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第2章 鮮烈なるイモータル
第24話 スクレイピング
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止める間もなく二者が接触する。しかし激突の音は、金属同士がぶつかったような、キンと甲高い音だった。
「ソニア……!?」
「う、やぁーっ!」
ガラスの羊の足が止まる。遅れてイドラは音の正体を理解した。
ソニアの細い手には抜き身のワダツミが握られていたのだ。その細い刀身ひとつで、ソニアはスクレイピーの突進を止めてみせた。
さらにそれのみならず、大きく振り抜いてスクレイピーを弾き飛ばす。
「ふふんっ、どうですかイドラさん! これがパワフルソニアです!!」
「あ、ああ……正直びっくりした。大した腕力だ」
おそらくは離れて見ているミロウたちも驚いているに違いない。
ギフトは不壊。いかに細い刀身をしていようが、折れることもなければ、曲がることも決してない。だから感嘆すべきは小柄と言えどイモータルの突進を止め、あまつさえ弾き飛ばしたソニアの腕力だ。
それもきっと、体を変えられたことに起因するのだろうから、手放しに喜ぶべきではないのかもしれないが。少なくとも、イドラには到底できない芸当だろう。
「ゥ、ゥゥゥウ————ッ!」
「わっ? わわ、すばしっこいですっ」
「気を抜くな……! 距離を取れ、足元も柔らかいから注意するんだ!」
一度は弾かれたスクレイピーも、それで逃げるような生き物ではない。完全に標的をソニアに移し、飛び跳ねるようにして何度も襲い掛かる。
見ているだけで肝を冷やす光景ではあったが、それにもソニアは対応できていた。詰められるたびワダツミで弾き、軽やかな体さばきで距離を保っている。スクレイピーが着地するたびに飛び散る泥まで避けきる余裕っぷりだ。
(すごい反応速度だ……軽んじてたのは、僕の方だったかもしれない)
素早いスクレイピーよりもなお素早く、ソニアは泥の上でステップを続ける。
イモータルは不死の怪物。いくらワダツミで斬りつけられようが、まっとうな武器では傷ひとつつかない。負数を帯びたギフト、イドラのマイナスナイフでなければ。
だが不死であれ、外力の作用から逃れられるわけでもない。単純にとてつもない力で振るわれた刀で殴られれば、ダメージはなくとも行動の阻害にはなる。
言うまでもなく、そんなことはふつうの人間には不可能だ。機敏なイモータルの動きを読み、獣よりもずっと力強い猛攻を避けきり、細い刀で弾き飛ばす。イドラにも歴戦のエクソシストにも難しい、卓抜した絶技と言っていい。
それはそもそもの膂力、ソニアの年相応にしか見えない細く小さい体の中に、確かに人外の力が流れている証左だった。
「イドラさん! わたしじゃイモータルは倒せません……! だからこうして気を引きます、イドラさんはその間に!」
「……囮に使うみたいでやりたくないが……それが最善なら是非もないか」
昨夜、ワダツミを軽々と振るって見せたことからある程度はわかっていたが、ソニアの身体能力はそんなイドラの想定よりもずっと高かった。
だが、それでもソニアを盾に使うような真似は避けたかった。いくら素早く動けても、ソニアはイモータルと違い、心臓があって、全身に血を通わせた人間だ。ひとつミスがあれば命取りになるのには変わりない。
せめて迅速に、危害が及ばぬうちに殺す。
ソニアがまたスクレイピーを弾き飛ばすのに合わせて、イドラは走り寄るとガラスの鎧に覆われていない頭部を斬りつけた。
「————ゥ、ゥ」
「効いてます! いけますよ、イドラさんっ!!」
「いや——油断はするな!」
零れ落ちる白い砂。順調に手傷を負わせることができているが、イドラにはまだ大きな懸念があった。
魔法——
魔物たちが持つ、魔法器官によって引き起こされる特別な能力。あるいは、ギフトのそれとも似た。
イモータルもまた、稀にではあるが魔法器官を有し、一応は魔物として分類されている。そして眼前の羊もどきは、その頭部にあからさまな魔法器官を備えていた。
「ゥ——ッ」
「きゃっ!?」
しかし放たれたのは魔法ではなく、もっとシンプルなものだった。
スクレイピーは突如、頭から水をかぶった犬のように、体を大きく震わせる。そうして水滴の代わりに周囲へ巻き散らかされたのは、全身を覆うガラス片のいくつかだった。
(鎧を……発射した!)
