燕の軌跡

猫絵師

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春を告げる

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雪の季節も終わり、燕が軒下で巣作りを始める頃に、ロンメル家に良い知らせが続いた。

テレーゼが子供を授かったのとほぼ同じくして、アーサーとメリッサも子供に恵まれた。

「大変な時に申し訳ない」と俺たちに報告しに来たアーサーたちは萎縮していた。

タイミングはさておき、いい話だ。素直に祝福した。

「そんな風に言うなって。良かったじゃねぇか?

メリッサを大事にしてやんな」

「楽しみですね」とテレーゼも嬉しそうにメリッサのお腹に触れた。

「よろしくね。仲良くしましょうね」

テレーゼは産まれてくるはずの子供に語りかけて、メリッサと喜びを分かちあっていた。

「メリッサ、無理しちゃダメよ。

お仕事ならできることだけでいいのよ。他の人にもお願いするから、アーサーの子供を大事にしてちょうだい。

仕事は他の人にも任せられるけど、その子は貴女しか守れないんだから、しっかり守ってあげてね」

「奥様ァ…ありがとうございますゥ」

相変わらずどこか残念な美人は、子供みたいにボロボロ泣きながら鼻を垂らして安堵していた。

懐妊を伝えるのが不安だったのだろう。

「学校のこともあるのに、こんな時にすみません」と彼女は心配していた。

先月からテレーゼの学校の建設が始まり、土地の整備や、古い学校の解体に、寮の用意も始まった。

子供たちの集合場所も変わって、ロンメル家のほぼ使われていない広間を解放して、子供たちの勉強場所として提供していた。

それに伴い、することも増えていたから、手伝いを増やしたりと忙しくなっていた。

二人ともそれを気に病んでいたのだろう。

「子供が増えるんだもの。こんなに嬉しいことはないわ」とテレーゼは大きな子供の顔をハンカチで拭った。

「お前も親父かよ?」とアーサーに絡むと、彼は苦笑いをうかべた。

「父親か…」と呟きながら彼はメリッサに視線を向けた。

「俺になれるもんかね?」

アーサーは珍しく弱音を吐いた。

「何言ってんだ。なるんだよ、それ以外ねぇだろ?」

「まぁ、そうだな…」

「いいもんだぜ、ガキって…

大事にしてやんな」そう言って、アーサーの肩を叩いた。

「アーサー、メリッサの事ちゃんと見ててあげてね。無理させちゃダメよ」

感情が迷子になっているメリッサを落ち着かせて、テレーゼはアーサーに彼女を返した。

グズグズと泣いている彼女を腕の中に招いて、アーサーは彼女を大事そうに抱き締めた。

「ごめんなさい…涙が…」と謝るメリッサにテレーゼが先輩として教えた。

「子供がお腹にいると、少し体調や感情が不安定になる人もいるのよ。貴女に限った事じゃないわ」

「テレーゼは眠くなるんだよな?」

「えぇ。頭がボーとしてしまって…そんな時じゃないんですけど」

「お前も無理するなよ?

