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Side:伊織
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それから約半年経った、ある日の夜。帰宅した僕を、陽斗はそわそわした様子で出迎えた。
「お帰り」
僕は無言で、陽斗に紙袋を突き出した。中をのぞいた途端、彼はパッと顔を輝かせた。
「覚えててくれたんだな?」
「ああ。陽斗、誕生日おめでとう」
僕が買って帰ったのは、陽斗の好きなワインである。今日は、彼の二十九歳の誕生日なのだ。
「はー、よかった。お前って、イベントに本当興味無いからなあ。おまけに、締切り直前だし。てっきり、忘れられてるかと思ってたわ」
「恋人の誕生日は、特別で、祝いたいものだろう?」
いつかの陽斗の台詞をそっくり返せば、彼は少し赤くなった。
「お前に言われると、何か小馬鹿にされてるような……。まあいいや、それで、プレゼントは? まさか、これだけとは言わねえよな?」
「そんなわけないだろう……。ちょっと待ってて」
僕は、いったん自室へ引っ込むと、別の包みを持って戻った。
「はい、これ。気に入るといいけど」
期待に満ちた表情で開封した陽斗は、目を見張った。
「え、これって……」
「何にしようか、ずいぶん迷ったんだけどね。君、僕の書く小説が好きって言ってくれていたから。一番に、読ませてあげたくて」
迷いに迷ったあげく、僕が選んだのは、僕自身の新刊である。あの後僕は、X川賞を逃した。スキャンダルが関係したかどうかは分からないが、不思議と残念な思いは無かった。これまで僕は、作品に全力投球してきたとは言えなかったからだ。
「次こそは、百パーセントの力を注いで書くって、あの時誓ったんだよ。で、書いたのがこれ」
陽斗は、黙って微笑んだ。
「今回これを書き上げて、思ったよ。全力を出し切るのって、気持ちいいものだね。初めて分かったよ」
「初めてじゃ、ないじゃん」
それまで沈黙していた陽斗が、ふと言った。
「ほら、八木の野郎に脅迫された時だよ。お前、俺を守ろうと、必死で戦ってくれたじゃんか。あの時のお前、百パーセントの力を出していなかったって、言えるか?」
確かに、と僕は思った。あの時の僕は、いかに陽斗を守るかしか、考えていなかった。だが……。
「結局、失敗したじゃないか。君や君の事務所や、『ゼーゲ』や出版社にも迷惑をかけて……」
「いいんだよ」
驚いて見上げれば、陽斗は微笑んでいた。
「大事なのは、精一杯やるってこと。結果なんて、どうでもいい。……てか、そうしないと、悔いが残る」
目から鱗が落ちる思いだった。もしかしたら、これまでの僕は、失敗が怖くて八十五パーセントの力しか出せなかったのかもしれない。そんな思いが、ふとよぎった。
「ま、そういうことで、夕飯にしようぜ」
「あ、うん!」
今夜は、デリバリーだ。陽斗の好きなメニューを中心に、注文する。食事が来る間、僕らはワインを飲みながら待つことにした。乾杯した後、陽斗はしみじみと言った。
「あー、でも、何か嬉しいな。お前が会社辞めて、家にいるようになって。これで、変な男に付きまとわれることも無いし、安心だな。……てか、俺の目の届く所にいるのが嬉しい」
「何だ、それ。ヤンデレの発想だな」
僕は、クスリと笑った。
「嬉しいもんは、嬉しいんだよ。これで伊織は、俺一人のもの!」
上機嫌な陽斗を見ていると、僕はちょっとムカッとした。陽斗の方は、広すぎるくらいに広い交友関係を築いているというのに、勝手だなと思ったのだ。おまけに、いくら演技とはいえ、いろいろな女優とラブシーンを演じているくせに。
「作家業ってさ。君が思うよりも、交流の機会は多いよ?」
もったいぶって言ってやれば、ワイングラスを口に運びかけていた陽斗の動きが止まった。
「出版関係の人とはしょっちゅう会っているし、取材にだって出かける。……第一、僕の担当編集者って、男性だけど」
