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後編
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さて、この話には裏がある。
満面の笑みで握手を求める絶世の爽やかで陽キャ気質の美形、彼の名は三峰凛成(みつみねりんせい)といい上位のαだ。
凛成は昼間はホワイト大手企業の会社員として、そしてスキマ時間で自称「何でも屋さん」で生計を立てている。可愛らしい名前のそれは、ひっくり返してみれば「殺しや直接犯罪に触れるようなこと以外はなんでもやりますよ」というグレーを気取ったほぼ真っ黒い仕事である。
彼の元へやってきたのは、運命の番と結婚式を挙げたばかりの歌城和人だった。運命と番になれて幸せの絶頂期なのかと思いきや、彼はやつれ切っておりこの世の終わりといった表情のまま、凛成にされるがまま手を握られて握手をしている状態だ。
「話、聞いても良いかな?」
凛成のきゅるんとした余所行き用の眼差しに若干苛立ちを覚えながら、和人はこれまでの愚行と最愛の死について他に吐き出すところもなかったのだろう、懺悔のように全てを打ち明けた。
「……貴方も本当にΩ運、いや運命運のないαだなぁ」
凛成は遠い昔に、社会的に殺した運命の番を思い返しながら微かな同情を見せてやる。この男は運命の番という災厄に絡まれ執着された結果、危うく勃起不全になりかけたという、彼にとっては死に値するレベルでの辛く苦しい思い出がある。
「まあ、そのおかげで最愛のオナペットと同い年の息子に出会えたから結果オーライかな」
「最愛をオナペット呼ばわりしてやるなよ……」
これから依頼する三峰が非常にややこしい人間関係を築いていることはさらりと無視して、和人は運命と自身の縁を断ち切るために協力をしてほしい、金ならいくらでも出すと、この胡散臭い上級αに頭を下げた。
「協力は惜しまないけど、難しいんじゃない。相手はアンタにベタ惚れのヒロイン脳のΩなんでしょう?殺した方が早くない?」
「それじゃあ意味がないんだ」
物騒な言葉はさらりと聞かなかったことにして、和人は一枚の紙を凛成に手渡す。それは央が書いた遺書(厳密には違うが)のコピーだ。
「これはアンタが持っててくれていい。ここを読んでほしい」
『お前らには誰にも祝福されない人生を送って欲しいけど、もしそれでも生涯愛し合いずっと傍にいたら、運命とやらを信じてやるよ』
「一番は僕自身への制裁と……名前も呼びたくないが。一応生物学的に運命の番になっている斗愛への復讐だ。でも、本当に運命とやらは強固でどう足掻いても逃れられないものなのか、僕自身確かめてみたいところもある」
「なるほど?」
「だから、まずは薬を入手してもらいたい」
「どんな薬だろう?」
「頭髪が自然にハゲる薬」
「はい?」
和人の言い分としてはこうだ。運命の番とやらが醜くなっても本当に生涯添い遂げるものなのか実験がてら確かめたい。
「なるほど……なんか悪魔の実験みたいだな。ハゲ薬ね。ないわけじゃないけど斗愛さんに飲ませるの?」
「いや、僕が飲む」
「はい?」
あわせて、外面の良さを異様に求める斗愛が容姿の醜くなった和人と並んで歩き、性行為をするのは奴にちょっとした苦痛を与えることができるのではないかと彼は考えた。
斗愛にハゲ薬を飲ませ彼の方を醜くして離縁するのはだめなの?という凛成の言葉にも「こういうのは互いの気持ち(が離れること)が肝心なんだ。大丈夫、僕は元からあいつに心はない。しかたなく発情期の相手をしてやってるだけだ」と誠実なんだか不誠実なんだかなコメントを残す。
平たく言うなら、別れるまで和人の下半身が使い物にならなくなったら復讐が遂行できない、あわせて和人責で離縁はしたくないという考えもあるようだ。
「じゃあ、はいこれ」
「これは」
「ハゲ薬『毛が徐々に抜け落ち―る』です」
「胡散臭い」
「りんりん仕事の腕は確かだもん。言っとくけど頭髪に特化した脱毛剤みたいなもんだから、二度と髪の毛が生えなくなるけどいいのか?」
「いいよそれぐらい」
「やだかっこいい濡れる」
ガワだけは和人以上に良い、見目麗しい上位変人αの頭をポカリと叩くと、和人は『毛が徐々に抜け落ち―る』の1ダース小脇に抱えて颯爽と去っていった。
数か月後。やつれて疲弊しきってはいるが、それでも両手をブンブン振りながら元気よく、和人は凛成の元へとアタッシュケースを握りしめやってきた。
「ハゲた?」
「ハゲた!見てくれ!」
これほどまでにハゲを嬉しそうに報告する男たちは、世界中探してもなかなかいないのではないだろうか。
つるつるだねぇと和人の頭を撫でてやるりんりんこと凛成と「1ケ月前まではもっと汚いハゲかたしていたんだ!」とウィッグを外してつるりとした頭を撫でられながら、スマホに自身の頭部を映し込んだ画像を嬉し気に見せている和人の姿がそこにあった。
とても正気の沙汰とは思えない光景だ。
「で、貴方の運命は?」
「あからさまに態度が変わった。家では絶対にウィッグを取るなってキーキー怒鳴り散らかしているよ。僕は『頭皮に良くないから』って構わずハゲに戻るけどね」
「やべぇ超見たいその光景」
「あ、そうだ。これは報酬だよ」
和人がアタッシュケースを開くと、そこにはドラマの身代金ぐらいでしか一般層にはお目にかかれない札束がずらりと並んでいた。