学校の事なら、俺もシュミットもいる。勝手に進めたりしないから安心しな」

「ありがとうございます。頼りにしています」と彼女は可愛らしく答えた。

ブルームバルトはいい風が吹いている。今のところはオークランドにも動きはなく、平和そのものだ。

一部小競り合いをしている地域はあるものの、どちらかがカナルを越えなければ本格的な戦闘にもならない。

先だっての戦の規模でもない限り、俺が呼び出されることも無いだろう。

それまではブルームバルトでのんびりさせてもらう。

「そういや、ギルの所も、もう少ししたら増えるんだったな」

「アニタさんのお見舞いと、私たちのご報告に伺いましょうか?」とテレーゼはいたずらっぽく笑った。

「だな。驚かせてやろう」と二人で顔を見合わせて笑った。

このまま何も無ければいいんだがな…

「アレクシスお兄様の結婚式も間近ですね」

「ああ、ついでに土産の出来栄えも見てこないとな」

「アダムに馬車を用意させましょうか?」とメリッサを抱いたアーサーが訊ねた。

「そうね。お願いするわ」

「急がなくていいから、用意が出来たら教えてくれ」

「承知しました。行こう、メリッサ」

「ふぁい…」

気の抜ける返事をする妻を連れて、アーサーは苦笑いしながら退室した。

「楽しみだな」

「そうですね、賑やかになりそうです」とテレーゼは笑顔で答えて、自分のお腹を撫でていた。

✩.*˚

ここの生活も少し慣れた。

夕食が出来たから、窓から外に居た傭兵たちを呼んだ。外からは笑い声が聞こえる。何か楽しそうだ。

「ご飯…」と言いかけて外の風景に固まった…

井戸の周りには裸の男たちが集まって、頭から水を被っていた。

「え?何?」と身体を拭きながら下着も履いてない男が振り返った。

「汚ぇもん見せんな!バカ!」と咄嗟に叫んで背を向けた。

「汚いってよ」

「何だよ?覗くなよ。ガキのくせに興味あんのか?」とバカにしたようにイザークが笑った。

「バカヤロウ!お前の飯だけ大量に塩ぶち込んでやる!」

「何だよ、飯か、ありがとな」とヘラヘラした男は悪びれずに礼を言った。

「バカヤロウ!さっさと服着ろ!」

怒鳴りつけて乱暴に窓を閉めた。

全く!俺はこれでも女の子なんだぞ!

「…もう…バカヤロウ…」火照る頬を抑えながら、ゲルトの部屋に向かった。

ノックしてドアを開けると、ソファに転がったお爺さんの姿があった。

「お爺ちゃん、ご飯だよ」と揺らすと、片目が開いた。

「何だ、ルカか…」と不機嫌そうに呟いて、ゲルトは身体を起こした。

もう相当年寄りなのに、身体も大きいし威圧感が凄い。

「ご飯だよ」ともう一度同じ事を伝えた。

「そうか」と答えると、ゲルトは伸びをして立ち上がった。爺さんからは酒と煙草の匂いがする。

「ちゃんと卵は火を通してるんだろうな?」

「言われた通りにしてるよ」

「ならいい」

ゲルトはそう言って大きな手のひらで、俺の頭を撫でた。ゴツゴツした手は優しかった。

ゲルトは俺に目もくれずに歩き出した。無視してるみたいだけど、深い皺の刻まれた大きな手を握ると、少しだけ握り返してくれた。

熊みたいにデカいし、片目だし、怖い顔してるけど、俺に行き先がないと知ると、『出て行け』とは言わなかった。

ここの連中はちょっと変わってる。

傭兵団って聞いてたけど、蓋を開けたら何でも屋だ。

傭兵としての仕事がない時は、畑の手伝いや、牧畜の手伝いまでしてる。ここの領主様から頼まれてるにしても、変な奴らだ…

「カミルはまだ戻らんのか?」とゲルトはいつも世話を焼いている男を探していた。

「カミルの兄貴?まだ見てないよ」

彼は朝早くからから商人の護衛で数人連れて出ていた。もう戻ってもいい気もするが、帰ってこないから心配してるのだろう。

「ご飯いるかな?」

「さあな…何か置いておいてやれ」

「うん」と頷いて、パンとスープを取り分けて残して置いた。

「さぁて!飯飯!」とうるさい連中が食堂に入って来た。

あいつらさっきと変わらない格好だ!

「お前ら!ルカがいるんだぞ!服着ろ!」とゲルトの怒鳴り声が食堂に響き渡った。

「何だよ、爺さん?」

「下なら履いてんだろ?」と男たちは悪びれずに下着姿のままだ。

今までそうだったんだろうけど…

「仕事してきたら汚れてさ、もう暖かくなってきたし、着替えなんて後で良いだろ?」と言う男たちにゲルトが頭を抱えた。

「ルカ、外していいぞ。洗濯物片付けて来い」とゲルトは俺を居心地の悪い場所から外させた。

あとから食堂からゲルトの怒鳴り声が聞こえてきて、それにちょっと笑ってしまった。

外で乾いた洗濯物を取り込んでいると、ミア姉がやって来た。彼女は時々手伝いに来てくれる。

自分の仕事も忙しいのに、俺を心配して顔を出しに来てくれていた。

「頑張ってるじゃん」と俺を褒めて、彼女は洗濯物を手伝ってくれた。

さっきあったことを伝えると、ミア姉は明るく笑った。

「そぉ?それで機嫌悪いの?」

「だって、俺だって女だぜ」

「じゃあ女の格好しなよ」と彼女は俺の姿を指さした。

男所帯だから、女の格好よりこの方が良いと思ってたし、何よりスカートはスースーするから嫌だ!

