扉をあけて

渡波みずき

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 木立のむこうから、鬼役の声がする。もういいかいの呼びかけに、まあだだよと返して、めぼしい隠れ場所が他の友だちで埋まっていることに焦りを覚えた。
 初めて来た郊外のキャンプ場は広いが、視界がひらけていて、隠れ場所には乏しい。弱っていたとき、目に入ったのは、ゴミ捨て場だった。大きなコンテナがふたつみっつと並べられたキャンプ場利用者用のゴミ捨て場。あそこなら、隠れられるかもしれない。
 走っていき、周囲を確かめ、見つけた扉のひとつに駆けよる。

「おい」

 声をかけられて、とびあがるほど驚いた。ふりかえると、大人の男のひとがこちらを見て険しい顔をしていた。

「ここは危ないぞ。遊ぶなら、よそに行け」

 叱られて、かえって反発心が芽生えた。

「……はい」

 口では素直に言って、コンテナの裏手に隠れるふりをする。そうして、男のひとがいなくなった隙をついて、ふたたび目当ての扉に取りついて、身をかがめ、急いで中に隠れた。
 扉を閉めると、中は息苦しいほどに真っ暗になった。しまった、もういいよって、言うのを忘れた。考えて、一度、外に出ようかと思ったときだ。
 大きな音と振動が響く。そうして気づけば、押しても引いても、扉は開かなくなっていた。




 翠が夏休みのアルバイト先を決めたのは、従兄の体験談がきっかけだった。住み込みのリゾートバイトをしたら、とてもバイト代が高いうえに、休みの日には近くの有名観光地を遊びつくせたらしい。
 翠がうらやましがると、従兄はスマートフォンを取りだして、オーナーや事務所の連絡先ならわかるけど、と言いだした。
 紹介して欲しい! そう、一も二も無く飛びついたのは、確かに自分のほうだった。

 ──けど、なあ。

 翠は透明なビニール袋を片手に、バーベキュー施設の一区画に屈みこんだ。ゴム手袋越しに、生焼けの肉のぐじゅっとした感触が指先に伝わる。小指の先程もありそうな蠅が飛んできて、肉の先にとまろうとする。追いはらおうとして手を振るったせいで、腐りかけの肉汁が頬に跳ねた。
 リゾートバイトがオシャレだなんて、嘘ばっかり!

 泣きそうになりながら肉を袋に回収し、ゴム手袋を外し、頬を拭う。翠は奥歯をかみしめ、自分を鼓舞するように小さくうなずいた。一日目にして挫けていては、バイト代すらもらえない。ここは踏んばりどころだ。
 めざすは登山用品一式の購入、しめて十七万五千円なり!

 翠が大学のワンダーフォーゲル部に入部したのは、四月初旬のこと。五月に低山に初登山したとき、靴の大切さが身に染みた。次のシーズンは秋だが、それまでには装備をそろえたい。どうせそろえるなら、冬山にも対応してみたい。登山靴と雨具とザックをそろえるだけで十万は吹っ飛ぶし、冬山ならば、防寒具一式だって必要になる。それにはどうしても、元手がいる。

 そろそろ三時だ。早くしなければ、次の時間帯の利用者が来てしまう。昼食時に使われたのは、この区画だけではない。翠は地面に落ちたゴミを拾うと、次の区画に移動した。椅子やテーブルを拭き浄め、炉のなかをきれいにし、周辺のゴミを拾う。このルーティンがなかなかに辛い。
 夏場の生ゴミはすぐに異臭を放ちだすし、蠅もたかる。林のなかに位置するキャンプ場のせいで、ただでさえ蚊に食われやすいし、蜘蛛やらムカデやらも出没する。もう、何を何匹みたか数えるのもやめた。

「牧本さん、平気ぃ? 手伝おうか」

 顔をあげると、むこうから手を振り振り、笑顔で近づいてくる若い男がいた。炊事場の清掃担当の中村だ。翠と同い年の大学生だと言うが、長めの金髪や両耳に光るいくつものピアスのせいで近寄りがたい雰囲気がある。

