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ティナ
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随分寝ちゃってたみたいだ…
お昼頃に動けなくなってから、気が付くと太陽は中点をとうに過ぎていた。
「あ、起きた!」とすぐ近くで子供の声がした。
驚いて顔を上げると、金髪のタレ目の坊やが懐っこい笑顔であたしの顔を覗き込んでいた。
身体を起こすと、かかっていた毛布が滑り落ちた。
わざわざこんなものまで…
「アダムー!お姉さん起きたよぉ!」と少年は誰かを呼んだ。
子供の声に返事が聞こえて、すぐに呼ばれた男が現れた。
あたしを庭に入れてくれた不思議な人だ。
「やぁ、よく寝れましたか?」と訊ねながら、彼は毛布を拾ってクルクルと畳んだ。
随分邪魔してしまった。ちょっと気まずい…
「ごめん。すぐに出ていくよ」と言ってベンチを立つと、懐っこい男の子があたしの手を握った。
「お姉さん、ずっと寝てたからご飯食べてないよね?お腹すいてない?」という優しい言葉に戸惑った。
「ご飯ね、少し取っておいたよ。ママが『起きたら食べさせて』って」
子供はそう言ってあたしの手を引いた。
引っ張られながら歩くと、アダムも毛布を手に着いてきた。
「悪いよ。ここはご領主様の屋敷なんでしょ?勝手にしたら怒られない?」
「何で?」と少年は小首を傾げた。その様子をアダムはニコニコしながら見守っているだけだ。
「あんた、お父さんなら止めなよ」と苦言を呈すると、彼は驚いた顔であたしを見返した。
「あは…あはは。そう見えます?」
「え?違うの?」
じゃあ、まさかご領主様の坊ちゃん?
「アダムはルドのパパじゃないよ。
パパは《スペース・クライン》、ママは《ミア》っていうの。それで、《ルド》は本当は《ルドヴィーコ》っていうんだよ。
かっこいいでしょ?」
「彼のお父さんは《燕の団》の団長ですよ」とアダムが補足した。
「そういえば、まだお名前を聞いてませんでしたね?」と言われて、《ティナ》と名乗った。
源氏名だけど、本名を名乗る気はなかった。
ルドと名乗った少年は、あたしの名前を反芻して覚えていた。
ルドはあたしをお屋敷に裏口まで引っ張って行くと、お勝手のような入口からお屋敷に入った。
「ママー!ご飯ちょうだい!」
厨房っぽい場所に子供の声が響いた。
少年はあたしの手を離すと、厨房に駆け込んで母親らしい女性に抱きついた。
「あー、はいはい、さっきのね」と答えて、母親はしがみついたままの子供を連れて、棚からお皿を取りだした。
彼女は振り返ってあたしを見ると、お皿を少し傾けて見せた。
「こんなのしか出せないけど、ないよりマシでしょ?」
何か間に挟まってるパンを子供に渡すと、少年はそれをあたしのところに持ってきて、差し出した。
「卵とじゃがいもとハムが入ってるよ。美味しいよ」
「あ、ありがとう…」
美味しそうなパンを受け取って口に運んだ。
何も食べてなかったから、あたしにとってはご馳走だ。美味しくてすぐに食べてしまった。
「ありがとう」と礼を言って皿を返すと、少年は笑顔で皿を受け取った。
「アダムから聞いたよ。ディルクの落し物届けてくれてありがとうね。
あたしの旦那も頼りにしてる人だからさ、見つかって良かったよ」
「貴女が《燕の団》の姐さん?」
「うん、そういうことになってるね」と彼女は明るく笑った。なんか偉ぶらない人だ…
「ミアでいいよ。元々、あたしも同じ仕事してたから、気を遣わなくていいよ」
「そう…なの?」
「うん。だから気を遣わなくていいよ」と彼女はまた同じ言葉を繰り返した。
「あ、そうだ」と声を上げて、ルドが走ってどこかに消えた。
「どこ行ったのかしら?」と苦笑しながら、彼女はあたしに「どこに暮らしてるの?」と訊ねた。
「これから寒くなるからさ、大変でしょ?ちゃんとしたところに泊まってる?」
彼女も冬は苦労したのだろう。《燕》の姐さんは、純粋に心配してくれてるように見えた。
「まぁ…少し稼ぎがあれば、屋根の下で寝れるから…」
「そっか…仕事ある?」
「あるよ、それなりにだけど…
この街は孤児院で炊き出し貰えるから、無いところに比べれば少しはマシだよ」
孤児院で週に三回炊き出しをしてくれる。贅沢なものでは無いけれど、食べれるだけマシだ。
ここでなら冬を越せると思ったから、冬の仮宿に決めたのだ。
彼女もそれを理解したのか、頷いていた。
彼女は少し考えて、意外な提案をくれた。
「もし、仕事があったら、する気ある?」
「…え?」
「楽な仕事じゃないけどさ。貴女…えっと…」
「ティナだよ」
「ティナ?ティナね。
ティナが良ければだけど、《燕の団》の家政婦として雇われてくれないかな?
給料は安いし、馬鹿ばっかりだから大変だけど、まぁ、屋根の下で暮らせるし、まかないもあるよ
どう?」
「何で、あたしなんかに?」
いい話だ。少なくとも、あたしみたいな人間にとってはすごく助かる話だ。
「まぁ、傭兵ばかりだから、あそこに普通のお嬢さんを入れるのはちょっと不安でしょ?
だからといって、男の人にお願いするのもさぁ…何か問題ありそうでしょ?
貴女なら慣れてるだろうし、上手くやるんじゃないかなって。
それに、貴女悪い人じゃなさそうだしね。
前にお世話してた子が出てってから、ちょっと目に余るのよね…
あたしも仕事があるから、かかりきりにはなれないし…
悪い話じゃないでしょ?」
あまりにいい話で答えられずにいると、厨房に「邪魔するぞ」と男の人の声がした。
さっきどこかに消えた少年は、銀髪の男の人を連れてきた。
ずっと黙って過ごしていたアダムが、入ってきた男を見て、「旦那様」と呼んだ。
「だ、旦那様?!」
忘れかけてたけど、ここの旦那様ってことは…
血の気が引いた…
相手は貴族だ。慌てて頭を下げた。
「かっ!勝手にお邪魔して申し訳ありません!すぐに出ていきます!」
叱られると思ったが、帰ってきたのは軽い返事だ。
「あぁ、いいってことよ。あんたには世話をかけたな」
「旦那様、《あんた》じゃなくて《ティナ》だよ」と子供が偉そうに旦那様を叱った。
いくら子供だからって、使用人の子供がそんな口利いたら怒られる…
屈んだ男の手が子供の頭に重なった。
「お前一丁前に紳士だな」
あたしの心配を他所に、そう言って重ねた手は、優しく子供の頭を撫でた。
褒められたルドは、嬉しそうに大きな手のひらを受け入れて笑っている。
なんで怒られないのか分からず、少年の母親に答えを求めたが、あたしの視線にミアは微笑んで応えた。
「ブルームバルトのご領主様は少し変わってるのよ」
本人の前でそれを言う?!
