戦場黎明の空

川崎

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第一章

第六話

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 私は逃げるように家に戻り、玄関の扉を開けて中に入った。そして扉を閉め、混乱する頭の中で先ほど見たことを整理しようとした。

 一人は空中に浮かび、泳ぐように空中を通り過ぎていった。

 もう一人は、自分の荷物を空中に浮かべて、軽々と運んでいた。

 一体、あれは何だ。どうなっているのだ。

 魔法か何かだと考えた。しかし、そんなものは私たちが勝手に作り出した空想の物で、存在し得ないはずだ。

 では、何かの科学技術ではないかと考えた。しかし、今のところ、この世界ではあまり科学技術が発達しているようには思えない。灯りが火であることや、建築物の造りからそれは伺えた。

 ただ、この世界の事だ。きっと、何か私が見たことがないような力が存在するはずである。もし仮にそれが魔法か何かであったとしても、私は驚きはしないであろう。

 だが、今の私には、この世界について知らないことがあまりにも多すぎる。アプテュートと言っていた者も、その謎の力について何も言及していなかった。

 しかし、そんな中で、私が今利用することができる情報源があった。それは、本。

 寝室の本棚にあった数々の本。それを読めば、少しでも情報を得ることができると私は考えた。思い至ったら私はすぐに寝室に向かった。

 リビングを抜け、寝室の扉を開けた。先ほどとは何ら変わりのない部屋がそこにはあった。私は本棚に向かい、そこにある本の一つ一つをじっくりと見ていった。

 そこには、多種多様な本が収納されていた。学術的な内容から、この世界の宗教、詩集、童話、文学など様々である。

 その中で、一際目を引いた本があった。それは本棚のやや下側にあり、巻数が1~16までの叢書となっていた。

 タイトルは「魎靈術全集」。魎靈術という単語。聞いた事は無いが、なんとなく意味は分かるような気がする。

 恐らく、霊術の何かではないかと予測した。もしかしたら、さっきの浮遊の正体は、この魎靈術という物なのかもしれない。そう思い、私は第一巻を手に取り、そっと表紙をめくってみた。

 作られてからかなり時間がたったのか、本の中の紙は黄ばみ、古く苦い匂いが漂ってくる。私はその一つ一つの頁を読んでいった。

 分からない単語や個所も多かったが、取り敢えず私が解釈したことは以下の通りである。

 まず、この世界には魎靈という物が存在する。これは所謂「霊」という物であるが、私が居た世界での定義とは決定的に異なる箇所が存在する。

 それは、前の世界での霊は実際には存在せず、信仰や畏怖の対象であったが、この世界では実際に霊が存在しているということ。

 それは物質的な存在ではなく、概念的な存在でもない。つまり、私達の感覚で直接それを感知することはできないが、実際に魎靈との意識的なコミュニケーションや、ペレドを利用して様々なことをすることができるという物である。

 また、ペレドには人間対し無害且つ有用な働きをする物と、有害で人間の財産を許可なく横領したり、人間に対し強い怨嗟の念を持っていたりする物がある。後者は総称して悪靈と呼ばれる。

 そして、魎靈術について、これは実質的な魎靈の「利用」であり、人間では不可能な能力を手に入れたり、直接魎靈の力によって運動を発生させることが出来る。

 ただし、錬金術のように何もない状態から物質を生成することはできない。これは、どうやら魎靈術で重要且つ基本的な考えとなっているようである。

 また、長期的に同じ魎靈の力を使うためには、その分の対価を支払う必要がある。その内容は、魎靈が決定し、寿命や身体の一部などを魎靈に差し出すもの、魎靈が人間に特定の命令をするもの、人格の一角を租借することなど多種多様である。それに人間側が賛同した場合は、契約は成立する。

 そして、魎靈術の用途は多種多様な物が存在するが、その中でも一般的なのが生活の中での利用と、戦闘での利用である。

 生活の中での利用は、そのまま家事や職業などでお手伝いとして利用するという物で、これが最も一般的である。

 一方、戦闘での応用は、敵国との戦争や、犯罪者の抹殺、悪靈との戦闘などで使われる。先述した通り、人間には不可能な能力が魎靈にはあるため、このような場では多く利用される。

 加えて、魎靈術を習得するのは、魎靈の能力の差などによるが一般的に短時間で習得することはできない。最低限の力を手に入れるために、短くて20日、長くて100日ほどがかかる。