凛成はαらしからぬ黄色い声を上げると「りんりん一度でいいから札束で往復ビンタされたかったんだ」と札束を一つ取り出し和人にビンタを強請ると、和人も快くビンタをしてやっている。全くもって狂っている。
「三峰凛成さん。もう一つお願いがあるんですが」
「うーん、構わないけど一人の依頼主に短期間で依頼を受けるのは控えているんだ。足が付いたら嫌だし……」
「札束の風呂に入りたくないですか」
「お伺いします」
「デブになる薬をください」
キリリと姿勢を正した凛成は、和人の要望にまたもや「はい?」と首を傾げてしまう。そんなものがあれば、恵まれない子供達やなかなか太ることができないトレーニーや力士などが救われてしまうじゃないかと、内心で溜息を吐きながら彼は「数日預からせてください」と今日の所は解散とした。
「デブニナール軟膏です」
「あるんかい」
それも軟膏。医学の進歩には目を見張るものがある。塗れば塗るほどにその箇所が太りやすくなるということから、和人は腹や顔に重点的に軟膏を塗ることに決めた。こういうのは目立ちやすい部位にこそ現れてほしいからだ。
「悪いけど、おっぱいとかに塗ってもあまり効果ないよそれ」
「いいよ、貧乳に悩む女子じゃないんだ僕は」
健気にも毎日3回欠かさず軟膏を塗り続けた和人の腹は醜く膨れ、顔もでっぷりとした脂肪がついた。テカテカと脂ぎった顔は軽く不快感を覚えるほどで、斗愛はとうとう和人と対面することすらも拒絶した。
「やだ、やめて、やめろってぇ!離れろデブ!気持ち悪い!!」
最愛のはずの番を足蹴にし、身を捩って抵抗するも所詮は非力なΩだ。ここぞとばかりにわざと和人は斗愛を溺愛した風に見せ、過度なスキンシップや性行為を求める。
体重3ケタに抑え込まれ蹂躙される姿はさながらレイプもののAVのようだ。和人は斗愛に暴力を振るうことなく、努めて優しく抱くようにしていたが斗愛はついに、ストレスから顔を青ざめさせて行為中に吐瀉物を吐いた。
「愛しているよ」と囁かれる度に目の前の運命の番は嫌悪に顔を歪めて吐き気を催す。その姿に和人は「失礼な奴だな」とは思うものの、傷ついたり心が痛むことは全くなかった。
彼が今でも張り裂けんばかりに心を痛めているのは、央というものがありながらこのΩのフェロモンに中てられ番ってしまった様を見せつけてしまったことと、歌城家に薬を投与されたあげく軟禁され表に出られなかったとはいえ、生きているうちに央に謝罪をしにいくこともできなかったことについてだ。
「はなれろ!デブ!ハゲ!触るな」
「央を返してよ」
「はっ……」
ぽつりと漏れた本音は、斗愛の心を凍てつかせるのに十分だった。和人としては復讐も最終段階に入った。「央、央」と運命の番を自身の最愛の代わりにして、優しく丁寧に抱いてゆく。こんな体になってもやはり運命の相性だけは相当にいいのだろう。斗愛の声で気がそがれないように手で口を塞ぎ「央」と最愛の名を呼びながら彼は斗愛を抱き続けた。
斗愛にとって、声だけは運命の番が化け物のような姿で自分を犯している。それも斗愛を求めるのではなく彼は央、自身の本当の最愛を心から求めている。
思えば和人は斗愛に冷たくしたこともなければ、ともに夫夫として暮らしていく最低限のコミュニケーションはいつも取ってくれていた。あんなことがあったというのに、彼は斗愛の身体を気遣ってくれて、恨みの一つもぶつけてはこなかった。
それは、斗愛を運命として愛しているのだから当たり前だと当然のように彼は思っていた。だって運命なのだから、前にどれだけ好いた相手がいたとしても運命の前にはそれは偽物の愛なのだと思っていた。運命という言葉に彼は、完全に胡坐をかいていた。
フェロモンレイプをけしかけたのは斗愛だが、心の底から和人に尽くし愛したのであれば、少しはこのような終わりは訪れなかっただろうか、未来はもう少し変わっただろうかと彼はボンヤリ考える。
「和人、和人」
「……」
「一度でも、僕の事好きだった?」
「いいや」
一度もなかったよ、そんなことは。
だけど、君がけしかけたフェロモンレイプだったとしても襲ってしまったのはαである僕の責任だ。央……松落家に絶縁されてもしかたがないと思っていた。何度央に謝りに行きたかったことか。でも両親はわかってたんだろうね、僕が央の元へ行ったのなら、そのまま自害するだろうってことぐらい。
「君をあてがわれて、僕らは発情を促す興奮剤も投与されてずっとセックス漬けにさせられていたんだ。気づかなかったのかい?」
「まさか」
「その癖、子供ができないように君には絶えず避妊薬が投与され続けていた。これがどういう意味かわかるかな」
「……どういう」
「歌城家の後継ぎは弟になったんだ。僕は弟が成長するまでのつなぎの社長になったんだよ。全部君の、いやどれもこれも運命の番のせいだね。運命の番、運命の番、運命の番!!もう、王子様とお姫様が結ばれて幸せになりましたなんてシンデレラストーリーが叶うことはないよ。これから徐々に君も僕も衰退して落ちぶれてゆくんだ」
「……」
「僕は、最愛を裏切ってしまった。でも君は、多くの人から恨みを買っていた。君を擁護する人間はもういない。君の家族すらも」
「うそだ、僕はただ、好きな人と幸せになりたかっただけ……」
「お前には二つの道がある」
「かず、ひと?」
「一つは僕と一緒に落ちぶれてゆくこと。歌城家から絶縁されて僕はまともな職に就くことができないかもしれない。普通の生活すらも危うくなるだろう」
「……ひっ」
