大正政略恋物語

薔薇の求婚

（８）

「洋装は良いものだよ。動きやすいから、君も着てみるいい」

　そう言って健斗は腕に取ったワンピースを、次々に楓に渡して行く。あっという間に楓の両腕はワンピースだらけになり、布だというのに腕にはずっしりとした重みがある。

「まさか、これもお求めになるのですか？　さっきお買物されたではありませんか！」

「しかし、ドレスは普段着られないだろう？　大丈夫だ。このくらい買っても、別に我が家の家計には痛くもかゆくもない」

　健斗が楓に色々なものを買い与える理由が、彼が言っていた『着るもので心持ちも変わる』ということの為なのだとしたら、いくらかは受け取りやすい気持ちにもなる。しかし。

（で、でも、せめて二着くらいに収めて頂ければ……）

　楓がそう思っているのに、健斗は次から次へとワンピースを手に取り、楓に渡していく。楓の腕がいっぱいになったところで、「ふむ、あちらにも良い色のものがある。少し待っていたまえ」などと言って、売り場をまたいで行ってしまった。抱えるほどのワンピースを腕に、楓がぼうっとしていると、売り場の向こうの方から聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「琴子、その服は駄目よ。五円もするじゃない。もう少し安いものでないと、買えないわ」

　琴子、という名に楓は振り向いた。見ると既製品のワンピースの棚の前に、琴子と良子が並んで立っていた。琴子は襟ぐりにリボンがかたどられた黄色いワンピースを手に持っていて、どうやらそれが欲しいようだった。

「どうしてよ、お母さま。最近お買い物をしていなかったのですもの、このくらいは良いじゃない」

「お父さまの会社が利益を出すまでは、まだ我慢して頂戴。舶来品は駄目。国産ものを見ましょう」

「それでは着てもかわいくないわ。どうしてお父さまは事業に失敗してしまわれたの。前は行けたご帳場フロアにだって行けなくなってしまって。さっき五階から降りてきた人たち、きっと良い買い物をされたのよ、悔しいわ。今だってあんなにお洋服を手に持って」

　琴子がこちらを見て楓のことを指さす。陳列されている商品の分、離れたところに居るから、楓の顔が分からないのかもしれない。楓は挨拶すべきかどうするかという動揺を一瞬胸に抱き、真正面に歩み出て挨拶をする勇気も持てなかった為、健斗に持たされたワンピースを手にしたまま、彼女たちに向かって会釈をした。すると琴子がこちらに気付いて、顔を驚きの様子に変化させた。

「ま、まあなんてこと！　楓じゃないの！　あんなにみすぼらしかったお前が、何故お前がこのようなところに居るの!?　それに、その沢山のワンピース……、いいえ、さっきお前、ご帳場フロアから降りてきたわね？」

　楓は琴子が以前、デパートの最上階で店員にかしずかれて買い物をするのだ、と言っていたことを思い出し、言葉に困る。まさか彼女が買い物をしたのと同じ場所で自分のワンピースを仕立てたなどとは言えない。さっき聞こえた話によれば、堀下家は今、ご帳場フロアで買い物をする資格を失っており、その衰退振りを刺激するようなことは言いたくなかった。

「あ、あの、それは……」

　楓が言葉に迷っている間に、琴子は自分が見た楓の様子に結論を付けたようだった。先程の驚いた顔は消え失せ、いつもの見下すような目つきに変わる。

「ああ、なるほど、峯山さまに上手く取り入ったのね。お前のやることだから、追い出されそうになったところを、きっとみっともなく峯山さま（成金）に縋ったんでしょう。ええ、そういうドブネズミのような生き方は、わたくしには出来ませんけど、お前には似合いよ」

　ふふん、と楓を馬鹿にしたような口ぶりでなじるのが、琴子は好きなのだった。特に最近琴子は、以前のように自由に買い物が出来ないうっぷんを溜めていた為、ここぞとばかりに楓に向けて毒を吐く。

「美しくも愛想もないお前がそれだけの買い物をねだれるほど、お前は上手に峯山さまに取り入ったのね。どうやったの？　お前のような不出来な娘、這いつくばるくらいじゃ、いくら醜男（しこお）でも、男の方はそんな服を恵んでくれないわよね？　もしかして色仕掛けでもしたの？　それくらいしか、お前には出来ないわよねえ？　でもお前程度で満足なさるなんて、峯山さまはやはり成金風情なのだわ。わたくし、そんな方に嫁がなくて正解でしてよ、お母さま」