クラスでバカにされてるオタクなぼくが、気づいたら不良たちから崇拝されててガクブル

諏訪錦

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2巻

2-1

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 プロローグ


 ぼく、間久辺比佐志まくべひさしは、をこれから行うべく、自室を厳重に締め切っていた。本当は、換気かんきのために窓だけでも開けておきたかったのだが、一一月の外気温は、気合で乗り切れるほど生易なまやさしくはない。
 寒いといえばクラスの運動部連中が休み時間の度に、意味のわからないお笑い芸人の劣化版みたいなノリで騒ぎ出す様子が思い出される。あれもまた、冬に近づくこの時期の空気に負けず劣らずの寒さだ。
 ただまあ、ぼくの周囲に漂う隠しきれないボッチオーラに比べれば、いくらかマシなのだろうけれど。
 客観的に自分を見ることが出来るというのも、こういうときばかりは考え物だ。なにも考えず、なにも感じずに日々を過ごすことが出来たなら、きっと人間はいまよりも幸せになれるのではないかと本気で思う。
 しかしながら、そうなった場合、そもそも幸福すらも感じられない人間になってしまうのではないかというロジックの矛盾にぶち当たってしまう。結果的に総攻撃を食らいそうなので、この論法を学会に提出するのは差し控えておこう。ちなみに学会とは、日々ぼくが書き込みをしているネット掲示板のことを指す。
 オタクというのはなぜか知識人ぶりたい人種が多いため、簡単に頭が良く見える秘技、他人の意見を否定するという行動から入りたがる。そんな人間しかいない掲示板学会なんかに持論を投じたところで、タコ殴りは確定だ。
 そもそもオタクは、同族に対してすら仲間意識よりも警戒心を持つ傾向にあるため、基本的にわかり合うことは難しい。ヤマアラシのジレンマなんて言葉もあるが、彼ら顔負けの悲しい生き物なのだ、ぼくたちオタクは。
 その場かぎりの関係で完結するネットですらなかなかわかり合えない人間が、複雑化する現実世界で他人から理解されることは、言うまでもなくさらに難しい。一応ぼくにも、数少ない理解者であるオタク仲間が、同じ高校の美術部に二人ほどいるのだが、彼らは別のクラスのため、ぼくはクラス内で揺るぎないボッチの座を確立している。
 まあ、一時期面倒くさいからみ方をしてきた運動部連中が大人しくなったことを考えれば、以前よりはマシだ。
 それに関しては、石神いしがみさんに感謝しなくてはならない。
 石神冴子さえこ
 ステータス、攻撃力・三五〇〇、守備力・二二〇〇。属性は悪魔。カードゲーム風に言うと、こんなところだ。
 補足しておくと、彼女はリアルに読者モデルなんてことをやっているらしく、超ハイスペックな女子高生だ。明らかに染髪せんぱつして栗色くりいろになった髪を、地毛だと言い張る豪胆ごうたんさを備えている。ちなみに、必殺技は『鋭い眼光』。そのひとにらみで、何度となくぼくは怖い思いをしてきた。間久辺比佐志という名の闇属性(心に闇を抱えた属性)の低級モンスターは、精神という名のライフポイントを削られる日々を送っていたのである。
 だが、最近はそんな彼女の鋭い眼光が向けられる対象はぼくではなく、ぼくに嫌がらせをしていた運動部連中になった。
 これには、実は理由がある。以前石神さんは不良のいざこざに巻き込まれ、隣町の不良たち『黒煙団ブラックスモーカー』に誘拐ゆうかいされかけたことがあった。そのときに、救い出す手助けをぼくがしてから、彼女のぼくに対する態度は明らかに優しくなったように思う。
 感謝してくれるのはいいが、ぼくから言わせてもらうともう過去のことだし、なにより当然のことをしたまでなので、いつまでも気にしないでもらいたい。
 だが、やはり彼女の発言力のおかげで、前よりクラスで過ごしやすいようになったのは間違いない。それについてはぼくとしても感謝している。
 しかしせないのは、いまでも彼女がたまにぼくを睥睨へいげいしてくるときがあるということだ。あれはいったいなぜなのだろうか。三つ子のたましい百までと言うし、やはり人の性格はそうそう変わらないということか。


