「あ、うん、気を遣ってくれてありがとう。でも私、一人で大丈夫だから」
キッパリと答えれば、順平は何やら肩を落としたように見えた。
「それに、順平君も責任なんて感じなくていいよ。悪いのは、その抜け駆け君なんだし」
大きくうなずくと、なつみは立ち上がった。
「じゃあ私、二人の様子を観察して、身内の人と順平君に伝えるから。それまで順平君は、キレてる帰省中の子をなだめてて。あっ、それからお饅頭持って来たから、後で食べてね!」
テキパキと指示すると、なつみは前原家の応接間を辞したのだった。
順平は、バタバタと応接間に走り込んで来た。
「絹子おばあさんとお話ししてたから、いいよ。それより、もう先生は止して」
いつまでも家庭教師時代の癖が抜けないらしい順平を、なつみは微笑ましい思いで見つめた。とはいえ、浪人時代とは、外見はかなり変わった。髪にはパーマをかけ、普段着も少しずつお洒落なものに変化している。大学生活を謳歌しているらしいことに、なつみは安心した。
「はい。ほな、えっと、なつみさん。今日は、どうしはったんですか?」
「うん。この前、お友達と一緒に、伏見稲荷大社に来てくれたじゃない?」
なつみは、慎重に言葉を選んだ。ただし深刻に取られないよう、口調は明るくする。
「その時、雪絵さんていう巫女さんと喋ったの、覚えてる?」
そのとたん、順平の表情は曇った。おや、となつみは訝った。
「どう……かしたの?」
「あの巫女さんかいな」
順平は、顔を覆った。
「いや、実はなあ。友達が、そのことでちょっと揉めててん」
「どういうこと?」
なつみは、ぎょっとして身を乗り出した。
「あん時、雪絵さん、遊びに行きたいゆうてはったやん? せやけど、俺ら、今夏休みやからなあ。これから帰省する奴もおんねん。ほんで、夏休みが終わって全員そろったら、皆で遊ぼう、ゆう結論になったんやけど。そこで抜け駆けする奴がおってん」
順平は、大きくため息をついた。
「勝手に、雪絵さんと二人で出かける約束をしてしもてな。で、俺らん中に、めっちゃ雪絵さん狙いの奴がもう一人おって。そいつ、今関東の方に帰省中なんやけど。マジでキレとんねん」
何と、となつみは唖然とした。ホンちゃんへの報告目的は果たせそうだが、何やら厄介な状況ではないか。
「友達同士で仲間割れ、みたいな?」
せやせや、と順平はうなずいた。
「せっかく同じ大学入って仲良うなったのに、喧嘩して欲しくないやん? ほんで今後どうするか、他の連中と話し合ってたとこやねん。バイト帰りに皆と会ってたから、遅うなった。なつみさん待たして、申し訳なかったけど」
「私のことはいいよ。それより、仲直りできそうなの?」
うーん、と順平は首をひねった。
「さっき会ったメンツは、彼女おったり、雪絵さんに興味無い奴ばっかしやから、冷静な話し合いはできたんやけどな。肝心の二人が、もう意地になってしもて」
「順平君も? 彼女できたの?」
なつみは、ふと尋ねてみた。順平が、赤くなってかぶりを振る。
「俺は違うけど。でも、雪絵さんには興味無いわ。何てゆうか……、遠回しな言い方しはるやん、あの人? 俺はもっと、ハッキリ喋る女の子が好きやねん」
「そうなんだ。頑張って探してみなよ。何となくだけど、医学部みたいな理系って、サバサバした女の子多そうじゃん」
雪絵とホンちゃんの件が片付いたら、誰か紹介してあげようかな、となつみは思った。取りあえずは、雪絵のデートについて探る方が先だ。皆で行かないなら、順平から写真を入手するのは無理だ。こうなったら現場へ潜入しよう、となつみは決意した。写真でも撮って見せれば、ホンちゃんだって納得するだろう。
「で、その雪絵さんと抜け駆け君のデートっていつなの? 場所も知りたい」
ストレートに尋ねると、順平はさすがに怪訝そうな顔をした。
「明後日に、京都の鉄道博物館て聞いたけど……、何で? なつみさん、何か協力してくれるつもりなん?」
「うーん……、実はね」
なつみは思案した末、ある程度真実を語ることにした。順平を騙すのは、心苦しかったのだ。
「雪絵さんの身内の人とたまたま知り合ったんだけど、彼女の交友関係を心配してて。それで、どんな男の子と会うのかなって」
「あー、変な男と付き合うのが心配なんやね」
普通はそう考えるよなあ、となつみは思った。ホンちゃんの依頼は、真逆なんだけれど。しかも、彼氏までは行かない付き合いを希望だと言う。
(ああ、めんどくさい……)
「あいつなら、大丈夫だと思うけど。卓人っていって、『モムロン』の社長の息子なんだよ」
「へえ、『モムロン』!」
なつみは、目を見張った。京都に本社を置く、日本有数の電子機器メーカーだ。
「明後日、京都鉄道博物館、相手は卓人君ね。了解」
復唱すれば、順平は妙な顔をした。
「あの、なつみさん。まさか、見に行く気?」
「邪魔はしないよ!?」
なつみは慌てた。
「ただ、身内の人がすごく心配されてるからさ。少し様子を見る程度。でもって、仲直りができるような案も考える。だから、卓人君には言わないでね?」
「いや、言わへんけど。そういう意味やなくて……」
順平は、ちょっと口ごもった。
「鉄道博物館には、俺も前、行ったことあるけど。ほとんど、家族連れとカップルやで? ……で、そのお、男性連れの方が、格好がつくんやないかと……」
最後の方を、順平は小声で言った。そこでなつみは、ふと思った。最近、同じ台詞をどこかで聞かなかったか。
(ああ、そうか)
なつみは、思い出した。前回、渡辺と井原の見合いを偵察に行った時だ。付いて来ようとした白銀は、こう言ったではないか。
――男性連れの方が、格好がつくでしょ?
(確かに、結構楽しかったけどさ)
なつみは、あの時のことを思い出していた。渡辺とテイちゃんには腹が立ったが、お洒落なワンピースを着て、美味しいものを食べられた。でも、理由はそれだけではなかった気がする。
(誰かと一緒の食事って、やっぱり楽しいんだよね)
この二日間、夕食は一人だ。今のアパートに入居して八ヶ月、ずっと白銀と一緒だったから、何だか変な気分である。プライバシーを守りたいと言ったのは自分だが、勝手なもので、一人だと寂しい気もする……。
「あの、それに! ほら、奴らを伏見稲荷大社に連れてったのは、俺やから。何か、責任を感じる、みたいな?」
順平の声に、なつみはハッと我に返った。なつみが気を悪くしたと思ったのか、何だか必死な様子だ。
「あ、うん、気を遣ってくれてありがとう。でも私、一人で大丈夫だから」
キッパリと答えれば、順平は何やら肩を落としたように見えた。
「それに、順平君も責任なんて感じなくていいよ。悪いのは、その抜け駆け君なんだし」
大きくうなずくと、なつみは立ち上がった。
「じゃあ私、二人の様子を観察して、身内の人と順平君に伝えるから。それまで順平君は、キレてる帰省中の子をなだめてて。あっ、それからお饅頭持って来たから、後で食べてね!」
テキパキと指示すると、なつみは前原家の応接間を辞したのだった。
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