「スカート嫌い…」

「あんた可愛いのに勿体ないよ」

ミア姉はそう言って指先で俺の眉間を弾いた。

「まぁさ、ここで悪させずに頑張ったら、ロンメルのお屋敷にも出入りできるようになるだろうからさ、しばらく頑張りなよ。

みんな、割とあんたの事『良い子だ』って褒めてたよ」

「…そんなわけ…ないよ…」

ここじゃ、からかわれてばっかりだ。不満で口を尖らすと、ミア姉は笑って、嘴のように突き出した唇を押し返した。

「ほら、そんな顔しないの。

男ってさ、好きな子にイタズラする生き物なんだよ。あんたが可愛くてちょっかい出してるのさ」

「可愛くないよ」と反論したが、ミア姉は気にも留めずに笑い飛ばした。

「ほら、そういうの可愛いんだよ」と訳の分からない事を言う…

彼女は洗濯物でいっぱいになった籠を、よいしょ、と抱えた。

「お!姐さんじゃん!」と、相変わらずまだ服を着てない男たちが食堂の窓から覗いた。

「姐さん来てくれたのー!」と男たちはお祭り騒ぎだ。ミア姉は美人だから男たちの反応がまるで違う。

「あんたたちね、こっちから見たら素っ裸だよ」とミア姉は呆れたようにため息を吐いて籠を窓から押し込んだ。

「ほら、さっさと着なさいよ。あたしが悲鳴上げたら、あんたたちスーの雷が落ちるよ」

「いや…それはちょっと…」

「ルカだって、あんたたちが裸だと困るでしょ?このむさ苦しい中にせっかく女の子が来てくれたのにすぐに逃げられちゃうよ!」

ミア姉に叱られて、男たちは大人しく服を手に取った。

彼らは団長の雷が一番怖いらしい。

「ルカいい子でしょ?」とミア姉は俺を自慢した。

彼女の問いかけに、「よく頑張ってるよ」と彼らは俺を認めてくれた。

その一言で何か胸が熱くなった。

こいつら馬鹿だけど、いい奴らだ…

「ガキだけどな」と無駄な一言が俺の感動を台無しにした。

「色気はないわな」

「胸はあった方がいい」

「えー!俺は尻の大きい子がいい!」と好き放題言い出した男たちに、さすがのミア姉も苦笑いを浮かべた。

馬鹿なことを言ってる男たちに、ゲルトの怒号が飛ぶのに時間はかからなかった。

「てめぇら!いい加減にしろ!女の扱いもわからねぇのか?!」

「おー、怖っ…爺さんお怒りだぜ…」

「カミルの兄貴がいないからイラついてんだろ?」

「ルカ、爺さん宥めてくれよ」と都合が悪くなると、彼らはゲルトを俺に押し付けた。

「あの爺さんさ、素直じゃねぇけどよ。子供好きだからお前の事気に入ってんだぜ」と彼らは嘯いた。

「行こう」とミアに誘われて、裏口から中に戻った。

「お爺ちゃん、怒りすぎると身体に良くないよ」と不機嫌そうなゲルトの傍に行って話しかけた。

「水くれ」と、ゲルトはぶっきらぼうな口調で俺に用事を言いつけた。

簡単な誰にでもできる仕事なのに、ゲルトはわざわざ俺にやらせた。

そういえばと、前にカミルの兄貴に言われた事を思い出した。

『親父さん、ちびちびと用事を言うだろ?

