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第一章
第五話
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なんだか長い夢を見ていたような気分である。
薄明の中で、暖かな空気に包まれながら、安らかに、穏やかに、映画を見続けるかのように……
その夢は、走馬灯か、または惜別の情から見る幻想か、はっきりと覚えていない。ただ覚えているのは、私は今まで、眠り続けていたという事。
いや、実際私は俗にいう永い眠りに就いたのである。初冬に開催された首脳会談で、敵対組織か、北側の過激派かは知らないが、誰かに銃で暗殺され、損傷個所からの出血で命を落としたのだ。
しかし、そこから目覚めるという事は……?
それより、一番の疑問は、今の私に「意識」が有るという事。今私が、このように「思考」を行っているという事は即ち、私には「意識」が存在するという事である。
――では、私は本当に死んだのだろうか――
私が死んだのだとしたら、意識は幽かになっていき、消えてしまうはずなのである。しかし、今の私は生前と同じような「意識」を持っているのである。それどころか、私の意識は、みるみる鮮明に、明確になってゆくのである。
ひょっとして、と私は思い、あるはずのない全身に意識を寄せてみた。すると、感じた。これは、「感覚」である。
確かに、そこには私の胴体と、四肢、そして頭という、明確な体の感覚というのが存在していたのである。
私は、今度は指先に意識を寄せて、力を入れるという操作をしてみた。
確かに、手の筋肉が動き、指が稼働した。少なくとも、私はそう感じた。
すると、次には今の私が何処にいるのかを認識することができるようになった。今、私は恐らくベッドか何かに横たわっている。空気はやや冷たく、呼吸をしているのも意識できた。
触覚を意識すると、またもう一つ現れた物があった。それは、聴覚である。今、私は静寂な部屋におり、遠くから幽かに風の音が聞こえてくるのである。
すると、次に嗅覚、味覚と、感覚が鮮明になっていった。
そして、視覚。目の前は、僅かに赤みがかった黒っぽい色であった。それが私の瞼であるということは、考えるまでもなく分かった。
だが、私はその瞼を開けることが出来ずにいた。恐ろしかったのだ。
もし、ここで目を開けると、私が何処にいるのかを理解する。理解してしまうのである。私にとって、それはあまりにも恐ろしかったのである。自分が命を落として、見知らぬ場所へ来てしまったことを受け入れたくなかったのかもしれない。
だが、このままではどうしようもない。今ここで、私は目を開けるしかないのである。例えそれが私の知らぬ場所であったとしても、だ。
私は、意識を瞼に向けて、覚悟を決めて目をはっきりと見開いた。
一番最初に目に入ってきたのは、木造の高い天井である。屋根の形に沿って造られたものかと思われた。
次に左下の方を見てみると、同じく木製の戸があり、右側と上側には木と石でできた壁があった。上側の壁には、やや大きな窓があり、外は闇に染まっていた。
悪い想定通りの様子に、私は恐ろしくて堪らなかった。本当に私は、死から回生をするという非現実的な事象に巻き込まれ、見知らぬ場所に来てしまったのである。
本当にこの現実を受け入れなければならないのかと、当惑した。そして、とにかく気分が悪く、気怠かった。私が今日朝に味わった感覚と同じものであった。
私は訳が分からず、怖くて気持ち悪かったが、このままでいるのは嫌だと、起き上がることを決めた。腹と腕に力を込めて、ベッドを押して起き上がった。そして、改めて自分の体を見た。
服装は、丁度私が死んだ時と同じものになっていた。しかし、血痕は何故か無かった。
それを確認すると、今度は右手を動かして、私の左腕の二の腕を触ってみた。確かに、これは私の肉体である。
すると、今度は顔を上げて、部屋中を見回してみた。部屋は先ほど述べた通りであったが、それに加えて、見えなかったところに本棚があることに気が付いた。
本棚の本には、まったく見たことがない文字が横に書かれていた。しかし、私は何故かそれを読むことができたのだ。全く見覚えのない文字であるのに、だ。
そこには、「人文科学」や、「北の島国」「見聞録」などと書かれていた。私は、その不可解な現象も恐ろしくて堪らなかった。