不敬だって言われてもおかしくない言葉に、《旦那様》はヘラヘラ笑っていた。
「まぁ、そんなわけだからよ。あんたも楽にしてくれ」
「《ティナ》!」
「はいはい、ティナだな。
ディルクの落し物を届けてくれてありがとうよ。あれはあいつの妹の形見なんだ。
届けてくれた礼をしなきゃなんねぇんだが、礼の話はしたか?」
随分ラフで口の悪い旦那様は、子供を拾い上げてあたしの方に歩いてきた。
まぁまぁ歳はいってそうだが、それでも目を引く偉丈夫だ。
これがロンメル男爵か…
吸い込まれそうな藍色の瞳は、一目見たら忘れられないような色合いで、すごく綺麗だった。
「俺は《男爵》で《領主様》なんて肩書きだけどよ、元々は傭兵やってたんだ。
だからあんたを見下す気なんかないからよ。安心しな」と言いながら、彼は人の良さそうな笑みを見せた。
「まぁ、なんだ。
俺よりミアの方があんたたちの欲しがるものが分かってるはずだからよ、相談してみたんだ。
で?俺は何してやれば良いんだ?」
「《燕の団》で、ライナの代わりに住み込みで働いてもらおうと思って、今話をしてました。
これから寒くなるので、悪くない話かと」
「あぁ、なるほどな。そいつはいい考えだ」と男爵はミアを褒めた。
「まぁ、大変だろうけど、頑張れよ。
一時しのぎで金を渡すより良いと思うぜ」
確かにありがたい話だ。
「本当に…?」
「あぁ。文句言う奴がいたら、とりあえず俺が話をつけてやるよ。あとはあんたの頑張り次第だ。
俺は働き者で誠実な奴は好きなんでな。
出自やら身分やらより、よっぽどそっちの方が信用できるからよ。
まぁ、頑張るこったな」
そう言って、彼はルドを抱っこしたまま、ミアに「あとはよろしくな」と任せて厨房を出て行った。
あたしがほうけていると、ミアが傍にやってきて肩を叩いた。
「ま、そういうこと!よろしくね、ティナ」
どうやら全部決定事項のようだ…
あれよあれよという間に、勝手に決まってしまった。
それでも、あの落し物を届けた事で、全てが良い方向に転がった。
あのクルリと巻いた黒髪の束に感謝した。
✩.*˚
ディルクの落し物を探して、結局 《燕の団》まで戻ってきた。
途中それらしいものは見つからなかった。
「ん?なんだ、ディルク?また戻ったのか?」
拠点で居残りしていたルッツが、俺たちを見つけて寄ってきた。
「そういやさ、昼間にお前のこと探してる姐さんが来たぜ。知り合いか?」
「…どんな女だ?」
「んー?まぁ、美人だったかな?《恋人》っぽい姐さんだったぜ。
黒髪のさ、目は青だっかな?《エッダ》の首飾りしてたから《エッダ》じゃねぇの?」
「なんの用事でディルク探してたんだよ?」とルッツに訊ねたが、こいつもそれなりの馬鹿だ。
「用事?知らねぇよ、訊かれたから、『いねぇよ』って答えて、『ロンメルのお屋敷じゃねぇの?』って教えた」
「ふーん…知り合いか?」と訊ねてディルクを見ると、ディルクの表情が硬かった。
知られたくない事が露見したような、そんなヤバそうな顔をしていた。
「ディルク?」
「…いや、分かった…行ってみる」
そう言って、ディルクは逃げるように踵を返して馬に乗った。
何を隠したいのか分からないが、話しかけてもディルクは何も答えなかった。
なんかその女の存在が、ディルクにとって都合の悪い存在のように思えた。
「…お前、着いてくる気か?」
「スーに頼まれたんだ。何か文句あんのか?」
別にそれだけってこともないが、スーの名前を出すと、ディルクは不機嫌な顔で黙り込んだ。
まだ、引きずってんのか?珍しく根に持ってるんだな…
機嫌の悪そうなディルクの背を眺めながら、彼の少し後ろを歩いていると、ディルクは急に馬を止めた。
「何?」
「少しだけ待ってろ」と言って、俺に馬を預けると、ディルクは裏路地に消えた。
「あら?イザーク?カナルじゃなかったの?」
待っている俺に、通りがかった女が声をかけてきた。
ブルームバルトに住み着いてる《恋人》の一人で、《エブリン》と名乗ってる女だ。
「あんた何を油売ってんのよ?帰ってきたならちゃんと顔出しなさいよ」と言いながら、彼女は勝手に腕を絡めて俺を連れて行こうとした。
「待てよ。仕事だって」
「嘘おっしゃいよ!遊ぶ気満々だったでしょ?《ティナ》の通り覗いて、そんな言い訳通じるわけないでしょ?」
「あぁ。あの《ティナ》って姐さんここなの?」酒場で他の男と一緒にいるのを見た事ある程度だ。
縁がないので話したことないが、まぁ、黒髪の美人だった記憶がある。
《エッダ》っぽいいで立ちで、背の高い女性だった…
「ん?なぁ、もしかしてだけどさ、ティナって目は青色か?」
「えー?どうだったかなぁ?忘れちゃったァ」
「はいはい、お口の油代ね」と金を出して見せると、エブリンは「思い出したよ」と調子良く金を受け取った。
「青だったと思うよ。少し紫がかってたけどね」と彼女は細かい色まで教えてくれた。
「なるほどね…」
少しだけ繋がったが、まだ答えは完成してない。
何より、それを確認するのは少しだけ気が引けた。
裏路地から出てきたディルクは、エブリンと俺を見て眉を寄せると、俺の手から手綱を受け取って馬に乗った。
おいおい!勝手だな!
