お父さんがゆく異世界旅物語

はなまる

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序章

第五話 夜のとばりのその中で

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 頭にもふもふのキツネ耳のある今井さゆりさんは、熊谷市出身の元日本人。ここは地球ではなく『パスティア・ラカーナ』大陸の、茜岩谷という乾燥地帯。この地に飛ばされて来て一年半ほど過ぎた頃、耳と尻尾が生えて来て、この世界に住む人と同じように獣の姿にもなれるようになった。

 目の前の年配の女性が、こんなことを言い出したら、どうしたらいいのだろう。助けを求めようと、隣に座っている爺さんに視線を移すが、こちらも同じように耳を頭の上に乗せている。

 逃げ出したい気持ちにもなるが、俺たちの事情も相当なものだ。人に話したら正気を疑われるレベルだろう。

 何より俺は疲れていた。もうどうしようもなく物理的に。一日中ハナを抱えて歩き通し、犬だか狼だかに襲われ、曲がりなりにも攻防戦を繰り広げたのだ。今なら、悪魔の手のひらの上でも眠ってしまいそうだった。寝ているハルとハナを連れて、この家を逃げ出して、あてもなく暗闇を歩く気力はとうの昔に尽きていた。

 さゆりさんは混乱する俺に、とりあえず今日は休んで下さいと寝床をあつらえてくれた。もう、何も考えずに、眠ってしまいたかった。この善良そうな二人が、俺たちに危害をくわえることなど、考えたくもなかった。

 あと、ほんの少しだが、目が覚めたら自宅のベッドで寝ているんじゃないか。そんなことも考えた。


 

 お言葉に甘えますと言い、ハルとハナが寝ている屋根裏部屋へと上がる。

 二人を起こさないようにそっと歩き、ベッドに腰掛ける。ハルがハナを抱え込むようにして、眉根に皺を寄せて寝ている。ハナはまた鼻をピープー鳴らしている。ハルの眉間をぐりぐりして、ハナの鼻をつまむ。二人とも同時に、迷惑そうに顔をそむけた。いつも通りの平和そうな二人の様子に、日常の気配が戻ってくる。

 俺は思わずプッと吹き出しながら、ベッドに横になる。そっとハナを腹の上に乗せ、ハルに腕まくらする。普通のシングルサイズくらいのベッドだ。ぎゅうぎゅうだ。ベッドはもうひとつ用意してくれたが、今は二人の体温を感じていたい。ぎゅうぎゅうが、心地良い。

 二人の寝顔が沁み渡る。ハナの柔らかい二の腕をぷにぷにと揉んでいると、心が落ち着いてくるのを感じた。

 さゆりさんの話したことは、あまりにも荒唐無稽すぎて、信じることは難しい。だが、俺たちに起きたわけのわからない現象に関係しているように思えた。

 瞬間転移、タイムトリップ、まさかの、アブダクション(宇宙人にさらわれる事)。

 どれもこれも、ネットの巨大掲示板のオカルト板の中の出来事のようだ。

 一瞬のうちに眠らされて、移動させられた可能性を考えた。または俺が記憶喪失になり、ハルとハナを連れて自ら移動したあと、唐突に記憶が戻ったという可能性。身に覚えはないが、自分の感覚や記憶など、案外あてにならないものだ。

 これが用意されたシナリオだとしたら、このあと何が起こるのだろう。俺たちをだまして笑うためだけにしては、あまりにも大掛かりすぎる。

 枕元のリュックからスマホを取り出す。着信やメールのお知らせはない。チャットアプリは立ち上がらない。アンテナは圏外のまま、ネットも繋がらない。

 スマホの日付や時間は、俺の記憶と食い違っていない。公園に向かっていた2018年8月某日のままだ。朝、ナナミの作ったサンドイッチ弁当とバトミントンセットを持ち、公園に向かった。途中で100円ローソンに寄って花火や飲み物、俺の煙草やハルの折り紙用紙を買った。もはや、遠い日の出来事のようではあるが。

 この地に飛ばされてきた直後、一度だとけ嫁と連絡が取れた。

 俺もハルも目の前の景色や、突然の出来事に唖然として立ち尽くしていた時だ。俺の嫁は突発的な事態にさえ、立ち向かう勇気を持っている。

 ▽△▽

 手持ち無沙汰ぶさたと言う言葉がある。やる事がなく、何となくまれない状況を指す言葉だと思うが、あの時の俺はまさにそんな気持ちだった。いや、片手にハル、片手にハナを抱えて、両手が塞がってはいるのだが。

 ハルはキョロキョロと辺りを見回して、俺のTシャツの裾をぎゅっと握っていた。

 そんな静寂を破ってスマホの着信音が鳴る。液晶画面に『二ノ宮ナナミ』の文字と、年甲斐もなく裏ピースを両手でかまえる嫁の写真が表示される。小顔に見えるのだそうだ。いつもの着信音とナナミのキメ顔に、ようやく少し正常な判断能力が戻ってくる。

「ヒロくん、無事? ハルとハナは、一緒?」

 ゆっくりとひとつひとつの言葉を、はっきりと丁寧ていねいに口にする。ナナミのひどく慌てている時の癖だ。きっと心の中ではパニックを起こしかけて、泣きそうな顔をしている。俺は自分の状況を棚に上げ、落ち着け、大丈夫だと、背中を撫でてやりたくなる。

「大丈夫。ハルもハナも一緒だ。ナナミ、今どこにいる?」

「うん。なんか海が見える丘の上にいる。何が起きたの? ヒロくんはどこにいるの?」

 ナナミの口調が、いつもの調子に戻る。俺たちの無事を確認して、少し落ち着いたのだろう。

 ガーガーという雑音が混じり、ブツッと通話が途切れる。スマホの画面を見ると圏外。

 とりあえずナナミの無事が確認できて、ほっと胸を撫で下ろす。しかし海か――。この見渡す限りの乾燥地帯からは、ずいぶんと遠い気がする。

 スマホから今度はメールの着信通知が鳴る。ナナミからだ。件名は『みんな無事でヨカッタ』。

 ヒロくん、電話が通じなくなった。
 なにが起きたのかさっぱりわからないけど、ここはさっきまでいた交差点とは、ずいぶんと違う場所みたい。遠くに街が見えるから、そこまで行ってみる。
 お金持ってる? なるべく早く合流したい。
 なんか非常事態だけど、ハルとハナをよろしく。

 俺も返信した。

 ハルもハナも大丈夫。金も持ってる。今、荒野みたいな乾燥地帯にいる。たぶん日本じゃない。俺も何が起きたのか、さっぱりわからん。
 状況がわかり次第、連絡を取り合おう。
 なるべく早く迎えに行くからあんまり動くな。落ち着け。
 街まで行ったら、警察とか役所とかにけ込め。

 ▽△▽


 お互い混乱の最中さなかだったこともあって、たいした情報は交換できていない。

 居ても立っても居られない気分がのる。人のいる場所へたどり着けたのだろうか。腹を減らして、暗いところで泣いているのではないだろうか。

 ここがどこだろうと、俺のやらなければならないことは変わらない。子供たちやナナミを危険な目に合わせたくない。腹が減ってひもじい思いをさせたくない。寂しくて泣くような事がないようにしてやりたい。日本で呑気に暮らしながらも、日々思っていた事だ。

 朝になったら、なんとかナナミを探しに行く方法を考えないと。

 柔らかく暖かい泥の中に沈み込んでいくように眠りに落ちる瞬間、ナナミの髪の毛の匂いがふわりと漂ったような、そんな気がした。
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