「もう一つは。今からでも遅くないから。僕から離れて自由になることだ」
今では顔を近づけられるだけでも嫌悪感が走るというのに、その囁き声だけはかつて愛した男の声のままだった。
「どうする」
「……」
「答えろ」
「……番を解除、してください」
ニヤリと笑ったαの表情は醜くもどこまでも狡猾で、これまでの憎しみをようやく解き放てたといった風に、その瞳はどす黒く濁っていた。
番解除の前に離婚届けを提出してしまった二人は、本当に他人同士となった。その場で番を解除しない表向きの理由としては、別れた妻が落ち着くまでの配慮だろうと周囲は見たが、実のところ最後の復讐のために番契約を残していたというのが本当の理由だ。
和人が弟に社長の座を譲り渡すことはあらかじめ決まっていたが、これは和人自身の意思であり歌城家に絶縁されたというわけではない。斗愛に和人を諦めさせるために逆ブラフをかけたようなものだ。
本番は、社長辞任の記者会見だった。特に表向きは不祥事を起こしたわけでもない歌城和人がなぜ?とマスメディアはこぞって取材に来るだろう。或いは、頭髪が抜け落ちブクブクに太った哀れな元社長の姿を報道しにハイエナたちもやってくるだろう。
しかし、その場に現れたのは元の体系を取り戻した、少しばかりやつれた顔のイケメン社長そのままだった。頭髪に関してはウィッグを被ればある程度は誤魔化せるし、わざわざ一流のスポーツトレーナーとスタイリストを雇って、彼は今日という日に備えていた。
「久しぶり、記者会見見たよ」
記者会見直前に容赦なく番解除した和人は、斗愛が苦痛に歪みのたうち回る姿が見られなかったことだけが心残りだと目の前の男、凛成に愚痴った。
「心残りだなんて、貴方これから死ぬみたいだな」
「……ほら、これだけあれば札束の風呂に入れるでしょ」
数年後には廃止されるだろう小切手に、目玉が飛び出るような金額が書き込まれているのを見つけると、凛成は「わぁお」と形ばかりの感嘆の声を上げた。
「あまり、嬉しそうじゃないね」
「そりゃあ、後味が悪いというか」
りんりん基本的にはハッピーエンドが好きなの、とわざと上目遣いで和人を見つめる。和人はようやく人間らしい苦笑を浮かべてやると「もう会うこともないだろうから」と、手をひらひらさせて足早にその場を去っていった。
「復讐なんて無意味だなんて言うけれど」
復讐をしたところで、彼の最愛は戻ってはこないけれど。どうせ死ぬならやらないよりやってから死んだ方がスッキリする。それは和人の場合確かにそうであったが、胸には風穴が空いたかのようにスースー冷たい風が吹き、一生塞がることはないのだなと彼は理解した。
和人は、央が暮らしていたマンションの8階にいる。どのような結果であれ、全てにケリがついたらここから飛び降りて自死するために部屋を借り続けていたのだ。
死のコンマ一瞬、視界一杯に広がった薄い空色が彼の目に心地よかった。
「……?」
頭を地面にたたきつけて薄ピンクの脳みそも脳漿も全てぶちまけたはずの男は、自分の頭を撫で摩ってみる。失われたはずの髪の毛や頭蓋骨すらも完璧に残っていたが、毛は赤ん坊のように艶やかで頼りなく、まるでひよこのような手触りだった。思わず手のひらを見つめてみれば、クリームパンのようなふくふくとした頼りない小さな手……口を開けば言葉にもならず泣き声となって周囲に響き渡る。
「かずちゃん」と幼少時の呼び名で声を掛けてくるのは、まだ若い歌城家の父と母の姿だった。
これが死に戻りというものだろうか。彼の時は生まれたばかりの赤ん坊に遡ってしまったようだ。このまま時が進めば、5歳の頃には央と出会い、そして18歳の卒業前にはあの忌々しい運命に出会うことだろう。
成長した姿は勿論、小さい頃の央は和人にとって天使のような存在だった。彼は「今度」は間違えず、和人に性的な悪戯を行わないように努めて友人として親友として、けれども恋愛感情を伝えプラトニックな関係を築いた。心から彼と一つになりたいという気持ちは二度目の人生でも変わらず、今度は肉欲で央を支配したくなかったからだ。
彼らが高校に上がること、あろうことか今度は央の運命の番が現れた。それは学年一のイケメンで、その名をミツミネタイセイと言った。どこかで聞いた名字だなと和人はちらと思う。タイセイはあの忌々しい釘村斗愛と恋仲であったはずなのに、運命である央と出会うとすぐさま彼の元へ駆け寄ってきたというのだ。
例え自分と番うことができなくても、そんな男はやめろと和人はαの牽制を仕掛けようとしたが、央はあっさり「自分には幼いころからの婚約者がいる。ごめん」とにべもなくタイセイを振った。
奇しくもそれは、あっさりイケメンに捨てられてさらにそのイケメンを袖にする央という、斗愛へのちょっとした復讐にもなったようだ。
「央さんかっけーです」
「さすが央さん!」
「一生ついていきます!」
運命の番に惑わされない漢の中の漢、漢らしいΩという名誉的なのか不名誉なのかわからない褒め言葉とともに、央はちょっとした有名人となった。なお、運命に執着するかと思いきや、意外にもあっさりとミツミネタイセイは央から手を引いた。
その陰では、タイセイの親族であるミツミネリンセイという男が「運命だからってそれだけで、恋人や婚約者がいる人との仲を引き裂いて付き合おうとするのはちがうでしょ」と宥めてくれたのだという。
いつかミツミネリンセイと言う男には、お礼として札束で気が済むまで往復ビンタをしてあげようと和人は心に誓った。意味が解らなすぎるがきっと彼はこれが一番喜ぶと信じて疑わなかったからだ。奇しくもそれだけは事実なのだが。