 このようなところだ。だが、実際には理解できず不明な個所も多い。やはり、私一人では難しく、誰かこの世界の者と一度交流を持つことが必要かと考え、やや行き詰った。

 私は一巻を持ったままベッドに飛び込んで、横になった。今日だけで様々なことが立て続けに起こり、頭が少し疲れてしまった。

 かつて国家試験にほぼ最優秀の成績で合格していた頃を思い出した。あの時から、私の頭脳が衰えたのか、そもそもこの話が難しすぎるのか、今の私には分からない。

 そういえば、今の時間も分かっていないのである。この部屋に時計は無く、確かリビングルームにもなかったはずだ。いや、そもそもこの世界に時計という代物があるのかも分からない。ひょっとしたら、太陽の動きから時刻を計っているという可能性も、十分に有りうる。

 ただ煩雑な思考をしながら、私はベッドに横になっていた。だが、私は突然思い至ったのだ。もしかしたら、私もこの本に書かれていた術ができるのではないか、と。

 可能性は低い。習得に時間がかかるということも十分に理解していた。ただ、由も無く術をしたくなった。実際ほぼ無意識であった。

 この本の56頁目に記載されている、簡単な術、物を移動させるというのを、見よう見まねでやってみた。まあ、どうせ出来ないだろうという軽い心持で、ベッドから起き上がり、見よう見まねで、手を縦と横にして組むような合掌をし、本に向かって念じてみた。

 結果は、勿論何ともなかった。まあ所詮はそんなものだ、と思ったが、今度は少し強くしてみてはどうだろうかという私の恣意的な好奇心から、それも行ってみた。

 動かない本に向かって、動け、動けとひたすらに念ずる。傍から見れば何と幼稚なものであっただろう。しかし、その時の私は何故か本気になっていた。

 そして、ひたすらに念じ続け、しばらく経った頃、それは突然の事であった。本が少し動いたのだ。ただ、それを私が確認した直後、体に凄まじい衝撃が響き渡ったのである。

 それは、思い切り横っ面に拳を食らったような、落下物がもろに直撃したような衝撃に近かったが、何より違うのはその規模。とにかく巨大な物体が私に当たったような凄まじいものであった。

 その衝撃により、私は吹っ飛ばされたのだが、その飛ばされた先が悪かった。まさに、窓の真ん中に飛ばされたのだ。硝子はその衝撃に耐えられず粉々になり、私は家の外に放り出された。

 私は、何が起こったのか理解できなかった。地面に横たわり、耳には先ほど硝子が割れた大きな音と、全身には鈍い打撲の感覚がずっと続いている。

 そして、私は悶えながらも周りを見回してみた。私が落ちたのは、家々が立ち並ぶ例の道であった。その音が大きく響いたのか、家の窓や玄関口から、多くの人が私を見ているのが分かった。私は、変に注目を集めることになってしまったのである。

 そんな中、右の方から人が駆け寄ってくるのに気が付いた。

「あのっ、大丈夫っすか!?」

 その者は、そう言いながら駆け寄ってきた。声は高く、聞いたところ女性のようであった。

 私は悶えていたのでその者の姿を詳しくは見れなかったが、私の近くに来ると屈んで、私の体の様子をじっくりと看て言った。

「あ、硝子片が刺さってるっす! ちょっと待ってください」

 そう言うと彼女は、何とか聞こえる程の声で「ごめんなさい」と言って、私に刺さっていた硝子片を取り除き始めた。

 すると、今までに気が付かなかった痛みが体に走った。どうやら、砕けた硝子片が私の体に刺さってしまったようだ。幸い会談の時の制服を着ており、それが十分に厚かったので、傷口は少なかった。

 しかし、硝子を取り除かれている間は、硝子の破片が皮膚と擦れる痛みが私の体に走り、少し声を漏らしてしまった。

 そして、しばらくして私の体の硝子片を取り除き終わると彼女は「よしっ…… それで、あとは……」と小さく呟き、目を閉じたと思ったら、私が先程した合掌を作った。

 すると、なんと私をさっきまで苦しめた痛みが、みるみる減っていったである。硝子の傷の痛みだけでなく、打撲で全身を蝕んだ痛みまで消えていった。そして、彼女がしばらくそれを続けると、遂に痛みは全く無くなり、私が飛ばされる前と全く同じ状態になった。

