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【1章】晶乃と彩智
8.突然の衝突
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晶乃は手芸部の人にしたのと同じ話を写真研究部の部長にもした。
「もう少し余裕もあるし、それも悪くないんじゃないかな。じっくりとやりたいことを探してみるのもいいよ」
そう言った真紀の表情が、何故か少しほっとしているように感じ、晶乃は首を傾げる。
「2人は、写真撮影はするの?」
と口を開いたのは副部長の岩井充希だった。背は晶乃と同じくらいで女子としては結構高い。艶のある黒髪をショートヘアに緩いウェーブをかけた髪型はいかにもお嬢様といった感じ。目鼻立ちがぱっちりした美人で、モデルみたいと言っても言い過ぎではない。
そういえば、この2人も、さっき泰史に見せてもらった偽物の心霊写真の中にも写っていたな、と思い出す。
「私は、全然です。せいぜいスマホのカメラ機能を使うくらいで」
と晶乃は言い、
「私は、兄のお古を貰って、時々目的を決めずに撮影しに行っています」
彩智が続けた。
「桑島先生も、いつか貴女とカメラを持って歩きたいと言っていたわよ」
いかにも育ちの良さそうな微笑みを浮かべた充希の言葉に、彩智の表情が曇る。
「……父がまだ生きていて、この高校で教鞭を執っていたとしたら、私はこの学校は志望しませんでした」
「そうなの? 先生は――」
「まぁ、お父さんと一緒の学校に行くのは抵抗があるよね」
充希の言葉を遮るように、真紀が横から口を挟む。真紀も、彩智が父親の話をされることを嫌がっていることを察したようだ。しかし、充希の方は気付かなかったようだった。
「桑島先生は、貴女がこの学校に来るのも、写真研究部に入るのも、決まっているかのように常々言っていたけれど……」
「父はそういう人でしたから」
彩智は小さく肩をすくめる。
「写真研究部に入れようとしていたわりに、私には自分のコレクションには決して触らせなかったし、安いトイデジだって買い与えてはくれませんでした」
「そうでもないよ」
と充希は真紀に何か目配せをする。
「あれを渡してもいい?」
「あれ? ……あぁ。確かに、こんな機会はないだろうからね」
「ねぇ。先生のR8、どこにやったっけ?」
充希が2年生のほうに声をかける。
「あれだったら、確か……」
「向こうの防湿庫の中ですよ。俺、取ってきましょうか?」
泰史が立ち上がろうとするのを、充希が手で留める。
「私が取ってくるよ」
充希はそれだけ言うと、くるりと体を翻して、部屋を出ていく。
「あの……向こうって?」
充希がいなくなってから、晶乃は泰史に尋ねた。
「あぁ……。多目的室はあくまでも授業用の部屋だからね。部の所有物を勝手に置くわけにいかないんだよ。でも写真研究部は部室を貰えていないから部の所有物は手芸部の部室に置かせてもらっているんだよ」
泰史はため息をつく。
「早く実績を上げて、部室が欲しいところなんだけれど」
「誰もコンクールに出そうとかしないんだよね」
2人の2年生女子も肩をすくめる。
「もともと、部の創設の趣旨は、写真を楽しむために技術や知識を身につけるというものであって、コンクールに出すために写真を撮るっていうのはウチの部の趣旨からは外れるっているのがウチの考えなんだよ。もちろん、コンクールに出して賞を取りたいとか評価されたいっていうのも、写真の楽しみ方の1つだと思うし、それを否定するわけじゃないから、出したければ個人で好きに出しってっていうのがウチの部の考え」
真紀が答えた。
「もっとも、私は4回くらい大きな賞に送ったけれど、全部佳作どまりだったなぁ」
肩をすくめた真紀の顔に、あんまり悔しそうな感じはない。賞を取るのが目的ではないというのは本音のようだ。
晶乃にとってはそれが凄いのかどうかわからない。写真は技量が上の者にとってはその差はすぐに分かるものなのかもしれないが、素人にとっては何をもって優れているのか、何をもって劣っているのか、分かりにくいものだろう。
悪い写真なんてなかったように見えた真紀の写真にも、経験豊かな審査員たちにとっては悪しき点が色々見つかるものなのだろうか。
そうこうしていると充希が戻ってきた。
「あなたに……先生からよ」
充希が彩智に向かって差し出したのは黒いカメラだった。女の子の手には少し大きめに感じるボディに少し大ぶりのレンズがついている。こうして見ると高級感も感じる……ような気がする。
「れいか?」
「ライカよ」
