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46『志忠屋の先客』

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はるか ワケあり転校生の7カ月

46『志忠屋の先客』





「あら、映画行ったんじゃないの?」

 お皿を洗う手を止めてお母さん。

「映画だと着替えて行かなきゃなんないし。たまにはお客さんで来ようって。ね、由香」
「こんにちは、おじゃまします」

 わたしは映画をやめ、由香を誘って志忠屋へ初めてお客としてやってきた。

「シチューは、もう切れてるけど日替わりやったらあるで。はい、おまち。本日のラストシチュー」

「ごめんなさいね、わたしがラストのオーダーしてしもたから」

 キャリアっぽい女の人が、すまなさそうにこちらを向いた。

「いいえ、わたしたち日替わりでいいですから」
「はい」
「アフターで、アイスミルクティーお願いします」
「このオバチャンやったら気ぃ使わんでええから」
「気ぃも、オバチャンも使わんといてくれます」

 口を尖らすキャリアさん。

「紹介しとくわ、これがさっき噂してた文学賞のホンワカはるか」
「トモちゃんの娘さん? 今作品読ませてもろてたとこよ」

 もう、お母さんたら。ただの佳作なんだよ、佳作ゥ!

「で、ポニーテールのかいらしい子が、友だちの由香ちゃん。黒門市場の魚屋さんの子ぉ」
「「ども……」」

 コクンと二人そろって頭を下げる。

 もっと、きちんと挨拶しなきゃいけないんだけど、このキャリアさんはオーラがあって気後れしてしまう。カウンターの中から「よろしく」って感じで、お母さんがキャリアさんに目配せ。

「この、オ……ネエサンは、大橋の教え子で叶豊子、さん」
「トコでええよ」
「大橋先生に習ってらっしゃったんですか?」
「うん、三年間クラブの顧問」
「昔から、あんなコンニャクだったんですか!?」

「コンニャク?」

 それから、しばらく大橋先生をサカナにして、五人はしゃべりまくった。

 昔は怖い先生だったようだ。部活中に引退した男子部員とケンカして二十八人いた部員が、ケンカし終わったら三人に減ってしまい、やけくそで書いた作品が近畿の二位までいったこと。気合いの入っていない稽古ではスリッパを飛ばしていたこと。字は今よりもヘタクソだったこと……など。いずれも今の先生からは「ヘー!?」と「ナルホド」であった。

「先生のヤンキースのスタジャンは?」
「あれ、なかなかシブイですよね」

 お母さんが合いの手。

「あいつは、野球がキライやねん」
「ええ!?」

 と、トコさんを除いた女三人

「阪神が優勝したときにね、この店でみんなで盛り上がって、先生一人ハミゴになってしもて」

 トコさんがクスクス笑いながら言った。

「ハミゴってなんですか?」
「ハミダシッ子いう意味」

 トコさんが、自ら翻訳してくれた。

「で、次来たときにはあれ着とった。シニカルなやっちゃ」
「ヤンキースファンなんて、まずいないでしょうからね」

 と、お母さん。しばらく、大橋先生の棚卸しは、終わらなかった。

 トコさんは、話しているうちに高校生みたくなってきて、というか、わたしたちが慣れちゃって、ちょっと上の先輩と話しているような気になって、メアドの交換までしちゃった。

「うちの店で、買うてもろたらサービスさせてもらいますよ」

 由香は、ちゃっかりお店の宣伝。店の写メまで見せてる。

「わ、大きなお店!」

「……の、隣です」
「ハハ、今度寄らせてもらうわ」
「まいど!」
「はるかちゃん、台本見せてくれる」
「はい、これです」
「わあ、ワープロや! 昔は先生の手書きやった」
「そら、読みにくかったやろ」

 タキさんが、チャチャを入れる。

「慣れたら、味のある字ぃですよ。わ、香盤表と付け帳は昔のまんま」
「大橋、エクセルよう使わんもんなあ」

 後ろで、お母さんが笑ってる(お母さんもできないもんね)

「あ、はるかちゃんの、カオル役はお下げ髪やねんね」
「はい。それが?」
「先生、お下げにしとくように言わへんかった?」
「いいえ」
「昔、メガネかける役やったんやけど、一月前から度なしのメガネかけさせられたよ。役はカタチから入っていかなあかん言われて」
「そうや、はるか、お下げにしよ!」

 由香が調子づいた。

「うん、やってみよう。はるかのお下げなんて、小学校入学以来だもん!」

 お母さんまで、はしゃぎだした。
 あーあ、わたしはリカちゃん人形かよ……。

「はい、できあがり」

 と、お下げができたとき、トコさんのケータイが鳴った。

「……はい、分かりました。木村さんですね。すぐ行きます。ううん、ええんですよ。こういう仕事やねんから。ほんなら、また。あたし木曜日が公休で、月に二回ぐらい、ここにきてるさかい、また会いましょね」

 トコさんは、キャリアの顔に戻って、店を出て行った。
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