「平気です。次で終わりですし」
「いっしょにやれば、すぐ終わるね!」

 中村は翠にテーブルを拭くように指示し、自分は炉の片付けをはじめる。そうして、翠の拭き掃除が終わるころには、周辺のゴミ拾いまで完了させていた。

「終ーわりっ! これ、捨ててくるねー」

 最後まで笑顔で、中村は翠のゴミまでまとめて持っていこうとする。翠はあわてて彼を引き止めた。

「こ、これは私の仕事ですから!」

 しどろもどろになって言う翠に、彼は少し意外そうな顔をして、すぐに笑顔に戻った。

「そっか! じゃあ、いっしょに行こう」

 ふたりでつらつらと話しながら、ゴミ捨て場にむかう。キャンプ場の入り口付近にあるゴミ捨て場は、貨物用コンテナを利用したもので、階段が据え付けられ、中に出入りできるようになっている。生ゴミ、プラスチック類、瓶・缶・ペットボトルとその他で三つのコンテナに分別できるようになっており、鉄扉さえ閉めてしまえば、外ににおいも漏れにくい。
 中村がそのようなことを教えてくれたが、実のところ、翠にはそうとも思えないでいた。

 ゴミ捨て場に近づくにつれて、目に刺さるような悪臭が鼻をつく。レバーを下ゆでしたときの湯気を強烈にした感じ。そう表現したら、中村には「牧本さん、女子力高いねー」と笑って流された。
 中村は優しいのではない。ひとを小馬鹿にしているのだ。ほんのりとした好意が一瞬にしてさめた。翠は一歩先にコンテナにたどり着くと、かんぬきを外して扉を引いた。

 重い扉だ。決して開閉がスムーズとはいかない。中村がうしろから補助するように手をかけてくれなければ、開くだけでもう少し時間がかかっただろう。
 軋みを響かせて開いた扉の隙間から、中に入りこんでみて、翠はあれ? と、違和感を覚えた。ほの暗いコンテナのなかは日差しに熱されて蒸しているし、生ゴミのにおいはする。だが、さきほどまでの悪臭とは、明らかに種類が異なる。

「ゴミ、増えてきたね。また薬剤撒いとかなきゃ」
「薬剤? 殺虫剤ですか?」

 尋ねた翠に、中村は「違うよー」と軽く返して、入り口に転がっていたゴミ袋を奥の方に移動させた。

「クエン酸を水に溶かして、全体にスプレーしておくんだ。そうすると、雑菌の繁殖が抑えられて、においが湧きにくくなる」

 と言っても、袋にかけるからたいしたことないんだけどー、と、ケタケタ笑い、中村は翠を外に追い出した。
 ゴミの収集はいつも午前中にあるから、それまでにはにおいが出てくる。においを少しでも抑えておくと、収集後の庫内の掃除が楽になるのだ。

 数日前にバイトを始めたにしては、中村はいろいろなことに慣れている。管理棟に戻る道すがら聞いてみると、中村は去年、高校生だったときにもこのキャンプ場でバイト経験があると言う。

「高三の夏にアルバイト? 余裕ですねえ」
「指定校推薦取れそうだったしね。俺、別に高校生のときから金髪ピアスだったわけじゃないし。これもね、美容師の友だちの練習台になってるだけ。夏休み限定だよー」

 前髪をいじって見上げるしぐさをする。そうしていると、確かに中村にはあまり似合わないような気がしてくるから不思議だ。

 中村はひとりで片付けてくると言って、今度こそ翠から掃除用具を奪いとると、翠に手を洗うよう指示した。管理棟の外の手洗い場では、かちかちにひからびた石鹸がネットに入ってぶらさがっていた。水で石鹸をふやかしていると、視界の端に子どもの姿が映った。
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