あれって気に入られてるって事なんだ。喜んでいいんだよ。

あの人は気に入らない奴には絶対に絡まないし、気に入ってる奴にはとことん甘いんだ。

身の回りの世話を任せるって事は信用されてるからさ、お前の事を気に入ってるんだぜ』

「お爺ちゃん、水」と彼の求めたものを差し出した。

「ありがとうよ」と水を注いだグラスを受け取って、ゲルトは酒のように水を煽った。すぐにグラスは空になる。

「お酒は?飲まないの?」

「馬鹿野郎、ガキに酌なんかさせるか」と彼は不器用に答えた。ゲルトは俺に気を使ってたらしい。

彼は相変わらず不機嫌そうな顔をしていたが、手を伸ばすと俺の頭を撫でた。

「もっと良い女になったら酌させてやる」と言ったゲルトに、ミア姉が笑った。

「じゃぁ、しっかり食べて大きくならないとね」

彼女は俺にそう言って、ゲルトのあえて言わなかった言葉を補足した。

✩.*˚

《蜘蛛》として、《燕の団》に身を潜める生活にも慣れた。

《燕の団》は他所の傭兵団とは、毛色がかなり違っていた。

入った頃に、団長は不在で、代理で団を預かっていた爺さんと補佐役に交渉して団に入れてもらった。

ヴィンクラーの爺さんと、ブルームバルトの領主であるロンメルは親しい間柄らしい。

ロンメル男爵に近付きたい俺としては好都合だ。

ただ、この爺さんはかなり気難しい性格で、常に世話をする男が傍に付いている。

取り入るのは難しそうだ…

そして、さらに面倒くさいのはこの団の団長だ…

ロンメル男爵が筋金入りの愛妻家で通ってなかったら、この男との関係を疑っただろう。

整った顔に、サファイアのような色合いの瞳。艶のある黒髪の美青年は、容姿に似合わず狼のように獰猛だった。

「そいつら縛って憲兵に渡せ。

逃げた奴はほっとけ」

団長は《犬》と呼ばれる部下たちに下知を出して、白い装飾の施された鞘に剣を納めた。

「被害は?」

「俺が矢を一本無駄にしたくらいだろ?」団長に損害を訊ねられたカミルが肩を竦めて答えた。

彼は珍しくゲルトから離れて、団長と行動を共にしていた。

《燕の団》は商人の警護で同行していた。

ロンメル男爵の元を出入りする行商人たちを、シュミットシュタットまで送る簡単な仕事だ。

「仕事にもありつけねぇ様な傭兵崩れの賊だ。

俺らの相手じゃねぇよ」

団長の《犬》のディルクやアルノーたちが、逃げ損なった賊を手際よく縛り上げて並べた。

商隊を襲い損なった強盗たちは罵詈雑言を放っていたが、自分たちの相手が誰か分かると青い顔で大人しくなった。

「《燕の団》…」

「あ…あんたまさか…」目の前の線の細い美青年に、厳つい男たちも恐れを為して言葉を失った。

「へえ、俺も偉くなったもんだな」と口元に皮肉っぽい笑みを貼り付けて、団長が呟いた。

「逃げようとか思うなよ?

雷に打たれて死ぬのは嫌だろ?」

ジョークなんかじゃない。この男はやると言ったらやる。

二ヶ月ほどの付き合いしかないが、この男の無茶苦茶な言動を嫌という程見せられた。

剣と弓の腕は一流だし、魔法も扱える上に、精霊をも操る化け物だ。

先だっての戦で、オークランドの軍船を沈めたというのも彼の仕業だろう。

仲間たちに彼の武勇伝を聞かされて、ゾッとした。

これで《祝福》が無いとはどういうことだ?

何か秘密があるのだろうか?

「エルマー、怪我はなかったか?」

仲間の無事を確認して、団長は俺のところにも来た。

「何もねぇっす」と、演じている役の言葉で答えた。

俺の返事に、団長は「そうか、ならいい」と言って踵を返した。

彼は最初は、自分の不在時に入団した俺を邪険にしていたが、俺の作りたての名前を知ると少しだけ態度を軟化させた。

選んだ名前が良かったらしい。

後で聞いたが、彼の《兄》の名前と同じだそうだ。

そういえばロンメル男爵も、俺の名前を確認して、『またかよ』と苦笑いしていた。

あれは同じ人物を指しているのだろうか?