「央」
「ん、どうした和人」
二度目の人生では、まだ和人と央は性行為は疎かキスすらもしていない。時折こうして手を繋いで人気のない道を歩くのが精いっぱいなぐらいだ。
「高校卒業したら、僕と番になってくれませんか」
「……そりゃ、将来は結婚するしいつかは」
「そうじゃなくて!」
貴方が、好きです。小さい頃からずっと。生まれる前からずっと。貴方だけが良い、例えαとΩじゃなくても、僕がβやΩだったとしても貴方が好きです。政略結婚とか関係なくずっと央が好きです。例え振られても一緒になれなくてもこれからもずっと好きです。僕は。
「……っ」
長身の和人の首に、つま先立ちで両腕を絡ませて唇と唇を触れさせたのは央からだった。照れくさそうに顔を離そうとする央を引き寄せて、更に深く唇を重ねちゅっちゅというリップ音を響かせる。次第にゆっくり侵蝕するように舌を絡めさせたのは和人だ。
「和人」
「央?」
「……Xデーはもうすぐだぞ」
央の言葉に、和人は身を固くする。彼もだ。彼も、二度目の人生を繰り返していた。けれども彼が亡くなったのと和人が死んだのではあまりにも時が経過しすぎている。同じ年として生まれてくるには、それは。
「……待っててくれたの?」
「……退屈だから、文字通り空の上から色々眺めながらな」
「見捨てないで、ずっと見守っててくれたの……」
「和人」
「……なあに?」
「俺は、お前がハゲてもデブになってもお前と別れてやらないぞ?」
「僕も、僕もっ……!央の頭がつるつるになったらいっぱい頭にキスするし、おでぶになった央はぬいぐるみみたいに愛くるしいし可愛いだろうから、ずっと抱っこして離さないよ」
「眼科行ってくれ。それにそれは俺が嫌だな……」
「僕も央が幻滅しないようにがんばる」
「ん」
いつのまにか一世一代の告白は「健康と体調管理」の話にシフトしていったが、二人の将来の話ということで、これはこれでよいのではないだろうか。
人生にやり直しが効くのであれば、未来を変えるのも変えないのもその人の意志だとは思うが、結局また央は斗愛が恨みを買いαやβに襲われかけているところを助けに行ってしまった。彼らΩにとって死闘の末、二人とも無事で生還することができたが和人にはこってりと絞られてしまった。
「周囲は俺を英雄のように扱ってくれるというのに」
「尚更ダメ!これでもし項でも噛まれたら……どうすればいいの」
「……ごめん、考えなしだった」
一周目でももちろん、二周目の人生で和人も更に反省しているのだ。もう亡くなってしまった央のために彼なりの方法で復讐まで手を染めた最愛を、これ以上悲しませる必要はないだろう。
「ぎゅってしてくれたらいいよ」
「するよそれぐらい」
「沢山キスして、よしよしして」
「とつぜん甘えのリミッター振り切りやがって」
超大型犬のように、優男を膝に抱えわしわし撫でまわしている央の表情は満更でもなさそうだが。
万一に備え、災厄こと斗愛の突撃まで番わないように遠慮していた和人だが、央は大人びた笑みで「お前が運命と結ばれても、俺はお前のものだから」と、番わせたのは央のほうだった。ぷつりと恐る恐る項に突き立てられる牙はこれで「三回目」だというのにまるで初めてのようにぎこちなかった。
「僕……歌城さんのこと、好きになっちゃったんだ」
来た、と央は瞬時に気を引き締めた。とうとうXデーがやってきたのだ。顔を赤らめ身勝手な恋心を打ち明ける斗愛に、央は少々心を痛めながらもこう告げた。
「悪い、実は俺。もう和人と番っているんだ。政略結婚かもしれないけど、俺はあいつが好きなんだ」
くるりと後ろを振り向くと、後ろが太くなっているチョーカーと取り外し噛み跡を見せてやる。すぐさまチョーカーと取り付け直した。友人が自身の運命の番と結ばれているという事実を突きつけられた斗愛は顔を青ざめさせたまま「うん、わかった……諦めるね」という展開には何故かならず。暴走のままに歌城家に向かっていった。
『気を付けろ、恐らく今日来る』
『わかった、迎え撃つ』
『俺もすぐにそちらに向かう』
勇ましい軍人たちの通信のようなやりとりは、和人と央のラインである。こうして歌城家に乱入してきた斗愛の前に現れたのは、強力な抑制剤とガスマスク、そして何故か消火器を抱えた和人と、同じくマスクを身に着けた屈強な警備員たちだった。
積年の恨みとばかりに、消火器の中身をぶちまけて仮にも運命の番に浴びせかける和人の高笑いは、どんな悪役よりも悪役らしかったとは近所の奥様方の談だ。
「なぜ消火器」
過剰防衛だとか、やり過ぎだと窘めようとした央は、ド○フのコントのようになった斗愛の姿を見た瞬間、全てがどうでもよくなってしまった。
なぜなら、斗愛の手にはハンマーと包丁が握りしめられていたのだから。
「お前のせいで、央を返して、彼は僕の……王子様なんだから」
よくわからないことを喚きながら、彼はすでに婚姻と番を結んだαの前に現れたフェロモンテロの実行犯としてそのまま然るべき場所に連れていかれたそうだ。
彼の言葉が本音であれば、斗愛はきっと央のことが。自身が斗愛の執着の対象から外れたのは喜ばしいことだが、まさか自身の番に惚れ込むとは、和人もこればかりは想定外だった。
「……あいつ、また来そうだな」
「僕も、不思議とそんな気がする」
