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119 ヴァレリア⑦

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「ヴァレリア、荷物の整理は終わったのかい?」

「ええ、父さん。大丈夫です。もし入れ忘れた物があっても取りにくればいいのですから。」

「………。」

「…父さん?」

「…ああ、いや、…問題ないならいいんだ。
今日は家族皆で盛大にお祝いをするからね。
母さんなんて使用人たちと張り切って料理しているよ。」

「ふふ、嬉しいです。
義兄さんや甥姪、全員が集まるのは随分久しぶりな気がします。」


明日、私は二十四年住んだ我が家を出て、陛下から頂いた領地へ赴く。
過ごした自分の部屋は物が沢山あって、仕事をしながらの荷造りは二月ふたつきも時間が掛かった。
その間にリュカ殿とサイカの婚約は成り、二人の関係は公に認められた。
ああ、楽しみだ。早く私の番が来ればいいのに。
婚約したら何をしようか。リュカ殿は褒美として三日間、サイカと一緒に過ごす事が出来た。
私への褒美はサイカの隣に並ぶ事の出来る立場。それが爵位だった。
一日くらいはサイカと一緒に居られるだろうか。
そうなったら、デートもしたいけれど一番は…二人きりでのんびりとしたい。
長く触れる事が出来なかった私の可愛い恋人を堪能したい。
ああ、早く婚約出来ればいいのにと、指折り数えてその日を待つ。


「ヴァレ!!」

「ヴァレ、姉さんが来たわよーー!」

「ミア姉さん、ラディ姉さん!」

二人と抱擁を交わし、義兄さんや足元の小さな存在にもお久しぶりですと挨拶をする。
姉さんたちが嫁いだ家の人たちも私の事を悪くも言わず嫌悪もしない、家族揃って皆優しい人たちだ。
優しい人たちですねと昔姉さんたちに伝えた事がある。
『だから嫁いだのよ!』と自信満々な返答が返ってきた。
貴族の結婚は家同士の結婚でもある。
我が家は伯爵の中でもそこそこ高い地位にいる為、姉さんたちの結婚相手は選び放題だった。
結婚後は家と家の付き合いが顕著になる。“私を含んだウォルト家”と仲良く出来ない所には嫁ぎたくない、と姉さんたちは数年間かけ結婚相手を吟味した。
結果、とても幸せな結婚生活をしている様に見える。話を聞く限りでも、楽しい結婚生活を送れている様子だった。


「ヴァレリア、伯爵位を賜ったんだってな!おめでとう!いやぁ!聞いた時は信じられない気持ちだったが……うん、いい目をするようになったんだなぁ!!」

「本当にすごいよ、おめでとう。いつも落ち込んでいた君を見ていたからだろうか…何だか感慨深いよ。」

「おじちゃん、おめでとう!」

「すごいことなんだよっておじいちゃんもおばあちゃんも、みーんないってたよ!!なにがすごいか、ノアはわかんないけど、すごいんだって!おめでとう!」

「ありがとう。おめでとうって言ってもらえて嬉しいよ。
義兄さんたちも本当に有り難う御座います。とても嬉しいです。」

義兄さんたちにも本当によくしてもらっている。
そう、まるで本当の兄弟のように仲良くしてもらっていて感謝しかない。流石姉さんたちが選んだひとだと思う。
ミア姉さんの夫、カーライル義兄さんは落ち着いた、優しい大人な人で強気なミア姉さんとはお似合いだ。
カーライル義兄さんは私が落ち込むととことんまで話を聞いてくれる優しい人で、ラディ姉さんの夫、ガイル義兄さんは豪胆な人だ。
臆病で小さな事にも一々悩んでいた時、“小せぇ事気にすんな”と言いながらばしん!と背中を叩いて励ましてくれた。
甘えん坊な所があるラディ姉さんと男らしいガイル義兄さんもまたお似合いの夫婦。


「私とラディは丁度一緒のタイミングで家に着いたの。」

「クリス姉さんはまだ来てないのね。」

まだ到着していないクリス姉さんの夫ルーカス義兄さんはとても明るくて涙脆い人だ。喜怒哀楽の感情が豊かで些細な事でも感動する。
ミア姉さんと結婚する時、“姉がいるから、僕は子供の頃からずっと弟が欲しかったんだ!弟が出来て本当に嬉しい!”と私に向かって涙を流していた。
クリス姉さんはしっかり者で優しいから明るくて少し子供みたいなルーカス義兄さんと波長が合うみたいでやっぱり仲がいい夫婦。
改めて思うけれど、よく出来ているなと思う。
それぞれがぴったりといい相手と巡り合い、結婚して幸せに暮らしているのだから。
一時間後、クリス姉さんと姉さんの家族も揃いウォルト家の大広間で賑やかなパーティーが始まった。

