恋するジャガーノート

まふゆとら

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第一話「記憶のない怪獣」

 第二章「ジャガーノート」・①

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◆第二章「ジャガーノート」


「───ッッッ‼」


 思わず、飛び起きた。

 息が荒い。汗が止まらない。目眩がする。指先が小刻みに震えている。

 砂浜で胸に痛みを感じた時にも不気味な感覚に襲われたけど、いま感じている寒気はその比ではない。


 十年間──ずっと同じだった夢の終わり方が───「違った」。


 本当に一日も欠かさず見ていたかは誰にも証明のしようがないけれど──

 自分にとってあの夢は、毎晩必ず見る記録映像のようなもので、そこに何か改変が加わる余地はなかったはずだった。

 誰にもこの恐ろしさを共感してはもらえないだろう。

 突然太陽が西から昇ったような強烈な違和感・・・世界に僕しかいなくなってしまったかのような、筆舌に尽くしがたい恐怖。

 あまりの心細さに、スマートフォンの電源ボタンを押す。

 汗で湿った指が反応せず、指紋認証のロックが解除出来ない。慌ててナンバー入力に切り替える。

 ろくに働いていない頭では四桁の番号も思い出せない。喉が渇く。また間違えた。眼輪筋がひとりでに動き出す。頼む。頼む。頼む。

「・・・・・・!」

 何とかロックを解除し、SNSアプリを起動する。

 集合前に皆と連絡を取り合った会話履歴が目に入った時、ようやく、ここが悪い夢の中でない事がわかった。

 途端、呼吸を忘れていた苦しさが波濤のように押し寄せ、咳き込む。

 けど、生きている。肺がきゅうと圧迫されているのを感じる。全力で走りきった後のように、横隔膜が痙攣している。

 でも、ここは現実だ。あの悪い夢からは覚めたんだ。良かった。思わず、目の端から雫が漏れたのがわかった。

 頭が少し冷えて、自分のあまりの滑稽さに笑ってしまい、余計に体中がっている痛みに見舞われる。痛みを和らげようと胸を撫で下ろそうとして───気付いた。


「・・・ペンダントが、ない」


 多分、さっき砂浜で落としたんだ・・・あの「声」を聴いた時に。

 ───砂浜で聴いた「声」・・・あれは・・・いま夢で聞いたのと・・・・・・

 スマートフォンをもう一度見れば、時刻は午前二時。

「・・・行こう」

 一階で寝ている父さんに気付かれないように、こっそりと階段を降り、裏口から外に出る。

 つっかけたままのサンダルで自転車のスタンドを蹴飛ばし、サドルに飛び乗った。

 サンダルで運転するのは本当は危ないんだけど、いまは一刻でも早く、ペンダントが手元にない不安を払拭したかった。

 ガードレールを左に見て、海風を切って走る。

 車も人もいない、快適なサイクリングだけど、今夜に限っては、知らない誰かでもいいからすれ違いたかった。

 無人の青信号で一度立ち止まり、またSNSアプリを起動する。「既読4」の文字がこんなに心強いと思った瞬間はない。

 信号が変わらず青のままな事を確認して、地面を蹴る。

 自転車を漕ぎ続けて、二十分ほど──ようやく、数時間前に皆でいた砂浜に到着する。

 体力には自信があると思ってたけど、さすがに今日は疲れた。

 明日・・・というか今日も今日とて仕事だし、すぐに見つけて帰って寝ようと決意する。

 ・・・・・・でも・・・次に眠った時に、また夢が変わっていたら・・・。

「・・・あぁ~~‼ もうっ‼」

 近くに民家がないのをいい事に、鬱屈とした思いを声にして体から吐き出し、両の掌で頬を二回叩く。

 次いで、深呼吸。夜の潮風を肺一杯に吸い込んで、空気を入れ替える。

「よしっ‼」

 裏口の戸棚からポケットに突っ込んできた懐中電灯を取り出し、砂浜を照らす。

 皆でバーベキューをしていたのはあの辺りのはず・・・。

 サンダルで砂を踏みしめながら、地面とにらめっこする。

 寄せては引く波の音に急かされる錯覚を覚えて、焦りが加速する。だめだめ・・・捜し物をする時は焦っちゃ逆効果だ。

 再び深呼吸をしようとしたその時、視界の淵で何かが光った。

「っ! あった・・・!」

 誰かが捨てたガラスの破片だったらどうしようかと思ったけど、無事にペンダントを見つける事が出来た。

 拾い上げ、オレンジ色の石を撫でる。体の中に、あたたかい感覚が訪れた。

「よかった・・・・・・」

 そうだ。いつもと夢が違ったのも、ペンダントを身に着けていなかったせいだ。

 次に眠った時には、いつも通りの夢に戻っているに違いない。きっとそうだと自分に言い聞かせ、顔を上げたところで、僕は「それ」を見つけてしまった。





「・・・?」

 最初は、大きな流木かと思った。午前二時の海岸は暗く、街の光も遠い。

 だけどその影は、

 異質なものへの恐怖に後ずさろうとして、砂に足をすくわれ、尻餅をついてしまう。

 ジャリ!と砂を掻く音がするが、返ってくるのは波音だけ。

 「それ」がこちらを認識していない事がわかると、恐怖に反して、懐中電灯を持った手が影の正体を確かめようと持ち上がってしまう。

 暗闇を恐れるヒトの本能を今ほど憎いと思ったことはない。

 おそるおそる、ライトの光を当てる──! ・・・と同時に、つい目を閉じてしまった。

 先程からの自分のあまりの怖がりっぷりに辟易しながら、薄目を開け、「それ」の正体を遂に視認する──


「・・・・・・い、犬?」


 シルエットを見た第一印象は、間違いなく、犬だった。砂浜に体を預け寝そべっている。

 大きさや脚の長さからしてドーベルマンに近いだろうか。しかし、どうして海に・・・って!

 大変だ! 倒れているって事じゃないか! 慌てて近づいて、僕はその違和感に気づいた。

「なんだこれ・・・? 鎧・・・?」

 「それ」は、犬と呼ぶべき何かだった。

 暗いネイビーの犬型の鎧・・・とでも言えばいいのか。

 シルエットこそ犬のそれだが、その体表には一本の毛もなく、懐中電灯の光を鈍く照り返す鋼鉄の塊が海岸に打ち捨てられているようにしか見えなかった。

 所々光っているように見えたのは、その鎧のいたる所が、焼き入れした刀のように赤熱化していたからだった。

 触れてもいないのに、鎧からは熱気が伝わってくる。

 注意深く観察すれば、波が寄せるのと同時に、じゅう、と音を立てて湯気が立っている。

「さっき来た時にはなかったよね・・・? 一体どうしてこんなものが・・・」

 更に近づいた僕の耳に、ありえない「音」が届いた。


 だ。


「・・・ッ‼」

 水が蒸発する音ではない。微かだけど・・・今、確かに────!

 鎧の口元に、耳を近づける。チリチリと産毛が焦げるような感覚がするが、そんな事は構ってられない。

<───ヒュー・・・ヒュー・・・・・・>

「やっぱり・・・‼」

 この鎧は、生きている!

 いや、あるいは、この鎧を着せられている中の動物はまだ生きている!

 しかし、こうしている間にもただでさえか細い声はさらに小さくなり、呼吸の間隔もだんだん開いて行くのがわかった。

 ───目の前にある生命は、今にも消えかけていた。

「待ってて! まだっ! まだ死んじゃダメだ‼」

 気がつけば、駆け出していた。

 とにかく、あの鎧を冷まさなければ!
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