クラスでバカにされてるオタクなぼくが、気づいたら不良たちから崇拝されててガクブル

諏訪錦

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2巻

2-2

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 二時間ほど集中してスプレー缶を握っていたぼくは、さすがに疲労を感じ、一休みすることにした。その間、スマホを片手にネットでグラフィティについてあらためて調べてみる。
 グラフィティの基本的な技術に関しては、何度も練習することで身についているが、新しい技術や道具を利用したものについては知識として持っていない。
 言っても、線引屋として活動するようになってまだ一ヶ月も経っていないのだ。
 動画サイトで海外のグラフィティライターがアップしている動画を見ていると、面白いものがいくつも見つかった。
 消火器を改造して、中身をインクに変えた物でブランドショップを滅茶苦茶に汚したり、水鉄砲に色付きの水を入れ、白い壁で覆われた豪邸を襲撃したりする過激な動画。有名なアーティストのアルバム発売の広告として、切り抜きをした型紙を道路に貼り付け、強力な洗浄剤で汚れを落として広告の文字の部分だけを浮かび上がらせるといった動画がアップされていた。
 それらの動画は、やり方から道具、過激さに至るまで、まるで似ても似つかないが、すべて広義ではグラフィティに含まれるものだ。
 グラフィティの違法性を無視して芸術だと語るアーティストを、ぼくはあまり快く思っていない。自分たちの行動が悪いことだという大前提を無視して、芸術という名前を使って正当化するのはどこか違うような気がする。だからぼくは、あくまでグラフィティライターであって、アーティストを名乗るつもりなどない。
 もちろん、ぼく自身、自分がやっていることが悪いことだという認識は持っているし、だからこそ、こうして部屋にこもってグラフィティの練習をしている。
 ただ、そこにはどうしても満たされない欲求がある。
 誰かに見つかってしまうのではないかという緊張感と、巨大な壁に思うままにイメージをぶつける快感がない交ぜになった気持ち。このふたつは、いくら巨大な紙にぶつけたところで満足出来ない感情だ。
 自分でも、危険な世界に足を踏み入れてしまっているという自覚は持っているが、やめられないのもまた事実。
 実際、線引屋という存在がなぜ、ここまで熱狂的に若者を中心に持ち上げられたのか。
 それは、グラフィティという違法行為に危険な魅力を見出したからだとぼくは考えている。
 もちろん、インターネットという媒体ばいたいがあったからこそここまでの盛り上がりになったのは間違いない。特に、その火付け役となった『オンライン版ストリートジャーナル』という情報サイトの影響は非常に大きい。
 コンビニでも売られている紙媒体の若者向けファッション雑誌『ストリートジャーナル』。その本誌では取り上げられないような、かなりアンダーグラウンド寄りの情報を取り扱っているサイトで、線引屋のことが取り上げられたのが切っ掛けとなり、ここ最近ではこれまで以上に若者から人気を得ているようだ。
 このオンライン版ストリートジャーナルは、過激な内容から若者の絶大な支持を集めているため、線引屋以外にも取り上げられている有名な人物が何人かいる。
 休憩がてら、スマホでオンライン版ストリートジャーナルの過去の記事を見ていると、ぼくのグラフィティの師匠とも言える、CAGA丸の記事も掲載けいさいされていた。他にも、東京で有名な不良グループの内部分裂の真相が詳しく掲載されている等、刺激を求めるユーザーにとっては娯楽として申し分ないのかもしれない。
 ぼくは、そもそも不良文化というものに基本的に興味がないため、流し読みで過去の記事をたどる。その中で一つ、興味を引かれるタイトルに目が留まった。



《 オンライン版 ストリートジャーナル 》
 若者文化の現在いまを斬り取るWEBマガジン!

