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1 ルラが来た日
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素肌に指を這わせながら、ルラが俺を呼んだ。
「ゆきひさ」
いつもはふざけた愛称で呼ぶくせに、こんなときばかり。
その名を口にするだけで、幸せ、みたいな蕩とろけそうな顔をする。
狙ってやってるんだとしたら、効果は抜群だ。なんでもないときに名前を呼ばれたら、俺、もう勃っちゃう自信があるもんね。
ルラは行久ともう一度ささやいて、俺を抱き寄せた。
あやかし嫌いのこの俺が、いったいどうしてコイツとこんな関係になっちゃったのか。すべての始まりは――、と切り出せば、俺の生まれる前のことになってしまう。
だからここから始めよう。
大学三年の春。ルラが、はじめて俺の前に姿を現したあの日。
◇
玄関をあけるとメタルフレームのメガネが似合う、さわやかイケメンと目があった。
まったく見覚えのない男だ。高校生か、それとも新入生だろうか。
「こんにちは。今日からお世話になります。ルラって呼んでくださいね、ハニー」
「ああ。うちじゃないです」
ドアを引いたが閉まらなかった。よく見ると、ドアストッパーが挟まっている。あけた瞬間仕込んだというのか。プロか、いや、なんのプロだ。
「安心してください。注文された覚えもありませんから。デリヘルでもマッチングでもサブスクでもないです。ただの押しかけ婿ですよ」
アイドルみたいな顔して、なかなか厚かましいことを言う。その上、ぐいぐいドアをあけようとしやがる。細腕のくせに意外と力強い。嘘だろ押し負けそうだ。
気弱になった途端、ダメだった。転ぶと思ったらポスンと男の腕の中だ。彼はドアストッパーをその辺に蹴って、俺を抱えたままドアを閉めた。後ろ手にカギとチェーンロックをかける。流れるような動作であった。
なにこの状況。
「誰なんだよおまえ、ルラとか言ったな! 芸名か? 言っとくが俺は三年だぞ! 中学じゃないからな、そこの、大学の!」
力任せに押しやると、ルラはあっさり俺を離す。胸ポケットにメガネをしまう何気ない仕草さえ絵になった。
「いえ、本名です。うれしいな。一度で認識してくれるなんて。家にも招き入れてもらえたし」
「いや、おまえが無理やり押し入ったんだろ。なにが目的だ!」
「今から説明します。時をさかのぼること……えーと、明治の頃です」
「ウロンじゃねえか」
「僕はあなたの先祖にひとめぼれし、ストーカーをしていました」
あー、しまった。やばいヤツを家にあげちまった。さり気に靴をぬぎはじめてるし。これ以上、先に行かせるわけにはいかねえ。なんとか追い返すんだ!
「そんで俺が、生まれ変わりだとでもいう気かよ。ざんねんだが俺の前世はトウガラシだよ」
「その話にはとても興味がありますが、生まれ変わりと子孫は違いますよ。あなたの先祖は子孫をくれると言ったんです。私の孫やひ孫たちのなかに十八歳をすぎても身も心も清いまま、結婚する相手もいない者がいたのなら、その人の婿になりなさいと」
俺は内心ギクリとしたが、平静を装って話を続けた。
「へ、へえそりゃ、ひでえ先送りだな。それ騙されたんだよ。もう帰りな。だいたいおまえ高校生だろ! いたずらにしてもやりすぎだ。学校に連絡するぞ」
「もう卒業しました。そして今日は四月一日です」
「なるほど、エイプリルフールか。各戸を訪ねるのはハロウィンだ。うちはどっちも受けつけてないけどな!」
「もう高校に在籍していないという意味です。ちなみに誕生日は七月ですが、高校生だということを理由に拒否されないように今日まで待ちました。さあ婿にしてください」
なんだコイツ、やけに弁が立つな。さすがにちょっと引きつって、それでも俺は粘った。
「ヨメならともかく、なんでムコをとらなきゃなんねえんだ!」
彼はニコリとして、どこからともなく紙袋をとり出した。手品かよ。
「ところでこれどうぞ。お好きだと突き止めたんで。プリンです」
「俺のこともストーカーしてるの!?」
怯んだ隙を突かれてしまった。彼はヌルっとアパートに入り込んだ。
「察しがいいですね。好きです。あ、お茶いれますね?」
「いや、入るなよ。ぬらりひょんかよ」
「いいえ、どちらかというと提灯小僧の進化系ですよ」
「アレってストーカーすんの?」
「しますよ。やだな、身内の話ってちょっと恥ずかしいですね」
そうこうするうちに、ルラはもう電気ケトルを手に取っている。
「朝のお湯は捨てちゃいますね」
盗聴器でも仕掛けてんのか。朝のお湯だとなぜ知っている。コンセントを見て回ると、彼は「ああ」と手を振って見せた。
「盗聴器なんてしかけていませんよ。もっとアナログな手段です」
「へ!?」
「すでに中に……」
「やめろやめてくれっ。俺、ホラーは苦手なんだ!」
耳をふさいでもルラの呆れ声はちゃんと聞こえた。
「ホラーじゃなくて犯罪ですよ、この場合。危機感なさすぎですよ、ハニー。さっきだってすぐにドアあけちゃうし。でも大丈夫、これからも僕が守りますね」
「も、って言った? すでになんかやった節がある!?」
「落ちついて。甘いものでも食べませんか。ほら、お湯沸きましたよ」
「紅茶の位置も把握されてるう」