カメラボディの正面に刻まれた”LEICA”というメーカー名をそのまま小学校で習うレベルのローマ字読みした晶乃に、冷静な口調で正しい読みを口にする彩智。
ライカはドイツの名門カメラメーカーで、ライカのカメラと言えば一部のカメラファンにとっては垂涎の的である。
もっとも彩智はその類ではないらしく、ライカの名前にも表情を変えなかった。
「先生は……このカメラを持ったあなたと一緒に写真を撮りに行くのを楽しみしていたよ」
視線を落とした充希の表情は今にも泣きだしそうだった。
逆に彩智の方は、覗き窓はは覗き込まずに、巻き取りレバーを引いてシャッターを切ってを繰り返した。カシャ、カシャ、という作動音が繰り返し聞こえる。その硬質の音が、何故か異様に耳に突き刺さる。
「ライカR8……。娘へのプレゼントが今時フィルムカメラとは、父らしいです」
ふっと自嘲めいた笑顔を浮かべた彩智は、
「でもちょうど良かったです。兄の誕生日が近かったので、プレゼントを探す手間が省けました」
と、今度はにこやかな笑顔を浮かべる。
次の瞬間、バンッ! と何かが弾けるような音がした。「あっ」と晶乃が思う間もなく、彩智の体が衝立に激突した。派手な音を立てて衝立ごと真後ろに倒れる。
晶乃には何が起きたか一瞬分からなかった。とっさに彩智の体が飛ばされるのを支えようと手を伸ばしたが、その手が空を切るのを、スローモーションのように見えていた。充希が彩智の体を突き飛ばしたのだと気付いたのはさっきまで彩智がいた場所に充希が立っていたから。なぜか充希の目にはうっすらと涙がにじんでいるように見える。
「充希っ!」
と真紀の叫ぶ声が響き、2年生たちも声を上げる。さらに衝立の向こう側の手芸部の女の子たちからも悲鳴が上がる。
「彩智っ。大丈夫?」
肩から衝立を倒して倒れ込んだ彩智の横にしゃがみ込んだ晶乃は、「大丈夫、大丈夫」と体を起こした彩智の左目の上が切れて血が流れるのを見て、慌てて胸ポケットからハンカチを取り出した。
ハンカチを傷口に押し当てて止血する。みるみるうちに薄桃色だったハンカチが真っ赤に染まっていく。思ったよりも深い。血を見て少々パニックを感じているのか心拍音が早くなったのを感じる。落ち着けと自分に言い聞かせながら細く息を吐きだした。
「とにかく保健室に……」
晶乃はそう言いながら、突き飛ばした充希に顔を向ける。「先輩、なんで……」と言いかけた晶乃は自分でも信じられないというように呆然と立ち尽くしている充希を見て、責める言葉も問いただす言葉も失った。
「もう少し余裕もあるし、それも悪くないんじゃないかな。じっくりとやりたいことを探してみるのもいいよ」
そう言った真紀の表情が、何故か少しほっとしているように感じ、晶乃は首を傾げる。
「2人は、写真撮影はするの?」
と口を開いたのは副部長の岩井充希だった。背は晶乃と同じくらいで女子としては結構高い。艶のある黒髪をショートヘアに緩いウェーブをかけた髪型はいかにもお嬢様といった感じ。目鼻立ちがぱっちりした美人で、モデルみたいと言っても言い過ぎではない。
そういえば、この2人も、さっき泰史に見せてもらった偽物の心霊写真の中にも写っていたな、と思い出す。
「私は、全然です。せいぜいスマホのカメラ機能を使うくらいで」
と晶乃は言い、
「私は、兄のお古を貰って、時々目的を決めずに撮影しに行っています」
彩智が続けた。
「桑島先生も、いつか貴女とカメラを持って歩きたいと言っていたわよ」
いかにも育ちの良さそうな微笑みを浮かべた充希の言葉に、彩智の表情が曇る。
「……父がまだ生きていて、この高校で教鞭を執っていたとしたら、私はこの学校は志望しませんでした」
「そうなの? 先生は――」
「まぁ、お父さんと一緒の学校に行くのは抵抗があるよね」
充希の言葉を遮るように、真紀が横から口を挟む。真紀も、彩智が父親の話をされることを嫌がっていることを察したようだ。しかし、充希の方は気付かなかったようだった。
「桑島先生は、貴女がこの学校に来るのも、写真研究部に入るのも、決まっているかのように常々言っていたけれど……」
「父はそういう人でしたから」
彩智は小さく肩をすくめる。
「写真研究部に入れようとしていたわりに、私には自分のコレクションには決して触らせなかったし、安いトイデジだって買い与えてはくれませんでした」
「そうでもないよ」
と充希は真紀に何か目配せをする。
「あれを渡してもいい?」
「あれ? ……あぁ。確かに、こんな機会はないだろうからね」
「ねぇ。先生のR8、どこにやったっけ?」
充希が2年生のほうに声をかける。
「あれだったら、確か……」
「向こうの防湿庫の中ですよ。俺、取ってきましょうか?」
泰史が立ち上がろうとするのを、充希が手で留める。