「またな、エブリン」
「えー?今夜は?」
「悪ぃ。野暮用なんだ。また戻ったら顔出すよ」
彼女を置いて、またディルクの後を追った。
「おい、置いて行くなよ」
「あの姐さん買うんじゃなかったのか?」と本気か冗談か分からないことを言われてイラッとした。
「馬鹿!スーにお前のこと頼まれてんだよ!ほっとくもんか!」
なんなんだよマジで!
調子の狂うディルクを前に、怒りが込み上げた。
「俺だって、これでもお前のこと心配してんだよ!
お前は俺の事お荷物だって思ってるかもしれねぇけどよ、俺はお前のこと大事な仲間だって思ってんだよ!
何があったか知らねぇがな、ウジウジだんまり決め込んでたら分かんねぇんだよ!
言いたいことがあるならはっきり言え!」
こんな格好悪いディルク見たくねぇ…
俺に怒られたディルクは、まただんまりを決め込んだ。人を避けながら、疲れた足で歩く馬の足音すら重たく感じる。
「…イザーク」
しばらくだんまりを決めていたディルクが、不意に口を開いた。
「好きなやつに…気持ちを伝えて、関係が壊れたらどうする?」
「はぁ?何だよ急に…」
おおよそ、ディルクには似合わない台詞に返す言葉を失った。
「叶わねぇんだ…見てんのが辛い、頼られんのも辛い…でも好きなんだ…そんな時はどうすりゃいい?」
何を言ってるのか検討もつかない…
なんだそれ?マジで言ってんのか?あのディルクが…
俺の思考が固まると同じくして、馬が足を止めた。
ディルクは立ち止まった俺に見向きもせずに、そのまま馬の足を進めた。
できた空間に、通りかかった人が割り込んで距離が生まれた。
「ディルク」
間に入った人波を避けて、ディルクに追いつこうとした。
それでも、一度開いた距離は縮まらなかった。
何か言わなきゃ、あいつ…
「ディルク!」
大声で呼び止めると、ディルクは馬の背から振り返って、足を止めた。
「何やってんだ?」人を避けながら追いついた俺にディルクは苦く笑った。
それが悲しく見えたのは、気のせいじゃない気がした。
「…お前…それでいいのかよ?」と、気が付くとお節介を口にしていた。
「俺は…失敗したけどよ…
お前だって、誰かを好きになってもいいだろ?
好きなら好きで、何が悪いんだよ?相手の気持ちとか大事だけどよ、俺はお前の気持ちも大事だと思うよ」
「そうか…」
「そうだよ」と本心から答えた。
「お前がさ、本当に暇が欲しいってんなら、俺も一緒にスーに頼んでやるよ。
それであいつがキレんなら、一緒に雷落とされてやるよ」
俺のお節介な申し出に、ディルクは苦く笑って、珍しく俺に「ありがとよ」と礼を言った。
その礼が気に食わなかったのは、多分どこかに影を感じたからだろう…
黙って、またディルクと馬を並べると、一緒にロンメルの屋敷に向かった。
✩.*˚
桐の箱を手に取って、蓋を開けた。
柔らかい緩衝材に包まれたボトルを眺めながら、描かれている赤い鷲の絵と封印を指でなぞった。
本当は、対岸に行った連中と飲むつもりでいたのに…
一人で飲んだって面白くも何ともない。
ディルクの妹の形見は見つかっただろうか?
俺がディルクを付き合わせたから失くしたんだと、そう勝手に思っていた。
首元から手を入れて、服の中に入れていた首飾りを引っ張り出した。
エルマーの形見だ…
これを失くしたらと思うと、俺だって正気じゃいられない…
他人には価値がなくても、これは何にも代えがたい貴重なものだ…
イザークを一緒に行かせたのは、ディルクがどこかに行ってしまうような気がしたからだ。
ディルクは何で俺の手を振り払ったのだろう?
その後の避けるような態度にも傷付いた。
殴ったことで彼との関係に亀裂が入ってしまったなら、どうしたら元に戻せるのだろう?
ワルターはそんな時どうするのだろう?
エルマーは?
自分で答えを見つけられずに、ぼんやりと、ランプの光を反射する夜光貝を眺めていた。
「スー、いるか?」
テントの入口で声がして、「邪魔するぞ」とカミルが入ってきた。
「あの二人まだ戻らねぇのか?」
「うん」
「そうか…
まぁ、明日も今日みたいな状況なら問題はないが、一応ディルクの代理は立てておけよ?イザークも抜けてんだろ?
《犬》をまとめる奴は他にも必要だ」
カミルの指摘は耳が痛かった。
ディルクの代わりを誰かに任せるのは、難しく感じられた。
「ディルクは頼りになるがよ。あいつが居なくなった時の事も考えなきゃなんねぇよ。
そもそも傭兵ってのは日和見だからな。
出てく奴は出ていくし、繋ぐのにも金がいる。
代わりになりそうな奴は育てておくべきだ」
「カミルも、出て行きたくなったりするのか?」
俺の質問にカミルは少し驚いた顔をした。
彼は何か察したように、ため息を吐いて傍に来ると、俺の前にあぐらをかいて座った。
「俺は…親父さん次第さ」と答えたカミルは、頬杖を着いて俺の顔を覗き込んだ。
「親父さんがお前に見切りをつけたら、俺は親父さんと一緒に出てくよ。
でも、言わねぇけどよ、親父さんはお前を手伝うって決めたんだ。
俺がここにいる理由なんて、それだけだ…」
「君は本当にゲルトが好きだね」
「あぁ、大好きだよ。最高の親父だ」とカミルは誇らしげに笑った。
「なんだ?誰か出てくって言ったのか?」
「違うけど…ディルクと少し気まずくなってさ…」と答えると、カミルはその返事が意外だったらしい。
「何だよ?珍しいじゃねぇか?あいつと何かあったのか?」
「…俺が殴った」
「はぁ?なんで?」
カミルが何か答えをくれるような気がして、あったことを話した。彼は黙って最後まで聞いてくれた。
「ふーん…」
話を聞き終えて、カミルは姿勢を崩した。
彼は両手を後ろについて、反るような姿勢で天井に視線を向けた。
「あのディルクがねぇ…」
「謝ろうとしても聞いてくれないんだ…何か避けられてるし…どうしたらいい?」
「でもよ、あいつだって、お前が必死だったのは伝わってんだろ?