 〔CONTENTS〕
【 マッドシティに現れるダークヒーロー、その名はアカサビ 】

 喧嘩屋けんかやという存在について、明確にこの記事の中で定義することは難しい。とはいえ主に喧嘩を生業なりわいとして日々を過ごす人物のことを指していると言えば、間違いないだろう。
 本記事で取り上げる〝最強の喧嘩屋〟については、この喧嘩屋という存在をさらに異常なまでに凶暴にした存在と捉えてもらえればいい。
 筆者がそのうわさを知り、街でたむろする若者に最強の喧嘩屋について聞いてみたところ、全員が恐らく同一人物だろうという特徴を口にしていた。
 かつて最強の喧嘩屋として名をせたその人物は、いまでも街で見かけることがあるらしい。不良たちは、その人物と遭遇したら、まず真っ先に逃げ出すようにしていると語ってくれた。
 本記事では個人の特定を避けるため詳しくは書かないが、最強の喧嘩屋の現在の姿は特徴的で、その人物を見たことがない人でも、特徴さえ知っていれば一目で見抜けてしまうそうだ。
 噂とインタビューの内容を総合すると、その人物が最強の喧嘩屋と呼ばれる理由は、たった一人で何人もの不良を相手に戦って幾度となく勝利しているからだ。過去に喧嘩する様子を目撃した人物の証言の中には、二〇人以上の不良を相手に、たった一人で戦い勝利したというにわかには信じがたい話もあった。
 その異常な強さから、他の喧嘩屋と一線を画す存在の最強の喧嘩屋は、街の不良たちとは毛色が違う存在と言えるだろう。
 そんな彼を知る者は、こう呼ぶ。最強の喧嘩屋ダークヒーローアカサビと。

(二月一〇日 記者Hによる寄稿)



 ぼくは記事を読み終えると、少し不愉快な気分になった。この記事に書かれているアカサビさんとは、以前一度だけ会ったことがある。ぼくが公園で不良に絡まれているところを助けてくれた彼は、記事に書かれているような無用な喧嘩など避けそうなものだ。この記事はいまから半年以上も前のものではあるようだが、ぼくの知るアカサビさんはそのような危ない人ではなかった。
 記事の最後の方に書かれていた『毛色が違う』というのは、文字通りアカサビさんの特徴的な髪の色を指しているに違いない。確かに、派手な赤い髪をしていて、ぱっと見はとても恐ろしい不良にしか見えないが、不良にからまれていたぼくを助けてくれた、優しい人だ。
 あの人は悪人ではなく、むしろこの治安の悪い街にとって、欠かすことの出来ない正義の味方だとぼくは思っている。


 なんだか、記事を読んでいたら気分がくさくさしてきたため、ぼくはスマホをベッドに放り投げた。そして、スプレー缶を手にすると、このモヤモヤした気持ちを紙にぶつけることにする。
 書き慣れた『線引屋』のタグを描こうとノズルに指をかけ、力強く押し込むと、「スー」と気の抜けた音だけが聞こえてくるだけで、肝心のインクが出てこなかった。
 まさかと思い、スプレー缶を振って撹拌玉かくはんだまのカラカラという音を何度か聞いてからまたノズルを押し込んだが、インクが少し吹き出しただけで、再び出てこなくなった。
 まさか、黒色も終わってしまったのか。
 毎日、時間があればスプレー缶を握って線を引いていたため、八本あったスプレーインクの内、かなりの数の缶がすでに空っぽになってしまっていた。さっき紙にグラフィティを描いたことで、残り少なかった緑や黄色といった色が底をつき、茶色などの消費が少ない色がほんの少しだけ残っているのみだった。しかし、これだけの色ではグラフィティを描いてもパッとしないだろう。
 なんだかスッキリしない気分のまま、ぼくは空になったスプレー缶を放り投げると、ひとりごちる。