また、本棚の前には小さい机が置いてあり、その上には何かが書かれた紙切れがあるのが分かった。私は、それを見るために、気怠かったが体を動かして立ち上がった。
若干ふらつきながらも、その机に歩いていき、紙切れを手に取って見てみた。そこにも、見たことのない文字でこう書かれていたのである。
「外に出て、左に道を歩くと広場があるから、そこに来てくれ」
私は紙切れを机の上にそっと置いた。
広場に来い…… 書かれていたのは実に端的で、簡単な短い文。一体呼んでいるのは誰であろうか。そもそも、私は今知らない場所に居るのである。それなのに、私を知り、私に話があるというのは誰なのだろうか。
気味が悪かったが、私はそこに行かない事には何もならないと言う事は察していた。少し振り返ってベッドを見て、また前を向いた。そして、私は広場に行くということを決めた。
私は、今いる部屋の扉に近づき、そっと押して開けた。扉の向こうは、恐らくはリビングルームのような部屋になっていた。大きなソファがあり、その向かいに暖炉、さらに右奥には厨房があることが分かった。部屋の明かりはランタンのような道具と暖炉の日で確保され、部屋全体が暖かな色に染まっていた。
そして、左奥にあった玄関。一際大きい扉がそこにはあり、扉に硝子が張られていたのでそれは確かに外に通ずる扉だと分かった。
その扉にも近づいて、静かに押し開ける。扉ががちゃりと音を立てて、軋みながら開いていった。すると、すぐに外の空気が入り込んできた。それはやや冷たく、乾いた匂いがした。
私は外に出て扉を閉め、目の前を見渡した。そこには横に続く道があり、それに沿うように家が立ち並んでいた。どの家も、玄関にランタンが置いてあり、道の街灯の中にも、赤々とした火が燃えている。それによって、町全体が暖かな色に染まっている。
やはり、幻想にしては鮮明すぎる。改めて、本当に私は見知らぬ場所に来たんだと理解した。
私は左に足を進め、道に沿って歩いていった。道に人はあまり居なかったが、多くが家の中に居るようである。歩いている途中、道には何人か人が居たのだが、どの者も私の見知らぬ人種であった。そして、どの者も不思議そうな顔をして私のことを見ていた。
そうして歩いていると、道の向こうに少しひらけた場所が見えてきた。あれが、恐らく言われていた広場であろう。私は、少し足を速めてその広場に向かった。
そして広場に入ると、中央に木が植えられていたのだが、その下に一人の人が居るのが分かった。彼は私を見ると「やっと来たか」と言わんばかりに少し頬を緩め、手を振ってこう言った。
「やあ、エーレルト・レプトーヤク。ご機嫌は如何?」
見たところ、恐らくは男性と思われるが、声は男性にしては少し高く、髪も少し長めであった。服装は、見慣れない黒い服を着ており、北国の騎士の服装のように見えたが、よく見ると文化的な造りで、本当に見たことがない服装であった。
背は私と同じかそれ以下、少し痩せていて、顔も若く見えた。年齢は、恐らく16歳ほど、青年と呼ぶのが似つかわしかった。
「あの、申し訳ないのですが、私はあなたに見覚えが無いのですが…… どなたでしょうか?」
私は、彼に向かってしっかりと言った。
「申し遅れました。私は、天穹管理者の一人。名前は…… アプテュート、と呼んでくれれば良いかと思います」
彼はすました顔でそう答えたが、私は理解が追い付かなかった。
「ええと…… その……」
「何から聞けば良いのか、みたいな顔をしているね」
「はい。もう、何が何だか…… まず、天穹管理者、とは何ですか?」
私の質問に、彼は少し首をひねってから答えた。
「ええとまず、単刀直入に言わせてもらうと、この世界は人の手によって管理されている。ジオラマの様にね。その管理者、つまりジオラマの作者を天穹管理者と言う訳だ。天穹っていうのは大空の事を指す言葉で、地上世界に存在する人々と対照的にそう呼んでいる」
「ええと…… では、あなたは人間ではないのですか?」
「今は、分かりやすいように人間の身を借りているだけ」
「はあ…… では、私が前まで居た世界もあなたが管理を?」
「うん。あれは私が6番目に製作した世界。ちなみにこの世界は最初に製作したものだ。ところが、この世界とあの世界で少し異常が発生してしまってね、申し訳ないが、君もそれに巻き込まれてしまったようだ」
「その『異常』というのは?」
