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第八話 魔力不足

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 特急の指示にもきちんと応えて、アルベロスパツィアレは消化に良く栄養も豊富な食事を用意してくれた。
 二度も倒れたことで泣き詫びて目を真っ赤に腫らし潤ませるオリンドを、大丈夫だから気にするなとみんなで宥めて励ましながら客間へ送り届ける。
 今日ばかりはすみませんが私も同席させてくださいと、エウフェリオは温かな食事を今にも消えそうな顔でそっと食べるオリンドの背を撫でて見守った。
「…全部食べられましたね。よく頑張りました」
「…っ、…ぅ、…っ…」
 ご馳走様でした、か、あるいは何か礼でも言いたいのだろう。しかし萎縮して潰れる喉がそれを許さず、震える手を胸の前で握り合わせて背を丸める姿が、あまりにも哀れで目の奥が痛んだ。いったい幼馴染やこれまで出会った者たちは、どれだけの仕打ちを彼に与えたのか。何をされれば人の手を借りることにこんなに怯え萎縮すると言うのだろう。できることなら一生苦しむ呪いをかけてやりたい。
「貴方たくさん活躍してるじゃないですか。本当に、気にしないでください。こんな些細なこと何でも無いんですよ?…なにしろ私なんて見事に即死罠を踏み抜いてシェスカに蘇生されたことだってあるんですから」
「…えっ!?」
 ようやく顔を上げたオリンドは収縮しすぎて痛む喉から素っ頓狂な声を上げた。
「っふ…!…見たこと無いくらいまん丸ですよ貴方の目」
 くすくすと笑ってエウフェリオは目が合った途端に視線を逸らしてしまったオリンドの頭を撫でる。
「貴方のおかげで罠は罠でなくなるんですよ?見当違いの道を選んで時間を無駄にすることもなく、獲物を探して右往左往することもない。とても素晴らしいことです。それに怪我や体調を崩したりだなんて、補い合えばいいんです。誰も気にしたりなんかしません。…そうですね、こんな場面で使う言葉ではないかもしれませんが、大船に乗ったつもりで安心してください」
 大船…。呟いたオリンドは、少し表情を和らげてひとつ頷くと、小さくありがとうと口にした。
「こちらこそ。お世話になってます」
「っ、ふは」
 にっこりと返した内容に、やっと笑みが返された。一安心して温かな蜂蜜生姜湯を渡したエウフェリオは、明日は良い子で寝てるんですよ。と冗談めかしてもうひとつ笑いを誘ってから客間を辞する。静かに扉を閉め、そのまま音を立てないよう足早に廊下を進み、階段を降りて食堂へ向かった。
「お、オリンドは…!?」
 辿り着くと同時にアレグが詰め寄ってくる。その瞳に映る自分の顔を見て、ああ、と、眉間を揉みほぐしながらエウフェリオはテーブルに着いた。
「なあ、魔力不足とか、大丈夫なのか!?フェリ」
「そちらは大丈夫ですよアル。ただ、馬車でも見せていた通り随分と動揺したままです。精神面が不安ですね…」
 あの後、エウフェリオとウェンシェスランが自身の魔力不足時に使用する魔石玉を気絶したオリンドに握らせて最悪の事態は回避したものの、肝の冷える思いだった。なにしろ即座に吸い取られて魔力を失った魔石は二つが二つとも粉のように砕け落ちたのだ。推測するに生体エネルギーの八割ほどまで魔力に変換して使い果たしたに違いない。
 しかし彼ら以上に肝を冷やしたのは目を覚ました後のオリンド本人だ。何という失態か。自分の体の管理もできずに倒れるだなんて、迷惑この上無い。呆れるどころの騒ぎではないだろう。蹴り出されても文句は言えないし、そんなことはいい。これだけ良くしてくれた人たちに、恩を仇で返すような真似をした。ただでさえ血の気の引いた顔を蒼白にして震え出し、ようやく声の出るようになった喉で、ごめんなさい。ごめんなさい。と何度も小さく繰り返した。
「あんな…あんなになるなんて、何がそうさせるんだよ!?」
 食卓を囲んだ面々は、唯一オリンドの過去を聞いているらしきエウフェリオに視線を注ぐ。
「……っ…」
 だがエウフェリオに口の開けようはずも無かった。今言葉にしてしまえば身の内に沸る熱が暴発してしまいそうだ。
「それに、たぶん魔力不足だってことを自覚してないわ。…そもそも知らないのかも」
「…、それは、…確かに、私もそのように、感じましたね…」
 ウェンシェスランの指摘にようやくといったふうでエウフェリオは声を絞り出し、馬車での様子を振り返った。
 魔法やスキルを使い慣れた者が魔力不足に陥ると、肉体が生命活動に必要なエネルギーをも魔力に変換してしまう。その事実を知らないからこそ、あれだけ枯渇させてしまったのだとすれば合点もいく。