傭兵の拳骨なんて挨拶みたいなもんだ。
あいつがそれくらいでへそ曲げるわけがねぇんだがな…」
カミルは納得出来ないみたいだ。俺だって、そう思うが、現にディルクは俺を避けている。
「他にないのか?」とカミルは可能性をさぐったが、俺にも分からない。
首を横に振った。
「…男ってな、わりと単純な生き物なんだ。
女みたいにちっさい揉め事なんて、馬鹿だからすぐに忘れちまうのさ。
だから、だいたい問題になるのは三つしかねぇのさ」
「何だよ、それ?」
「単純なもんさ。《女》、《金》、《プライド》ってやつだよ。
でもこれが割と面倒くさい…」
指を立てながらカミルはわかりやすく話を続けた。
「だいたい揉めてややこしくなるのはその辺だ。
特に女は最悪だ。まぁ、女が挟まると、そいつの言い分まで出てくるからよ、面倒くさいわ、拗れるわで厄介なんだよ」
「君って、前も話してたけど、女の人苦手だよね?」
「俺は並より少しばかり男前だからな。女で面倒に巻き込まれてんだよ。
だから、女は金で精算できる関係しか信用しない。美人なら尚更信用ならねぇや」
「ひねくれてるなぁ…」
「そういう性分なんでね…」と彼は皮肉っぽく笑った。
「まぁ、お前らがギスギスしてると、面倒くさいことが全部俺に回ってくることになる。
ディルクには俺からも話してやるよ」
「うん。ありがとう」
「礼なら酒でも奢ってくれ。
お前がガキに見えるから、ついつい口出しちまうな」
「君より年上だ」
「そういうのがガキなんだ。
歳の割に若く見られるっていいことだぜ」
ワルターとは違う返しに、なるほど、と頷いた。
「他人から説教食らうのも、ああしろ、こうしろってうるせぇのも、おっさんになったら誰も言わねぇのよ。
お前に期待して、良くなると思って言ってんだ。
なんでもかんでも聞けとは言わないが、それだけは頭に入れときな」
「うん」
「じゃあ俺は親父さんのところに戻るから」
カミルはそう言って立ち上がった。
彼を見上げて、ふと思ったことを口にした。
「君って良いお父さんになりそうなのにね」
「はぁ?嫌なこった。
俺は《誰かの親父》になりたいんじゃなくて、《親父さんの息子》でいたいのさ」
そう宣言した彼の顔は誇らしげに見えた。
✩.*˚
ロンメルの屋敷に着くと、もう既に門が閉まっているはずの時間なのに開いていた。
「やあ、おかえりなさい。待ってましたよ」
門の前に立っていたアダムはそう言って、俺の馬の口輪に手をかけた。
アダムは全部知ってるような素振りで、俺たちを屋敷に入れると、ロンメルの旦那のところに行くように告げた。
「迷子の妹さんが待ってますよ」
その言葉を聞いて、胸をなでおろした。
気が抜けて、足の縺れた俺をイザークが支えた。
「大丈夫かよ?良かったな?」
「あぁ…」
イザークに頷いて、疲れた足で屋敷に向かった。
「よぉ、もう戻ったのか?」
気の良さそうな男が、軽い口調で俺たちを迎えた。
「妹を迷子にしちゃダメだろ?」
ロンメルの旦那は俺を叱りながら、ポケットに手を入れた。
次に出てきた手の中には、探していた《妹》の姿があった…
差し出された銀色の小物入れを受け取って、肝心の中身を確認した。
迷子になっていた妹は、今度はちゃんと俺の元に戻ってきた…
「助かった…ありがとう」
「俺は預かってただけだ。
礼なら拾って届けた奴に言うんだな」
ロンメルはそう言って、《ティナ》を呼ぶようにシュミットに伝えた。
会うのは気まずかったが、しばらくして顔を出した女の様子は、前に会った時と別人になっていた。
借りたのか、使用人らしい服を着て、小綺麗になっている。
「へぇ?ティナちゃん、ここで雇ってもらったのか?」
俺の後ろで様子を見ていたイザークが口を挟んだ。
こいつの前で、目の前の女が俺にとって都合の悪い事を言わないかと内心気が気ではない…
そんな俺の気持ちを知ってか、彼女はイザークには「まぁね」と答えて、俺に顔を寄せて声を潜めた。
「朝のこと言ったりしてないから…そういう商売だし…」
「…すまん。恩に着る」
「いいよ。あんたのおかげで仕事にありつけたんだ。冬の寒い日に立ちんぼしなくて良くなったからさ、あたしの方こそ感謝だよ」
そう言って笑う彼女の隣に、ミアがやってきて並んだ。
彼女らは親しげに視線を交わして、ミアはティナの肩に手を添えた。
「ティナね。ライナの代わりにあんたたちの世話してもらうことになったから。
《燕》の仲間に入れたげてよ?」
「え?マジ?」とイザークが嬉々として食い付いた。しかし俺としては素直に頷けない…
「おい、そんなの勝手に…」
「もちろんスーには話するわよ。
でも、あたしもあんたたちの世話しに行くの大変だし、ライナがいなくなってから、あんたたちたるんでるのよ。
留守にしてる間も管理する人間がいた方がいいでしょ?」
「何だよ、ディルク?大助かりじゃん?面倒臭い当番も無くなるんだろ?ティナちゃん大歓迎だよ!」とイザークはいい気なもんだ…
イザークは俺の腕を引いて、こっそりと耳打ちした。
「心配するなって。お前の女ってなら誰も手ぇ出さねぇよ。
彼女いい子じゃねぇか?頼られて悪い気しねぇんだろ?」
「何の話だ?」とイザークを睨んでから、さっき漏らした愚痴を思い出した。
こいつ…なんか勘違いしてやがる…
「お前…何か勘違いしてるぞ…」と訂正したが、イザークはニヤニヤしていた。俺の話を聞く気は無さそうだ…
「そうか?でもそういうことにしてやれよ?