「ううん…… 詳しい説明は出来ないんだけど、簡単に言うと、並行世界に接点が出来てしまったという感じだ」
彼は眉一つ動かさずに、平然と世界の話をしてくる。私は正直なところ、あまり話について理解はできていなかったのだが、穿鑿してもどうにもならないという事に何となく気が付いていた。
「ああ…… まあ、分かったことにしておきます。それと、もう一つ疑問があって、なぜあなたは世界を作ったのですか?」
「ほう、面白いことを聞くね。ただ…… それは、君たち人に『何故生きるのか』と聞いているようなものだね。なぜ作るのかとかじゃなくて、"作るしかない"んだ」
「はあ……」
「それと、もう一つ。君は、元の世界に戻る必要がある」
「え……?」
「まず、君は本来この世界に存在してはいけないんだ。君という異常から生まれた存在は、非常に危険なものだ。詳しい説明は省くが、この世界に深刻な異常を発生させかねない」
「じゃあ、管理者であるあなたが私を戻せばいいのでは?」
「済まないが、それは出来ないんだ。今回のように、二つの世界が繋がってしまうというのは非常にレアなケースで、人為で発生させることはできない。」
「じゃあ、どうやって戻れば……」
「それは、君がこの世界で過ごす間に分かることだ。一つだけあるんだ」
「…………」
しばらくの間沈黙が流れる。この話は、何かおかしい。ここが違う世界だとしても、この話はあまりにも不自然なのではないかと考えた。それほど、私は違和感を感じていた。
そんな私の心境をも気に留めず、彼は話を続けてくる。
「あと、この世界の生活についてだが、そこは安心してくれ。君の分の家もあるし、服もある。それに、職に就けるだけの金もある。あと、言語も分かるようにしておいた」
「……随分と都合がいいですね」
「まあ、管理者だから。それと、最後に。天穹管理者の存在について、くれぐれも口外しないように。そしたらどうなるか、察しはつくよね」
「…………」
また沈黙が流れる。察したように彼がまた話を続ける。
「もう、いいかな。実は、私がこの世界の生命に干渉することは、好ましくないんだ。私はこれくらいにしておくよ。また会う時が来るかもしれないね。じゃあ、エーレルト・レプトーヤク、宜しく頼む」
と言って、彼はそのまま道の向こうへと歩いていった。その後姿には彼の話し方と同様、一切の困惑や不安が感じられない、平然とした態度であった。それを見ていた私は、当惑しながらも何だか腹立たしかった。
この世界は人の手によって管理されている。
私は元の世界に戻らなければならない。
声を出さずに軽く呟いてみる。突然に告げられた、あまりにも単純で、あまりにも難しいこと。私は当惑を抑えられなかった。
しかしそれ以上に、私は不服でならなかった。世界に異常が起きて、私がこの世界に勝手に送られた。ただ、私はこの世界に居てはいけないから、自分の手で帰れ。おかしい。
なぜ私は、こんな世界の異常に勝手に巻き込まれなければならないのか。そして、その尻拭いを自分でしないといけないのか。これは不条理である。
とはいっても、そんな事を訴えた所でどうにもならないのは気付いている。第一、もう彼はどこかに行ってしまった。
どうしようも無いので、家に戻ろうと決めたその時であった。
頭上に何かが有るのに気が付き、反射的に上を見た。そこには、信じられない光景があった。
人が、浮遊していた。
まるで水中を軽やかに泳ぐかのように、頭が前になるような体勢で、人が私の上を通り過ぎていった。
私は混乱して上を見ていた。しかし、視線を落として周りを見ると、今度は道の右側にいた人が、鞄を体の右横の宙に浮かべて運んでいた。
どうなっているのだ。あれは魔法? あんな空想の代物が存在するのか? 私は、何もかも理解が追いつかない。
ただ、私が分かっているのは一つだけである。
この世界は、何かがおかしい。
薄明の中で、暖かな空気に包まれながら、安らかに、穏やかに、映画を見続けるかのように……
その夢は、走馬灯か、または惜別の情から見る幻想か、はっきりと覚えていない。ただ覚えているのは、私は今まで、眠り続けていたという事。
いや、実際私は俗にいう永い眠りに就いたのである。初冬に開催された首脳会談で、敵対組織か、北側の過激派かは知らないが、誰かに銃で暗殺され、損傷個所からの出血で命を落としたのだ。
しかし、そこから目覚めるという事は……?