まぁ、《エルマー》は割とよくある名前だしな…

「よし!出るぞ!」

団長の指示をカミルが伝えた。

馬が嘶いて列が動く。商隊を守る傭兵たちが後に続いた。

「遅れるなよ」と声がかかる。

彼らが俺を気にかけるのは、俺が彼らの仲間だからだ…

「へい」と返事をして、動き出した列の後ろに並んで歩いた。

✩.*˚

商隊とはシュミットシュタットで別れて、《犬》たちを連れてカーティスの店に立ち寄った。

「これ、ギルからだ」と預かっていた手紙をレオンに手渡した。

レオンは笑顔で、「ありがとう」と言って兄からの手紙を受け取った。

普通の人みたいな容貌に変わってしまった彼は見慣れないが、彼の肩には相変わらずあの大きなネズミが乗っていた。

「兄さんたちは元気ですか?エドガーも大きくなりましたか?」

「元気だよ。エドガーも時々ロンメルの屋敷に顔を出すし、ルドたちとも仲良く遊んでる。

二人目ももう少しで産まれるんじゃない?」

「楽しみです」と彼は兄夫婦の家族を思い出して微笑んだ。

「君はどう?」

「相変わらずですよ。

シュミットシュタットは知り合いもいますし、ネズミたちも居心地が良いようです。

今のところは、平和ですよ」

「カーティスとは上手くやってるの?」

「お師匠様ですか?