魔法というよりは単なる身体の機能と見るべきだろう。手のひら程の大きさをした、透明の刃物はランダムに全方位を襲う。イドラとソニアも当然その範囲に含まれ、避けることもできず全身を突き刺される。
「無事か、ソニア!」
「っ、は、はいっ」
だが致命傷ではない。イドラは半身になり、左手で首と顔を守った。結果、左手と脚にいくつかのガラス片が突き刺さったが、動きに支障があるほどではない。邪魔なものだけ抜いて払いのけ、ソニアに声をかける。
幸いにして、ソニアの方はまだ少しスクレイピーから距離を取っていたぶん、軽くかすった程度で済んでいるようだった。
(体を鎧で覆って、近づけばそれを発射して撃退……まさに攻防一体だ)
エクソシストの連中のやり方であれば、こういった敵の特性を事前に調べ上げるのだろうか?
頭の隅でそんなことを思いながら、イドラは敵を殺すための筋道を組み立てる。いつもと同じように。
「けど、まあ——死ぬほどではないな」
結論として、攻めることを選んだ。
なんのことはない、ただのごり押しだ。基本イドラはそうだった。マイナスナイフの即時治癒がある以上、即死以外は無傷に等しい。
「えっ、イドラさん! 突っ込んじゃだめです、またガラスが飛んできます!」
「————ゥ——ゥ」
自ら針のむしろになりに来た哀れな獲物へ、透明を鎧った怪物が夕日に燃える黄金の眼を向ける。
理性なき怪物にためらいがあるはずもない。今度はイドラの方だけを狙い、無数のガラス片が放たれた。順当に食らえば死にかねないので、イドラは避けられるぶんだけは避けることにした。
さっきと同じように、左手を盾にする。しかしイドラの左腕は全身を守れるほど大きくない。当たり前に透明の凶器が突き刺さり、赤い血が体中から噴き出す。避けられたガラス片はたちは後方の柔らかい地面に突き刺さった。
「痛ッ、——たいな、この!」
悪態をつき、けれども前進はやめない。初めからわかっていたことだ。
ガラス片のひとつひとつはさしたるサイズでもないし、射出される速度も大きくない。だから避けないことにした。攻防一体と言えば聞こえはいいが、器用貧乏なだけだと断じた。
「お返しだ……!」
ガラスの嵐を踏み越え、再び顔面にナイフを突き刺す。ヤワな個体であればこれで仕留め切れるくらいに傷を与えてきたつもりだったが、スクレイピーは小さく雑音混じりの音で鳴くと、あらぬ方向へと飛び跳ねた。
逃げられた。仕留め損なったことに舌打ちし、イドラは自身に突き刺さったガラス片を引き抜くと、深い傷にその上からマイナスナイフを適当に突き刺し、服の下の傷を治す。
「イドラさん——」
「ソニア、注意しろ。獣や魔物と同じだ、手負いが一番恐ろしい。おそらく魔法が来るぞ」
できることならば、今ので殺しきりたかった。
どしんっ、と重い音を立て、大きく泥を跳ねさせながらスクレイピーが着地する。イドラはその怪物の動きを見逃さぬよう、ナイフの柄を握り直しながら注意深く見つめた。
「ゥ————ゥ——ゥゥゥゥ」
耳のない頭部がだらりと下がる。そうすると頭頂部の純白の角はイドラたちに向き、その表面が淡く光沢をまとい始める。
イドラの予感は的中した。
「ォォォォォォォォ——————ッ!」
「……っ、なんですかこの音……耳が、割れる」
「耳は塞いでも目は閉じるなよ」
空間をきしませる声で、怪物が落陽に吠える。それに呼応するように、胴体を覆うガラス片の一部が震えだす。またしてもガラス片を発射する攻撃かとイドラたちは身構えたものの、そうではなかった。
「——! 後ろだソニア!」
「え……? ひゃあっ」
呼応していたのは、スクレイピーの表面を覆うガラス片だけではなかった。
既に発射された破片——さっき周囲に撒き散らしたそれらも、不自然に震え、ひとりでに地面から抜け出て宙に浮き、突然スクレイピーの方へと引かれだす。その軌道上にいたソニアはいきなり背後からガラス片に襲われ、脇腹の辺りを浅く切られた。
そうして、地面に刺さった破片と、自身のまとう破片の約半分が見えない糸に引っ張られているかのごとく、純白の角へと集まっていく。
