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第一話 人類が滅んだので、知的遺産を残すため異世界へ転移するらしい

その七

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「はい、今度は頭を洗うからしゃがんで」

 フィスが掌にたっぷりの泡を作ると、エルの顔が真っ青になって、頭に手を乗せる。

「あ、あ、頭はいいです!」

「何言っているの! さっさとしゃがむ!」

 無理やり頭を押し付けると、くせ毛の多い薄茶色の髪の毛をガシガシと洗った。エルが涙目になって震えているので、(上級モンスターを殴り倒すほどの強者なのに……)と笑ってしまう。

 一通り洗うと頭からたっぷりのお湯で泡を洗い流す。エルは全身をブルッと振るわせた。まるで犬のようだ――猫なのに。


 それから、二人で浴槽に入る。一人用なので、さすがに狭い。それでも小さい頃、養母と一緒に入ったことを思い出して、フィスはちょっとうれしかった。

 エルも最初はおっかなびっくり湯船に浸かっていたが、心地よい湯加減に慣れてくると気持ち良さそうに目を細める。それを見て安心したのか、フィスも少しうとうとしてしまう。


(……それにしても今日は大変な一日だったなあ――いきなり裸の猫人族に出会って、そのコにエルと名付けたら、今度は上級モンスターも現れ、エルは素手でそのモンスターを倒し……)

 フィスは改めてエルの腕を見る。とても細い腕だ。どうすればこの細腕でモンスターを倒せるのだろうか……

 フィスはエルの腕を撫でる。とても柔らかく、ツルツルとして気持ちいい……

「……すみません。そんなに触られると、ちょっと、困るのですが……」

 誰かに触られていると、落ち着かないのは獣人も同じらしい。「もう少しだけ」と言うと、エルは我慢をしているのか、カラダを強張らせていた。


 ゆっくり暖まると、浴室から出る。大きな布で水分を吸い取ったあと、フィスはエルに下着を着させた。パンツはフィスのを貸したのだが、上半身はフィスのが合わなかった――特に胸の辺りが――なので、養母のネグリジェを借りる。

 背はエルのほうが二十センチくらい高いのに、何故か下着のサイズはフィスと同じである。自分は太っているほうではないと思っていたので、少しショックを受ける。ムネだけ入らないというのも屈辱的だ。養母のネグリジェを被らせるとミニスカートのワンピースのようでカワイイ……同じ服なのに養母が着たときとはイメージが全く違う。

「……まあいいわ」

 ちょっと納得はいかないが、もう気にしないことにして、エルを二階の自分の部屋へ連れていく。


「髪を乾かすからじっとしていて……」

 相手を椅子に座らせると、彼女は短く詠唱する。

 すると、やさしく暖かな風が薄茶色の髪をふわっとなびかせた。

「どう? 気持ちいいでしょ? 私のユニーク魔法なの。これだと髪が早く乾くのよ」

 エルの髪が乾くと今度は自分の髪を乾かす。赤毛のさらさらした髪がルビーのようにキラキラと光った。

「はい、終わり」

 そう言うと、向かいのベッドにフィスは座った。


「さて、聞かせてもらうわよ……あなた、いったい何者なの?」


 ***


 もう逃げる場所はないわよ――と、言わんばかりに、どっしりと構えるフィス。もちろん、逃げるつもりもないのだが……

 エルはハーミットにどう答えるべきかたずねた。

『本当のことを言えばいいんじゃない?』

 少々びっくりするエル。転生や転移で異世界から来た者は、その貴重な存在から厄介事に巻き込まれるのが通説だ。したがって、できるだけ知られないように身の上を隠すものだが……


『隠していても、どうせ厄介事に巻き込まれるモノよ』

 なんて身も蓋もない……まあ、合っているけど……


 エルは深いため息を吐くと、今までのことを話す。

 自分がココとは違う世界の人間に作られたアンドロイドであること。最後の一体となり、知的遺産救済プログラムによってこの世界に送り込まれたことなど、包み隠さずフィスに話した。


 そんな突拍子もないことを聞かされれば、驚くか、呆れるか、笑い飛ばすか――そのいずれかの反応を示すモノだと思っていた。しかし、フィスは真剣な表情のまま最後まで話を聞くのだった。


「つまり……あなたはこの世界の人間ではないということね」

 驚くどころか、面倒だなあ――という顔をするフィス。

 逆にエルの方が驚いてしまう。

「――信じるのですか?」

「まあね……あんな身体能力を見せられたら、そう思うしかないでしょ。あれは、大国の騎士団員よりも上。師範クラスの動きだったわ。それほどの戦士がこんな田舎に……まして裸でいるほうがオカシイもの」

 エルは「はあ……」と気の抜けた返事をする。

「かつて古代人が異世界人の召喚を行っていたという記録もあるし……アンドロイド……というのは正直よくわからないけど……つまりは異世界の戦士っていうことでしょ?」

 そういうことになるのだろうか……ちょっと違うような気がするが、まあそういうことにする。


 注目すべきは、異世界について、その存在が知られているということだ。

「どうして、古代人が異世界人の召喚を行っていたと知っているのですか?」

 エルがそうたずねるとフィスは本棚を指差す。そこには沢山の本が陳列されていた。十三歳の少女が持っている本とは思えないような堅苦しいモノばかりだ。

「すごい数でしょ? 魔法書とか古代人が書いた書物とか……経済書なんてのもあるわ」

 エルはその中から一つ取り出して開いてみる。そこには文字らしきものがぎっしり書かれているのだが、地球上のどの言語とも違っていた。

「これを全部読んだのですか?」

「まあね……魔法書なんて暗唱できるくらい読んでるわよ」

 どれも辞書のような分厚い本である。それを暗記しているとは……真顔でさらっとスゴいことを言うなあ――と思ってしまう。

「これをどうやって入手したのですか?」

 エルが質問すると、急にフィスの顔が引きつる。

「そ、それは……秘密ということで……」

 不味いことを話してしまったという顔を彼女はした。


『うーん。この文字、読めるようになりたいなあ……』

 ハーミットがそうつぶやく。どれか読みやすい本はないか? と、たずねてみた。

「それなら……この本はどう? 子供向けの本よ。小さい頃に読んでたの……って、あなた文字読めるの?」

「今は読めませんが、この本で文字を覚えます」

「覚えますって……」とフィスはなんとも言えない表情を見せるのだが、「まあいっか……」とエルに本を手渡す。子供向けというが、かなりずっしりした本だ。中を見ると色々な絵が書かれており、図鑑のようなモノだろうと考えた。


 そういえば……

 ここで、エルは疑問が湧いた。文字は読めないのに、どうしてこの世界の言葉を話せるのだろう……

『今さら気付いたの?』

 呆れたような声でハーミットが言うので、少しムッとしてしまう。

『どうやら転移した時に、言語の知識だけはこちらの言葉に変換されたみたいね……ガイアはそんなことを何も説明してなかったけど……いい加減な女神だね』

 と、いうことらしい……なんか、ご都合主義だなぁ……と、思うエルであった。
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