それより、一番の疑問は、今の私に「意識」が有るという事。今私が、このように「思考」を行っているという事は即ち、私には「意識」が存在するという事である。
――では、私は本当に死んだのだろうか――
私が死んだのだとしたら、意識は幽かになっていき、消えてしまうはずなのである。しかし、今の私は生前と同じような「意識」を持っているのである。それどころか、私の意識は、みるみる鮮明に、明確になってゆくのである。
ひょっとして、と私は思い、あるはずのない全身に意識を寄せてみた。すると、感じた。これは、「感覚」である。
確かに、そこには私の胴体と、四肢、そして頭という、明確な体の感覚というのが存在していたのである。
私は、今度は指先に意識を寄せて、力を入れるという操作をしてみた。
確かに、手の筋肉が動き、指が稼働した。少なくとも、私はそう感じた。
すると、次には今の私が何処にいるのかを認識することができるようになった。今、私は恐らくベッドか何かに横たわっている。空気はやや冷たく、呼吸をしているのも意識できた。
触覚を意識すると、またもう一つ現れた物があった。それは、聴覚である。今、私は静寂な部屋におり、遠くから幽かに風の音が聞こえてくるのである。
すると、次に嗅覚、味覚と、感覚が鮮明になっていった。
そして、視覚。目の前は、僅かに赤みがかった黒っぽい色であった。それが私の瞼であるということは、考えるまでもなく分かった。
だが、私はその瞼を開けることが出来ずにいた。恐ろしかったのだ。
もし、ここで目を開けると、私が何処にいるのかを理解する。理解してしまうのである。私にとって、それはあまりにも恐ろしかったのである。自分が命を落として、見知らぬ場所へ来てしまったことを受け入れたくなかったのかもしれない。
だが、このままではどうしようもない。今ここで、私は目を開けるしかないのである。例えそれが私の知らぬ場所であったとしても、だ。
私は、意識を瞼に向けて、覚悟を決めて目をはっきりと見開いた。
一番最初に目に入ってきたのは、木造の高い天井である。屋根の形に沿って造られたものかと思われた。
次に左下の方を見てみると、同じく木製の戸があり、右側と上側には木と石でできた壁があった。上側の壁には、やや大きな窓があり、外は闇に染まっていた。
悪い想定通りの様子に、私は恐ろしくて堪らなかった。本当に私は、死から回生をするという非現実的な事象に巻き込まれ、見知らぬ場所に来てしまったのである。
本当にこの現実を受け入れなければならないのかと、当惑した。そして、とにかく気分が悪く、気怠かった。私が今日朝に味わった感覚と同じものであった。
私は訳が分からず、怖くて気持ち悪かったが、このままでいるのは嫌だと、起き上がることを決めた。腹と腕に力を込めて、ベッドを押して起き上がった。そして、改めて自分の体を見た。
服装は、丁度私が死んだ時と同じものになっていた。しかし、血痕は何故か無かった。
それを確認すると、今度は右手を動かして、私の左腕の二の腕を触ってみた。確かに、これは私の肉体である。
すると、今度は顔を上げて、部屋中を見回してみた。部屋は先ほど述べた通りであったが、それに加えて、見えなかったところに本棚があることに気が付いた。
本棚の本には、まったく見たことがない文字が横に書かれていた。しかし、私は何故かそれを読むことができたのだ。全く見覚えのない文字であるのに、だ。
そこには、「人文科学」や、「北の島国」「見聞録」などと書かれていた。私は、その不可解な現象も恐ろしくて堪らなかった。
また、本棚の前には小さい机が置いてあり、その上には何かが書かれた紙切れがあるのが分かった。私は、それを見るために、気怠かったが体を動かして立ち上がった。
若干ふらつきながらも、その机に歩いていき、紙切れを手に取って見てみた。そこにも、見たことのない文字でこう書かれていたのである。
「外に出て、左に道を歩くと広場があるから、そこに来てくれ」
