恋するジャガーノート

まふゆとら

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第十二話「黒の記憶」

 第三章「星の降りる日」・⑧

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       ※  ※  ※


 地上から、遥か2千キロメートル上空──大気圏外。

 そこには・・・人の目にも、科学の目にも捉えられない、不可視の「穴」があった。

 他星系において「時空裂傷」と称されるそれは、永遠に静止した未知の領域・「廃空間カダス」と繋がっているとも言われ・・・

  以前、時間と空間を旅するという「ウォンネ」──地球においては「オリカガミ」とも呼ばれた存在が、ここを通って行った事もある。

 ──そして、今──この「時空裂傷」から、一つの巨大な影が飛び出した。

 全長150メートルに届こうかというそれは、自らの意思で大気圏内へと突入する。

 圧縮された空気によって発生する高熱をもろともせず・・・

 巨大な影はあっという間に成層圏へと至り、真っ直ぐにある場所を目指して飛翔した。

 それは──自らの放った分身が報せた、だった。

 ・・・巨大な身体は、自らの進路を妨げるものを意に介さない。

 雷雲を切り裂き、渡り鳥の群れを赤い染みに、旅客機を鉄と火の塊へと変えた。

 「移動」しただけで、既に多くの生命が奪われていたが──

 これから失われるであろう数に比べれば、それは些細な数字だったに違いない。

 僅かな時間で、影は目的地である横浜の上空へと到達する。

 先般、No.020と呼称されたジャガーノートの出現に伴って避難勧告が出されていた事で、いつもは活気に溢れる大都市は、不似合いな静寂で以てその者の襲来を出迎えた。

 しかし・・・それでも、ジャガーノート同士の激戦から命からがら逃れた人々や、彼らを救助すべく懸命な活動にあたる者たちは残っている。

 そして、そのうちの一人が・・・の存在に気が付いて、空を指差し、呟いた。

「なに・・・あれ・・・?」

 それはあまりにも抽象的な言葉だったが──おそらくは、他の誰だったとしても、同じ言葉が口から溢れていただろう。

 指差す先にあるモノの形は、それ程までに歪だったからだ。

 強いて挙げれば、そのシルエットはウミテングという魚に似ていた。

 扇のように広がった翼と、細長い尻尾がその理由だが・・・決定的に違う点がある。

 その巨大な影の、深く暗いグレーの「翼」は──をしていたのだ。

 と、そこで、影を見上げる人たちの元へ、大きな雨粒がぽたりと落ちる。

 しかし・・・空には雲ひとつない。

 不審に思った人々が、地面や自分の身体に付いた雨粒に目を向ける。

 それは、巨大な影の体表からこぼれ落ちた、石油のように真っ黒な液体であり──


<───キャハハハハハ!>


 同時にそれは、生物でもあった。

 地面から這い出るかのように、液体から生じた「黒い指」たちは・・・少女のように愉しそうに笑いながら、全身から紫色の怪光を放つ。

 すると・・・瞬く間に、黒い液体に触れていた人間たちの身体から、

 熱さに悶え苦しむ者たちから立ち昇るのは、紫の炎──

 その禍々しい色合いは、炎色反応によるものではない。酸素ではなく、生命を費やして燃える死の輝きなのだ。

 突如として地上に現れた焦熱地獄に、巻き込まれた人々からは叫び声が上がった。

 巨大な影は、阿鼻叫喚の様を満足げに見下ろしながら、高度を下げていく。

 その身体の前面には──巨大な「眼」があった。

 かつて、クロの記憶を読み取ったオリカガミや・・・「黒い指」の力によって生み出されたNo.020にもあった、複眼を無理やり人の目の形に押し込めたような、あの「眼」が。 

 眼下の人間たちから発する炎と同じく、紫色に発光する「眼」の中では・・・無数の瞳が地を這う蟲のようにギョロギョロとせわしなく動き回っている。

「あぁっ・・・あぁぁ・・・・・・っ‼」

 不可視の球体の中からその影を見ていたクロは・・・ただただ、涙を流していた。

 今まさに地上へ降り立たんとしているそれが、自らの恐怖の根源たる記憶の中の「眼」そのものであると、彼女は理解したからだ。

 クロの脳裏に浮かぶのは、紅に燃え盛る廃墟のビジョン。

 それは、彼女が失っていた記憶であり・・・同時に、その光景を作り出したのが、この「眼」を持つ者だという事実を・・・彼女は、抗いようのない恐怖とともに、思い出したのである。

 そして、沈みかけた太陽に照らされて──

 巨大な「眼」を持つ影は・・・遂に、その姿を現した。




















「ハァ・・・ッ‼ ハァ・・・ッ‼ ハァ・・・ッ‼」

 巨大な影の全貌をその視界に捉えて・・・クロの呼吸は、どんどん早く、浅くなっていく。

 目の焦点が合わなくなり、全身が小刻みに震え、まともな思考能力が奪われていく。

 全身が・・・恐怖に支配される。

 絶対的な力を前に、一歩も動けなくなる。

 ・・・そして・・・・・・気付けば、彼女は再び叫んでいた。

<アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァッッ‼>

 それはもはや・・・「クロ」という人格が出した声なのかも判然としない。

 恐怖の根源を前にして、意識を手放してしまったが故に・・・残った防衛本能と闘争心だけが、その身体を無理やり動かそうとしたのかも知れない。

 ──目の前の「敵」を、排除するという目的のためだけに。

『くっ・・・ダメだ・・・‼ 抑え、切れない・・・っ‼』

 ハヤトの身体を襲う激痛を抑えるために力を使っていたシルフィには、溢れ出るクロの獣性を抑える事は出来なかった。

 球体の中から飛び出した白い太陽は──ネイビーの巨竜へと変わり、大地に降り立つ。

<グオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォッッッ‼>

 咆哮と共に・・・その全身からは白煙が立ち昇り始め、意図しない発熱が鎧を赤く染める。

 先の戦いのダメージが、彼女の身体には未だ克明に残っていたのだ。

 ・・・しかし、そんな事情を、相手が汲むはずもない。

 巨大な黒い影は──目の前に現れた「エネルギー体」を認識し──三つの口を開く。


<<<アハハハハハハハハハハハ‼>>>


 頬まで裂けたその大口から聴こえてきたのは、愉しそうな

 No.020のそれよりも、ずっと澄んでいて、もっと無邪気な──

 底知れない不気味さを持った、甲高い朗笑が・・・ネイビーの巨竜へと向けられる。


 ・・・そうして始まったのは・・・・・・とても戦いとは呼べない・・・・・・惨劇だった。


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