「角を……コーティングしているのか、これは」
イドラでさえ見たことのないタイプの、奇妙な魔法だった。
集積と整形。集まった破片たちは磁石のようにぴったりと角にくっつき、そのうえからまた新たな破片が覆い、まとわりつき、さらに枝分かれするような形状を形作る。
完成したのは、もはや角とは呼べぬ、巨大な七支刀のようなフォルムだった。
驚愕に浸る間もなくスクレイピーは、頭部の先にそんなものを下げているとは思えない速度で駆け出す。狙いはイドラだ。首を曲げ、角の剣を振りかぶる。
「くっ」
七支刀の全長は、ソニアの身長近くはありそうだ。回避は困難だと判じたイドラはむしろ前に出て、遠心力の乗り切らない剣の中ほどにまで突っ込んでからマイナスナイフで受け止めた。透明な破片たちは、やはりマイナスナイフの刃を通さない。
イモータルの力に拮抗できるはずもなく、イドラは刃を滑らせ、七支刀の下をくぐり抜ける動きでやり過ごす。その際、剣を形成する破片の一部が背をかすり、ひやりとしたが服と皮膚の表面をこそぎ取られる程度で済んだ。
体勢を立て直す暇を与えず、イモータルでなければねじ切れそうな勢いで首が振られ、追撃が迫る。
受け流した今の動きでさえ右腕にはじんじんとした痺れが残っている。まともに受け止めようとすれば、イドラなど風に吹かれる落ち葉も同然だろう。
逡巡もせず、回避に専念する。イドラとて伊達に不死殺しと呼ばれていない。泥の地面を駆け、何度も振るわれる猛攻を見事に避けきる。さっきのソニアよりは遅いが、培われた経験から成る最小限の移動で回避する動きだ。
(体が軽い……ソニアのおかげだな。先生の形見を持たないようにしたらずっと楽になったっていうのは、どうにもアレだけど)
イドラ自身、自分がそこまで機敏に動けていることに驚いていた。その一番の要因はどう考えても、これまでずっと背負っていたワダツミを手放したからだ。あれがないだけでずいぶんと身軽になった。
……大切なひとの形見を重荷扱いするのは気が引けるが。
若干の罪悪感を抱えながら、イドラは敵の隙を窺う。しかし避けることはできても、攻めに転じることは中々できなかった。
回避で精一杯なのもあるが、いくらか角のコーティングに割いたとはいえ、まだその胴体はガラスの鎧に覆われている。あの七支刀を掻い潜りながら距離を詰め、鎧のない部分を攻め立てるというのは言葉にするほど簡単ではなかった。
「臆したりしない……! わたしだって、イドラさんの役に立ちます!」
攻めあぐねているイドラを見て取ったのか、横合いからソニアが飛び出し、ワダツミを大きく振りかぶる。またスクレイピーの気を引き、隙を作るつもりらしい。
「ゥ——」
ギンッ、とガラスの鎧に太刀を叩きつける音が響く。手傷こそ負わないものの、その常人をかけ離れた力で振られた一撃を受けスクレイピーが後ずさる。
だが先程と違い、今のスクレイピーには魔法によって形成された角の七支刀がある。ソニアへ向かってそれを横薙ぎに振るう姿が、イドラの目に心なしか腹立たしげな感情を帯びているように映った。
「てやぁっ!」
そんな怒りの一撃を、ソニアはこれもまたワダツミの刀身で受け止めてみせた。
イドラであればまず間違いなく吹き飛ばされる威力。突進に続き、遠心力を乗せた嵐のようなあの魔法の七支刀さえ止めてしまったのには、イドラも思わず口が開いた。もはや人間業ではない。
とはいえ止めることはできたものの、さしものソニアでも跳ねのけるのは難しいのか、刀越しに上から押さえつけられるような格好になり、歯を食いしばって押しつぶされないよう抵抗している。
長くは持つまい。ソニアが体を張って生んでくれた千載一遇の機、それを逃さぬようイドラは不死を断つ刃を構え敵へと駆ける。そして腕を引いて溜めを作り、白い頸へと振り放つ……直前、視界の端でなにか、ほのかな光を捉えた。
淡い発光。それはソニアが受け止める七支刀の内部、スクレイピーの一本角からのものだった。
——まずい!