「ヴァレリア、貴方が主役なのだから挨拶なさい。乾杯の音頭もね。」

「はい。
…皆様、本日は私の為にお集まり頂き、誠に有り難う御座います。
有り難い事に陛下から伯爵位と領地を賜り、明日、この家を出る事になりました。」

言葉にすると色んな思い出が甦る。
この家で、父さんと母さんと、姉さんたちと、使用人たちとの沢山の思い出を作ってきた。
十六の春に初めて参加した貴族の集まりで…私の心は砕けた。
容赦ない悪意の言葉、視線、態度。
どれもが当時の私を酷く傷付けた。人という存在の恐ろしさを教え込まれた。
家族に対しての罪悪感、私自身の生きている意味。
あの日から私さえいなければと自分を否定する日々が続いた。

「…もう、皆さんご存じだと思います。
私は…とても弱い存在だったのです。誰の言葉にも傷付き、小さな悪意にも一々傷付いていました。
他人が恐ろしい。自分が情けない。私さえ生まれてこなければと…そう何度も思いました。」

弱く、本当に弱い人間だった。
自分の事ばかり。傷付きたくなくて、自分を守る事に必死だった。
そんな私の感情は当然態度にも出ていただろう。
その臆病な私の態度で、大切な家族を傷付けてきた。
家族なのに他人のような気がする?
私だけが異質?私さえいなければ、ウォルト伯爵家は普通の家庭?
馬鹿な事を。あれだけ大きな愛情を貰っていながら、私は何て馬鹿な事を思っていたのか。


「私はウォルト伯爵家の人間です。
今ならそう、心から言えます。誰が何と言おうと、心から。
父さん、母さん。私は二人に立派だと思って頂けるような、頼れる人間に必ずなります。
姉さんたちが私を守ってくれていたように、私も愛する人を守れる人間になります。
至らない時、間違った時は一人の人間として、厳しく指導して頂けると嬉しいです。」

自信を持って、胸を張って言える。
今の私が、本来の私であると。
一人の人間として、一人の男として、今の私が本来のヴァレリア・ウォルトなのだと。

「乾杯!」

『乾杯…!!』

グラスを掲げると、皆が晴れやかな顔で私の声に続いた。

「うう…、あのヴァレがっ、何て立派にっ…!!」

「本当、嬉しいわねぇ…!!涙が出る程嬉しいわ…!!」

「サイカ嬢もこの場に居てくれたら良かった…!
居て欲しかった…!!」

「お姫さまのお姉ちゃんは今日はいないの?」

「おひめさまのおねぇちゃんにあいたーい!」

「おひめさま?」

「そうだよ!ヴァレリアおじちゃんのおよめさんはお姫さまなんだ!」

「エミリー、おひめさまのおねぇちゃん、だーいすき!
すっごく、すっごくきれーなの!おひめさまなの!
ね、おかあさま!」

「そうね!とっても綺麗で本当にお姫様みたいだったわね!」

「ヴァレリア・ウォルト卿、サイカ・クライス侯爵令嬢の婚約者に!
大きな見出しの新聞見た時は吃驚したよ僕!
姿絵を見た事があるけど、すごい美人だったね!」

「あなた、違うわ。サイカ嬢はあの姿絵よりも数倍美しいから…!実際見たら同じ女でも見とれるくらい美人だから…!!」

「ええ!!?あの姿絵でもかなり美しいと思ったけど…数倍!!?」

「そうなのよルーカス義兄様!しかも可愛いの!可愛いし、優しいし、無敵よあれ!!
ヴァレ、よくやったわ!!サイカ嬢がヴァレの奥さんになるのは確定したもの!!義妹になる日がもう待ち遠しいわ…!!」

「…ミア、新聞読んだ瞬間にやったーって大声上げてたしな。」

「リスティアの王太子たちが危険を犯して拐う程の美女なんだろ?何にせよ無事で良かったな!けど、お前が救出に協力してたのにも驚いたぜ!やるじゃねぇか!流石俺の義弟だ!!」

「なーんでガイルが自慢げなのよ。」

響く笑い声が絶えないそんな楽しいパーティーも終わり、子供たちは寝て大人たちはお酒を嗜みながら夜を過ごす。
お酒は余り得意ではないけれど、義兄さんたちから勧められれば断れない。私を祝ってくれているのだから、飲まないという選択肢はない。
それに、今日のお酒は何だか…いつもよりもうんと美味しく感じた。


「……明日から、ヴァレリアは家にいないのねぇ…。」

賑やかだった部屋の中で、ポツリと母さんの静かな声が響いて、しんと静まり帰った。

「…嬉しいのに、とても嬉しい事なのに、……駄目ね…明日の朝が近付いていると思うと…しんみりしちゃったわ…。
今日はずっと笑顔でいるつもりだったのに…。」

「…母さん…。」

「ヴァレリア。…今日、貴方の挨拶を聞いて…お母様は、とっても誇らしかったわ。
あの小さなヴァレリアが、臆病だった貴方が、何て立派になったのかしらって。
…ねぇ、あなた。」

