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【1章】晶乃と彩智

9.まだ出会っていなかったとき

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 桑島徳人くわしまのりとが実家に立ち寄った時は、家に誰もいなかった。実家と言っても、同じ敷地内にあるので徒歩30秒ほどである。

 日も暮れようという時間帯に、夫婦揃ってどこに行っているのか。ましてや鍵もかけずに出歩くなんて相変わらず不用心だ……と思いつつしばらく家の中で待っていると、実家の電話が鳴り響いた。留守電にもなっていなかったので、仕方なく自分が取ったが、後から思うと自分が取ったのは良かったと思える。

 その電話は一年ほど前、従兄である桑島修務が死に、自分の両親に引き取られたことで出来た妹の彩智の通う高校からだった。学校で怪我をしたという連絡だった。

 徳人の父の兄の息子が修務である。徳人の父方の叔父夫婦はすでに他界しており、修務の妻の両親も高齢の為に中学生の娘を引き取るのは無理ということになった。一人っ子同士の夫婦だった桑島夫妻と同年代の近親縁者がせいぜい徳人くらい、という状態だったため、最終的には徳人の両親が引き取り養子とすることになった。

 彩智から見れば今の両親は祖父母の年代だし、兄は父親より4つだけ年下という環境は、本人にとって決していいとは言えないだろう。しかし、引き取られてそれほど時を置かず、お父さん、お母さん、お兄さんと呼ぶようになったし、両親が死んですぐに中学3年生に上がり、年が明けたら高校受験という環境にありながら無事合格を果たした。本人の内心は分からないが、新しい環境に一生懸命慣れようとした結果であったのだろう。徳人の両親もそれを良く分かっているし、息子に嫁が来るより先に孫が来たと、それはそれは可愛がっている。

 それだけに、彩智が学校で怪我を負ったなどと知ったら怒鳴り込むだけでは済まなかっただろう。

 ……とりあえず、自分が先に行って事情を聴いて、どうするべきかはその後だな。

 と考えた。考えてから自分の服に目を落とす。引きこもりにも似た生活を送っている自分の服装はかすれたジーンズにTシャツという格好である。年だけは重ねて40歳手前になろうという男が外に出るような恰好ではない。

「やっぱりまずいな」

 と思い、実家を出て合い鍵で玄関だけ鍵を閉める。勝手口が開いていれば大丈夫だろう。足早に自分の家に入った。桑島の家は郊外の田舎にある。一応、それなりの土地持ちだったために、手入れにも手間取るバカみたいに広い庭の隅に3部屋ほどの小さな家を建てた。一応住所は実家と同じだが、電話番号は違う。親とは一日に1回以上は顔を出す同居ではないが離別しているわけでもないという関係である。

 いつ結婚してもいいように……というわけでもなかったが、嫁よりも先に娘くらいの年齢の妹が出来てしまったと、近しい友人からは揶揄される。

 自分の家の扉を開け、中に入ると自室に戻るとスーツを探すために衣装棚を開けた。

 あんまりスーツを着ることのないので、先日クリーニングから戻って来たばかりの濃紺のスーツがあってよかったと思いながら吊るしてあったスーツをハンガーごと取り外す。

 同じくクリーニングから帰ってきたばかりでピシッとアイロンがかけられて袋に詰められたままのワイシャツを取り出す。

 ネクタイを選ぶのに約1分。

 着替えるのに約3分。

 愛車の2LのSUVに乗り込みエンジンをかけるのにさらに2分。

 サイドブレーキを下げた後、自分のいつもの癖で、無意識に愛用のミラーレス一眼――オリンパスのE-M1 MarkⅡを肩に下げていたことに気付いて助手席に置いた。

 アクセルを踏み込んだ徳人は知る由もない。この後に待っている出会いを。妹の親友となることになる水谷晶乃のことも、写真研究会の面々のことも、この時はまだ何一つ知らなかった。

 これから、未来溢れる高校生たちと、少なからず関わることになることも。
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