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38『栞は栞』

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乙女先生とゆかいな人たち女神たち

38『栞は栞』 

       



 この連休は全てレッスンである。

 覚悟はしていたが、やっぱり厳しい。休日のレッスンは昼休みを除いて六時間ミッチリある。

 まず、狭いスタジオの中を二十周ほど歩かされる。

 歩く条件は一つ「アイドルとして歩くこと」だけ。

 その間、二人のインストラクターの先生は、なにかしらメモをとっている。終わってもなんのアドバイスもない。
 次ぎに、MNBのストレッチ。一定の型はあるんだけど、そのストレッチの間、個別に指導が入る。どうやら歩かせているうちに、体の歪みや癖がチェックされていたようで、各自、それに合ったメニューが付け加えられる。

 栞は、それまで、自分の体に歪みがあるなんて思いもしなかった。

「栞は右脚に重心をかけすぎ。あんな調子で吹雪きの中を道にまよったら、大きく左側にそれて、一時間も歩いたら、もとの場所に戻って、遭難間違いなし」

「そうなんですか!」

 ププ( ^ิ艸^ิ゚)  アハハハハ(((^0^)))

 みんなに笑われた。期せずしてギャグになっていたのだ。

「今のがギャグなんだけど、無意識に出た物だからおもしろい。あれを企んでやったらオヤジギャグになって、気温の寒さの前に、ギャグの寒さで凍死する」

 もう一人のインストラクターの先生が指摘。

 アハハハハ((((≧∇≦*))))

 また笑われた。

 その後、しばらく「そうなんですか!」が五期生の中で流行った。

「栞、自分の靴持っといで」
「はい」
「みんなよーく見て、この靴底。右の方が左よりも二ミリも減っている。わかるわね、右に力が入っているのが」
「みなみ、あんたも靴持ってきて」
「は、はい!」

 武村みなみという子が靴を持ってきた。

「ほら、みなみの靴と、栞の靴、よ-く見て。なにか気づかない?」

 先生は、二人の靴を全員に回した。

「なにか、わかった人?」
「はーい」

 こともあろうに、さくやが手をあげた。

「栞先輩のは、少し外側のカカトが削れてますけど、みなみさんのは、内側が削れてます」
「正解。でも、ここで互いの名前呼ぶときに『先輩』はつけない。同期は「ちゃん」か「呼び捨て」 ま、そのうちに愛称になったらそれも良し。この減り方から分かることは?」

「X脚とO脚です!」

――わたしって、X脚か~――

 栞は落ち込んだが、先生がフォローしてくれた。

「少し外側が減るくらいがちょうどいいの。栞は、その点では合格」
「今から、新しい靴を配ります。当分学校も、レッスンもこれで来ること。靴底の減り方チェックするからね」

 それから、みんなで靴底のチェックをしあった。きちんと減っている子は五人ほどしかいなかった。
 
 今度は、まっすぐきれいに歩く練習だった。

 背筋の曲がり方、肩の左右の高さの違いなどチェック。

「はい、フロアーの線をカカトで踏んで歩く。ふらつくな! 前を見て、腰から前に出す!」

 全員でやっている間に、問題児は抜き出されて個別の指導を受けている。

「モデルじゃないんだから、おすまししない! ごく自然にぶら上がった状態で歩く」

 ブラ、上がった? 変な連想をした子もいたけど、先生の見本を見てすぐに分かった。自然でカッコイイ。
 でも、どうやったら、それが出来るのかは謎だった。


 昼からは、表情の練習だった。

「笑ってごらん」

 先生に言われて笑ってみる。

 アハハハハ(=^△^=)

「声に出さない。顔だけで笑う。なんだ、おまえは虫歯が痛いのか!?」

 確かに、虫歯が痛いのを堪えているような顔ばかりだった。

「顔には、表情筋というものがあるけど、みんなは、その半分も使っていない」

 先生は、いろんな表情をして見せてくれた。顔の筋肉が左右非対称で動くのを初めて知った。
 これの一番簡単なのがウィンク。でも、だれもできなかった。

 それから、発声とステップの基礎。終わったころにはアゴが痛く、顔では無くて膝が笑っていた。


 夕方は、ステージのカミシモに分かれて見学。

 その日はチームMの公演。リ-ダーは、以前テレビでいっしょだった榊原聖子。顔つきがまるで違う。円陣を組んで気合いを入れる。

「今日失望したファンは二度と来ない! だから、一人一人最高のパフォーマンスで! 掴んだファンは二度と逃がすな! いいな!!」
「おお!!」
「MNB24ファイト!!」

 すごい気合いだった。知ってか知らでか、聖子は栞のことなど完全にシカト。
 武村みなみは、ステージの高さに顔を合わせて、選抜メンバーの靴のカカトばかり見ていた。

 そして、かえりは支給されたローファーを履いて、さっそく足にマメができてしまった。

 で、前号の台詞になる。

「ああ、もう死ぬう……」

 いつもなら敏感な栞だが、この日はさすがに、乙女先生が、こんな時間に家にきていることも、ほとんど気にかからなかった。

 明くる日、ステージ袖のモニター、開演前の客席に乙女先生と旦那さんに挟まれた女の子を見つけて不審に思った。

――乙女先生、娘さんなんかいたっけ……――

「そこの研究生!」
「はい!」

 あっと言う間に、乙女先生の家のことなど、頭から飛んでしまった……。
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