確信に近い直感。イドラは攻撃の手を急制動させ、体の向きを転換させる。角の輝きが増し、七支刀にも血脈のごとく光の筋が現れる。ソニアはいきなり自分に向かってくるイドラに目を丸くする。
すべてがスローモーションのようだった。
ソニアを庇うようにして飛び込むのと、角の白い輝きが解き放たれたのはほとんど同時で、パキン——とガラスを踏み砕くような音が妙にイドラの耳に残った。
「が、ぁッ」
次の瞬間に感じたのは痛みだった。慣れ親しんだ痛覚への刺激。それが背中に余すところなく豪雨のように降り注ぎ、苦悶の声を漏らす。
慣れ親しんだ、というのは嘘だ。痛みに慣れも親しみも覚えるものか。どれだけ傷を負っても、即座に治癒させる手段があっても、怪我をするのは苦しく怖い。
「ぇ……イドラさん? ぁ、えっ、なんで、そんな——」
突き飛ばされる形で尻もちをついたソニアが、なにが起こったのかわからない様子で顔を上げる。そこには背から夥しい血を流し、崩れ落ちるイドラがいた。
「ソニア……!?」
「う、やぁーっ!」
ガラスの羊の足が止まる。遅れてイドラは音の正体を理解した。
ソニアの細い手には抜き身のワダツミが握られていたのだ。その細い刀身ひとつで、ソニアはスクレイピーの突進を止めてみせた。
さらにそれのみならず、大きく振り抜いてスクレイピーを弾き飛ばす。
「ふふんっ、どうですかイドラさん! これがパワフルソニアです!!」
「あ、ああ……正直びっくりした。大した腕力だ」
おそらくは離れて見ているミロウたちも驚いているに違いない。
ギフトは不壊。いかに細い刀身をしていようが、折れることもなければ、曲がることも決してない。だから感嘆すべきは小柄と言えどイモータルの突進を止め、あまつさえ弾き飛ばしたソニアの腕力だ。
それもきっと、体を変えられたことに起因するのだろうから、手放しに喜ぶべきではないのかもしれないが。少なくとも、イドラには到底できない芸当だろう。
「ゥ、ゥゥゥウ————ッ!」
「わっ? わわ、すばしっこいですっ」
「気を抜くな……! 距離を取れ、足元も柔らかいから注意するんだ!」
一度は弾かれたスクレイピーも、それで逃げるような生き物ではない。完全に標的をソニアに移し、飛び跳ねるようにして何度も襲い掛かる。
見ているだけで肝を冷やす光景ではあったが、それにもソニアは対応できていた。詰められるたびワダツミで弾き、軽やかな体さばきで距離を保っている。スクレイピーが着地するたびに飛び散る泥まで避けきる余裕っぷりだ。
(すごい反応速度だ……軽んじてたのは、僕の方だったかもしれない)
素早いスクレイピーよりもなお素早く、ソニアは泥の上でステップを続ける。
イモータルは不死の怪物。いくらワダツミで斬りつけられようが、まっとうな武器では傷ひとつつかない。負数を帯びたギフト、イドラのマイナスナイフでなければ。
だが不死であれ、外力の作用から逃れられるわけでもない。単純にとてつもない力で振るわれた刀で殴られれば、ダメージはなくとも行動の阻害にはなる。
言うまでもなく、そんなことはふつうの人間には不可能だ。機敏なイモータルの動きを読み、獣よりもずっと力強い猛攻を避けきり、細い刀で弾き飛ばす。イドラにも歴戦のエクソシストにも難しい、卓抜した絶技と言っていい。
それはそもそもの膂力、ソニアの年相応にしか見えない細く小さい体の中に、確かに人外の力が流れている証左だった。
「イドラさん! わたしじゃイモータルは倒せません……! だからこうして気を引きます、イドラさんはその間に!」
「……囮に使うみたいでやりたくないが……それが最善なら是非もないか」
昨夜、ワダツミを軽々と振るって見せたことからある程度はわかっていたが、ソニアの身体能力はそんなイドラの想定よりもずっと高かった。
だが、それでもソニアを盾に使うような真似は避けたかった。いくら素早く動けても、ソニアはイモータルと違い、心臓があって、全身に血を通わせた人間だ。ひとつミスがあれば命取りになるのには変わりない。
せめて迅速に、危害が及ばぬうちに殺す。
ソニアがまたスクレイピーを弾き飛ばすのに合わせて、イドラは走り寄るとガラスの鎧に覆われていない頭部を斬りつけた。
「————ゥ、ゥ」
「効いてます! いけますよ、イドラさんっ!!」
「いや——油断はするな!」
零れ落ちる白い砂。順調に手傷を負わせることができているが、イドラにはまだ大きな懸念があった。
魔法——
魔物たちが持つ、魔法器官によって引き起こされる特別な能力。あるいは、ギフトのそれとも似た。
イモータルもまた、稀にではあるが魔法器官を有し、一応は魔物として分類されている。そして眼前の羊もどきは、その頭部にあからさまな魔法器官を備えていた。
「ゥ——ッ」
「きゃっ!?」
しかし放たれたのは魔法ではなく、もっとシンプルなものだった。
スクレイピーは突如、頭から水をかぶった犬のように、体を大きく震わせる。そうして水滴の代わりに周囲へ巻き散らかされたのは、全身を覆うガラス片のいくつかだった。
(鎧を……発射した!)