 さて、高校生活に対してヘイトばかりが溜まっているぼくがため息をきたくなる理由もこれでおおむね出揃った。次は心のオアシス、加須浦かぞうらさんについて触れておく必要があるだろう。
 加須浦百合ゆり
 ステータス、攻撃力八〇〇、守備力二八〇〇、属性は天使。必殺技である『天使の微笑ほほえみ』でクラス内の有象無象うぞうむぞうの心を鷲掴わしづかみにする。
 補足するならば、彼女はぼくのマジ天使――以上。
 いまさら彼女の可愛さについて触れる必要などないだろう。それにもしもぼくにそのことについて語らせたら、恐らく長編映画を一本見終わるくらいの時間がついやされると覚悟していただきたい。文字数で言ったらおよそ二〇万字ほどだ。
 そういえば今日も、相変わらず、加須浦さんは愛らしい笑顔を振りまいていたっけ。屈託くったくないその笑顔を見ているだけで、ストレス社会を生きるぼくの心は洗われるようだった。しかも、髪を切ったのか、ボブカットの髪が切り揃えられ、黒髪の天辺てっぺんには光を反射した天使の輪まで見えていた。なんというキューティクル。その神々こうごうしい姿に、思わずぼくは席を立ちあがり、移動する振りをして加須浦さんに近づいた。
 なけなしの勇気を振り絞り、ぼくは、彼女の横を通り過ぎる間際、「……髪、切ったんだ」と小さく声に出した。あくまで、偶然気付きましたよという風を装いながら、同時に、女子の変化に目敏めざとい男なんだよ、という部分もアピールしておこうという、ぼくの完璧な作戦だったのだが――あれ、なんか加須浦さんビックリしてない?
 というか、なんだか引きつった笑顔だったんだけど。

『お、驚いたぁ。お母さんに毛先を揃えてもらっただけなんだけど、よく気付いたね』

 え、うそぉっ? これって物凄い変化じゃない?
 もしかして、気付いてたのぼくだけ?
 完全にやらかしてしまった。これではまるで、ぼくが普段から加須浦さんのことをジーッと見つめていて、髪を数ミリ切っただけでその変化に気付いてしまうヤバいヤツみたいじゃないか。
 事実その通りではあるんだけど、そんなに引きつった笑顔にならなくてもいいんじゃないかな。いつもは弾けるような笑顔を見せる加須浦さんも、笑い方を忘れてしまったかのように不自然に口元をゆがませていた。
 これはだいぶやらかしてしまった。
 まあ、運動部連中がぼくに対して、『お前は、呼吸する度に恥をさらしているんだぞ』って言っていたし、これ以上の生き恥はないはずだ。そう思い、その場から逃げ出そうとする際、加須浦さんと話をしていたのか、側にいた石神さんがぼくのことを思い切り睨んでいた。加須浦さんは必殺技の天使の微笑ほほえみを忘れてしまっていたが、石神さんに関しては得意の鋭い眼光が健在だ。
 だけど、どうしてぼくが睨まれなければならないのか、その意味はよくわからなかった。
 私の友達に変な視線を向けるな、といったところだろうか?
 相変わらず石神さんのことはよくわからなかった。そもそも、ギャルとオタクではお互いを理解しようとすること自体難しいのだろう。優しくしてきたかと思えば、急にぼくのことを睨みつけてくる。彼女は悪魔というよりも、小悪魔のように気まぐれで、ぼくにはその心が理解出来そうにない。


 今日の学校での出来事を想起しながら、ぼくは準備を進めていた。自分の部屋には鍵が設置されていないため、扉がすぐには開かないように、椅子いすと壁を利用してつっかえ棒の代わりにする。我が家には、思春期の男子高校生の部屋でもノックもせず平気で入って来る恐ろしい妹が生息しているため、気を抜けないのだ。
 こういう言い方をすると、ぼくがこれからやろうとしていることが、なんだかいかがわしい行為みたいに聞こえるかもしれないが、もちろんそうではない。
 家中からき集めてきたカレンダーや、片面印刷のチラシなどを、セロハンテープで貼り付け、巨大な一枚の紙にする。それをひっくり返し、裏面の白紙部分を表にして準備完了。床一面に大きな白い紙が現れた。
 よしっ、と気合を入れて一回うなずいたぼくは、いつも持ち歩くカバンの奥底からナップザックを取り出し、中からスプレーインクを八本すべて取り出す。
 今日、学校で加須浦さんが髪を切った話をしたあとの出来事。彼女が熱心に話していた内容について、ぼくは思い出してみる――