お前らお似合いだよ」
その見当違いの台詞に目眩がした。
そういえばろくに休んでなくて動きっぱなしだ…
妹の形見を見つけた安堵と、見当違いな馬鹿の発言で、一致に疲れが押し寄せた。
盛大なため息を吐き出して、立っていられなくなった。
「休む場所用意してやれ」と言うロンメルの旦那の声が聞こえた。
お昼頃に動けなくなってから、気が付くと太陽は中点をとうに過ぎていた。
「あ、起きた!」とすぐ近くで子供の声がした。
驚いて顔を上げると、金髪のタレ目の坊やが懐っこい笑顔であたしの顔を覗き込んでいた。
身体を起こすと、かかっていた毛布が滑り落ちた。
わざわざこんなものまで…
「アダムー!お姉さん起きたよぉ!」と少年は誰かを呼んだ。
子供の声に返事が聞こえて、すぐに呼ばれた男が現れた。
あたしを庭に入れてくれた不思議な人だ。
「やぁ、よく寝れましたか?」と訊ねながら、彼は毛布を拾ってクルクルと畳んだ。
随分邪魔してしまった。ちょっと気まずい…
「ごめん。すぐに出ていくよ」と言ってベンチを立つと、懐っこい男の子があたしの手を握った。
「お姉さん、ずっと寝てたからご飯食べてないよね?お腹すいてない?」という優しい言葉に戸惑った。
「ご飯ね、少し取っておいたよ。ママが『起きたら食べさせて』って」
子供はそう言ってあたしの手を引いた。
引っ張られながら歩くと、アダムも毛布を手に着いてきた。
「悪いよ。ここはご領主様の屋敷なんでしょ?勝手にしたら怒られない?」
「何で?」と少年は小首を傾げた。その様子をアダムはニコニコしながら見守っているだけだ。
「あんた、お父さんなら止めなよ」と苦言を呈すると、彼は驚いた顔であたしを見返した。
「あは…あはは。そう見えます?」
「え?違うの?」
じゃあ、まさかご領主様の坊ちゃん?
「アダムはルドのパパじゃないよ。
パパは《スペース・クライン》、ママは《ミア》っていうの。それで、《ルド》は本当は《ルドヴィーコ》っていうんだよ。
かっこいいでしょ?」
「彼のお父さんは《燕の団》の団長ですよ」とアダムが補足した。
「そういえば、まだお名前を聞いてませんでしたね?」と言われて、《ティナ》と名乗った。
源氏名だけど、本名を名乗る気はなかった。
ルドと名乗った少年は、あたしの名前を反芻して覚えていた。
ルドはあたしをお屋敷に裏口まで引っ張って行くと、お勝手のような入口からお屋敷に入った。
「ママー!ご飯ちょうだい!」
厨房っぽい場所に子供の声が響いた。
少年はあたしの手を離すと、厨房に駆け込んで母親らしい女性に抱きついた。
「あー、はいはい、さっきのね」と答えて、母親はしがみついたままの子供を連れて、棚からお皿を取りだした。
彼女は振り返ってあたしを見ると、お皿を少し傾けて見せた。
「こんなのしか出せないけど、ないよりマシでしょ?」
何か間に挟まってるパンを子供に渡すと、少年はそれをあたしのところに持ってきて、差し出した。
「卵とじゃがいもとハムが入ってるよ。美味しいよ」
「あ、ありがとう…」
美味しそうなパンを受け取って口に運んだ。
何も食べてなかったから、あたしにとってはご馳走だ。美味しくてすぐに食べてしまった。
「ありがとう」と礼を言って皿を返すと、少年は笑顔で皿を受け取った。
「アダムから聞いたよ。ディルクの落し物届けてくれてありがとうね。
あたしの旦那も頼りにしてる人だからさ、見つかって良かったよ」
「貴女が《燕の団》の姐さん?」
「うん、そういうことになってるね」と彼女は明るく笑った。なんか偉ぶらない人だ…
「ミアでいいよ。元々、あたしも同じ仕事してたから、気を遣わなくていいよ」
「そう…なの?」
「うん。だから気を遣わなくていいよ」と彼女はまた同じ言葉を繰り返した。
「あ、そうだ」と声を上げて、ルドが走ってどこかに消えた。
「どこ行ったのかしら?」と苦笑しながら、彼女はあたしに「どこに暮らしてるの?」と訊ねた。
「これから寒くなるからさ、大変でしょ?ちゃんとしたところに泊まってる?」
彼女も冬は苦労したのだろう。《燕》の姐さんは、純粋に心配してくれてるように見えた。
「まぁ…少し稼ぎがあれば、屋根の下で寝れるから…」
「そっか…仕事ある?」
「あるよ、それなりにだけど…
この街は孤児院で炊き出し貰えるから、無いところに比べれば少しはマシだよ」
孤児院で週に三回炊き出しをしてくれる。贅沢なものでは無いけれど、食べれるだけマシだ。
ここでなら冬を越せると思ったから、冬の仮宿に決めたのだ。
彼女もそれを理解したのか、頷いていた。
彼女は少し考えて、意外な提案をくれた。
「もし、仕事があったら、する気ある?」
「…え?」
「楽な仕事じゃないけどさ。貴女…えっと…」
「ティナだよ」
「ティナ?ティナね。
ティナが良ければだけど、《燕の団》の家政婦として雇われてくれないかな?
給料は安いし、馬鹿ばっかりだから大変だけど、まぁ、屋根の下で暮らせるし、まかないもあるよ
どう?」
「何で、あたしなんかに?」
いい話だ。少なくとも、あたしみたいな人間にとってはすごく助かる話だ。
「まぁ、傭兵ばかりだから、あそこに普通のお嬢さんを入れるのはちょっと不安でしょ?
だからといって、男の人にお願いするのもさぁ…何か問題ありそうでしょ?
貴女なら慣れてるだろうし、上手くやるんじゃないかなって。
それに、貴女悪い人じゃなさそうだしね。
前にお世話してた子が出てってから、ちょっと目に余るのよね…
あたしも仕事があるから、かかりきりにはなれないし…
悪い話じゃないでしょ?」
あまりにいい話で答えられずにいると、厨房に「邪魔するぞ」と男の人の声がした。
さっきどこかに消えた少年は、銀髪の男の人を連れてきた。
ずっと黙って過ごしていたアダムが、入ってきた男を見て、「旦那様」と呼んだ。
「だ、旦那様?!」
忘れかけてたけど、ここの旦那様ってことは…
血の気が引いた…
相手は貴族だ。慌てて頭を下げた。
「かっ!勝手にお邪魔して申し訳ありません!すぐに出ていきます!」
叱られると思ったが、帰ってきたのは軽い返事だ。
「あぁ、いいってことよ。あんたには世話をかけたな」
「旦那様、《あんた》じゃなくて《ティナ》だよ」と子供が偉そうに旦那様を叱った。
いくら子供だからって、使用人の子供がそんな口利いたら怒られる…
屈んだ男の手が子供の頭に重なった。
「お前一丁前に紳士だな」
あたしの心配を他所に、そう言って重ねた手は、優しく子供の頭を撫でた。
褒められたルドは、嬉しそうに大きな手のひらを受け入れて笑っている。
なんで怒られないのか分からず、少年の母親に答えを求めたが、あたしの視線にミアは微笑んで応えた。
「ブルームバルトのご領主様は少し変わってるのよ」
本人の前でそれを言う?!