私は紙切れを机の上にそっと置いた。
広場に来い…… 書かれていたのは実に端的で、簡単な短い文。一体呼んでいるのは誰であろうか。そもそも、私は今知らない場所に居るのである。それなのに、私を知り、私に話があるというのは誰なのだろうか。
気味が悪かったが、私はそこに行かない事には何もならないと言う事は察していた。少し振り返ってベッドを見て、また前を向いた。そして、私は広場に行くということを決めた。
私は、今いる部屋の扉に近づき、そっと押して開けた。扉の向こうは、恐らくはリビングルームのような部屋になっていた。大きなソファがあり、その向かいに暖炉、さらに右奥には厨房があることが分かった。部屋の明かりはランタンのような道具と暖炉の日で確保され、部屋全体が暖かな色に染まっていた。
そして、左奥にあった玄関。一際大きい扉がそこにはあり、扉に硝子が張られていたのでそれは確かに外に通ずる扉だと分かった。
その扉にも近づいて、静かに押し開ける。扉ががちゃりと音を立てて、軋みながら開いていった。すると、すぐに外の空気が入り込んできた。それはやや冷たく、乾いた匂いがした。
私は外に出て扉を閉め、目の前を見渡した。そこには横に続く道があり、それに沿うように家が立ち並んでいた。どの家も、玄関にランタンが置いてあり、道の街灯の中にも、赤々とした火が燃えている。それによって、町全体が暖かな色に染まっている。
やはり、幻想にしては鮮明すぎる。改めて、本当に私は見知らぬ場所に来たんだと理解した。
私は左に足を進め、道に沿って歩いていった。道に人はあまり居なかったが、多くが家の中に居るようである。歩いている途中、道には何人か人が居たのだが、どの者も私の見知らぬ人種であった。そして、どの者も不思議そうな顔をして私のことを見ていた。
そうして歩いていると、道の向こうに少しひらけた場所が見えてきた。あれが、恐らく言われていた広場であろう。私は、少し足を速めてその広場に向かった。
そして広場に入ると、中央に木が植えられていたのだが、その下に一人の人が居るのが分かった。彼は私を見ると「やっと来たか」と言わんばかりに少し頬を緩め、手を振ってこう言った。
「やあ、エーレルト・レプトーヤク。ご機嫌は如何?」
見たところ、恐らくは男性と思われるが、声は男性にしては少し高く、髪も少し長めであった。服装は、見慣れない黒い服を着ており、北国の騎士の服装のように見えたが、よく見ると文化的な造りで、本当に見たことがない服装であった。
背は私と同じかそれ以下、少し痩せていて、顔も若く見えた。年齢は、恐らく16歳ほど、青年と呼ぶのが似つかわしかった。
「あの、申し訳ないのですが、私はあなたに見覚えが無いのですが…… どなたでしょうか?」
私は、彼に向かってしっかりと言った。
「申し遅れました。私は、天穹管理者の一人。名前は…… アプテュート、と呼んでくれれば良いかと思います」
彼はすました顔でそう答えたが、私は理解が追い付かなかった。
「ええと…… その……」
「何から聞けば良いのか、みたいな顔をしているね」
「はい。もう、何が何だか…… まず、天穹管理者、とは何ですか?」
私の質問に、彼は少し首をひねってから答えた。
「ええとまず、単刀直入に言わせてもらうと、この世界は人の手によって管理されている。ジオラマの様にね。その管理者、つまりジオラマの作者を天穹管理者と言う訳だ。天穹っていうのは大空の事を指す言葉で、地上世界に存在する人々と対照的にそう呼んでいる」
「ええと…… では、あなたは人間ではないのですか?」
「今は、分かりやすいように人間の身を借りているだけ」
「はあ…… では、私が前まで居た世界もあなたが管理を?」
「うん。あれは私が6番目に製作した世界。ちなみにこの世界は最初に製作したものだ。ところが、この世界とあの世界で少し異常が発生してしまってね、申し訳ないが、君もそれに巻き込まれてしまったようだ」
「その『異常』というのは?」