『ねえねえ冴子、聞いてよ。私、最近グラフィティにハマってるんだ』

 グラフィティ。直訳するなら落書きとなる、スプレーインクやフェルトペンを用いてガード下など人気ひとけの少ない場所に許可なく落書きを行う、不良文化の一つだ。普段、真面目な印象を受ける加須浦さんからこういう発言が出るというのは意外だった。
 石神さんは、スマホをいじりながら、話半分で加須浦さんの言葉を聞いていたのだろう。返答も適当だった。

『ハマってるって、それ、あの変な覆面ふくめんしたヤツの影響でしょ? 名前なんだっけ? 越後屋だっけ?』

 誰がお菓子かしの詰め合わせの中に小判仕込んでいる小悪党だ。

『もう冴子っ、何度も言ってるじゃん、線引屋さんだよ。いい加減覚えてよね』

 ぼくが言いたいことを、加須浦さんがしっかりと代弁してくれた。

『線引屋さんはすごいグラフィティライターなんだよ。あの駅前で一番大きなライズビルの壁に、一晩の内に大きなグラフィティを仕上げたのは、すでにネットじゃ伝説になってるんだから』

 ほら、これっ! と言って加須浦さんが石神さんにスマホを見せる。恐らくそのときに描かれたグラフィティの画像を見せているのだろう。
 ライズビルというのは、近隣で一番人の利用が激しい駅のすぐ目の前にある、巨大複合ショッピングビル、サンライズビルの通称だ。今年の夏頃から一〇月にかけて改装が行われており、その期間に、線引屋の手によってグラフィティが描かれた。
 そのグラフィティは、ビルの改装がほぼ終了している現在ではすでに見ることが出来なくなっている。しかし、ネットで調べれば画像がいくらでも出てくるようだ。

『ねえねえ、見て見てこれ。すごくない? スプレー缶一本でこれだけの絵を完成させるなんて、感動するでしょう?』

 正確には、それは一本で描かれたものではない。輪郭線りんかくせんを描いた下絵に、複数のスプレーインクを使用して、陰影を付けることで絵を浮かび上がらせる、ポスタリゼーションという技法が用いられている。
 あまりに加須浦さんが言うものだから、一瞬だけちらっと画像に目をやった石神さんは再び自分のスマホに視線を戻して、一言。

『でもそれ、犯罪でしょ?』

 それを言われたら、加須浦さんも返す言葉がなくなる。
 グラフィティは、無許可でやればもちろん違法行為だ。このライズビルのグラフィティは、ビルが改装されているというタイミングだったからそれほど大きな問題にならなかったが、本来なら警察が捜査そうさに動いてもおかしくない行為だ。
 石神さんの正論に一瞬黙り込んだ加須浦さんだったが、それでも反論する気持ちはあるみたいだ。

『で、でもカッコいいんだからしょうがないじゃない。それに、私だけじゃなくてネットでも謎の覆面グラフィティライターがカッコいいって言ってる人大勢いるんだからね』
『あっそ、ふーん。ウチはぜんぜん興味ないけどね』
『もぉ、冴子なんか冷たーい。っていうか、さっきからずっとスマホでなに調べてるの?』

 そう言って石神さんのスマホをのぞき見する加須浦さん。そういう悪戯いたずらっ子な仕草もたまらないな、と盗み見するぼく。
 すると、石神さんのスマホを見た加須浦さんが声をあげる。

『あれ、冴子、髪切るの?』

 その言葉に反応した石神さんが、大袈裟おおげさなほど身をひるがえしてスマホを隠した。

『ちょっと、勝手に見ないでよ!』
『ご、ごめん。でも、そんなに怒ることないじゃん』
『……別に怒ってないし。ただ、びっくりしただけで』
『そ、そうなんだ』

 なんだろう。遠くから、しかもこっそり見ているだけでは詳しくわからないが、二人の間で微妙な空気が流れているようだ。一瞬沈黙が流れる。
 その空気を切り替えるように、加須浦さんが口を開く。

『あれ? でも冴子、ついこの前、読モの企画でヘアスタイリストさんに髪の手入れしてもらったって言ってなかったっけ?』
『べ、別にいいじゃんっ。切ってもらいたい気分なんだから!』

 そう言って、いきなり視線をこちらの方に向けてきた石神さん。
 ぼくは慌てて視線をらす。盗み見ていたことに気付かれていたとしたら、これで誤魔化ごまかせたとは思えない。それにぼくの視線に気付いてこちらを見たんだとしたら、目を逸らしたせいで余計に怪しまれてしまったかもしれない。