「今度の休みにでも、スプレーインク見に行かないとな」




  本編――真っ赤な嘘



   1


 この街、通称マッドシティは昼と夜でまるで違った表情を晒す。
 私、戸波加南子となみかなこは現在、駅の西口を出た先にあるショッピング街、その起点とも言うべき駅前のサンライズビル――通称ライズと呼ばれる複合ショッピングビルの前に立っていた。
 オープンが間近に迫り、改装工事もおおむね完了した建物の壁には、大きな看板でリニューアルオープンの日付が大々的に張り出されている。だが、私を含め、いまこうしてビルの前で立ち止まり、その看板のあたりをジッと見つめる人の群れは、オープンの日にちなど気にしていないに違いない。
 現在は看板で隠れてしまっているが、そこは数週間前に、線引屋によってグラフィティが描かれた場所だ。
 線引屋の説明に関しては、いまさら必要ないと思う。
 もしも知らないという読者が仮にいるのなら、私が記事を書いている若者向けの情報サイト『オンライン版ストリートジャーナル』の過去の記事を見てもらうのが早いだろう。
 始まりは、名もなきグラフィティライターが、街で大きくなりつつあったスカイラーズというチームを潰したという噂だった。それを耳にし、当初は単発のネタとして面白いという程度の考えでこのライターの存在を認識していた。
 しかし、ライズビルでのグラフィティを契機けいきに、この名もなきグラフィティライターは線引屋という名前で、一躍いちやく有名になった。
 真っ先に彼の存在を取り上げ、ブームの火付け役としての役割をになった責任と権利が、私にはある。
 表立っては言えないが、次に線引屋がどこでなにを描くのか、期待しているのは読者の若者たちだけではない。私も、その一人だ。
 目下、ストリートジャーナル編集部の意向は、この線引屋の正体を突き止めることにあるようだが、私はそれほど乗り気ではない。
 もちろん、個人的には素性すじょうを知りたい欲はあるが、それ以上に、謎の天才ライターという美味しい題材を、簡単には手放したくないという欲にかられていた。
 ストリートジャーナルは若者文化を牽引けんいんし、線引屋という若年層のカリスマを生み出した。そして、いまでは彼、あるいは彼女の存在がストリートジャーナルを引っ張りはじめている。
 その反響の声はあまりにも大きかった。
 編集部の上の連中は、犯罪行為に手を染める社会不適合者として線引屋を捉えている節がある。私も記事としての体裁ていさい上、彼の無許可のグラフィティを犯罪行為として書かざるを得ないが、それでも内心では期待してしまっているのだ。次は、どんな事件を巻き起こしてくれるのだろうと。
 現場での取材という名目でライズビルの前にやって来たが、すでにグラフィティが消されてしまっていては意味をなさないので、早々にその場を後にする。
 私は、昔馴染なじみの友人であり、取材対象として取り上げたこともある人物、与儀映子よぎえいこ――通称CAGA丸の経営する雑貨店『Masterマスター Peaceピース』に顔を出すことにした。
 どうにも、さっきから仕事モードのため堅苦しい意識になってしまっているが、与儀を前にすると、その仕事モードも完全にオフ状態になる。

「いらっしゃい戸波、いきなりどうしたのよ」

 タイトな黒いレザーの服に負けないくらいの黒髪を鬱陶うっとうしそうにかき上げた与儀は、店内だというのに平気でふかしタバコで接客する。自分の店とはいえ、分煙マナーが叫ばれる昨今に反したこの唯我独尊ゆいがどくそんなマイペースっぷり、昔から本当に変わらない。

「近くに来る用事があったから寄らせてもらったのよ。いま忙しい?」

 私の問いに与儀は肩をすくめ、店の中をタバコの先で示した。閑古鳥かんこどりが鳴いているわ、と。
 それなら遠慮えんりょする必要ないわね。私はカウンターに寄りかかり、同じくタバコに火をつけた。

「ねえ与儀。この前のライズビルのグラフィティの記事を書くとき、あんたからあのライターの名前教えてもらったじゃない?」
「あのライター……って、線引屋のこと?」
「そう。それで、これは友人としてのお願いなんだけど、もっと情報もらえない? あんたプロのライターなんだし、素性すじょうまではわからなくても、次にどこにグラフィティを残すかとか、噂になってないの?」
「そう言われても」

 注意して見ていなければわからない程度だが、ほんの一瞬、与儀の視線が外れる。これ、なにか隠してるときの彼女の癖だわ。
 そう思って追及を続けようとしたとき、店内で物音がして私は振り返る。与儀が外した視線の先に、若い男性客がいたのだ。
 なんだ、てっきり与儀、私に隠しごとしているのかと思ったけど、単に動いた客のことを見ただけなのね。残念。もし嘘ついているようだったらしつこく食い下がってでも、線引屋の情報を聞き出すのに。
 私は紫煙しえんを吐き出し、まだ長いタバコの火を消した。この無神経店主と違って、客がいる店でタバコをふかすなんてマナー違反をするつもりはない。
 それにしてもあの客、こう言ったら失礼かもしれないけど、この店に似合わないわね。
 なんか、どっちかというと駅前のゲームセンターとかが似合いそうな地味な男の子だわ。そんなあどけなさの残る少年が、与儀の趣味でつくっているグラフィティアートの商品陳列コーナーをジッと見つめていた。でも、手に取る度胸はないのか、ただ眺めているだけの時間が続く。
 もしかしたら、あの少年もストリートジャーナルの読者なのかもしれない。だとしたら、なんだか可笑おかしさと同時に、嬉しい気持ちになる。あんな、見るからにストリート文化と相反あいはんするような少年もとりこにしてしまう、線引屋の存在。
 そのカリスマを生み出したのは、他の誰でもない私なのだ。
 そう思うと、やる気がふつふつと湧いてくる。
 少年から興味をなくした私は、再び与儀に向き直り、線引屋についてしつこく食い下がった。小さなことでもいいから、情報を聞き出せないかと思って。