その都度返り討ちにするまでだと、鼻息を荒くしている和人を尻目に「もう大丈夫だろう」と央は密かに笑みを浮かべる。
人生とは結婚したらそこで安泰、子供を作ったらそこでハッピーエンド、番ってしまえばもう安心であり二人は永遠に心も体も一緒……というわけにはいかないのだろう。
現に運命と番った和人と斗愛が前回の人生であのようになってしまったのだ。また、運命の番というものは遺伝子レベルで相性がよいαとΩなのだから、天文学的な確率だとしてもまた別の運命に出くわしてしまう可能性もあるのだ。
「倒しても復活する魔王みたい……」
「んー?」
げんなりした央の呟きは、どうやら和人の耳には入らなかったようだ。ガスマスクもそのままに頬擦りしてくる最愛に「痛い、外せ」とチョップをかます央は、けれども幸せそうな表情を浮かべていた。
満面の笑みで握手を求める絶世の爽やかで陽キャ気質の美形、彼の名は三峰凛成(みつみねりんせい)といい上位のαだ。
凛成は昼間はホワイト大手企業の会社員として、そしてスキマ時間で自称「何でも屋さん」で生計を立てている。可愛らしい名前のそれは、ひっくり返してみれば「殺しや直接犯罪に触れるようなこと以外はなんでもやりますよ」というグレーを気取ったほぼ真っ黒い仕事である。
彼の元へやってきたのは、運命の番と結婚式を挙げたばかりの歌城和人だった。運命と番になれて幸せの絶頂期なのかと思いきや、彼はやつれ切っておりこの世の終わりといった表情のまま、凛成にされるがまま手を握られて握手をしている状態だ。
「話、聞いても良いかな?」
凛成のきゅるんとした余所行き用の眼差しに若干苛立ちを覚えながら、和人はこれまでの愚行と最愛の死について他に吐き出すところもなかったのだろう、懺悔のように全てを打ち明けた。
「……貴方も本当にΩ運、いや運命運のないαだなぁ」
凛成は遠い昔に、社会的に殺した運命の番を思い返しながら微かな同情を見せてやる。この男は運命の番という災厄に絡まれ執着された結果、危うく勃起不全になりかけたという、彼にとっては死に値するレベルでの辛く苦しい思い出がある。
「まあ、そのおかげで最愛のオナペットと同い年の息子に出会えたから結果オーライかな」
「最愛をオナペット呼ばわりしてやるなよ……」
これから依頼する三峰が非常にややこしい人間関係を築いていることはさらりと無視して、和人は運命と自身の縁を断ち切るために協力をしてほしい、金ならいくらでも出すと、この胡散臭い上級αに頭を下げた。
「協力は惜しまないけど、難しいんじゃない。相手はアンタにベタ惚れのヒロイン脳のΩなんでしょう?殺した方が早くない?」
「それじゃあ意味がないんだ」
物騒な言葉はさらりと聞かなかったことにして、和人は一枚の紙を凛成に手渡す。それは央が書いた遺書(厳密には違うが)のコピーだ。
「これはアンタが持っててくれていい。ここを読んでほしい」
『お前らには誰にも祝福されない人生を送って欲しいけど、もしそれでも生涯愛し合いずっと傍にいたら、運命とやらを信じてやるよ』
「一番は僕自身への制裁と……名前も呼びたくないが。一応生物学的に運命の番になっている斗愛への復讐だ。でも、本当に運命とやらは強固でどう足掻いても逃れられないものなのか、僕自身確かめてみたいところもある」
「なるほど?」
「だから、まずは薬を入手してもらいたい」
「どんな薬だろう?」
「頭髪が自然にハゲる薬」
「はい?」
和人の言い分としてはこうだ。運命の番とやらが醜くなっても本当に生涯添い遂げるものなのか実験がてら確かめたい。
「なるほど……なんか悪魔の実験みたいだな。ハゲ薬ね。ないわけじゃないけど斗愛さんに飲ませるの?」
「いや、僕が飲む」
「はい?」
あわせて、外面の良さを異様に求める斗愛が容姿の醜くなった和人と並んで歩き、性行為をするのは奴にちょっとした苦痛を与えることができるのではないかと彼は考えた。
斗愛にハゲ薬を飲ませ彼の方を醜くして離縁するのはだめなの?という凛成の言葉にも「こういうのは互いの気持ち(が離れること)が肝心なんだ。大丈夫、僕は元からあいつに心はない。しかたなく発情期の相手をしてやってるだけだ」と誠実なんだか不誠実なんだかなコメントを残す。
平たく言うなら、別れるまで和人の下半身が使い物にならなくなったら復讐が遂行できない、あわせて和人責で離縁はしたくないという考えもあるようだ。
「じゃあ、はいこれ」
「これは」
「ハゲ薬『毛が徐々に抜け落ち―る』です」
「胡散臭い」
「りんりん仕事の腕は確かだもん。言っとくけど頭髪に特化した脱毛剤みたいなもんだから、二度と髪の毛が生えなくなるけどいいのか?」
「いいよそれぐらい」
「やだかっこいい濡れる」
ガワだけは和人以上に良い、見目麗しい上位変人αの頭をポカリと叩くと、和人は『毛が徐々に抜け落ち―る』の1ダース小脇に抱えて颯爽と去っていった。
数か月後。やつれて疲弊しきってはいるが、それでも両手をブンブン振りながら元気よく、和人は凛成の元へとアタッシュケースを握りしめやってきた。
「ハゲた?」
「ハゲた!見てくれ!」
これほどまでにハゲを嬉しそうに報告する男たちは、世界中探してもなかなかいないのではないだろうか。
つるつるだねぇと和人の頭を撫でてやるりんりんこと凛成と「1ケ月前まではもっと汚いハゲかたしていたんだ!」とウィッグを外してつるりとした頭を撫でられながら、スマホに自身の頭部を映し込んだ画像を嬉し気に見せている和人の姿がそこにあった。
とても正気の沙汰とは思えない光景だ。