「私が取ってくるよ」
充希はそれだけ言うと、くるりと体を翻して、部屋を出ていく。
「あの……向こうって?」
充希がいなくなってから、晶乃は泰史に尋ねた。
「あぁ……。多目的室はあくまでも授業用の部屋だからね。部の所有物を勝手に置くわけにいかないんだよ。でも写真研究部は部室を貰えていないから部の所有物は手芸部の部室に置かせてもらっているんだよ」
泰史はため息をつく。
「早く実績を上げて、部室が欲しいところなんだけれど」
「誰もコンクールに出そうとかしないんだよね」
2人の2年生女子も肩をすくめる。
「もともと、部の創設の趣旨は、写真を楽しむために技術や知識を身につけるというものであって、コンクールに出すために写真を撮るっていうのはウチの部の趣旨からは外れるっているのがウチの考えなんだよ。もちろん、コンクールに出して賞を取りたいとか評価されたいっていうのも、写真の楽しみ方の1つだと思うし、それを否定するわけじゃないから、出したければ個人で好きに出しってっていうのがウチの部の考え」
真紀が答えた。
「もっとも、私は4回くらい大きな賞に送ったけれど、全部佳作どまりだったなぁ」
肩をすくめた真紀の顔に、あんまり悔しそうな感じはない。賞を取るのが目的ではないというのは本音のようだ。
晶乃にとってはそれが凄いのかどうかわからない。写真は技量が上の者にとってはその差はすぐに分かるものなのかもしれないが、素人にとっては何をもって優れているのか、何をもって劣っているのか、分かりにくいものだろう。
悪い写真なんてなかったように見えた真紀の写真にも、経験豊かな審査員たちにとっては悪しき点が色々見つかるものなのだろうか。
そうこうしていると充希が戻ってきた。
「あなたに……先生からよ」
充希が彩智に向かって差し出したのは黒いカメラだった。女の子の手には少し大きめに感じるボディに少し大ぶりのレンズがついている。こうして見ると高級感も感じる……ような気がする。
「れいか?」
「ライカよ」
カメラボディの正面に刻まれた”LEICA”というメーカー名をそのまま小学校で習うレベルのローマ字読みした晶乃に、冷静な口調で正しい読みを口にする彩智。
ライカはドイツの名門カメラメーカーで、ライカのカメラと言えば一部のカメラファンにとっては垂涎の的である。
もっとも彩智はその類ではないらしく、ライカの名前にも表情を変えなかった。
「先生は……このカメラを持ったあなたと一緒に写真を撮りに行くのを楽しみしていたよ」
視線を落とした充希の表情は今にも泣きだしそうだった。
逆に彩智の方は、覗き窓はは覗き込まずに、巻き取りレバーを引いてシャッターを切ってを繰り返した。カシャ、カシャ、という作動音が繰り返し聞こえる。その硬質の音が、何故か異様に耳に突き刺さる。
「ライカR8……。娘へのプレゼントが今時フィルムカメラとは、父らしいです」
ふっと自嘲めいた笑顔を浮かべた彩智は、
「でもちょうど良かったです。兄の誕生日が近かったので、プレゼントを探す手間が省けました」
と、今度はにこやかな笑顔を浮かべる。
次の瞬間、バンッ! と何かが弾けるような音がした。「あっ」と晶乃が思う間もなく、彩智の体が衝立に激突した。派手な音を立てて衝立ごと真後ろに倒れる。
晶乃には何が起きたか一瞬分からなかった。とっさに彩智の体が飛ばされるのを支えようと手を伸ばしたが、その手が空を切るのを、スローモーションのように見えていた。充希が彩智の体を突き飛ばしたのだと気付いたのはさっきまで彩智がいた場所に充希が立っていたから。なぜか充希の目にはうっすらと涙がにじんでいるように見える。
「充希っ!」
と真紀の叫ぶ声が響き、2年生たちも声を上げる。さらに衝立の向こう側の手芸部の女の子たちからも悲鳴が上がる。
「彩智っ。大丈夫?」
肩から衝立を倒して倒れ込んだ彩智の横にしゃがみ込んだ晶乃は、「大丈夫、大丈夫」と体を起こした彩智の左目の上が切れて血が流れるのを見て、慌てて胸ポケットからハンカチを取り出した。
ハンカチを傷口に押し当てて止血する。みるみるうちに薄桃色だったハンカチが真っ赤に染まっていく。思ったよりも深い。血を見て少々パニックを感じているのか心拍音が早くなったのを感じる。落ち着けと自分に言い聞かせながら細く息を吐きだした。
「とにかく保健室に……」
晶乃はそう言いながら、突き飛ばした充希に顔を向ける。「先輩、なんで……」と言いかけた晶乃は自分でも信じられないというように呆然と立ち尽くしている充希を見て、責める言葉も問いただす言葉も失った。
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