俺は両手で顔を覆った。いや、絶望するのはまだ早い。どうにかしてコイツを追い出すんだ。
「ゆきひさ」
いつもはふざけた愛称で呼ぶくせに、こんなときばかり。
その名を口にするだけで、幸せ、みたいな蕩とろけそうな顔をする。
狙ってやってるんだとしたら、効果は抜群だ。なんでもないときに名前を呼ばれたら、俺、もう勃っちゃう自信があるもんね。
ルラは行久ともう一度ささやいて、俺を抱き寄せた。
あやかし嫌いのこの俺が、いったいどうしてコイツとこんな関係になっちゃったのか。すべての始まりは――、と切り出せば、俺の生まれる前のことになってしまう。
だからここから始めよう。
大学三年の春。ルラが、はじめて俺の前に姿を現したあの日。
◇
玄関をあけるとメタルフレームのメガネが似合う、さわやかイケメンと目があった。
まったく見覚えのない男だ。高校生か、それとも新入生だろうか。
「こんにちは。今日からお世話になります。ルラって呼んでくださいね、ハニー」
「ああ。うちじゃないです」
ドアを引いたが閉まらなかった。よく見ると、ドアストッパーが挟まっている。あけた瞬間仕込んだというのか。プロか、いや、なんのプロだ。
「安心してください。注文された覚えもありませんから。デリヘルでもマッチングでもサブスクでもないです。ただの押しかけ婿ですよ」
アイドルみたいな顔して、なかなか厚かましいことを言う。その上、ぐいぐいドアをあけようとしやがる。細腕のくせに意外と力強い。嘘だろ押し負けそうだ。
気弱になった途端、ダメだった。転ぶと思ったらポスンと男の腕の中だ。彼はドアストッパーをその辺に蹴って、俺を抱えたままドアを閉めた。後ろ手にカギとチェーンロックをかける。流れるような動作であった。
なにこの状況。
「誰なんだよおまえ、ルラとか言ったな! 芸名か? 言っとくが俺は三年だぞ! 中学じゃないからな、そこの、大学の!」
力任せに押しやると、ルラはあっさり俺を離す。胸ポケットにメガネをしまう何気ない仕草さえ絵になった。
「いえ、本名です。うれしいな。一度で認識してくれるなんて。家にも招き入れてもらえたし」
「いや、おまえが無理やり押し入ったんだろ。なにが目的だ!」
「今から説明します。時をさかのぼること……えーと、明治の頃です」
「ウロンじゃねえか」
「僕はあなたの先祖にひとめぼれし、ストーカーをしていました」
あー、しまった。やばいヤツを家にあげちまった。さり気に靴をぬぎはじめてるし。これ以上、先に行かせるわけにはいかねえ。なんとか追い返すんだ!
「そんで俺が、生まれ変わりだとでもいう気かよ。ざんねんだが俺の前世はトウガラシだよ」
「その話にはとても興味がありますが、生まれ変わりと子孫は違いますよ。あなたの先祖は子孫をくれると言ったんです。私の孫やひ孫たちのなかに十八歳をすぎても身も心も清いまま、結婚する相手もいない者がいたのなら、その人の婿になりなさいと」
俺は内心ギクリとしたが、平静を装って話を続けた。
「へ、へえそりゃ、ひでえ先送りだな。それ騙されたんだよ。もう帰りな。だいたいおまえ高校生だろ! いたずらにしてもやりすぎだ。学校に連絡するぞ」
「もう卒業しました。そして今日は四月一日です」
「なるほど、エイプリルフールか。各戸を訪ねるのはハロウィンだ。うちはどっちも受けつけてないけどな!」
「もう高校に在籍していないという意味です。ちなみに誕生日は七月ですが、高校生だということを理由に拒否されないように今日まで待ちました。さあ婿にしてください」
なんだコイツ、やけに弁が立つな。さすがにちょっと引きつって、それでも俺は粘った。
「ヨメならともかく、なんでムコをとらなきゃなんねえんだ!」
彼はニコリとして、どこからともなく紙袋をとり出した。手品かよ。
「ところでこれどうぞ。お好きだと突き止めたんで。プリンです」
「俺のこともストーカーしてるの!?」
怯んだ隙を突かれてしまった。彼はヌルっとアパートに入り込んだ。
「察しがいいですね。好きです。あ、お茶いれますね?」
「いや、入るなよ。ぬらりひょんかよ」
「いいえ、どちらかというと提灯小僧の進化系ですよ」
「アレってストーカーすんの?」
「しますよ。やだな、身内の話ってちょっと恥ずかしいですね」
そうこうするうちに、ルラはもう電気ケトルを手に取っている。
「朝のお湯は捨てちゃいますね」
盗聴器でも仕掛けてんのか。朝のお湯だとなぜ知っている。コンセントを見て回ると、彼は「ああ」と手を振って見せた。
「盗聴器なんてしかけていませんよ。もっとアナログな手段です」
「へ!?」
「すでに中に……」
「やめろやめてくれっ。俺、ホラーは苦手なんだ!」
耳をふさいでもルラの呆れ声はちゃんと聞こえた。
「ホラーじゃなくて犯罪ですよ、この場合。危機感なさすぎですよ、ハニー。さっきだってすぐにドアあけちゃうし。でも大丈夫、これからも僕が守りますね」
「も、って言った? すでになんかやった節がある!?」
「落ちついて。甘いものでも食べませんか。ほら、お湯沸きましたよ」
「紅茶の位置も把握されてるう」
俺は両手で顔を覆った。いや、絶望するのはまだ早い。どうにかしてコイツを追い出すんだ。
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