 ◇◇◇


 ……やっぱり高いな。
 ぼくは値段を見て、思わずため息を吐いた。
 売場に並んでいる多くのスプレーインクを見比べ、首をふる。
 今日、ぼく、間久辺比佐志は休日を利用して与儀さんの店、『Master Peace』にやって来ていた。目的は、以前彼女に、線引屋のロゴステッカーを作ってもらったのでそのお礼を言いに来たのと、スプレーインクなどのグラフィティ用品を見るためだ。
 ぼくが店に着いたとき、丁度他にお客さんがいなかったので、周りを気にせず、与儀さんとゆっくり話すことができた。といっても、例のステッカーの件以外に話すことも思い浮かばなかったので、すぐにスプレーコーナーへ足を運んだのだが。
 線引屋として活動していくことを決めたぼくは、先日からスプレーアートの練習を欠かさずやるようになった。その結果、与儀さんからもらった分のスプレーインクがほとんど底をついてしまったのだ。
 練習しているのはそれだけではない。あんなにやる気が出なかった美術部では、それなりに真剣に油絵の練習もしている。同じ美術部員でオタク仲間の廣瀬ひろせ中西なかにしが首をかしげながらあまりの変わり様に驚いていたが、元々ぼくが絵を描くのが好きなことを知っている二人は、それほど深く追及してくることはなかった。
 それどころか、邪魔にならないよう気をつかいながら、適度にぼくの息抜きに協力してくれる。なんだかんだ言って、やっぱり彼らと一緒にいるのが一番落ち着くのだ。
 もちろんそれは、比較対象があっての話だ。
 最近やたらと絡んでくるクラスメイトの石神さんといると、それだけで色んな意味で緊張してしまう。彼女は有名なティーン向けファッション誌で読者モデルをしており、お世辞せじ抜きで美人と呼べる容姿をしている上に、オタクが苦手とするギャル属性だ。魔王かのじょ対峙たいじするには、賢者ぼくはあまりにレベルが低い。
 ちなみに、勇者を名乗らないあたりは察してくれ。影のうすさとか色んな意味でぼくは賢者だし、勇者に相応しい主人公属性を持つ人間になら他に覚えがあった。
 ――アカサビ。
 不良たちからそう呼ばれていた彼は、元最強の喧嘩屋として、不良界では知らない人のいない大物だ。見た目も、喧嘩屋と呼ばれるのに相応しい容姿というか、真っ赤に染まった髪と、耳やくちびるに開けられた多くのピアスが特徴的な、近寄りがたい風貌ふうぼうをしていた。
 だが、実際は噂されているような危険な人物ではなく、自ら正義の味方を名乗りながら、真っ赤な髪で颯爽さっそうと現れ人助けをする。実際、ぼくが不良たちに襲われているところに現れ、彼は一人ですべての不良を片付けてしまったのだ。
 ああいう無双は男の夢だよね、実際。
 ぼくみたいに大した能力もない一般人は、ヒーローに助けられる引き立て役でしかなく、決してヒーローと並び立つことなど出来ない。
 モブキャラ、なんて自分のことをおとしめたくはないが、生きとし生ける者のほとんどが引き立て役に回るからこそ、ごく一部の勝ち組が引き立つ訳だ。もちろんその生まれながらの勝ち組には、読者モデルの石神さんも含まれている。
 ホント、世知辛せちがらいねこの世界って。
 ただまあ、そんな負け組のぼくだって、なにかを変えたり、あるいは自分自身を変えたり出来るのではないかと思って、いまは一生懸命努力している。ぼくに出来ることなんて絵を描くことくらいだから、毎日欠かさずスプレー缶と筆を握る。
 すべては、マスターピースを完成させるためだ。
 おっと、マスターピースと言っても与儀さんの店のことじゃない。
 文字通り傑作と認められるような作品づくりこそ、いまのぼくが目指すところだ。もしそれが完成したら、なにかが変わるような、そんな気がするから。
 ――っと思ってたんだけど、これはなかなか財布の中身が厳しいな。安いものでも一缶で野口様一枚、ちゃんと色を揃えたらそれこそいくらかかるか。
 ぼくはボッチをこじらせた結果コミュ障をわずらっているため、アルバイト経験がない。ご両親のスネかじり虫だからお小遣いだって微々びびたるものだし、今月は買いたいゲームもある。サブカルに傾倒けいとうすると、ホント軍資金はいくらあっても足りないよ。
 まあいいや。取りあえず一番の目的だったステッカーのお礼が言えたので、今日は良しとしよう。
 帰り際、店のカウンターの脇を通る。
 与儀さんに一声かけようと思ったが、知り合いらしき女性と話をしていたのでアイコンタクトで帰ることを伝える。
 すると、与儀さんと話していた女性もぼくに気付いて振り向く。
 びっくりして立ち止まったまま固まってしまったぼくに、女性は大人の余裕とでもいうのか、軽く会釈えしゃくしてきた。
 ぼくも慌てて会釈を返し、緊張からそそくさと出口へと向かう。
 背後で「なにあの子?」と与儀さんに問いかける女性の声が聞こえてくる。
 与儀さんが「知らないわ」と答えたところで、ぼくは『Master Peace』を後にした。