上手くやってる…うーん…まぁ、そうですね。

問題はありませんが、なにぶん、だいぶ変わったお人なので…」と彼は苦笑いして答えた。

彼の師匠が癖の強い変わり者なのはよく知ってる。

世話にもなったが、あまり関わりたくはない相手だ…

「そういえば」と何かを思い出して、レオンが俺に一緒に来るように言った。

怪しげな地下倉庫に来てくれという…

「貴方のものと思われる魔石が見つかりましたよ。今、地下で預かっています。

なんでも、持ち主が亡くなったとかで、価値を知らない家族が持ってきました」

「本当に?!」

俺の失くした腕輪の一部であれば朗報だ。

しばらく音沙汰なかったので半分諦めていた。

《犬》たちを置いて、レオンの案内で地下室に降りた。

「何色?」地下室に向かう途中で、レオンに石のことを訊ねた。

「色ですか?淡い乳白色に虹の光が散ったような不思議な色合いですね。オパールにも似てます。

私には分りませんが、師匠はすぐに君のだと分かったようです」

「俺のなら、父さんが刻んだ刻印があるからすぐに分かるはずだ」

「なるほど」

「そういえば、カーティスは?留守なの?」

「お師匠様はアインホーン城に向かわれましたよ。《アナベル様》のお墓参りだそうです」

「ふーん…あの猫の…」と彼といつも一緒にいた黒猫を思い出した。彼は黒猫を《お嫁さん》と呼んで可愛がっていた。

ちょっと人間としては気持ち悪いが、それだけ大切に思っていたのだろう…

彼の《お嫁さん》は、アインホーン城の地下に隠された神殿に安置された一角獣の亡骸の傍らに埋葬された。

カーティスの店の地下室は、相変わらず気味の悪く、重くて冷たい空気を孕んでいた。その中に無数の動く生き物の気配がある。

「この子たちは良い倉庫番ですよ」と彼は相棒の子供たちを自慢した。

「スペースの魔石は何処かな?」とレオンが訊ねると、ネズミはチッチッと鳴いて答えた。

ネズミが集まって、レオンに探し物の場所を教えた。

レオンは「ありがとう」とネズミたちを労って、ネズミの群がる箱を手にした。

レオンは箱に施された防犯のまじないを解いて、青い天鵞絨ビロードの小箱を俺に差し出した。

「ありがとう」と礼を言って、小さな箱を受け取ると中身を確認した。

「…俺のだ」

小箱の真ん中にちょこんと乗った石は確かに失くした腕輪に嵌っていた魔石の一つだ…

風の精霊の力を引き出す魔石には《フェオ》の記号が刻まれていた。父さんの腕輪の石で間違いない。

「おかえり」

やっとこれも帰ってきた…

まだ三つ帰ってきてないが、半分は俺の元に戻ってきてくれた。

「ありがとう。カーティスにも、お礼を伝えてもらえるかな?」

「伝えます。残りも見つかるように祈ってますよ」と言って、レオンも嬉しそうな顔を見せた。

「残りの三つも探してます。そのうちお師匠様の元に持ち込まれるでしょうから、吉報をお待ちください」

「うん。ありがとう」

「指輪に作り直してからお渡しした方が良かったですかね?」

「いいよ。エインズワースの親方に装飾してもらうから」

エインズワース工房の親方は器用だ。あの人はなんでも上手に作るから、いいように拵えてくれるだろう。

でも、さすがに一つの腕輪に戻すのは無理だろうな…

魔石にも相性がある。下手に組み合わせると、能力が発揮できなかったり、発動しなくなる可能性もある。

あのレプシウス師も、俺の腕輪が元の形で残っていたら《国宝級》の魔具だと言っていたくらいだ。

今のところ、一番の問題は、魔石を揃えたとしても、元には戻らないかもしれないということだ…

父さんの結界に戻る役割さえ果たしてくれれば良いけど…

魔石を受け取って、地下室を出る時に、近くにあった布に包まれた棒状の何かに、外套が触れて倒れた。

「あ、ごめん」と謝って、倒れた物を拾おうと手を伸ばした。

「スー、待って!」とレオンが慌てて俺を止めた。

「触らない方がいい。それに気に入られたら大変だよ」と言いながら、レオンが俺の代わりに倒れた棒を拾った。

彼は外に被せた布がズレていないことを確認して、倒れた棒を元の場所に戻した。

「これは《イゾルテの剣》です。

可哀想な逸話のある剣で、私も同情するのですが、少々厄介な剣なので触るのはおすすめしませんよ」

「何それ?」

「師匠の話だと、彼女は《音の魔女》と呼ばれた、力のある魔女だったそうです。

彼女に言い寄った《英雄》は、彼女が邪魔になると適当な理由をつけて彼女を殺したそうです。

彼女は死に際にその《英雄》を呪って、二度とその剣以外を握れなくなる呪いをかけたので、《英雄》はその呪われた剣を使うか、剣を捨てるかの二択を迫られました。

彼がどうなったのかは興味はありませんが、《英雄》の死後、その呪いの強さから持ち主を転々として、最後にカーティスに預けられたそうですよ」

「ふぅん…で?気に入られると何なの?その《英雄》みたいになるの?」

「いえ。彼女、絶賛恋人募集中なので、気に入られるとすごく尽くしてくれるそうです。

でも、ことある事に彼女の霊に悩まされるそうでして…

《イゾルテ》は過保護なので、持ち主が危険にさらされると、勝手に取り憑いた亡霊が出てきて、対象に攻撃します。その結果、意図せず周りが巻き込まれるのです」

「それは…迷惑かも…」

「魔剣としては強力なんですが…

乙女心は難しいですね」と言ってレオンは話を締めた。

彼も随分なったな…

彼は次の《カーティス》としてここの管理を任されるのだろう。

「君も大変だね」と苦く笑うと、レオンも苦く笑った。でも、その笑顔は嫌な感じではなかった。

「意外とやりがいのある仕事ですよ。

それに、この子たちと暮らすには静かでいい場所です。

ねぇ、エド?」

レオンは抱いた大きなネズミを撫でながら語りかけた。

ネズミが何て答えたかは分からないけど、レオンは満足そうに、口元に柔らかな笑みを灯した。

✩.*˚

「フィーちゃまお姉ちゃんになるの?!」

「そうよ。奥様とメリッサも赤ちゃん産むの」とママが僕に教えてくれた。

赤ちゃんが増えるのは良いことだって、アグネス様も言っていた。

お友達が増えるんだ!