魔法というよりは単なる身体の機能と見るべきだろう。手のひら程の大きさをした、透明の刃物はランダムに全方位を襲う。イドラとソニアも当然その範囲に含まれ、避けることもできず全身を突き刺される。
「無事か、ソニア!」
「っ、は、はいっ」
だが致命傷ではない。イドラは半身になり、左手で首と顔を守った。結果、左手と脚にいくつかのガラス片が突き刺さったが、動きに支障があるほどではない。邪魔なものだけ抜いて払いのけ、ソニアに声をかける。
幸いにして、ソニアの方はまだ少しスクレイピーから距離を取っていたぶん、軽くかすった程度で済んでいるようだった。
(体を鎧で覆って、近づけばそれを発射して撃退……まさに攻防一体だ)
エクソシストの連中のやり方であれば、こういった敵の特性を事前に調べ上げるのだろうか?
頭の隅でそんなことを思いながら、イドラは敵を殺すための筋道を組み立てる。いつもと同じように。
「けど、まあ——死ぬほどではないな」
結論として、攻めることを選んだ。
なんのことはない、ただのごり押しだ。基本イドラはそうだった。マイナスナイフの即時治癒がある以上、即死以外は無傷に等しい。
「えっ、イドラさん! 突っ込んじゃだめです、またガラスが飛んできます!」
「————ゥ——ゥ」
自ら針のむしろになりに来た哀れな獲物へ、透明を鎧った怪物が夕日に燃える黄金の眼を向ける。
理性なき怪物にためらいがあるはずもない。今度はイドラの方だけを狙い、無数のガラス片が放たれた。順当に食らえば死にかねないので、イドラは避けられるぶんだけは避けることにした。
さっきと同じように、左手を盾にする。しかしイドラの左腕は全身を守れるほど大きくない。当たり前に透明の凶器が突き刺さり、赤い血が体中から噴き出す。避けられたガラス片はたちは後方の柔らかい地面に突き刺さった。
「痛ッ、——たいな、この!」
悪態をつき、けれども前進はやめない。初めからわかっていたことだ。
ガラス片のひとつひとつはさしたるサイズでもないし、射出される速度も大きくない。だから避けないことにした。攻防一体と言えば聞こえはいいが、器用貧乏なだけだと断じた。
「お返しだ……!」
ガラスの嵐を踏み越え、再び顔面にナイフを突き刺す。ヤワな個体であればこれで仕留め切れるくらいに傷を与えてきたつもりだったが、スクレイピーは小さく雑音混じりの音で鳴くと、あらぬ方向へと飛び跳ねた。
逃げられた。仕留め損なったことに舌打ちし、イドラは自身に突き刺さったガラス片を引き抜くと、深い傷にその上からマイナスナイフを適当に突き刺し、服の下の傷を治す。
「イドラさん——」
「ソニア、注意しろ。獣や魔物と同じだ、手負いが一番恐ろしい。おそらく魔法が来るぞ」
できることならば、今ので殺しきりたかった。
どしんっ、と重い音を立て、大きく泥を跳ねさせながらスクレイピーが着地する。イドラはその怪物の動きを見逃さぬよう、ナイフの柄を握り直しながら注意深く見つめた。
「ゥ————ゥ——ゥゥゥゥ」
耳のない頭部がだらりと下がる。そうすると頭頂部の純白の角はイドラたちに向き、その表面が淡く光沢をまとい始める。
イドラの予感は的中した。
「ォォォォォォォォ——————ッ!」
「……っ、なんですかこの音……耳が、割れる」
「耳は塞いでも目は閉じるなよ」
空間をきしませる声で、怪物が落陽に吠える。それに呼応するように、胴体を覆うガラス片の一部が震えだす。またしてもガラス片を発射する攻撃かとイドラたちは身構えたものの、そうではなかった。
「——! 後ろだソニア!」
「え……? ひゃあっ」
呼応していたのは、スクレイピーの表面を覆うガラス片だけではなかった。
既に発射された破片——さっき周囲に撒き散らしたそれらも、不自然に震え、ひとりでに地面から抜け出て宙に浮き、突然スクレイピーの方へと引かれだす。その軌道上にいたソニアはいきなり背後からガラス片に襲われ、脇腹の辺りを浅く切られた。
そうして、地面に刺さった破片と、自身のまとう破片の約半分が見えない糸に引っ張られているかのごとく、純白の角へと集まっていく。