「で、貴方の運命は?」
「あからさまに態度が変わった。家では絶対にウィッグを取るなってキーキー怒鳴り散らかしているよ。僕は『頭皮に良くないから』って構わずハゲに戻るけどね」
「やべぇ超見たいその光景」
「あ、そうだ。これは報酬だよ」
和人がアタッシュケースを開くと、そこにはドラマの身代金ぐらいでしか一般層にはお目にかかれない札束がずらりと並んでいた。
凛成はαらしからぬ黄色い声を上げると「りんりん一度でいいから札束で往復ビンタされたかったんだ」と札束を一つ取り出し和人にビンタを強請ると、和人も快くビンタをしてやっている。全くもって狂っている。
「三峰凛成さん。もう一つお願いがあるんですが」
「うーん、構わないけど一人の依頼主に短期間で依頼を受けるのは控えているんだ。足が付いたら嫌だし……」
「札束の風呂に入りたくないですか」
「お伺いします」
「デブになる薬をください」
キリリと姿勢を正した凛成は、和人の要望にまたもや「はい?」と首を傾げてしまう。そんなものがあれば、恵まれない子供達やなかなか太ることができないトレーニーや力士などが救われてしまうじゃないかと、内心で溜息を吐きながら彼は「数日預からせてください」と今日の所は解散とした。
「デブニナール軟膏です」
「あるんかい」
それも軟膏。医学の進歩には目を見張るものがある。塗れば塗るほどにその箇所が太りやすくなるということから、和人は腹や顔に重点的に軟膏を塗ることに決めた。こういうのは目立ちやすい部位にこそ現れてほしいからだ。
「悪いけど、おっぱいとかに塗ってもあまり効果ないよそれ」
「いいよ、貧乳に悩む女子じゃないんだ僕は」
健気にも毎日3回欠かさず軟膏を塗り続けた和人の腹は醜く膨れ、顔もでっぷりとした脂肪がついた。テカテカと脂ぎった顔は軽く不快感を覚えるほどで、斗愛はとうとう和人と対面することすらも拒絶した。
「やだ、やめて、やめろってぇ!離れろデブ!気持ち悪い!!」
最愛のはずの番を足蹴にし、身を捩って抵抗するも所詮は非力なΩだ。ここぞとばかりにわざと和人は斗愛を溺愛した風に見せ、過度なスキンシップや性行為を求める。
体重3ケタに抑え込まれ蹂躙される姿はさながらレイプもののAVのようだ。和人は斗愛に暴力を振るうことなく、努めて優しく抱くようにしていたが斗愛はついに、ストレスから顔を青ざめさせて行為中に吐瀉物を吐いた。
「愛しているよ」と囁かれる度に目の前の運命の番は嫌悪に顔を歪めて吐き気を催す。その姿に和人は「失礼な奴だな」とは思うものの、傷ついたり心が痛むことは全くなかった。
彼が今でも張り裂けんばかりに心を痛めているのは、央というものがありながらこのΩのフェロモンに中てられ番ってしまった様を見せつけてしまったことと、歌城家に薬を投与されたあげく軟禁され表に出られなかったとはいえ、生きているうちに央に謝罪をしにいくこともできなかったことについてだ。
「はなれろ!デブ!ハゲ!触るな」
「央を返してよ」
「はっ……」
ぽつりと漏れた本音は、斗愛の心を凍てつかせるのに十分だった。和人としては復讐も最終段階に入った。「央、央」と運命の番を自身の最愛の代わりにして、優しく丁寧に抱いてゆく。こんな体になってもやはり運命の相性だけは相当にいいのだろう。斗愛の声で気がそがれないように手で口を塞ぎ「央」と最愛の名を呼びながら彼は斗愛を抱き続けた。
斗愛にとって、声だけは運命の番が化け物のような姿で自分を犯している。それも斗愛を求めるのではなく彼は央、自身の本当の最愛を心から求めている。
思えば和人は斗愛に冷たくしたこともなければ、ともに夫夫として暮らしていく最低限のコミュニケーションはいつも取ってくれていた。あんなことがあったというのに、彼は斗愛の身体を気遣ってくれて、恨みの一つもぶつけてはこなかった。
それは、斗愛を運命として愛しているのだから当たり前だと当然のように彼は思っていた。だって運命なのだから、前にどれだけ好いた相手がいたとしても運命の前にはそれは偽物の愛なのだと思っていた。運命という言葉に彼は、完全に胡坐をかいていた。
フェロモンレイプをけしかけたのは斗愛だが、心の底から和人に尽くし愛したのであれば、少しはこのような終わりは訪れなかっただろうか、未来はもう少し変わっただろうかと彼はボンヤリ考える。
「和人、和人」
「……」
「一度でも、僕の事好きだった?」
「いいや」
一度もなかったよ、そんなことは。
だけど、君がけしかけたフェロモンレイプだったとしても襲ってしまったのはαである僕の責任だ。央……松落家に絶縁されてもしかたがないと思っていた。何度央に謝りに行きたかったことか。でも両親はわかってたんだろうね、僕が央の元へ行ったのなら、そのまま自害するだろうってことぐらい。
「君をあてがわれて、僕らは発情を促す興奮剤も投与されてずっとセックス漬けにさせられていたんだ。気づかなかったのかい?」
「まさか」
「その癖、子供ができないように君には絶えず避妊薬が投与され続けていた。これがどういう意味かわかるかな」
「……どういう」
「歌城家の後継ぎは弟になったんだ。僕は弟が成長するまでのつなぎの社長になったんだよ。全部君の、いやどれもこれも運命の番のせいだね。運命の番、運命の番、運命の番!!もう、王子様とお姫様が結ばれて幸せになりましたなんてシンデレラストーリーが叶うことはないよ。これから徐々に君も僕も衰退して落ちぶれてゆくんだ」