「ルド仲良くするよ!ルドもお世話する!」

「そうだね。ルドもお兄ちゃんだもんね」とママは嬉しそうに笑っていた。

僕の隣りで話を聞いていたエドガーが、僕の袖を引いた。

「エドもお兄ちゃんなるよ。ママお腹に赤ちゃんいるよ」

「いいなぁ。僕も会いたい」

「えへへぇ」とエドガーは自慢げに笑った。

「いいなぁ」と呟くと、フィーちゃまがやって来て僕の手を引っ張った。

「ルーちゃま、ちゅみき」

赤ちゃんの言葉でやりたいことを伝えて、フィーちゃまは僕に積み木を握らせた。

「あ、うん。積み木しようね」

ママは仕事に戻るから、バイバイを言おうとして、ママの顔を見た。

ママの顔を見て言葉が詰まった。

「…ママ?」

「あ…いや、なんでもないよ。じゃあ仲良く遊んでね」

誤魔化すようにそう言って、ママは僕の頭を撫でて、掃除道具を手にすると笑顔で手を振った。

さっきの顔…

「どうしたの?ルド?」

エドガーは気づいてなかったみたいで、固まってしまった僕に不思議そうに声をかけた。

「…ママ」何で悲しそうな顔してたのかな?

僕、何かしたかな?

「ルーちゃま、ちゅみき。ちゅみき、しゅるの」

少し不機嫌になったフィーちゃまが僕の腕を引っ張った。

「うん」と頷いて、フィーちゃまの言う通りにした。フィーちゃまは僕が言う通りにすると嬉しそうに笑顔になった。

「待ってね、積むから」と告げて、彼女の前に積み木を積み上げた。

フィーちゃまの目がキラキラと輝いて、高くなる積み木を見上げた。

「はい」と、エドガーも積み木を渡して、積み上げるのを手伝ってくれた。

少し高くなると、我慢できなくなったフィーちゃまが下から積み木を崩した。

ガッシャーン!と凄い音を立てて、積み木が崩れた。フィーちゃまのご機嫌な笑い声が部屋に響いた。

「あらあら、お嬢様。お好きですね。またそれをされているのですか?」とアグネス様が笑いながら遠くまで転がった積み木を拾ってくれた。

「ルーちゃま!ちゅみき!」

「うん。もう一回しようね」と彼女のリクエストに応えた。

ご機嫌なフィーちゃまは、小さな手で積み木を拾って僕に差し出した。

フィーちゃまの笑顔はとても可愛い。

積み木を崩されても、フィーちゃまが笑顔になるならそれでいい。何度でも彼女のために積み木を重ねた。

積み木を積んでいると、子供部屋のドアが開いて、旦那様が顔を覗かせた。

「お!今日もやってるな、お姫様!」

「あー!パパ!」

積み木を掴んだまま、フィーちゃまはパパに駆け寄った。

旦那様の後ろから、エドガーのパパが部屋を覗いた。

旦那様は軽々とフィーちゃまを抱き上げて、柔らかいほっぺに頬ずりした。

「あー、もう、たまんねぇな」と旦那様は嬉しそうに笑って、僕たちに歩み寄って頭を撫でてくれた。

「お転婆姫様の相手ありがとうよ。

エドガー、元気だったか?」

「うん。ととと来た」と答えて、エドガーは自分のパパに手を振った。

「あぁ、さっきまで話をしてたからな。

もうちょっとしたらお前も兄ちゃんだな。楽しみだろ?」

「うん!」とエドガーは元気に頷いた。

「エドガー、帰るぞ」

「はぁい。またね、ルド」

エドガーは手にしてた積み木を返して、パパに駆け寄って足にしがみついた。

エドガーは嬉しそうに、えへへ、と笑って「バイバイ」と帰って行った。

「今日はこんだけか?少ないな?」

「そうなんですよ。クラーラはお熱が出たので、義母に預けてきました。

マーヤはこの春から奥様の学校に通うようになりましたし、シュミット様も、今日はご家族を連れてご実家にご挨拶に行きましたので寂しいんですよ」

「なんだ?クラーラ大丈夫なのか?熱があるのに母ちゃんいなかったら可哀想だろ?今日は上がっていいぞ」

「そんな、でも…」

「いいって。どうせルドは手がかからないし、フィーだけなら俺が見てるから構わねぇよ。

帰ってやんな」

「お言葉に甘えてもよろしいのでしょうか?」

「いいって。トゥルンバルトの奴も俺の使いで出てるし、クラーラだって可哀想だろ?