 しかしそれにはイドリックが疑問を呈した。
「いやいや、そりゃ無いだろ?サブスキルだろうが冒険に魔法を使うってヤツは、必ずギルドで説明されるじゃないか」
「そう…。そうなのよね。それにギルドの無料スキル訓練所案内の冊子だって、渡されるはずなんだけど…」
「ああ。…そういう、可能性も…。なんてことだ」
 二人の会話を聞きつつ考え込んでいたエウフェリオは、何かに思い当たった風で片手で額を覆った。
「えっ?なにが?…あっ、オリンドって文字が読めないんだっけ?」
 いやでも読めなきゃ読めないで口頭説明があるだろ?と聞くアレグに彼はしかめ面で緩やかに首を振った。
「クラッスラに入るとき、言っていたんですよ。勇者パーティも顔パスは無いのか。と」
 あの時はそのまま『勇者パーティほど優遇されていても』という意味なのだとエウフェリオは捉えたのだが、そうでは無かった可能性がある。
「あれはつまり、オリンドのよく知るギルドでは、常連の顔パスが罷り通っていた、ということだったのかもしれません」
「はああ!?なんだよそれ、どんなふざけたギルドならそんなガバ運営すんの!?」
 それでは出入り口が限られるからこそせっかく通行の管理が可能なダンジョンの利点を、冒険者のために組織されたはずのギルドが潰してしまっている。
「いえ、今はまだ可能性にすぎません。ですが、オリンドのあの魔力不足に対する無防備さは、シェスカの言う通り知識が無いものとしか…。とすると彼が最初に登録したギルドの怠慢以外に考えようがなくなります。ですがこの件はいずれこの街のギルドに調査してもらうとして、…なにしろ今問題なのは、彼が魔力回路も整っていないかもしれないということですから」
「ちょっ…、ええーっ!?リンちゃんのあの精密サーチで!?」
 待ってよ、そんなクソギルド燃やしに行かなくていいの!?と言いたかったウェンシェスランだったが、上回る驚きに物騒な感情は吹き飛ばされてしまった。
「だって、あんなの回路整ってなきゃ無理……でも、無い…の、か…。えっ、でも…。いや、そう。そうよね。説明も訓練も受けてなけりゃ、そうなんでしょうけど。…でもぉ…考えられないわあ…」
「えっ、えっ、なに?どういうこと?」
 魔法職だけで納得すんなよ。とアレグが説明を求める。その隣で然りとイドリックも頷いた。
「んんーっ、と。ちょっと説明…というか前提が長くなるんだけど。例えば回復魔法で言えば、一言で治すっていってもやることは多岐に渡るわけよ。相手の体に魔力を浸透させて、どこに損傷があるかとか、本人の治癒能力を高めるべきか術者の魔力を生体エネルギーに変換して与えるべきか、あるいは体内で悪さをしてる何がしかを潰すべきか、そういったことを返ってくる魔力の反応で探るわけ。…ここまではいい?」
 いい?と聞かれたアレグは視線を天井の辺りに彷徨わせて指を折った。ややあってこくりと頷く。
「うん。それでね、今度は返ってきた反応に対して、それぞれ適した場所に、適した質の、適した魔力を、練り上げて送り込む。…っていう細かぁあい調整が必要になってくるのね。こういう調整って膨大に魔力を消費するのよ。しかも、そういうことをするのに回路が整ってないと、…ええと、こう、浴用タライでグラスに水を注ぐようなことになっちゃうわけ。注ぎたい分よりざっばざば水が零れるようなもんね。馬鹿みたいに大量の魔力を使うことになっちゃうの」
「うへえ…。…えっ、じゃあ、だからオリンドも溢し放題で魔力を使っちゃってるってことか」
「そう…だろうって話なんだけどお。それってつまり、フェリちゃんレベルの魔力量が必要なんじゃないかしら…」
「ええっ!?」
 そうか、それでシェスカの先程の反応か。…いや、なんだって?賢者に匹敵する魔力量、だと!?耳を疑ったアレグとイドリックの二人に更に追い討ちをかけるようなことを、その賢者は次の瞬間、なんでも無いことのように口にした。
「そうでなければこの短期間で魔力不足に陥ることの説明も付きません。魔力が大量であるがゆえに無理やり回路を押し通すための圧力も高まって、本来流れるべきで無い回路から体外へ溢れ出てしまう量も莫大になっているのでしょう。…そうですね、あれだけ精密なサーチを広範囲にかけているんです。長年に渡って研鑽を積み、効率化を図ってきたとしても…自己流であるなら、魔力量で言えば私を上回るはず」
「はああ!?」
 なにそれ。なに言ってんの。おまえ、冒険者として世界で二位の称号を持ってるやつが、魔法使いとしては世界一のやつが、何言っちゃってんの?
