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 結論から言えば、元に戻っていたようです。腕もきちんとくっついていました。良かったです。危うく、ウィステリア様から賠償金を請求されるところでした。
 いえ、やはり状況は全然良くないです。
 貴族でありながら貴族としての暮らしに縁が無かった私に、公爵家に嫁げなど。
 ……無理に決まっているではないですかあ。
 こんなことになるなら、あの時逃げなければ良かったと、私は心底後悔しました。

 実はあの後すぐ、魔術師のような方が後ろから駆けつけてきたのです。「ウィステリア様! ご無事ですか!」と大声で叫びながら。
 駆けつけてきた方のローブの胸元には、不死鳥の紋章が刺繍されていました。王族の象徴である不死鳥。その紋章が施されたローブを身につけられる魔術師など、宮廷魔術師以外ありえません。
 そのため、この「ウィステリア様」が「ウィステリア・ヴァン・グレード」だということはすぐ理解できました。なので、ウィステリア様が魔術師の方に気を取られている隙に、私は脱兎の如く逃げました。理由はもちろん、溶けた義手の賠償金を請求されると思ったからです。
 王国有数の貴族に裁判で勝てるわけないじゃない! と、私は全力疾走で逃げました。途中まで追いかけられましたが、この森は私のお気に入り。獣道から森で一番美味しいキノコが生えている場所まで、全て頭の中です。森に不慣れそうな二人が私に追いつけるわけないのは当然の結果。私は二人をうまく巻いた後、おやつの木の実を諦めて家へ帰りました。

 家族にはウィステリア様のことを話せませんでした。侯爵家復興を願っている両親には心苦しかったですが、グレート公爵家に顔を覚えられることより、左腕の賠償金を請求される方がよっぽど現実的にあり得ると思ったからです。
 とはいえ、私はウィステリア様に名乗っていません。私の容姿はどこにでもいそうな平凡な顔立ちですし、魔術もこれといった特徴的なものではありません。温度操作ぐらいなら、魔術師なら使える人も多いでしょう……多分。
 私の正体は、きっとバレていないはずです。今日の話は私の心の中に秘めておけば、侯爵家が賠償金を請求されることはないでしょう。私はそう結論づけて、明日の仕事のため早々に寝ました。

 翌日の夜。
 仕事から帰ってくると、ウィステリア様が我が家でハーブティーを優雅に飲んでおりました。

「な、なぜここに貴方が!?」

 私は驚いてリビングの壁に張り付きました。ウィステリア様のお相手をしていたのだろうお父様が、やけに笑顔で「ラヴィ、後は任せたぞ」と私の肩を叩いて部屋を出ていきました。
 キッチンにいるお母様が怖いほど上機嫌だったのは、こういう理由だったのですね……。
 冷や汗が止まらない私とは対照に、ウィステリア様は淡々と私の疑問に答えました。

「昨日、あなたが立ち去った後、家名入りのハンカチが地面に落ちていた。それを頼りにしただけだ」

 と、簡潔にただ私が間抜けだったことを言われました。そういえば、昨日ポケットに入れていたハンカチ、今日は見当たりませんでしたわ……。
 王都郊外のボロ屋に住む貴族など、ロシェル侯爵家(我が家)以外ありえないでしょう。昨日の今日で正体を突き止められるのも納得です。
 やはり賠償金を請求しにみられたのでしょうか。しかし、ウィステリア様を見ると、なんと彼の左腕はきちんと身体にくっついて動いているではありませんか。
 私は目を瞬かせました。昨日は、溶けて無くなったはずなのに。本当に冷やしたら元に戻ったというのでしょうか。

「あの……左腕は大丈夫でしたか……?」

 恐る恐る尋ねれば、ウィステリア様は「ああ」と小さく頷いて、

「いつものことだ。気にするな」

 と、素気なく答えます。全く答えになっていません。ともあれ、直訴しにきたわけではないようで、私は胸を下ろします。
 先程から一貫して無愛想な態度に、なるほどこれが噂の氷の貴公子かと関心していますと、突然ウィステリア様が話を切り出しました。

「私は周りから氷の貴公子と呼ばれている」

 あ、ご本人もご存知だったのですね。

「それは事実だ」

 しかも認めるのですね。自称するタイプとは珍しい。

「この不便な体質は、治療法が未だ見つかっていない」

 ち、治療法……ですか。
 随分と大事な……いえ、問題を矮小化するのはやめましょう。貴族社会に限らず、良好な人間関係を築けるかどうかは人生において大切なことですから。

「それは……とても大変でございましたね」

「別に慣れている。同情は不要だ」

 そしてこの塩対応です。そういうところではないでしょうか?

「だが、治療法は無くとも、改善することはできるかもしれない」

「はあ、まあ、そういうものなのでしょうか……?」

 この場合、人見知りの改善という認識で間違いないのでしょう。多分。
 ……それと私に、何の関係が?

「あの……それで、一体、私に何のご用で?」

 賠償金の請求以外の用件が浮かばなかった私は、思い切ってウィステリア様に尋ねてみました。
 彼は何も言わず立ち上がると、未だ扉前から一歩も動いていない私に近づきました。
 男性の中でも身長の高いウィステリア様と、容姿も背丈も普通の私が並べば、当然見下ろされます。圧倒的美のオーラに気圧され、私はまたもやドアに張り付きました。
 ウィステリア様が囁くように言いました。

「私は今日、ラヴァンダ嬢に求婚しにきた」

 私は耳を疑いました。
 な、なぜ、プロポーズ……? 人見知りの治療の話はどこに……?
 ハッ。そういえば、ロマンス小説では周りに誤解されている氷系の王子(貴公子)は、心温かい少女との恋愛によってなんやかんや周囲と上手く和解していく展開が王道だと聞いたことがありますわ。
 まさか、そういう粗治療を試してみたいのですか……!?

「求婚を受けてくれれば、侯爵家の借金は肩代わりしよう。復興支援も協力を惜しまない。……ただ、君に条件がある」

 でましたわー! 契約結婚! ロマンス小説でお馴染みの! あの!
 まさかの展開に、私はちょっと興奮――というより、やけくそ気味になってきました。夢物語が現実でもあり得るなんて、感動してしまいますね! 当事者が私でなければもっと最高だったのですが。
 私はウィステリア様の話についていけず、ひくりと頬を引き攣らせました。

「な、なぜ私などにそんなお話を。家格も品格も、私とウィステリア様では釣り合いません。どのようなお考えをお持ちなのですが」

 どんな裏があるか警戒する私に、ウィステリア様は初めて能面を崩しました。

「――それは、あなたにしか頼めないことだからだ」

 目を伏せ、物憂げな顔でウィステリア様は手袋を外しました。

「不自由のない生活を保障する。男女関係も口出さないと約束する。だから――」

 彼の指先が――

「あなたの……ラヴァンダ嬢の魔術で、私の体質を改善していただきたい」

 ウィステリア様の指先が、どろりと透明な液体になり、音を立てて落ちました。
 床にできた小さな水溜まり。そして、昨日の溶けた義手。異様に低い彼の体温。私はようやく理解できたのです。


「氷って、そのままの意味でしたの!?」


 冬を超え、新しい命が芽吹く春の始まりに。
 私は、色んな意味で「氷の貴公子」である、ウィステリア様と出会ったのです。
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