そういう時は遠慮すんなよ?他所はどうか知らねぇが、ロンメルはそういう家なんだからよ」

「ありがとうございます、旦那様」とお礼を言って、アグネス様はお暇を貰って帰って行った。

「さて、積み木してたんだったな」と笑って、旦那様は抱っこしていたフィーちゃまを降ろした。

「ルーちゃま」と僕を呼んで、フィーちゃまは笑顔で僕に抱きついた。

「なんだよ、仲良しだな」と旦那様は苦笑いだ。

「今だけだからな。大きくなったらイチャイチャするなよ?」

「旦那様、フィーちゃまお姉ちゃんになるの?」

さっき聞いた話を訊ねると、旦那様は嬉しそうに笑った。

「ん?誰かから聞いたのか?

そうだよ。多分冬ぐらいに産まれるんじゃないか?」

「弟?妹?」

「まだ、分かんねぇよ。でも、どっちでも、ルドは仲良くしてくれるだろ?」

「うん!楽しみ!」

「俺もだ」と旦那様は笑顔で僕たちの頭を交互に撫でた。

「アーサーのところのガキとも仲良くしてくれよな?」

「うん、僕お兄ちゃんだから!」

「そうだな」

「僕も兄弟欲しいな、いつになったら本当のお兄ちゃんになれる?」

僕の質問に、旦那様は驚いた顔をして、今度は少し困ったように笑った。

「まぁ…そうだな」と旦那様は言葉を濁した。

「そのうちな」と答えた旦那様は少し寂しそうな顔をしていた。

「旦那様?」

ママと同じような表情に、何か知ってるような気がした。でも、それを訊ねるのは気が引けた。

「ルーちゃま。ちゅみき」とフィーちゃまが僕を誘った。

フィーちゃまは、両手に形の違う積み木を持って僕に差し出した。

いつもは崩すばかりのフィーちゃまだけど、珍しく手伝って、積み木は高く積み上がった。

「しゅごーい!」と嬉しそうに拍手をして、フィーちゃまは僕にキラキラの視線を向けた。

「崩していいよ」と言ったけど、フィーちゃまは自分が手伝ったからか、積み木を崩さずに残していた。

ちょこちょこと心配な足取りで歩いて、おもちゃ箱からお人形を持って来ると、僕と旦那様に一つずつ渡した。

フィーちゃまの最近のお気に入りはモコモコのクマちゃんのヌイグルミだ。

旦那様には、旦那様によく似たお人形を渡していた。僕のはドレスを着た女の子の人形だ。

「おままごとするの?」と確認すると、フィーちゃまは笑顔で頷いた。

「マジかよ…パパにはちょっとキツいな…」

「旦那様、おままごとしないの?」

「いや、やるよ。フィーの希望だしな…

しかしこれはどういう配役だ?」と旦那様は首を傾げた。確かにクマと兵隊さんと女の子じゃよく分からない。

「フィー、《ママ》」

フィーちゃまは自分の役を選ぶと、女の子の人形を《パパ》、兵隊さんの人形を《子供》だと言った。

「いや、《パパ》はこっちだろ?」と旦那様は自分によく似た人形を見せたが、フィーちゃまは「ちがう」と怒っていた。

「《パパ》、ルーちゃま!」

「分かったよ。悪かったよ、お姫様」

「フィー、《ママ》!」

「はいよ、《ママ》って呼んだらいいのか?」

旦那様は仕方なくフィーちゃまのおままごとに付き合った。フィーちゃまはそれで満足したみたいだ。

嬉しそうに笑って、旦那様に抱き着いて甘えてた。

幸せそうな二人を見て、僕もパパに会いたくなった。
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