「角を……コーティングしているのか、これは」
イドラでさえ見たことのないタイプの、奇妙な魔法だった。
集積と整形。集まった破片たちは磁石のようにぴったりと角にくっつき、そのうえからまた新たな破片が覆い、まとわりつき、さらに枝分かれするような形状を形作る。
完成したのは、もはや角とは呼べぬ、巨大な七支刀のようなフォルムだった。
驚愕に浸る間もなくスクレイピーは、頭部の先にそんなものを下げているとは思えない速度で駆け出す。狙いはイドラだ。首を曲げ、角の剣を振りかぶる。
「くっ」
七支刀の全長は、ソニアの身長近くはありそうだ。回避は困難だと判じたイドラはむしろ前に出て、遠心力の乗り切らない剣の中ほどにまで突っ込んでからマイナスナイフで受け止めた。透明な破片たちは、やはりマイナスナイフの刃を通さない。
イモータルの力に拮抗できるはずもなく、イドラは刃を滑らせ、七支刀の下をくぐり抜ける動きでやり過ごす。その際、剣を形成する破片の一部が背をかすり、ひやりとしたが服と皮膚の表面をこそぎ取られる程度で済んだ。
体勢を立て直す暇を与えず、イモータルでなければねじ切れそうな勢いで首が振られ、追撃が迫る。
受け流した今の動きでさえ右腕にはじんじんとした痺れが残っている。まともに受け止めようとすれば、イドラなど風に吹かれる落ち葉も同然だろう。
逡巡もせず、回避に専念する。イドラとて伊達に不死殺しと呼ばれていない。泥の地面を駆け、何度も振るわれる猛攻を見事に避けきる。さっきのソニアよりは遅いが、培われた経験から成る最小限の移動で回避する動きだ。
(体が軽い……ソニアのおかげだな。先生の形見を持たないようにしたらずっと楽になったっていうのは、どうにもアレだけど)
イドラ自身、自分がそこまで機敏に動けていることに驚いていた。その一番の要因はどう考えても、これまでずっと背負っていたワダツミを手放したからだ。あれがないだけでずいぶんと身軽になった。
……大切なひとの形見を重荷扱いするのは気が引けるが。
若干の罪悪感を抱えながら、イドラは敵の隙を窺う。しかし避けることはできても、攻めに転じることは中々できなかった。
回避で精一杯なのもあるが、いくらか角のコーティングに割いたとはいえ、まだその胴体はガラスの鎧に覆われている。あの七支刀を掻い潜りながら距離を詰め、鎧のない部分を攻め立てるというのは言葉にするほど簡単ではなかった。
「臆したりしない……! わたしだって、イドラさんの役に立ちます!」
攻めあぐねているイドラを見て取ったのか、横合いからソニアが飛び出し、ワダツミを大きく振りかぶる。またスクレイピーの気を引き、隙を作るつもりらしい。
「ゥ——」
ギンッ、とガラスの鎧に太刀を叩きつける音が響く。手傷こそ負わないものの、その常人をかけ離れた力で振られた一撃を受けスクレイピーが後ずさる。
だが先程と違い、今のスクレイピーには魔法によって形成された角の七支刀がある。ソニアへ向かってそれを横薙ぎに振るう姿が、イドラの目に心なしか腹立たしげな感情を帯びているように映った。
「てやぁっ!」
そんな怒りの一撃を、ソニアはこれもまたワダツミの刀身で受け止めてみせた。
イドラであればまず間違いなく吹き飛ばされる威力。突進に続き、遠心力を乗せた嵐のようなあの魔法の七支刀さえ止めてしまったのには、イドラも思わず口が開いた。もはや人間業ではない。
とはいえ止めることはできたものの、さしものソニアでも跳ねのけるのは難しいのか、刀越しに上から押さえつけられるような格好になり、歯を食いしばって押しつぶされないよう抵抗している。
長くは持つまい。ソニアが体を張って生んでくれた千載一遇の機、それを逃さぬようイドラは不死を断つ刃を構え敵へと駆ける。そして腕を引いて溜めを作り、白い頸へと振り放つ……直前、視界の端でなにか、ほのかな光を捉えた。
淡い発光。それはソニアが受け止める七支刀の内部、スクレイピーの一本角からのものだった。
——まずい!