「よしっ! これで大丈夫っすよ」

 すると、彼女はこう言った。

 成程、これが本当の魎靈術なのだと、私は内心でとても感動していた。

 痛みが消えたのを確認し、私は地面から起き上がろうとした。すると、彼女が私の体を支えてくれて、何とか立ち上がることができた。

 そして、私は彼女の方を見た。見た目や顔立ちからしてもやはり女性に見え、おっとりとした顔をしていた。

 私と同じく髪が白かったが、その髪は長く、結わえられずに肩に流されていた。身長は私と同じかそれ以上といったところであった。

 また、服については、上半身は白いシャツのような服の上に毛皮のジャケットのようなものを着ており、下半身は丈の長いスカートで、毛皮のジャケットが膝の少し上のあたりまで伸びていた。

「あの、先程はどうも、ありがとうございました」

「いえいえ、全然大丈夫っす…… そういえば、なんであんなに思い切り窓から飛び出してきたんすか?」

「いや、自分でも少し分からないんですが、どうやら少し魎靈術を失敗してしまったようで……」

「それはお気の毒に…… あたしもよくそういうことありますよ」

 これがよく起こるというのに私は少し驚かされたが、同時に少し安心したような気がした。

「そういえば、あなたは今日ここに引っ越してきた人っすよね。名前、なんて言うんすか?」

 彼女が私に尋ねた。

「ええと、エーレルト・レプトーヤクと申します。前は、よくアルトって呼ばれてました」

 私が名前を言うと、彼女は顎に手を当て、随分と不思議そうな顔をしていた。

「エーレルト…… アルト…… 聞きなれないっすね。どこから来たんすか?」

 そう言われ、アプテュートの言葉を思い出した。彼は、自分の存在を他人に口外するなと言っていた。

 私は、渋った。この状況を彼女に、如何にして伝えるか。私は少し考え、そしてはっきりと伝えることに決めた。別世界の事を話してはいけないとは言われていないのだ。

「えっと…… 少し難しい事情があって、今から私が話すことを、信じてくれますか?」

「へ? というと?」

「はい…… ええと、端的に申し上げますと、私は違う世界からここに飛ばされたようなのです。そして、気が付けばこの家にいて……」

 こんなことを話すと、彼女も混乱しているような表情を見せた。そして、彼女は「ううん……」と少し唸った後に口を開いた。

「あの、今から私、一人で外食に行くつもりだったんすけど、よかったらアルトさんも一緒に来ません? 立ち話も何ですし、そこで色々話しましょうよ」

 突然そのようなことを切り出されて少し戸惑ったが、これはとても良い機会であった。

 この世界の人と関係を持つことは、これから生きていく上で非常に重要になる。

「はい、まあ、良いですけど…… あ、あなたの名前をまだ聞いていなかったです」

「あたしっすか? えっと、あたしはローディアーエナって言います。ローディアって呼んでください」

 すると、彼女は反対の方を向いて言った。

「じゃあ、行きますか。アルトさん、魎靈術は使えないっすよね?」

「はい、全く」

「じゃあ、あたしにつかまってください。腕でいいっすよ」

 言われるままに、私は彼女の二の腕に掴まった。

 すると彼女は、またもやあの合掌をした。その時に彼女が小さい声で何かを呟いたように聞こえたが、それをはっきりと聞き取る前に、また衝撃的なことが起こった。

 なんと、私達二人は、浮遊したのである。

 正体不明の力が下から私たちを押し上げ、確かに地面から浮いていた。そのまま私たちはどんどん上昇し、地面から離れていった。

 家々の屋根よりも高く上ったかと思えば、ついに街を少し見下ろせる程の高さまで上った。

 街を見下ろすと、そこは、淡い炎の明かりでまるで燃えているように明るかった。先程まで居た道は遠くまで続き、アプテュートと会った広場も見えた。

 そこまで上ると、彼女はよいしょと言って屈み、そこからうつ伏せのような体勢になった。私もそれに合わせて、同じような体勢をした。

 すると、今度は頭を前に、一直線に前方に進んでいった。

 それはまるで、鳥になったかのようであった。町の上は風が強く寒かったが、それに対抗するように体温は高くなっていった。

 そして、流れる景色に感嘆の声を漏らした私に、はっきりとローディアはこう言った。

「驚いたっすか? これが魎靈術っすよ!」
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