『なに見てんのよ、キモオタ!』

 これくらいの罵声ばせいは覚悟しておいた方がいいだろう。
 そう思って覚悟を決めていたのだが、一向に罵声は飛んでこなかった。恐る恐る二人の方を見ると、なぜかニヤニヤしている加須浦さんと、不機嫌そうにそっぽ向く石神さんの横顔がそこにはあった。理由はよくわからないが、どうやら怒られずに済んだようだと、ぼくは安堵あんどした。
 それからも、二人の会話は続いた。
 基本的には、加須浦さんがグラフィティについて、ネットで仕入れた知識を一方的に話すのを、石神さんが軽く聞き流すという時間が流れていた。

『タギング』

 加須浦さんがそう言って、タギングについての説明を始める。

『タグっていうのは、グラフィティライターにとって自分のサインみたいなもので、それを描く行為をタギングって言うんだよ。グラフィティの中では基礎中の基礎だね』

 ――ぼくは学校でそう話していた加須浦さんの説明を思い出しながら、自室でスプレー缶を握る。
 彼女の言う通り、タギングはグラフィティの基礎中の基礎で、言ってしまえば自分のサインを描く行為を指す。そもそもグラフィティの起源は、自己主張を目的として始まったもので、自分、または自分が所属するチームのサインを街の壁に描くことで縄張りの主張を行っていたと言われている。
 ぼくは黒色のスプレーインクを手にすると、テープで止めて床いっぱいに広がった白紙の端っこに、タグを描いていく。完成するまでの時間、およそ一〇秒。グラフィティをやり始めたばかりの頃はもっと長い時間かかっていたが、何度も練習して、ここまで時間を短縮することが出来るようになった。
 グラフィティライターにもさまざまなジャンルの絵を描く人物がいるが、タグに関しては誰しもが通る道。そして無許可でグラフィティを街に残すようなイリーガルなライターは、タグ一つ描くにしても、その瞬間をなるべく見られないようにスピードを求める必要が出てくる。
 もっとも、スピードを求める動きはタギングに限った話ではない。グラフィティがアメリカの若者たちの間で広まると、競い合いは過熱し、タグよりも更に目立つグラフィティを求めるようになった。その過程で生まれたのが、短時間で仕上がるスローアップと呼ばれる作品だ。
 スローアップとは単純な構図で描かれた作品を指し、一色ないし二色ほどで描かれた簡単なデザインの絵柄を意味している。ぼくが街中で見かける、他のライターのグラフィティのほぼすべてがタグかスローアップ作品だ。
 まあ、この街は人の行き来が激しいため、目立つ場所にグラフィティを描こうと思ったら、深夜でも人の目があることを覚悟しなければならない。そのため、必然的に時間を掛けずに描ける、スローアップ作品かタグにかたよってしまうのだ。


 加須浦さんは、さらに説明を続けていたっけ。

『その簡単に描けるタグでも、ワイルドスタイルっていう独自のセンスで歪められた文字がまたカッコいいんだよ!』

 ワイルドスタイル。
 今度は、さっき描いたタグの少し上に、文字を崩してタグを描いた。
 ワイルドスタイルと呼ばれるタグは、ほとんどの場合、描いた当人にしかわからないほど文字が歪められたものになる。本来、自己主張を目的としたタグと相反あいはんしているように感じるが、多くのグラフィティライターが壁に自分のタグを描くようになると、そこに個性が求められていった。根本的に目立ちたいという思いでタグは生まれたため、他のライターが描いたものよりも目立つ作品を作り出す、という思いからワイルドスタイルが生まれたのである。
 現在のグラフィティライターのほとんどがこのワイルドスタイルか、あるいはバブルレターと呼ばれる丸みを帯びた文字でタグを描く。だから、読みやすさを重視して細い線で描くようなタグがダサいと評されるのは仕方のないことかもしれない。グラフィティをアートだと評価する芸術家などもいるが、やはり根底には不良文化としての性質が色濃く残っており、不良たちが常に考えるのは、イケているかどうか。見た目がカッコいいワイルドスタイルが流行はやるのは当然の帰結だ。
 それだけではなく、加須浦さんは他にもこんなことを言っていた。