不敬だって言われてもおかしくない言葉に、《旦那様》はヘラヘラ笑っていた。
「まぁ、そんなわけだからよ。あんたも楽にしてくれ」
「《ティナ》!」
「はいはい、ティナだな。
ディルクの落し物を届けてくれてありがとうよ。あれはあいつの妹の形見なんだ。
届けてくれた礼をしなきゃなんねぇんだが、礼の話はしたか?」
随分ラフで口の悪い旦那様は、子供を拾い上げてあたしの方に歩いてきた。
まぁまぁ歳はいってそうだが、それでも目を引く偉丈夫だ。
これがロンメル男爵か…
吸い込まれそうな藍色の瞳は、一目見たら忘れられないような色合いで、すごく綺麗だった。
「俺は《男爵》で《領主様》なんて肩書きだけどよ、元々は傭兵やってたんだ。
だからあんたを見下す気なんかないからよ。安心しな」と言いながら、彼は人の良さそうな笑みを見せた。
「まぁ、なんだ。
俺よりミアの方があんたたちの欲しがるものが分かってるはずだからよ、相談してみたんだ。
で?俺は何してやれば良いんだ?」
「《燕の団》で、ライナの代わりに住み込みで働いてもらおうと思って、今話をしてました。
これから寒くなるので、悪くない話かと」
「あぁ、なるほどな。そいつはいい考えだ」と男爵はミアを褒めた。
「まぁ、大変だろうけど、頑張れよ。
一時しのぎで金を渡すより良いと思うぜ」
確かにありがたい話だ。
「本当に…?」
「あぁ。文句言う奴がいたら、とりあえず俺が話をつけてやるよ。あとはあんたの頑張り次第だ。
俺は働き者で誠実な奴は好きなんでな。
出自やら身分やらより、よっぽどそっちの方が信用できるからよ。
まぁ、頑張るこったな」
そう言って、彼はルドを抱っこしたまま、ミアに「あとはよろしくな」と任せて厨房を出て行った。
あたしがほうけていると、ミアが傍にやってきて肩を叩いた。
「ま、そういうこと!よろしくね、ティナ」
どうやら全部決定事項のようだ…
あれよあれよという間に、勝手に決まってしまった。
それでも、あの落し物を届けた事で、全てが良い方向に転がった。
あのクルリと巻いた黒髪の束に感謝した。
✩.*˚
ディルクの落し物を探して、結局 《燕の団》まで戻ってきた。
途中それらしいものは見つからなかった。
「ん?なんだ、ディルク?また戻ったのか?」
拠点で居残りしていたルッツが、俺たちを見つけて寄ってきた。
「そういやさ、昼間にお前のこと探してる姐さんが来たぜ。知り合いか?」
「…どんな女だ?」
「んー?まぁ、美人だったかな?《恋人》っぽい姐さんだったぜ。
黒髪のさ、目は青だっかな?《エッダ》の首飾りしてたから《エッダ》じゃねぇの?」
「なんの用事でディルク探してたんだよ?」とルッツに訊ねたが、こいつもそれなりの馬鹿だ。
「用事?知らねぇよ、訊かれたから、『いねぇよ』って答えて、『ロンメルのお屋敷じゃねぇの?』って教えた」
「ふーん…知り合いか?」と訊ねてディルクを見ると、ディルクの表情が硬かった。
知られたくない事が露見したような、そんなヤバそうな顔をしていた。
「ディルク?」
「…いや、分かった…行ってみる」
そう言って、ディルクは逃げるように踵を返して馬に乗った。
何を隠したいのか分からないが、話しかけてもディルクは何も答えなかった。
なんかその女の存在が、ディルクにとって都合の悪い存在のように思えた。
「…お前、着いてくる気か?」
「スーに頼まれたんだ。何か文句あんのか?」
別にそれだけってこともないが、スーの名前を出すと、ディルクは不機嫌な顔で黙り込んだ。
まだ、引きずってんのか?珍しく根に持ってるんだな…
機嫌の悪そうなディルクの背を眺めながら、彼の少し後ろを歩いていると、ディルクは急に馬を止めた。
「何?」
「少しだけ待ってろ」と言って、俺に馬を預けると、ディルクは裏路地に消えた。
「あら?イザーク?カナルじゃなかったの?」
待っている俺に、通りがかった女が声をかけてきた。
ブルームバルトに住み着いてる《恋人》の一人で、《エブリン》と名乗ってる女だ。
「あんた何を油売ってんのよ?帰ってきたならちゃんと顔出しなさいよ」と言いながら、彼女は勝手に腕を絡めて俺を連れて行こうとした。
「待てよ。仕事だって」
「嘘おっしゃいよ!遊ぶ気満々だったでしょ?《ティナ》の通り覗いて、そんな言い訳通じるわけないでしょ?」
「あぁ。あの《ティナ》って姐さんここなの?」酒場で他の男と一緒にいるのを見た事ある程度だ。
縁がないので話したことないが、まぁ、黒髪の美人だった記憶がある。
《エッダ》っぽいいで立ちで、背の高い女性だった…
「ん?なぁ、もしかしてだけどさ、ティナって目は青色か?」
「えー?どうだったかなぁ?忘れちゃったァ」
「はいはい、お口の油代ね」と金を出して見せると、エブリンは「思い出したよ」と調子良く金を受け取った。
「青だったと思うよ。少し紫がかってたけどね」と彼女は細かい色まで教えてくれた。
「なるほどね…」
少しだけ繋がったが、まだ答えは完成してない。
何より、それを確認するのは少しだけ気が引けた。
裏路地から出てきたディルクは、エブリンと俺を見て眉を寄せると、俺の手から手綱を受け取って馬に乗った。
おいおい!勝手だな!
