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第一話「記憶のない怪獣」
第二章「ジャガーノート」・②
しおりを挟む中の動物はどれほどの火傷を負っているのか、何故まだ生きているのかもわからないけど、一刻を争う事態である事は間違いない。まだ間に合うと信じ、走る。
懐中電灯で周囲を照らすと、捨てられているポリバケツが目に入る。あれを使えば・・・!
邪魔なサンダルとジャージを脱ぎ捨て、バケツを拾って戻る。
途中で貝殻かビンの破片のような物を踏み、足の裏にじくりとした痛みを覚えたが、お構いなしに走る。走る。
鎧のすぐ横、海を背にするように立ち、振り返ってバケツで海水を掬う。
赤熱化しているのは体の大部分。頭部には著しく熱の高い部分はないようだ。
呼吸が浅い時に口内に水が入り込んだら大変だから不幸中の幸いといったところか。
とにかく早く冷ますため、海水を一気にかける。
「うわぁっ‼」
刹那、大量の湯気が発生し、真っ白になった世界に怯んでしまう。
しまった・・・焦りすぎた・・・これだけ熱いものに水をかけたらこうなるのは当たり前だ・・・火傷という程ではないけど、かばった腕がヒリヒリと痛む。
でも・・・ほんの少し、赤熱化した部分の熱が弱まって、冷えたマグマのような黒い部分が増した気がする。
次は高熱の煙を直接浴びないよう、立ち膝で横につけて、海水を急がず、静かにかけていく。
もどかしいけど、二、三回繰り返すうち、鎧の熱気が収まっていくのを肌で感じた。
「よし! これで・・・!」
安心しかけたその時──鎧の口元が動く。
<・・・がふっ! がふっ!>
咳き込むように息をした。良かった。まだ生きている! 胸を撫で下ろそうとした瞬間──
「なっ⁉」
目の前で起きた現象に、あっけに取られてしまう。鎧が咳き込んだのと同時に、纏っている熱気が増したのだ。先程冷えて黒くなった部分が再び赤熱化し、その範囲を更に広げている。
まるで、この鎧自体が発熱しているかのようだ。
<ヒュー・・・! ヒュー・・・!>
苦しげに、吐息が漏れる。高熱でうなされている時にするような息だ。
このままでは、まずい。間に合わない。熱を増していく鎧とは裏腹に、この中にある生命の灯火は、今にも消えかけているのがわかる。
僕は、また失うのか・・・?
弱音を吐きかけた時、母さんの真っ白な顔がフラッシュバックする。
僕は、臆病者だ。僕の見ているところで、生命が失くなってしまうのが怖いんだ。
たとえ、出会ったばかりの生命だったとしても、この手から零れ落ちてしまう事が、怖い。
・・・僕自身の生命が失われる事よりも、だ。
「みーちゃん・・・ごめん!」
覚悟は決まった。去年お土産でみーちゃんからもらったTシャツを脱ぎ、海水に浸す。
濡れたTシャツを右腕に強く巻きつけ、鎧の後ろ脚をTシャツ越しに強く掴む。
「ぐ・・・っ! おっ、重い・・・っ‼」
一般的なドーベルマンは確か30~40キロくらいの重さがあったはず。
その重量の動物が鎧を着ていると考えれば、重いのは当たり前だ。体感で70キロ近くはあるだろうか。
更に、湿った砂が引っ張ろうとする僕の邪魔をする。ぬかるんで体を引けず、踏ん張る事も出来ない。
「うおおおおッッ‼」
──でも、諦めるわけにはいかない。右手が熱い。鎧が更に熱を増しているのがわかった。
このままでは、Tシャツが乾いて引火してしまうんじゃないかとすら感じる。
それでも・・・なお、右腕に力を込める。これは、僕のわがままだ。救えるかもしれない生命を見捨てる事の出来ない、僕の弱さだ。
酸素が足りなくなってきた頭に、今日のショーはどうしようなんて考えが浮かんでくる。右手は間違いなく火傷してるだろうし、足だって怪我してしまった。
また皆に呆れられてしまう。でも──諦めない。それよりも、今だ! 今なんだ!
「あああああああッッ‼」
気合一発。足を傾斜になっている砂浜に差し込み、そこを支えにして腰を入れ、鎧の脚を思い切り引っ張る!