『グラフィティって文字だけじゃないんだよ。キャラクターって呼ばれる、人や動物を描くのもあるの。中には可愛いデザインのものもあるんだよ』

 次はキャラクターか。
 ここまでくると、イリーガルなライターはかなり前準備が必要になってくる。キャラクターのように複雑な線引きが必要となると、タグやスローアップ作品のように数分で仕上げることは難しいだろうし、仮にその時間で仕上がるのだとしたら完成度は期待出来ない。それなら、わざわざキャラクターを描かず完成度の高いタグやスローアップ作品を仕上げた方が、大衆の目は引きやすいだろう。
 キャラクターの代表といえば、広義の意味でグラフィティに含まれる、第二次大戦頃からさまざまな場所で発見された『キルロイ』が有名だ。
 初めてネットでキルロイというキャラクターを見たとき、ぼくは素直に感心してしまった。あれほど簡単なデザインで描かれているにもかかわらず、一目見ただけで忘れられない印象を与えるデザインというのは、それだけで凄い。一般的にはキャラクターのデザインは手が込んでいるのが普通だ。特に、グラフィティではアメコミのような、キャラクターの造形が全体的に厚みを帯びているような作品が多く見受けられるのも特徴の一つと言える。それには、インクを何度も重ねて色に厚みを出す必要があるため、それだけでもかなりの時間を要するのだ。
 しかし、キルロイというキャラクターは、誰でも一度見ればすぐに模倣もほうが出来てしまう簡単なデザインでありながら、人の目を引く造形をしている。それが故に第二次大戦中はアメリカ軍の基地内部や、装備品にまで描かれているのが発見され、国のトップをも不思議がらせた落書きとして有名になった。
 ちなみに、ぼく個人としてはクールジャパンの観点から、誇るべきジャパニメーションの精神を受け継いだ作品が好みだ。そもそも、一番初めにぼくが描いたグラフィティは、アニメに出てくる魔法陣だったしね。そう思ったぼくは、個人的に大好きなアニメ、『ドドメキ~ドキドキ明星貴族学園めいせいきぞくがくえん~』のヒロインを紙の中心部に大きく描いた。


 ここまで、タグ、スローアップ、ワイルドスタイル、キャラクターと描いてきたぼくだが、そこで時計を確認してため息がこぼれる。
 タグを描き始めてから、最後のキャラクターを書き終えるまでに要した時間は一時間以上。タグやスローアップはほとんど時間を取られることがないが、ワイルドスタイルからは最低でも三〇分以上の時間を必要とした。紙でこれだけ時間がかかるということは、描くのがより難しい壁となると、さらに時間を取られてしまうだろう。


 学校で、加須浦さんはそれらすべてを説明し終えた後に、こう続けていた。

『いま説明した、タグ、スローアップ、ワイルドスタイル、キャラクターをまとめて描いた作品を、マスターピースって言うんだよ。これを街で見かけることはまずないみたい。あの線引屋さんがライズビルに描いたのだって、タグとキャラクターの二種類。もう一種類くらいグラフィティが入らないとマスターピースとは言えないんだよ』

 加須浦さんが言っていた通りだ。あらためてマスターピースを描こうと思うと、かなりの時間を必要とする。かなり急いで描いても、一時間、あるいは二時間かかってしまうのだから、イリーガルのライターが街中でマスターピースを仕上げることはまず不可能だろう。その前に見つかって、警察に通報されるのが目に見えている。
 まあ、マスターピースの定義というのは実際のところ明確に決まっているものではない。大勢の人がそれを『傑作』と捉えるかどうかで決まってくる。
 いつかはグラフィティライターとしてマスターピースを描いてみたいと考えながら、ぼくは、スプレーインクを入れていたナップザックに再び手を入れ、触れた硬い感触の物を取り出す。
 加須浦さんは最後にこう付け加えていた。

『はあぁ。いつか線引屋さんがマスターピースを描いているところを見てみたいな。欲を言えば、あのガスマスクの下の素顔も見てみたい。絶対カッコいいに決まってるよ』

 ぼくは、を手にしながら、部屋に置いてある姿見に自分の顔を写し、思わずため息がこぼれた。


 ……地味な顔でごめんなさい。


 きっと、ガスマスクの下の素顔を見たら加須浦さんはガッカリするだろう。だから絶対に見せる訳にはいかない。まあ、そうでなくても、街の若者で謎のグラフィティライター線引屋の名前を知らない者はいないというくらい有名になってしまっているのだ。正体がバレたら大事おおごとになってしまう。
 正体不明の覆面グラフィティライター。線引屋の正体がこのぼく、間久辺比佐志だというのは決して知られてはならないことだ。

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