エデンの女王

ハコニワ

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一 不条理な始まり 

第12話 絵伝村の秘密

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 大正末期、昭和初期の狭間に起きた悲惨な事件。それは、虐殺という言葉より残酷で、当時の日本を震撼した世に語りつぐ話。

 大正の初め、この村にたいそう美人な女の子が生まれた。まだ小さいというのに、大人がたじろぐほどのたいそうな美人で、その体らしく名前は柏木 美麗かしわき びれい。この事件の黒幕である。

 近所によれば、上品でお淑やか、老人にも気を配れる優しい少女だったという。そのうち、名家の華族に嫁に行ってもおかしくないと、噂が当てられるほど。

 その噂はたちまち風に運び、隣村や名家のご子息が何度も通い求婚を求めた。時には条件付きで求めてくる輩もいた。みな、地位と名誉と金がある輩。しかし、柏木はそれを全部払い除け、村の酒屋に嫁いだ。十四の時だ。

 何故、名家に嫁がなかったのか村人たちは困惑するばかり。しかし、当の本人が嬉しそうに嫁いだのを見て村人たちは、たいそう喜んだような。その当時の写真が貼ってある。

 白無垢姿の女性の写真。恐らくこの人が、柏木美麗。白黒写真。ふっと穏やかに笑っている。とても、この人が日本を震撼させた人とは思えない。

 嫁いだ先は酒屋で、この時に『柏木』の性をもらった。酒屋の次男と学童が同じで、知り合ったらしい。この村に柏木はいない。酒屋は二軒あってどちらも性が違う。『柏木』という家は残されていない。

 ページをさらにめくった。もう後戻りできないところまで、もぐっていく。街頭もない夜道を歩かされてるみたいに、先が見えない。

 嫁いだ柏木は、それはもうたいそう良い嫁として評判だった。旦那に寄り添い、姑とも仲がよく、そこにいるだけで花が咲いたようだと、当時の近隣住民が語る。しかしそれは、表向き。裏では、残虐非道なことをしていた。



§



 世は民主主義の発展した大正時代。小さな村でもそれは発展していて、時代が激動に動いている。だからたとえ、小さな村に何が起きようとしても、世間は目もくれないだろう。絵伝村にも、ついさっき新たな出来事が起きた。

 姑よりも早くに起きて、朝の支度をする。特に苦痛ではない。ただ、苦痛なのは、姑の顔を見ること。
「おはよう御座います。美麗さん」
「おはよう御座います」
 嫁いでからこのやり取りが毎朝のように続いている。さて、旦那さんを起こしにいかないと。

 突き当りの廊下に差し掛かったとき、誰かとぶつかった。恐る恐る顔を見上げると、この家の長男がそこに立っていた。
「ごめんなさい。平助へいすけさん」
「いや、こちらこそ」 
 ぶつかった相手を見下ろし、ペコリと会釈した。そうして私の横を通り過ぎ、居間に足を運ぶ。
 右足をひょこひょこ引きずりながら、歩いていく。歩幅は小さく、滑稽な踊りを踊っているみたい。その足取りでここまで来たことは、私と同じくらい、それ以下か、に起きたと思われる。

 居間に辿りつくまであの足取りは時間がかかる。少し眺めただけで、廊下をまた歩いた。窓から差し込む朝日の光が眩しい。目が痛いほどに。外の方では雀がチュンチュンと煩く鳴っている。
 雀の声だけでも煩くて仕方ないのに、朝食ができたというのに、まだ起きやしない。朝いい加減一人で起きてほしい。私は目覚まし時計じゃない。

 寝室にたどり着き、音を立てずに襖を開けた。耳を立てると部屋から物音がしなかった。まだ眠っているのだろう。案の定、綺麗な布団でぐうすか寝ていた。
壮亮そうすけさん。朝ですよ。起きて下さい」
 トントンと叩いても揺さぶっても、起きやしない。まぁこれくらいは序の口。耳に顔を近づけ、ふっと息を吹きかけた。起きやしない。

 酒屋の跡取り息子が壮亮さん。本来なら、長男の平助さんが跡を次ぐべきだった。なのに、できなかった理由は、平助さんは生まれつき病弱で外にも行けないほど。尚且つ、幼いころに馬車に引かれて右足を持って行かれた。

 何もないこの酒屋に嫁いだのは、面倒な求婚を申し出てる男たちに飽きたからだ。早く嫁げば終るかな、て思ったけど、割とそうでもないみたい。この男に対して、特になんとも思っていない。毎日がいつもと同じでくだらない日々だ。
「んぅ」
 壮亮さんが呻いた。
 暫くすると、うっすらと目を開き私に視線を向ける。
「おはよう」
「おはよう御座います。朝食が出来上がりましたよ」
 笑顔でそう言うと、壮亮さんは上体を起こして体を伸ばした。

 ゆるゆると起き上がった壮亮さんを確認して、居間に向かう。暫くたってから壮亮さんが居間に顔を出し、みなで朝食をとる。

 ただの酒屋にしては大きな敷居で、お手伝いさんもいる。たった一つしかない酒屋で、何代にも渡って受け継がれし系統。なのだから、繁盛している。姑、しゅうと、平助さんと壮亮さんと私とて、朝食をとっている。誰も喋らない。とても静かな時間。

 何代も続くこの家は、舅が切り盛りしている。舅は、正座を崩すことなく、テキパキと朝飯を喉に入れている。威厳のあるお方だ。でももう時期死期が来るだろう。その箸を持っている手がか細くなっていることを証明している。

 朝飯を食べ終わったら、壮亮さんと舅は蔵に行く。平助さんは滑稽な歩き方で、寝室に向かう。それぞれがそれぞれの時間になる。
「美麗さん。お買い物行ってきてくれるかしら?」
「構いませんよ」
「あまり、遅くならないように。ほら、近頃隣街では物騒な事件があるじゃないか、怖いねぇ」
「分かってます。大丈夫ですよ」
 私は身支度を整えて、外に向かった。

 近頃騒がれている事件は、つい最近になってから。少年少女たちがある日突然行方を晦ましているという。全員昼間まで元気にしていたのに、夕方になるとぱったりと姿が消えた。誘拐事件だと、騒がれている。だから、姑は夕方までに帰ってくるようにと仰せたのだ。言葉の通り、大丈夫だ。その犯人は、私なのだから。

 酒屋に嫁いだのは、面倒な求婚を申し込む輩から逃げたい一心で。でも本当は――誰かを監禁する場所が欲しかった。

 小さな酒屋だというのに、複数蔵を持っていてその内の一つが、もう使われていない。絶好の場所だ。周辺のみん家もない。あるのは森ばかりで、叫んでも誰も駆けつけて来ない。たとえ、蔵から逃げても大通りには決してたどり着けない歪な獣道があるのみ。誰かを監禁して、嬲り犯すのは絶好の場所だ。

 隣街と村の境近くにある。歩いて行くと一時間かかる。だから、馬車に乗せてもらい、途中の道でおろしてもらう。
「こんなところ、特に何もないんだけどね。何をしに行くんだい?」
「秘密です」
 馬車の旦那に笑いかけ、私は蔵に向かった。鬱蒼とした森に囲まれ、人気のない場所。朝なのに暗くて冷たい場所。 

 腐敗臭がしても基に寄り付かない。蔵の中は腐敗臭だらけだ。
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