妖怪探偵事務所・瑠月

ハコニワ

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弐 探偵事務所の仕事

第17話 ぬらりひょん

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 ヒヒの一件を終えて休息も束の間の三日絶たぬうちに事務所にある妖が迷い込んだ。
「いつまでそこにいるんだぬらりひょん」

 カン

 煙管に溜まった灰を灰皿に捨て探偵が尖った口調で言った。その視線の先にはぬらりひょんという大妖怪が我が事務所の安いソファーの真ん中にドスンとちょこんと座っている。
「久々に儂から来てみればなんだその態度は」
 ぬらりひょんはやれやれとため息ついた。八〇代くらいのおじいさんで座ると地に足がつかない。寸胴が子供体型なのに顔はしわしわの厳ついおじいちゃん。
【ぬらりひょん】とは勝手に人の家に上がり込みさも当たり前のように居座り続ける厄介で面倒な妖である。この県を統べる妖怪側の市長だ。その市長がなぜこんな小汚い場所に。
「んー。お茶が美味しい」
 ぬらりひょんはわたしが淹れたお茶をズズッと啜るとほぉ、と息づいた。
「それは良かったです」
 市長に褒められて安堵する。
「おい寛ぐな」
 探偵がいつにもまして苛立ちの含んだ声でぬらりひょんを一喝。次にわたしへ視線を向けた。
「乙子くん。気を良くしてはいけない。我が城を侵攻しているんだぞ何をそんな呑気な」
 探偵は煙管を含んで苛々している自分をなんとか抑えようとしている。灰皿に溜まっている灰がいつもより多い。ぬらりひょんが来て一層吸っているのだ。おかげでこの事務所内は彼の煙管の臭いと煙が輪になって広がっている。
「呑気じゃないです。これは真面目な接客です」
 わたしは睨みつけた。 
「それに市長が直々にこんな小汚くて寂しい場所に来てんですよ。この事務所の主、いいえ、城内の殿は何していらっしゃるのですか⁉」
 雷が落とされた。
 探偵は口に含んでいた煙管をあやふく落としそうになりもう片方の手で掴んだ。わたしを見上げるなり、眉をピクピクさせ。
「乙子くん。この城の家主を我だと言っているのか! ようやく認めたか! かー‼ お茶が美味い!」
「小汚い寂しい場所はガン無視?」
 探偵はお茶をビールを飲んだみたいに顔を赤らめてご機嫌。余程嬉しかったのかお茶を何杯も飲む。わたしは空になったコップに次々とお茶を注ぐ。これが接客!
 ざるそば早食い競争のようにテキパキだ。有能な接客業にわたしもついつい嬉しくなった。それを見ていた。見ざるをおえない対面に座っているためぬらりひょんは呆気にとらわれていた。
 探偵がお茶をガブガブ飲んだおかげで急須に淹れたお茶が底をついたため、台所に向かう。その後ろ姿を眺めたぬらりひょんが口を開いた。
「なんだ、随分楽しそうじゃないか。寂しくやっていると思った」
 ぬらりひょんはジトと探偵の顔を凝視する。
「ふん。いつまでもクヨクヨしてる訳ないだろ」
 再び急須にお茶を淹れてきて戻っていく。ちょうど市長のお茶がなかったので淹れていると、市長がニコニコ笑っていた。
「お嬢さん、いつからここで働いているのかい?」
「2月前ですかね。まだまだ全然です」
「このお茶をこんなに美味しくさせてるんだ。中々じゃ。それにこいつを見限らない人の子は珍しい」
 市長にまたしても褒められて上機嫌になる。こんな形で市長と話するなて初めて、今まで抱いていた市長という堅苦しいイメージがふっとんだ。優しい良い妖だ。
「我を問題児扱いするな」
 探偵がムッとした。探偵を置いて話は続く。
「にしても、どういう経緯でこんな事務所に?」
「それは……」 
 カクカクジカジカで事の経緯を思い出しながら市長に言うと市長はみるみるうちに顔色を変えていく。探偵は然程悪切れもない態度、この人がどんな性格なのかを知ってか怒るに怒ることもせず呆れてため息ついた。
「全く。これを嫁さんが見ていたら叱ってくれたろうに」
「え、嫁さん?」
 わたしは聞いてドキリとした。
 空気がしんと静まり返り凍えるように寒かった。雪香さんがいないのに室内は冷たい。さっきのアットホーム感はどこに。
「嫁さん、て探偵さんに?」
 冷えた重い空気を破りわたしが口を開いた。わたしの声が虚しく室内に響き渡った。
「おおそうじゃよ、二百年前にいたかの? たいそうベッピンさんやったんじゃ」
 胸がドクンと跳ねた。
 心臓に手を置くとドクンドクンと脈打っている。探偵の容姿は銀のように白髪でアクアマリンのように瞳が透けて容姿だけ捉えるとひとえに美しい。朱や碧などの混じった着物を着ているせいで派手もの好きでその通り、この事務所内は〝寂しい〟て言ったが実際は雪香さんや才次くんが今居ないための〝寂しい〟の意味で、実際の事務所内は物がたくさん飾られている。 


 どこかの国のお面だったり壺だったり、ホコリが被っていないのはわたしが毎日掃除しているからで、それまでは砂のようにホコリを被っていた物たち。掃除をしていくにつれて息を吹き返すようにして形が浮かぶ。
「やめろよ。あいつの話は」
 探偵は分が悪い顔をしてか細い声で呟いた。
 肩をおとしていつになくしおらしい。
 容姿だけ見ると確かにモテそうだけど、中身はろくでなしだ。お金の執着は凄いし給料だってろくに払いもしない。おまけに同棲中の真那ちゃんを忘れてたと言って部屋の前に大きなゴミ袋で閉じ込めるし。本人は引き篭もってて知らないけど。
 こんな人に前妻がいたなんて、しかもベッピンさんだと。知りたい。どんな人なのか。
「どんな人だったのですか?」
 食い気味に聞いてみると探偵さんにギロリと睨まれた。今まで味わったことのない殺意に似た視線だ怖い。
「髪の毛は漆黒でな肌は白くて、おしとやかで言うなら大和撫子だったのじゃ。あぁ逢いたいのぉ」
 市長は恍惚な表情で天を見上げた。
 刺さってくる視線に怖じ気ついてそれ以上聞くことできない。それを知らずか市長はずっと話を続ける。
「もうニ百年以上もなるのか。そうか。寂しいな。あの頃はここも賑やかだったんじゃ。そうだそうだ。あの子も確かお茶をこんなふうに美味しく淹れてたわい」
 懐かしいのぉ、と市長は感無量する。空気が明らかに重いのによくペラペラと。棘のような視線を気づいていないのかあるいは、大妖怪がためにそんな視線怖くないのか、どっちともありえる。

 時計の針が六時を指しているのに気づいて慌てて事務所を出た。
「もう帰ります! 茶碗はしっかり洗っててくださいね! それか、シンクに入れてておくか! それじゃ失礼します」
 わたしはバタンと閉めた。あの重苦しい室内からようやく出ると空気が爽快だ。黄昏の少し冷たい空気が妙に心地良い。
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