「ううん…… 詳しい説明は出来ないんだけど、簡単に言うと、並行世界に接点が出来てしまったという感じだ」
彼は眉一つ動かさずに、平然と世界の話をしてくる。私は正直なところ、あまり話について理解はできていなかったのだが、穿鑿してもどうにもならないという事に何となく気が付いていた。
「ああ…… まあ、分かったことにしておきます。それと、もう一つ疑問があって、なぜあなたは世界を作ったのですか?」
「ほう、面白いことを聞くね。ただ…… それは、君たち人に『何故生きるのか』と聞いているようなものだね。なぜ作るのかとかじゃなくて、"作るしかない"んだ」
「はあ……」
「それと、もう一つ。君は、元の世界に戻る必要がある」
「え……?」
「まず、君は本来この世界に存在してはいけないんだ。君という異常から生まれた存在は、非常に危険なものだ。詳しい説明は省くが、この世界に深刻な異常を発生させかねない」
「じゃあ、管理者であるあなたが私を戻せばいいのでは?」
「済まないが、それは出来ないんだ。今回のように、二つの世界が繋がってしまうというのは非常にレアなケースで、人為で発生させることはできない。」
「じゃあ、どうやって戻れば……」
「それは、君がこの世界で過ごす間に分かることだ。一つだけあるんだ」
「…………」
しばらくの間沈黙が流れる。この話は、何かおかしい。ここが違う世界だとしても、この話はあまりにも不自然なのではないかと考えた。それほど、私は違和感を感じていた。
そんな私の心境をも気に留めず、彼は話を続けてくる。
「あと、この世界の生活についてだが、そこは安心してくれ。君の分の家もあるし、服もある。それに、職に就けるだけの金もある。あと、言語も分かるようにしておいた」
「……随分と都合がいいですね」
「まあ、管理者だから。それと、最後に。天穹管理者の存在について、くれぐれも口外しないように。そしたらどうなるか、察しはつくよね」
「…………」
また沈黙が流れる。察したように彼がまた話を続ける。
「もう、いいかな。実は、私がこの世界の生命に干渉することは、好ましくないんだ。私はこれくらいにしておくよ。また会う時が来るかもしれないね。じゃあ、エーレルト・レプトーヤク、宜しく頼む」
と言って、彼はそのまま道の向こうへと歩いていった。その後姿には彼の話し方と同様、一切の困惑や不安が感じられない、平然とした態度であった。それを見ていた私は、当惑しながらも何だか腹立たしかった。
この世界は人の手によって管理されている。
私は元の世界に戻らなければならない。
声を出さずに軽く呟いてみる。突然に告げられた、あまりにも単純で、あまりにも難しいこと。私は当惑を抑えられなかった。
しかしそれ以上に、私は不服でならなかった。世界に異常が起きて、私がこの世界に勝手に送られた。ただ、私はこの世界に居てはいけないから、自分の手で帰れ。おかしい。
なぜ私は、こんな世界の異常に勝手に巻き込まれなければならないのか。そして、その尻拭いを自分でしないといけないのか。これは不条理である。
とはいっても、そんな事を訴えた所でどうにもならないのは気付いている。第一、もう彼はどこかに行ってしまった。
どうしようも無いので、家に戻ろうと決めたその時であった。
頭上に何かが有るのに気が付き、反射的に上を見た。そこには、信じられない光景があった。
人が、浮遊していた。
まるで水中を軽やかに泳ぐかのように、頭が前になるような体勢で、人が私の上を通り過ぎていった。
私は混乱して上を見ていた。しかし、視線を落として周りを見ると、今度は道の右側にいた人が、鞄を体の右横の宙に浮かべて運んでいた。
どうなっているのだ。あれは魔法? あんな空想の代物が存在するのか? 私は、何もかも理解が追いつかない。
ただ、私が分かっているのは一つだけである。
この世界は、何かがおかしい。
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