反動で海に投げ出されたが、鎧もまた僕の方に引かれ、その大部分を水際浸すことが出来た。じゅううう! と音を立てて蒸気が噴き上げる。
慌てて口元まで水が来ていないかを確かめ、間一髪、溺れそうにはない事を確認する。
完全に海に引き込んでしまうと間違いなく重さで沈んでしまうだろうから賭けだったけど、どうやら成功したみたいだ。
・・・でも、まだだ! 再びバケツを手に取り、海に浸りきっていない部分に水を掛け続ける。少しずつ、鎧の熱気が収まってきた。呼吸もまだある。
「頑張れ・・・! 頑張ってくれ・・・! 最後まで・・・諦めるなッ‼」
言葉が通じるわけない。でも、呼びかけ続けた。
誰も見ていない夜の砂浜で、僕の声だけがこだましていた。
※ ※ ※
アツイ・・・カラダガ、アツイ・・・・・・
クルシイ・・・イタイ・・・アツイ・・・
・・・デモ・・・マダ・・・イキテイル・・・?
・・・・・・・・・コエガ・・・
・・・・・・コエガ・・・キコエル・・・
「ガン・・・バレ」・・・?
「ア・・・キラ・・・メル・・・ナ」・・・?
キイタコトナイ・・・コトバ・・・
デモ・・・・・・アッタカイ・・・
アツイ、ジャナクテ・・・
アッタカイ・・・コトバ・・・
ワタシハ・・・マダ・・・・・・イキテイル・・・
※ ※ ※
「・・・よかった。目が覚めたんだね」
ランタンの薄明かりの下、鎧がぴくりと動く気配がして、思わず話しかけてしまう。
「まったく、大変だったよあの後も・・・」
ようやく鎧を冷ましきった後は海からまた引っ張り上げて、そのまま放っておくわけにもいかないから全速力で自転車漕いで家に帰って、社用車で戻ってきて重い体をどうにかこうにか担ぎ上げて・・・全く、大変な夜だった。悪夢の事なんて吹っ飛んでしまった。
動物病院はどこもやってなかったから、やむを得ず家の裏の倉庫にこの子を引きずって寝かせて、ようやく一息ついたのが午前四時。
今は午前四時半だ。既に空は白んでいる。
「でも、君が生きててよかった」
自然と、笑顔になる。達成感というか・・・まぁ、助けたのは僕のわがままだけど。
それにしても、この鎧・・・いや、鎧を来た犬は、一体なんなんだろう。
何よりも不可解なのはこのネイビーの外装だ。
冷ました後も仄かに熱を持ち続け、しかも、車から降ろした時には、さっきまで黒焦げだった部分が綺麗さっぱりなくなっていたのだ。
軍手をして色々と構造を探ってみたけど、どこにも留め金の部分が見当たらず、脱がせる事もできずに途方に暮れているというのが現状だ。
まぁ・・・今夜はほとんど眠れていないし、体力もほとんど使い果たしてしまった。少し眠って、さっぱりした頭なら何かいいアイデアも思いつくかもしれない。
日課の朝のランニングよりよっぽど動いたし、今日はいつもより寝たって誰にも文句は言わせないぞと意気込んで、目覚ましアプリのタイマーをセットする。
<・・・グ・・・ウ・・・ウゥ・・・>
「っ! 起きた!」
鎧の犬が放り投げていた体を起こそうと、弱々しくも藻掻く。
倉庫の床に鎧が擦れて、カツンカツンと音がする。ややあって、ようやく左前脚を杖に起き上がった。
<・・・ウウウウウッ!>
「あっ・・・・・・」
しまった、と思った。確かに助けたのは僕だが、この子はその事を知るわけがない。目の前に知らない人間がいたら威嚇するのは当たり前だ。
両前脚を開いて前傾姿勢になり、見上げるようにこちらを睨んでくる。
弱っているとはいえ、目方70キロの動物が襲いかかってきたら僕なんか一溜まりもない。
しかも今は疲弊していて、立ち上がって逃げ出す事も間に合うかどうか。
固唾を呑んで、鎧の隙間から覗く双眸と目を合わせる。こういう時はまず視線を外してはいけない。
・・・仰向けに転がって腹を見せれば、降伏のサインと受け取ってもらえるだろうか。
そんな事を考えながら見つめ合うこと数秒、唐突に、緊張の糸は解れた。
<ウゥ・・・ウゥ・・・・・・>
がくんと膝を折ると、鎧がガシャリと音を立てながら床にへたり込む。
「・・・やっぱり、限界だったんだな」
一つ、大きなため息をつく。
・・・まだ寝るわけにはいかないな。
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