「……」
「僕は、最愛を裏切ってしまった。でも君は、多くの人から恨みを買っていた。君を擁護する人間はもういない。君の家族すらも」
「うそだ、僕はただ、好きな人と幸せになりたかっただけ……」
「お前には二つの道がある」
「かず、ひと?」
「一つは僕と一緒に落ちぶれてゆくこと。歌城家から絶縁されて僕はまともな職に就くことができないかもしれない。普通の生活すらも危うくなるだろう」
「……ひっ」
「もう一つは。今からでも遅くないから。僕から離れて自由になることだ」
今では顔を近づけられるだけでも嫌悪感が走るというのに、その囁き声だけはかつて愛した男の声のままだった。
「どうする」
「……」
「答えろ」
「……番を解除、してください」
ニヤリと笑ったαの表情は醜くもどこまでも狡猾で、これまでの憎しみをようやく解き放てたといった風に、その瞳はどす黒く濁っていた。
番解除の前に離婚届けを提出してしまった二人は、本当に他人同士となった。その場で番を解除しない表向きの理由としては、別れた妻が落ち着くまでの配慮だろうと周囲は見たが、実のところ最後の復讐のために番契約を残していたというのが本当の理由だ。
和人が弟に社長の座を譲り渡すことはあらかじめ決まっていたが、これは和人自身の意思であり歌城家に絶縁されたというわけではない。斗愛に和人を諦めさせるために逆ブラフをかけたようなものだ。
本番は、社長辞任の記者会見だった。特に表向きは不祥事を起こしたわけでもない歌城和人がなぜ?とマスメディアはこぞって取材に来るだろう。或いは、頭髪が抜け落ちブクブクに太った哀れな元社長の姿を報道しにハイエナたちもやってくるだろう。
しかし、その場に現れたのは元の体系を取り戻した、少しばかりやつれた顔のイケメン社長そのままだった。頭髪に関してはウィッグを被ればある程度は誤魔化せるし、わざわざ一流のスポーツトレーナーとスタイリストを雇って、彼は今日という日に備えていた。
「久しぶり、記者会見見たよ」
記者会見直前に容赦なく番解除した和人は、斗愛が苦痛に歪みのたうち回る姿が見られなかったことだけが心残りだと目の前の男、凛成に愚痴った。
「心残りだなんて、貴方これから死ぬみたいだな」
「……ほら、これだけあれば札束の風呂に入れるでしょ」
数年後には廃止されるだろう小切手に、目玉が飛び出るような金額が書き込まれているのを見つけると、凛成は「わぁお」と形ばかりの感嘆の声を上げた。
「あまり、嬉しそうじゃないね」
「そりゃあ、後味が悪いというか」
りんりん基本的にはハッピーエンドが好きなの、とわざと上目遣いで和人を見つめる。和人はようやく人間らしい苦笑を浮かべてやると「もう会うこともないだろうから」と、手をひらひらさせて足早にその場を去っていった。
「復讐なんて無意味だなんて言うけれど」
復讐をしたところで、彼の最愛は戻ってはこないけれど。どうせ死ぬならやらないよりやってから死んだ方がスッキリする。それは和人の場合確かにそうであったが、胸には風穴が空いたかのようにスースー冷たい風が吹き、一生塞がることはないのだなと彼は理解した。
和人は、央が暮らしていたマンションの8階にいる。どのような結果であれ、全てにケリがついたらここから飛び降りて自死するために部屋を借り続けていたのだ。
死のコンマ一瞬、視界一杯に広がった薄い空色が彼の目に心地よかった。
「……?」
頭を地面にたたきつけて薄ピンクの脳みそも脳漿も全てぶちまけたはずの男は、自分の頭を撫で摩ってみる。失われたはずの髪の毛や頭蓋骨すらも完璧に残っていたが、毛は赤ん坊のように艶やかで頼りなく、まるでひよこのような手触りだった。思わず手のひらを見つめてみれば、クリームパンのようなふくふくとした頼りない小さな手……口を開けば言葉にもならず泣き声となって周囲に響き渡る。
「かずちゃん」と幼少時の呼び名で声を掛けてくるのは、まだ若い歌城家の父と母の姿だった。
これが死に戻りというものだろうか。彼の時は生まれたばかりの赤ん坊に遡ってしまったようだ。このまま時が進めば、5歳の頃には央と出会い、そして18歳の卒業前にはあの忌々しい運命に出会うことだろう。
成長した姿は勿論、小さい頃の央は和人にとって天使のような存在だった。彼は「今度」は間違えず、和人に性的な悪戯を行わないように努めて友人として親友として、けれども恋愛感情を伝えプラトニックな関係を築いた。心から彼と一つになりたいという気持ちは二度目の人生でも変わらず、今度は肉欲で央を支配したくなかったからだ。
彼らが高校に上がること、あろうことか今度は央の運命の番が現れた。それは学年一のイケメンで、その名をミツミネタイセイと言った。どこかで聞いた名字だなと和人はちらと思う。タイセイはあの忌々しい釘村斗愛と恋仲であったはずなのに、運命である央と出会うとすぐさま彼の元へ駆け寄ってきたというのだ。
例え自分と番うことができなくても、そんな男はやめろと和人はαの牽制を仕掛けようとしたが、央はあっさり「自分には幼いころからの婚約者がいる。ごめん」とにべもなくタイセイを振った。
奇しくもそれは、あっさりイケメンに捨てられてさらにそのイケメンを袖にする央という、斗愛へのちょっとした復讐にもなったようだ。
「央さんかっけーです」
「さすが央さん!」
「一生ついていきます!」