「……そうだね。
少し前まで、誰かの後ろにいるような子だったのに。
守ってやらなくてはいけないと思っていたのに…。
朝、ヴァレリアに声を掛けただろう?
あの時にも思ったよ。…見違える程立派になったなぁって。」

「………。」

「臆病で、怖がりで、気が優しくて、繊細で。伯爵家の長男として生まれたこの子はどうなってしまうんだろう…ふと不安になる時もあった。
今だから言うけれど、この家を、爵位をヴァレリアが継げるだろうかといつも心配だった。難しいかも知れないと、そう思ってた。
駄目なら駄目で、それでもいいと思ったんだ。
大事な我が子だ。どんな子でも、父さんと母さんの愛する我が子なんだ。」

「………。」

「跡を継がないのであれば…ヴァレリアが弱いままでも、それでもいいと思ってたんだ。
ずっとは守ってあげられないけれど、父さんが死ぬまでは守ってあげられる。
…結局は、私はヴァレリアが可愛くて仕方なかったんだ。
ヴァレリアの為じゃない。私の為でもあったんだよ。」


本当に、強くなったね。
そう、呟くように父さんは言った。
何かを思い出すように、何かを噛み締めるように、何かを、堪えるように。


「いつの間に、こんなに大きくなったんだろうか。
少し前まで、小さなヴァレリアだったのに。
小さいな、って、思ってたのに。
私が、守ってあげなくちゃと、思っていたのに。
……嬉しくて、誇らしくて……何て寂しいんだろうね。」

「…あなた…、……そう、ね。
臆病で、気が弱くて、怖がりで、優しい、可愛い、…小さな子だったのに。
本当に、いつの間に…こんなに…逞しく、強く、なったのかしらね…、」

「ああ、…寂しいものだね…。
とても嬉しいのに、寂しい。
誇らしいのに、とても寂しいんだ。」

「……そうね、その通りだわ。
とても嬉しいのに、とても寂しいわ。
明日から、ヴァレリアがこの家にいないのが、とても寂しいわ。
クリスたちの時も…嬉しいのに、寂しかった。だけどクリスもミアもラディも、いつか嫁ぐと分かっていたから。…覚悟、していたもの。」


本来であれば、私はずっとこの家にいるはずだった。
姉さんたちが嫁いでも、私だけはずっとこの家にいるはずだった。
けれど父さんの跡を継ぐその日まで、私は待てなかった。
サイカの隣に、夫になる為には相応の地位が今すぐにでも必要だったから。
二人に何て声を掛ればいいのか分からない。
すみませんと謝るのは違う。
慰めの言葉が思い付かないままでいると、少しだけ涙ぐんだ父さんが笑顔でこう言った。


「…だけど、だけどね。
父さんも母さんも、ヴァレリアの人生を歩んで欲しいと思ってる。
ヴァレリアの人生はヴァレリアのもの。
父さんも母さんも、皆、ヴァレリアの幸せを願って、祈ってる。」

「ヴァレが幸せなら、寂しいよりも嬉しい気持ちが勝つの。
だけど、たまには顔を見せて頂戴。手紙も欲しいわ。
勿論、領主になるのだから頻繁に…とはいかないでしょうけど…。
サイカ嬢と一緒に顔を見せてくれると嬉しいわ。」

「ふふ、そうだね。サイカ嬢と一緒に遊びにおいで。その時は家族皆で食事をしよう。
改めて……おめでとう、ヴァレリア!」


おめでとう!と再びグラスが天に掲げられる。
父さんも母さんも、姉さんたちも義兄さんたちも、潤んだ瞳でグラスを空けていた。

父さんや母さんが寂しいと言う様に、私も寂しい気持ちだった。
だってこの家は私のこれまで、二十四年間の人生が詰まっている。
色んな感情で過ごした家、色んな思い出がある家。
父さんと母さんと、クリス姉さん、ミア姉さん、ラディ姉さん、執事のマテオや使用人たち、義兄さんたちや甥姪たちとの思い出も沢山。
色んな事があった。悲しい事も苦しい事も辛い事も悔しい思いをした事や楽しい事、嬉しい事も。この家で過ごしてきた。
私の二十四年間、殆どの思い出がこの家に、この家で供に過ごした家族にあるのだから。
寂しくないわけがない。悲しくないわけがない。
サイカも大切だけれど、家族も私には大切なのだから。


夜が過ぎ、朝が来る。
家族皆で朝食を取り、そして私は。

「父さん、母さん、姉さん、義兄さん、マテオ、皆。
…行ってきます。」

『いってらっしゃい、ヴァレリア。』


私は家族皆に見送られながら、生まれてから二十四年間過ごした大好きな家を後にした。

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