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一章

15話 外出(あくまで調査のため)

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     ♢

リナルドの屋敷は、街の北端に位置しており、少し小高い場所にあった。

その門を出て半刻ほど馬車に揺られる。

そうしてベッティーナたちが降り立ったのは、市井書庫の前――ではなかった。

「いやぁ、悪いね。授業免除の代わりに、街の紹介もしてほしいって講師に頼まれちゃったんだ」
「……そこは王子の権限でどうにかならなかったのですか」

「はは、少し前まで僕も彼らに教わる側だったんだ。無碍にはできないよ」

降ろされたのは、街の中心部にある広場だ。そこにはかなり大規模な噴水が作られており、幾つものしぶきが絶え間なく上がる。

その周りにはベンチなどもあり、人々が思い思いに過ごしているのだから、開放的だった。

「水の音がリズムを刻むようになってるんだ。アウローラの噴水はわからないけど、うちの国もやるだろう?」

ベッティーナは、こくり首を振っておく。

自国にある噴水のことなんて、閉じ込められていたから知らないためだ。

ただ、ここまで優れたものがないだろうことは予想に容易い。

綺麗に舗装された道やカフェ、さらには劇場など、目に入ってくるさまざまな施設すべてがそう思わせる。

いちいち目を留めてしまっていると、リナルドの機嫌がどんどんとよくなっていくのが目に見えて分かった。

「じゃあ、次は商店街だ。ここが生活の中心地だね」

なにせ、どんどんと早足になっていくのだ。

しかも、変装するために身に着けていたはずのローブは、頭のかぶりがどんどんとずり上がっていくのだが、それにも気づかない。普通に顔が見えてしまっている。

「あ、リナルド様! こんなところで会えるなんて!」

 指摘しようと思っていた矢先に、もう声をかけられていた。

はじめは一人の若い女性が気づき、そのひょうきんな声に釣られてか次々と人が集まってくる。
あっという間に、人垣の完成だ。サインをねだるもの、握手をねだるもの、恋人になってと叫ぶものまで、さまざまいる。

恐ろしい人気ぶりだ。

「一瞬でこんなことになるなんて……」
「はは、油断したよ。ごめんね」

こんな会話を交わすのも、辛うじて。
やれ握手してほしいだ、娘を抱えてほしいだ、とさまざまなことを要求されるのに、彼は笑顔を作って応じる。

ちなみに隣にいたベッティーナの存在はといえば、誰もがほとんど認識していない。

敗戦国の人質とはいえ、男装して身分を偽っているとはいえ一応は一国の姫なのだが……

「ぼうっとしてないで、見たらすぐ出ていってくれよ」

まるで大衆と同じく、リナルドを拝みにきたかのように扱われる。もみくちゃにされてしまう。

そんな状況に、ベッティーナの喉奥からあるものがこみ上げてきた。

もちろん感慨深くて涙が出そうなわけではなく、単に気持ち悪い。


「……人酔いしました」

常に屋敷に籠り、ほぼ人と接さずに生きてきたベッティーナには、拷問に等しい環境だった。

背中を丸め口元を押さえていると、それに気づいたリナルドはベッティーナの手を取る。

「すまないが、通してくれるかい? 急いでるんだ。」

やけに通る声でこう投げかければ、そこからは早かった。
人垣が簡単に割れて、一本の道ができる。

「じゃあ行こうか、ベッティーノくん」

きらきらの笑顔が向けられるなか、ベッティーナはその圧倒的なカリスマ性に驚かざるをえない。

ただ人気を集めているだけではなく、尊敬の念を抱かれていなければ、こうはならなかろう。

多くの人の視線に晒されながら、大通りを抜ける。

どういうわけか手を引かれたままだったことに気づいたのは、そのあとだ。例の男色をするという噂が頭をよぎって、それを反射的に払った。

失礼極まりないことをしたと焦ったのは、束の間だ。

「はは、元気でいいな。歩けないほど苦しいのかと思ったけど、その分ならもう吐き気は消えたみたいだね」

まったく気にしてはいないようで、彼はへらりと笑う。

「……ありがとうございました」

一応、体面としてベッティーナは礼を述べた。

「よく言うよ。こんなことができるなら、もっと早く人避けをしてくれたらいいのにって顔に書いてある」
「いいえ、そんなことはございません」


本当は図星だったけれど。

なんなら、『あなたがちゃんと変装しておけば、こうはならなかったのに』とも思っている。

「でも、残念だな。服飾店に寄るつもりだったんだけど、これじゃあ厳しそうだ」
「もう書庫に向かってもいいのでは?」
「はは、せめて聖堂くらいは案内しないと僕が痛い目に遭うよ」

その後も、リナルドによる街案内はしばらく続いた。

古代から整備を繰り返して現存している大聖堂や、三角屋根の住宅群などが紹介される。

それらは、確かに美しいのだけど、気もそぞろになる。


「いやぁ、誰かに街案内するのもたまにはいいね。街の魅力を再発見できるよ」
「はぁ、そういうものですか」

そもそも書庫にいる悪霊が消えてしまうまで、時間がないなかでの行動だ。
こうしている間にも、日はどんどんと傾いていく。

そろそろベッティーナの痺れが切れかける頃、やっと書庫に辿り着いた。

屋敷の中にある書庫よりもひと回り小さいが、建物は切妻屋根を持つ2階建ての石造と十分に立派だ。

階段を上った先には、立派な柱が二本聳え立っており、その奥に書庫への入り口があり、目を止めるに値する。

けれど、時間が多く残されているわけではない。

「さっきとは表情が違ってるよ、ベッティーノくん。やっぱりよほど本が…………って、おいおい、待ってくれよ。僕は君の監視も務めなんだよ」
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