「またな、エブリン」
「えー?今夜は?」
「悪ぃ。野暮用なんだ。また戻ったら顔出すよ」
彼女を置いて、またディルクの後を追った。
「おい、置いて行くなよ」
「あの姐さん買うんじゃなかったのか?」と本気か冗談か分からないことを言われてイラッとした。
「馬鹿!スーにお前のこと頼まれてんだよ!ほっとくもんか!」
なんなんだよマジで!
調子の狂うディルクを前に、怒りが込み上げた。
「俺だって、これでもお前のこと心配してんだよ!
お前は俺の事お荷物だって思ってるかもしれねぇけどよ、俺はお前のこと大事な仲間だって思ってんだよ!
何があったか知らねぇがな、ウジウジだんまり決め込んでたら分かんねぇんだよ!
言いたいことがあるならはっきり言え!」
こんな格好悪いディルク見たくねぇ…
俺に怒られたディルクは、まただんまりを決め込んだ。人を避けながら、疲れた足で歩く馬の足音すら重たく感じる。
「…イザーク」
しばらくだんまりを決めていたディルクが、不意に口を開いた。
「好きなやつに…気持ちを伝えて、関係が壊れたらどうする?」
「はぁ?何だよ急に…」
おおよそ、ディルクには似合わない台詞に返す言葉を失った。
「叶わねぇんだ…見てんのが辛い、頼られんのも辛い…でも好きなんだ…そんな時はどうすりゃいい?」
何を言ってるのか検討もつかない…
なんだそれ?マジで言ってんのか?あのディルクが…
俺の思考が固まると同じくして、馬が足を止めた。
ディルクは立ち止まった俺に見向きもせずに、そのまま馬の足を進めた。
できた空間に、通りかかった人が割り込んで距離が生まれた。
「ディルク」
間に入った人波を避けて、ディルクに追いつこうとした。
それでも、一度開いた距離は縮まらなかった。
何か言わなきゃ、あいつ…
「ディルク!」
大声で呼び止めると、ディルクは馬の背から振り返って、足を止めた。
「何やってんだ?」人を避けながら追いついた俺にディルクは苦く笑った。
それが悲しく見えたのは、気のせいじゃない気がした。
「…お前…それでいいのかよ?」と、気が付くとお節介を口にしていた。
「俺は…失敗したけどよ…
お前だって、誰かを好きになってもいいだろ?
好きなら好きで、何が悪いんだよ?相手の気持ちとか大事だけどよ、俺はお前の気持ちも大事だと思うよ」
「そうか…」
「そうだよ」と本心から答えた。
「お前がさ、本当に暇が欲しいってんなら、俺も一緒にスーに頼んでやるよ。
それであいつがキレんなら、一緒に雷落とされてやるよ」
俺のお節介な申し出に、ディルクは苦く笑って、珍しく俺に「ありがとよ」と礼を言った。
その礼が気に食わなかったのは、多分どこかに影を感じたからだろう…
黙って、またディルクと馬を並べると、一緒にロンメルの屋敷に向かった。
✩.*˚
桐の箱を手に取って、蓋を開けた。
柔らかい緩衝材に包まれたボトルを眺めながら、描かれている赤い鷲の絵と封印を指でなぞった。
本当は、対岸に行った連中と飲むつもりでいたのに…
一人で飲んだって面白くも何ともない。
ディルクの妹の形見は見つかっただろうか?
俺がディルクを付き合わせたから失くしたんだと、そう勝手に思っていた。
首元から手を入れて、服の中に入れていた首飾りを引っ張り出した。
エルマーの形見だ…
これを失くしたらと思うと、俺だって正気じゃいられない…
他人には価値がなくても、これは何にも代えがたい貴重なものだ…
イザークを一緒に行かせたのは、ディルクがどこかに行ってしまうような気がしたからだ。
ディルクは何で俺の手を振り払ったのだろう?
その後の避けるような態度にも傷付いた。
殴ったことで彼との関係に亀裂が入ってしまったなら、どうしたら元に戻せるのだろう?
ワルターはそんな時どうするのだろう?
エルマーは?
自分で答えを見つけられずに、ぼんやりと、ランプの光を反射する夜光貝を眺めていた。
「スー、いるか?」
テントの入口で声がして、「邪魔するぞ」とカミルが入ってきた。
「あの二人まだ戻らねぇのか?」
「うん」
「そうか…
まぁ、明日も今日みたいな状況なら問題はないが、一応ディルクの代理は立てておけよ?イザークも抜けてんだろ?
《犬》をまとめる奴は他にも必要だ」
カミルの指摘は耳が痛かった。
ディルクの代わりを誰かに任せるのは、難しく感じられた。
「ディルクは頼りになるがよ。あいつが居なくなった時の事も考えなきゃなんねぇよ。
そもそも傭兵ってのは日和見だからな。
出てく奴は出ていくし、繋ぐのにも金がいる。
代わりになりそうな奴は育てておくべきだ」
「カミルも、出て行きたくなったりするのか?」
俺の質問にカミルは少し驚いた顔をした。
彼は何か察したように、ため息を吐いて傍に来ると、俺の前にあぐらをかいて座った。
「俺は…親父さん次第さ」と答えたカミルは、頬杖を着いて俺の顔を覗き込んだ。
「親父さんがお前に見切りをつけたら、俺は親父さんと一緒に出てくよ。
でも、言わねぇけどよ、親父さんはお前を手伝うって決めたんだ。
俺がここにいる理由なんて、それだけだ…」
「君は本当にゲルトが好きだね」
「あぁ、大好きだよ。最高の親父だ」とカミルは誇らしげに笑った。
「なんだ?誰か出てくって言ったのか?」
「違うけど…ディルクと少し気まずくなってさ…」と答えると、カミルはその返事が意外だったらしい。
「何だよ?珍しいじゃねぇか?あいつと何かあったのか?」
「…俺が殴った」
「はぁ?なんで?」
カミルが何か答えをくれるような気がして、あったことを話した。彼は黙って最後まで聞いてくれた。
「ふーん…」
話を聞き終えて、カミルは姿勢を崩した。
彼は両手を後ろについて、反るような姿勢で天井に視線を向けた。
「あのディルクがねぇ…」
「謝ろうとしても聞いてくれないんだ…何か避けられてるし…どうしたらいい?」
「でもよ、あいつだって、お前が必死だったのは伝わってんだろ?