 それほどの衝撃だった。あり得ない話だ。あり得ないでほしかった話だ。いわば国家どころか大陸を揺るがすほどの逸材を、世界に網を張るだなどと豪語する王宮やギルドが、探査スキルしか持っていないからと見下げられているがゆえに、これっぽっちも網にかけることすらなく見過ごしていただなどと笑い話にもならない。
「…っ、あったま痛い話だわあ…。はあぁ。でもまあそれなら貴方が確認して回路整備してあげればいいじゃない」
 初心のうちならギルドの指導員らで済んだ話だが、オリンドほど回路を未調整のまま長年酷使してきた場合はそうもいかない。自己流で増やされ複雑に絡まって固まっていることだろう。中には繋げるべきで無い箇所で環状になっていたり、あるいは体外に放出する口を開けてしまっている箇所もあるはず。
 こういった場合はなるべく魔力量の近しい者が解し整え直すことが望ましい。少なすぎれば回路全体に魔力を行き渡らせることができず、数日をかけるか数人がかりといった具合になり、多すぎれば解す行為が損傷の原因になりかねない、のだが、しかしエウフェリオは首を振った。
「…そう、したいのは山々ですが…。彼には、その、…釣り合わないと感じただけで、自死を選ぼうとするほど想う人が、居るようなんです。…私では力不足で…」
 ガァン!と、その言が終わらない内にウェンシェスランはテーブルを強く殴り付けた。
「なにそれ!?なにが力不足よ!?なら、リンちゃんがあたしらとの冒険の最中に魔力不足拗らせて死んでもいいっての!?蘇生ありきで付いて来させる気!?」
「っ、…それは…。いえ、貴方の言う通りです」
 強い語気と内容に打たれ、はっとした顔で背筋を伸ばす。それでは彼の気持ちを考えているようで己の身の振りしか考えていないではないか。
「私としたことが、彼の命を慮らないなど、…どうかしていました」
「なら、さっさと行ってきなさいよ!」
「はい!」
 客間の方角を指差されるままエウフェリオは駆け出した。その背中を見送った三人は詰めていた息を吐き出す。
「っはぁあもう。…力不足とか…ばっかじゃないの?」
「な。おっさんどう見てもフェリのこと大好きじゃん」
「アルにもわかるくらいな。…しかし自殺まで図っていたとは」
「そこよね…。なのにフェリちゃんを前にして名前伏せちゃうとか、もう、…もうっ!いじらしい…!」
 なるほどエウフェリオがあれだけオリンドを構うのは、目の前で死なれそうだったからでもあるのかと、考えれば二人が出会った経緯にも思い至る。
「…え、いじらしいの?」
 アレグは思い至れなかったようだが。
「馬鹿じゃないの!?馬鹿じゃないの!?リンちゃんたらフェリちゃんのこと好きすぎて、でもたぶんきっと思うに住む世界が違うからとかなんとか考えちゃって叶わないから自殺しようとしたくらいなのに、なんとそこを助けてくれたフェリちゃんに言わなかったってことでしょうが!?あたしなら言っちゃうわよ!状況に飲まれて、好きです…!くらい言っちゃうわよ!…っなにそれ、叶わない恋に世を儚んだら当の本人が助けにきました。って、なによそれ王子様の登場場面か、あの野郎。引くわ」
「あ。うわあ…ほんとだ、フェリったら王子じゃん、俺があんま見たくない系の」
「お前、恋愛物の劇とか苦手だもんな。…大丈夫か?これであの二人がくっつくなら、毎日見せつけられることになるが」
「え?うん。よく知ってる奴の恋バナは好き」
 赤の他人の恋愛だから興味無いし、だから見せられるの苦痛。と、いい加減空腹のあまり冷え切ったスープを器から直接飲む合間に言うアレグに苦笑する。
「まあ、そんなもんだな。…さて、飯食うか」
「あーん、もう。すっかり冷えちゃったわ。あっちは熱々かしらねえ」
 なんだか、もう一悶着ありそうな気もしちゃうけど。温め直そうと取り上げた皿を手に、肩をすくめるウェンシェスランだった。
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