陽斗の顔は、面白いくらいのスピードで青ざめていった。
「お帰り」
僕は無言で、陽斗に紙袋を突き出した。中をのぞいた途端、彼はパッと顔を輝かせた。
「覚えててくれたんだな?」
「ああ。陽斗、誕生日おめでとう」
僕が買って帰ったのは、陽斗の好きなワインである。今日は、彼の二十九歳の誕生日なのだ。
「はー、よかった。お前って、イベントに本当興味無いからなあ。おまけに、締切り直前だし。てっきり、忘れられてるかと思ってたわ」
「恋人の誕生日は、特別で、祝いたいものだろう?」
いつかの陽斗の台詞をそっくり返せば、彼は少し赤くなった。
「お前に言われると、何か小馬鹿にされてるような……。まあいいや、それで、プレゼントは? まさか、これだけとは言わねえよな?」
「そんなわけないだろう……。ちょっと待ってて」
僕は、いったん自室へ引っ込むと、別の包みを持って戻った。
「はい、これ。気に入るといいけど」
期待に満ちた表情で開封した陽斗は、目を見張った。
「え、これって……」
「何にしようか、ずいぶん迷ったんだけどね。君、僕の書く小説が好きって言ってくれていたから。一番に、読ませてあげたくて」
迷いに迷ったあげく、僕が選んだのは、僕自身の新刊である。あの後僕は、X川賞を逃した。スキャンダルが関係したかどうかは分からないが、不思議と残念な思いは無かった。これまで僕は、作品に全力投球してきたとは言えなかったからだ。
「次こそは、百パーセントの力を注いで書くって、あの時誓ったんだよ。で、書いたのがこれ」
陽斗は、黙って微笑んだ。
「今回これを書き上げて、思ったよ。全力を出し切るのって、気持ちいいものだね。初めて分かったよ」
「初めてじゃ、ないじゃん」
それまで沈黙していた陽斗が、ふと言った。
「ほら、八木の野郎に脅迫された時だよ。お前、俺を守ろうと、必死で戦ってくれたじゃんか。あの時のお前、百パーセントの力を出していなかったって、言えるか?」
確かに、と僕は思った。あの時の僕は、いかに陽斗を守るかしか、考えていなかった。だが……。
「結局、失敗したじゃないか。君や君の事務所や、『ゼーゲ』や出版社にも迷惑をかけて……」
「いいんだよ」
驚いて見上げれば、陽斗は微笑んでいた。
「大事なのは、精一杯やるってこと。結果なんて、どうでもいい。……てか、そうしないと、悔いが残る」
目から鱗が落ちる思いだった。もしかしたら、これまでの僕は、失敗が怖くて八十五パーセントの力しか出せなかったのかもしれない。そんな思いが、ふとよぎった。
「ま、そういうことで、夕飯にしようぜ」
「あ、うん!」
今夜は、デリバリーだ。陽斗の好きなメニューを中心に、注文する。食事が来る間、僕らはワインを飲みながら待つことにした。乾杯した後、陽斗はしみじみと言った。
「あー、でも、何か嬉しいな。お前が会社辞めて、家にいるようになって。これで、変な男に付きまとわれることも無いし、安心だな。……てか、俺の目の届く所にいるのが嬉しい」
「何だ、それ。ヤンデレの発想だな」
僕は、クスリと笑った。
「嬉しいもんは、嬉しいんだよ。これで伊織は、俺一人のもの!」
上機嫌な陽斗を見ていると、僕はちょっとムカッとした。陽斗の方は、広すぎるくらいに広い交友関係を築いているというのに、勝手だなと思ったのだ。おまけに、いくら演技とはいえ、いろいろな女優とラブシーンを演じているくせに。
「作家業ってさ。君が思うよりも、交流の機会は多いよ?」
もったいぶって言ってやれば、ワイングラスを口に運びかけていた陽斗の動きが止まった。
「出版関係の人とはしょっちゅう会っているし、取材にだって出かける。……第一、僕の担当編集者って、男性だけど」
陽斗の顔は、面白いくらいのスピードで青ざめていった。
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