 さて、ここからが問題だ。
 今日、わざわざ駅前まで足をのばしたのは、なにも与儀さんにお礼を言うためでもスプレー缶を見にくるためでもない。これらはあくまで今日の目的のついでだ。
 これから、ぼくは石神さんと会うことになっている。
 なぜそんな事態になっているのかって?
 ごめん、それぼくが聞きたい。
 ただ、石神さんは昨日どこか落ち着かない様子だった。昨日というのは金曜日の学校でのことである。やけにこちらをチラチラ見てくるなと思ったのだが、まあネガティブオタ属性特有の自意識過剰による勘違いだろうと判断したぼくは、一日その違和感を放置していた。
 結果として、小鹿くらいなら一睨みで気絶させられそうな鋭い眼光を向けながら、ぼくに食ってかかってきた彼女。

「ねえ、なんかウチに言うことないわけ?」

 小鹿並みに繊細せんさいなぼくは、いまにも卒倒しそうになりながら彼女の言葉の意味を探り、取りあえず思い付くことを口にしてみる。

「す、鋭い眼光してるね!」

 グッと親指を立てて答えた結果、身も凍るような恐ろしい舌打ちが聞こえてきた。
 東大の入試より難しいんじゃないかな、この質問。だって脈絡みゃくらくが無さすぎるんだもん。登場するなり不機嫌な彼女は、ぼくになにを言ってほしいのだろう。うーん、わからん。

「……まさか、髪の毛切ったことじゃないだろうしな」
「それよっ!」

 石神さんは大きな声を出した。

「ふつう気付いてたらなんか言わないっ? 似合ってるねとか、可愛いよとか、あんたどんだけ気がかないのよ!」
「似合ってるね、可愛いよ」
「棒読みが腹立つわっ! それにいまさら遅えしっ、心がぜんぜんこもってないっ!」

 えー、なにこの理不尽。注文多すぎ。言われた通りやったじゃん。

「……百合のときは真っ先に声かけてたくせに」

 石神さんは不満たっぷりの顔で、小さくつぶやいた。
 確かに、加須浦さんが髪を切ったときはそのことに触れたけれど、そのときの彼女の引きつった笑顔は記憶に新しい。そんな苦い思い出が残っているのに、あの石神さんを自分からめるなんて命知らずな真似まねはぼくには出来ない。
 そもそも、朝から彼女は、すれ違う生徒ほぼ全員からカットした髪について褒め言葉をもらっていた。
 だというのに、まだ足りないというのだろうか。ぼくなんかの言葉が欲しいなんて、相当賛辞さんじの言葉にえてるに違いない。
 だいたい、元が良いのだからよほど冒険をしないかぎり変になんてなりっこない。どうせカリスマ美容師がいる有名美容院みたいなオシャレスポットで切ってもらっているのだろう。
 格安店で散髪を済ませているぼくに女子の髪型の変化を褒めろということ自体、無理な話なのだ。
 あーあ、今日も石神さんに睨まれてしまった。心が弱いぼくのメンタルはズタズタだ。褒めなくても睨まれるし、どうせ褒めても「キモい」とか言って睨んでくるに違いない。神様が理不尽をかたまりにして、ほんの少し気まぐれに見てくれを良く作ったのが石神冴子という存在なのだ。彼女の生態にいまさらいきどおりを感じたところで意味がない。
 ここは適当に謝ってさっさと帰ろう。そう思い、この場を収めるために表向き謝罪の言葉を口にして、背中を向けようとする。
 だが、彼女はぼくの腕を掴みそれを拒むと、「ダメ」と小さく呟いた。

「許さない。埋め合わせしなさい」

 夕日で染まる廊下。あまりにも綺麗きれいなその陽光は、彼女の頬まで朱色に染めているように見えた。
 不覚にもぼくは、そんな石神さんの姿に一瞬だけ見惚みとれてしまい、断ることを忘れてしまった。

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