確信に近い直感。イドラは攻撃の手を急制動させ、体の向きを転換させる。角の輝きが増し、七支刀にも血脈のごとく光の筋が現れる。ソニアはいきなり自分に向かってくるイドラに目を丸くする。
すべてがスローモーションのようだった。
ソニアを庇うようにして飛び込むのと、角の白い輝きが解き放たれたのはほとんど同時で、パキン——とガラスを踏み砕くような音が妙にイドラの耳に残った。
「が、ぁッ」
次の瞬間に感じたのは痛みだった。慣れ親しんだ痛覚への刺激。それが背中に余すところなく豪雨のように降り注ぎ、苦悶の声を漏らす。
慣れ親しんだ、というのは嘘だ。痛みに慣れも親しみも覚えるものか。どれだけ傷を負っても、即座に治癒させる手段があっても、怪我をするのは苦しく怖い。
「ぇ……イドラさん? ぁ、えっ、なんで、そんな——」
突き飛ばされる形で尻もちをついたソニアが、なにが起こったのかわからない様子で顔を上げる。そこには背から夥しい血を流し、崩れ落ちるイドラがいた。
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これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。
異世界召喚に条件を付けたのに、女神様に呼ばれた
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異世界召喚。サラリーマンだって、そんな空想をする。
いや、さすがに大人なので空想する内容も大人だ。少年の心が残っていても、現実社会でもまれた人間はまた別の空想をするのだ。
その日の神岡龍二も、日々の生活から離れ異世界を想像して遊んでいるだけのハズだった。そこには何の問題もないハズだった。だが、そんなお気楽な日々は、この日が最後となってしまった。
ラストアタック!〜御者のオッサン、棚ぼたで最強になる〜
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第18回ファンタジー小説大賞奨励賞受賞
ディノッゾ、36歳。職業、馬車の御者。
諸国を旅するのを生き甲斐としながらも、その実態は、酒と女が好きで、いつかは楽して暮らしたいと願う、どこにでもいる平凡なオッサンだ。
そんな男が、ある日、傲慢なSランクパーティーが挑むドラゴンの討伐に、くじ引きによって理不尽な捨て駒として巻き込まれる。
捨て駒として先行させられたディノッゾの馬車。竜との遭遇地点として聞かされていた場所より、遥か手前でそれは起こった。天を覆う巨大な影―――ドラゴンの襲撃。馬車は木っ端微塵に砕け散り、ディノッゾは、同乗していたメイドの少女リリアと共に、死の淵へと叩き落された―――はずだった。
腕には、守るべきメイドの少女。
眼下には、Sランクパーティーさえも圧倒する、伝説のドラゴン。
―――それは、ただの不運な落下のはずだった。
崩れ落ちる崖から転落する際、杖代わりにしていただけの槍が、本当に、ただ偶然にも、ドラゴンのたった一つの弱点である『逆鱗』を貫いた。
その、あまりにも幸運な事故こそが、竜の命を絶つ『最後の一撃(ラストアタック)』となったことを、彼はまだ知らない。
死の淵から生還した彼が手に入れたのは、神の如き規格外の力と、彼を「師」と慕う、新たな仲間たちだった。
だが、その力の代償は、あまりにも大きい。
彼が何よりも愛していた“酒と女と気楽な旅”――
つまり平和で自堕落な生活そのものだった。
これは、英雄になるつもりのなかった「ただのオッサン」が、
守るべき者たちのため、そして亡き友との誓いのために、
いつしか、世界を救う伝説へと祭り上げられていく物語。
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【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
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といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
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