大正政略恋物語

遠野まさみ

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菱文を纏う

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 今まで何人かの結婚相手候補と会ったが、みな、峯山家の財産を自由に出来ないと知ると、踵を返して出て行った。あるいは健斗が自分を愛するとでも思っていたのだろうか。それこそ、政略結婚において、一番有りえないことだ。それを思うと、あの娘はそのどちらをも受け入れた。……ように見えた。少なくとも、反論があるようには思えなかった。暫く家に置いてみようと思ったのは、それが理由だ。いざ、彼女が豹変するようなことがあれば、三行半を突き付けて離縁すればいいだけのことである。

(しかし、確かに今日の味噌汁は、いつもとは違う味がした。不味いわけでもなく、きちんとみそ汁の味がしていたから、静子が調味料の加減を間違えたのかと思ったが……)

 本当にあの娘が作ったのだろうか? 特権階級の家の娘が家事などしないことなどは、故郷においてもそうだったし、西洋化を進めている日本でもそうであると、この半年間で知ってきているが……。

「しかし、ご結婚されたのであれば、新婚のうちは早くお帰りになられた方がよろしいですね。日本では、『女心と秋の空』と申します。ただでさえ恋愛結婚ではないのですから、奥方の心が移ろわないよう、特に新婚である今を大事にされるべきかと」

 移ろうなら移ろってもいいのだがな、と健斗は思う。彼女の代わりはいくらでもいると思うから。そう考えた自分の心臓がチクリとする。

(……なんだ、気分の悪い……)

 眉間にしわを寄せた健斗に何を思ったのか、早川は今後のことを話題にした。

「いやしかし、これでこれから取引先のパーティーなどでも、格好がつきましょうね。なにぶん、社長の見目では女性の方々の目を大いに惑わしますからね」

「私の所為にするな。私だって英吉利(むこう)では、ごく普通の一般人だった」

 憮然と言う健斗だったが、早川は苦笑を漏らす。

「取引先の日本支店の在住外国人の方ともお会いしますが、社長程整った容姿の方はそうそういらっしゃいませんよ」

「池の錦鯉にでもなった気分だな」

 そういえば、昨夜彼女が握り飯を持ってきた時、過去に会った女性たちに寄越されたような、この面に見惚れる様子は見受けられなかった。

(やはり、他の女たちとは、少し違う……、のかもしれない)

 それならば、もう少し観察を続けようか。追い出すことは、いつでも出来る。楓のことをそう結論付けて、健斗は目の前の書類の山に身を投じた。



 
「今日、君は昼間、なにをしていた」

 夜、帰宅した健斗は、静子が作っていったという食事を前に、楓にそう訊ねた。早川の言葉を真に受けたわけではないが、華族のお嬢さまが娯楽のないこの家で、いったい何をしていたのかと窺がう気持ちがあったからだ。しかし彼女の返答はすこぶる冴えないものだった。

「あの、えっと……」

 そう言って口ごもる。

「何もせず、呆けて一日を過ごしたのか」

 それならそれで、いっそ相当なぐうたら娘であることが分かるが、しかし楓は反論したいようだった。

「いいえっ、……っ、……」

 しかし、言葉を発しようとして飲み込んでいるようである。いったい何が言いたいというのか。はっきりしない彼女に、多少苛立ちを覚える。

「なにかを、していたのだな? では、なにをしていた」

 健斗が誘導するも、楓は何かを言い掛けては黙るばかりだ。答えられないことをしているのか。だから言えないのだろうか。多少苛立って、問い詰めるように言葉を継いだ。

「私の問いに答えないのは何故だ」

 逃げ口を塞ぐように問いかけると、彼女は腹の前で手を合わせ、視線を俯かせたままこう言った。

「……偽りを口にしないことがお約束であれば、私の口から申し上げることが、無いのです……」

 弱々しく、頑として問いに答えようとしない。なにか自身の行動に言及すると、健斗から糾弾されると思っているのだろうか。

 そう思ってテーブルを挟んで立ったままでいる楓の様子を観察する。

 昨日は華やかな着物を着ていたし、今朝は華族の令嬢らしからず炊事をしたなどと言ったため、健斗も憤慨していて彼女の身なりについては注視もしていなかったが、いま改めて見ると、目の前の娘が噂に聞いていた子爵令嬢とは似ても似つかないという事実に気が付いた。

 色の褪せたボロの着物。艶のない、くくってあるだけの髪の毛。手は荒れ、指先にはあかぎれが出来ている。楓の何処を見ても、良家の娘だとは思えない。

(堀下子爵令嬢は華やかで美しい令嬢だと聞いているが、この娘の貧相さは、なんだ。実家のメイドの方がよっぽどふっくらとした顔つきだった)

 己の気づきに、彼女に対する疑問がわく。
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