傭兵の拳骨なんて挨拶みたいなもんだ。
あいつがそれくらいでへそ曲げるわけがねぇんだがな…」
カミルは納得出来ないみたいだ。俺だって、そう思うが、現にディルクは俺を避けている。
「他にないのか?」とカミルは可能性をさぐったが、俺にも分からない。
首を横に振った。
「…男ってな、わりと単純な生き物なんだ。
女みたいにちっさい揉め事なんて、馬鹿だからすぐに忘れちまうのさ。
だから、だいたい問題になるのは三つしかねぇのさ」
「何だよ、それ?」
「単純なもんさ。《女》、《金》、《プライド》ってやつだよ。
でもこれが割と面倒くさい…」
指を立てながらカミルはわかりやすく話を続けた。
「だいたい揉めてややこしくなるのはその辺だ。
特に女は最悪だ。まぁ、女が挟まると、そいつの言い分まで出てくるからよ、面倒くさいわ、拗れるわで厄介なんだよ」
「君って、前も話してたけど、女の人苦手だよね?」
「俺は並より少しばかり男前だからな。女で面倒に巻き込まれてんだよ。
だから、女は金で精算できる関係しか信用しない。美人なら尚更信用ならねぇや」
「ひねくれてるなぁ…」
「そういう性分なんでね…」と彼は皮肉っぽく笑った。
「まぁ、お前らがギスギスしてると、面倒くさいことが全部俺に回ってくることになる。
ディルクには俺からも話してやるよ」
「うん。ありがとう」
「礼なら酒でも奢ってくれ。
お前がガキに見えるから、ついつい口出しちまうな」
「君より年上だ」
「そういうのがガキなんだ。
歳の割に若く見られるっていいことだぜ」
ワルターとは違う返しに、なるほど、と頷いた。
「他人から説教食らうのも、ああしろ、こうしろってうるせぇのも、おっさんになったら誰も言わねぇのよ。
お前に期待して、良くなると思って言ってんだ。
なんでもかんでも聞けとは言わないが、それだけは頭に入れときな」
「うん」
「じゃあ俺は親父さんのところに戻るから」
カミルはそう言って立ち上がった。
彼を見上げて、ふと思ったことを口にした。
「君って良いお父さんになりそうなのにね」
「はぁ?嫌なこった。
俺は《誰かの親父》になりたいんじゃなくて、《親父さんの息子》でいたいのさ」
そう宣言した彼の顔は誇らしげに見えた。
✩.*˚
ロンメルの屋敷に着くと、もう既に門が閉まっているはずの時間なのに開いていた。
「やあ、おかえりなさい。待ってましたよ」
門の前に立っていたアダムはそう言って、俺の馬の口輪に手をかけた。
アダムは全部知ってるような素振りで、俺たちを屋敷に入れると、ロンメルの旦那のところに行くように告げた。
「迷子の妹さんが待ってますよ」
その言葉を聞いて、胸をなでおろした。
気が抜けて、足の縺れた俺をイザークが支えた。
「大丈夫かよ?良かったな?」
「あぁ…」
イザークに頷いて、疲れた足で屋敷に向かった。
「よぉ、もう戻ったのか?」
気の良さそうな男が、軽い口調で俺たちを迎えた。
「妹を迷子にしちゃダメだろ?」
ロンメルの旦那は俺を叱りながら、ポケットに手を入れた。
次に出てきた手の中には、探していた《妹》の姿があった…
差し出された銀色の小物入れを受け取って、肝心の中身を確認した。
迷子になっていた妹は、今度はちゃんと俺の元に戻ってきた…
「助かった…ありがとう」
「俺は預かってただけだ。
礼なら拾って届けた奴に言うんだな」
ロンメルはそう言って、《ティナ》を呼ぶようにシュミットに伝えた。
会うのは気まずかったが、しばらくして顔を出した女の様子は、前に会った時と別人になっていた。
借りたのか、使用人らしい服を着て、小綺麗になっている。
「へぇ?ティナちゃん、ここで雇ってもらったのか?」
俺の後ろで様子を見ていたイザークが口を挟んだ。
こいつの前で、目の前の女が俺にとって都合の悪い事を言わないかと内心気が気ではない…
そんな俺の気持ちを知ってか、彼女はイザークには「まぁね」と答えて、俺に顔を寄せて声を潜めた。
「朝のこと言ったりしてないから…そういう商売だし…」
「…すまん。恩に着る」
「いいよ。あんたのおかげで仕事にありつけたんだ。冬の寒い日に立ちんぼしなくて良くなったからさ、あたしの方こそ感謝だよ」
そう言って笑う彼女の隣に、ミアがやってきて並んだ。
彼女らは親しげに視線を交わして、ミアはティナの肩に手を添えた。
「ティナね。ライナの代わりにあんたたちの世話してもらうことになったから。
《燕》の仲間に入れたげてよ?」
「え?マジ?」とイザークが嬉々として食い付いた。しかし俺としては素直に頷けない…
「おい、そんなの勝手に…」
「もちろんスーには話するわよ。
でも、あたしもあんたたちの世話しに行くの大変だし、ライナがいなくなってから、あんたたちたるんでるのよ。
留守にしてる間も管理する人間がいた方がいいでしょ?」
「何だよ、ディルク?大助かりじゃん?面倒臭い当番も無くなるんだろ?ティナちゃん大歓迎だよ!」とイザークはいい気なもんだ…
イザークは俺の腕を引いて、こっそりと耳打ちした。
「心配するなって。お前の女ってなら誰も手ぇ出さねぇよ。
彼女いい子じゃねぇか?頼られて悪い気しねぇんだろ?」
「何の話だ?」とイザークを睨んでから、さっき漏らした愚痴を思い出した。
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「お前…何か勘違いしてるぞ…」と訂正したが、イザークはニヤニヤしていた。俺の話を聞く気は無さそうだ…
「そうか?でもそういうことにしてやれよ?
お前らお似合いだよ」
その見当違いの台詞に目眩がした。
そういえばろくに休んでなくて動きっぱなしだ…
妹の形見を見つけた安堵と、見当違いな馬鹿の発言で、一致に疲れが押し寄せた。
盛大なため息を吐き出して、立っていられなくなった。
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0
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