運命の番に惑わされない漢の中の漢、漢らしいΩという名誉的なのか不名誉なのかわからない褒め言葉とともに、央はちょっとした有名人となった。なお、運命に執着するかと思いきや、意外にもあっさりとミツミネタイセイは央から手を引いた。
その陰では、タイセイの親族であるミツミネリンセイという男が「運命だからってそれだけで、恋人や婚約者がいる人との仲を引き裂いて付き合おうとするのはちがうでしょ」と宥めてくれたのだという。
いつかミツミネリンセイと言う男には、お礼として札束で気が済むまで往復ビンタをしてあげようと和人は心に誓った。意味が解らなすぎるがきっと彼はこれが一番喜ぶと信じて疑わなかったからだ。奇しくもそれだけは事実なのだが。
「央」
「ん、どうした和人」
二度目の人生では、まだ和人と央は性行為は疎かキスすらもしていない。時折こうして手を繋いで人気のない道を歩くのが精いっぱいなぐらいだ。
「高校卒業したら、僕と番になってくれませんか」
「……そりゃ、将来は結婚するしいつかは」
「そうじゃなくて!」
貴方が、好きです。小さい頃からずっと。生まれる前からずっと。貴方だけが良い、例えαとΩじゃなくても、僕がβやΩだったとしても貴方が好きです。政略結婚とか関係なくずっと央が好きです。例え振られても一緒になれなくてもこれからもずっと好きです。僕は。
「……っ」
長身の和人の首に、つま先立ちで両腕を絡ませて唇と唇を触れさせたのは央からだった。照れくさそうに顔を離そうとする央を引き寄せて、更に深く唇を重ねちゅっちゅというリップ音を響かせる。次第にゆっくり侵蝕するように舌を絡めさせたのは和人だ。
「和人」
「央?」
「……Xデーはもうすぐだぞ」
央の言葉に、和人は身を固くする。彼もだ。彼も、二度目の人生を繰り返していた。けれども彼が亡くなったのと和人が死んだのではあまりにも時が経過しすぎている。同じ年として生まれてくるには、それは。
「……待っててくれたの?」
「……退屈だから、文字通り空の上から色々眺めながらな」
「見捨てないで、ずっと見守っててくれたの……」
「和人」
「……なあに?」
「俺は、お前がハゲてもデブになってもお前と別れてやらないぞ?」
「僕も、僕もっ……!央の頭がつるつるになったらいっぱい頭にキスするし、おでぶになった央はぬいぐるみみたいに愛くるしいし可愛いだろうから、ずっと抱っこして離さないよ」
「眼科行ってくれ。それにそれは俺が嫌だな……」
「僕も央が幻滅しないようにがんばる」
「ん」
いつのまにか一世一代の告白は「健康と体調管理」の話にシフトしていったが、二人の将来の話ということで、これはこれでよいのではないだろうか。
人生にやり直しが効くのであれば、未来を変えるのも変えないのもその人の意志だとは思うが、結局また央は斗愛が恨みを買いαやβに襲われかけているところを助けに行ってしまった。彼らΩにとって死闘の末、二人とも無事で生還することができたが和人にはこってりと絞られてしまった。
「周囲は俺を英雄のように扱ってくれるというのに」
「尚更ダメ!これでもし項でも噛まれたら……どうすればいいの」
「……ごめん、考えなしだった」
一周目でももちろん、二周目の人生で和人も更に反省しているのだ。もう亡くなってしまった央のために彼なりの方法で復讐まで手を染めた最愛を、これ以上悲しませる必要はないだろう。
「ぎゅってしてくれたらいいよ」
「するよそれぐらい」
「沢山キスして、よしよしして」
「とつぜん甘えのリミッター振り切りやがって」
超大型犬のように、優男を膝に抱えわしわし撫でまわしている央の表情は満更でもなさそうだが。
万一に備え、災厄こと斗愛の突撃まで番わないように遠慮していた和人だが、央は大人びた笑みで「お前が運命と結ばれても、俺はお前のものだから」と、番わせたのは央のほうだった。ぷつりと恐る恐る項に突き立てられる牙はこれで「三回目」だというのにまるで初めてのようにぎこちなかった。
「僕……歌城さんのこと、好きになっちゃったんだ」
来た、と央は瞬時に気を引き締めた。とうとうXデーがやってきたのだ。顔を赤らめ身勝手な恋心を打ち明ける斗愛に、央は少々心を痛めながらもこう告げた。
「悪い、実は俺。もう和人と番っているんだ。政略結婚かもしれないけど、俺はあいつが好きなんだ」
くるりと後ろを振り向くと、後ろが太くなっているチョーカーと取り外し噛み跡を見せてやる。すぐさまチョーカーと取り付け直した。友人が自身の運命の番と結ばれているという事実を突きつけられた斗愛は顔を青ざめさせたまま「うん、わかった……諦めるね」という展開には何故かならず。暴走のままに歌城家に向かっていった。
『気を付けろ、恐らく今日来る』
『わかった、迎え撃つ』
『俺もすぐにそちらに向かう』
勇ましい軍人たちの通信のようなやりとりは、和人と央のラインである。こうして歌城家に乱入してきた斗愛の前に現れたのは、強力な抑制剤とガスマスク、そして何故か消火器を抱えた和人と、同じくマスクを身に着けた屈強な警備員たちだった。
積年の恨みとばかりに、消火器の中身をぶちまけて仮にも運命の番に浴びせかける和人の高笑いは、どんな悪役よりも悪役らしかったとは近所の奥様方の談だ。
「なぜ消火器」
過剰防衛だとか、やり過ぎだと窘めようとした央は、ド○フのコントのようになった斗愛の姿を見た瞬間、全てがどうでもよくなってしまった。
なぜなら、斗愛の手にはハンマーと包丁が握りしめられていたのだから。
「お前のせいで、央を返して、彼は僕の……王子様なんだから」
よくわからないことを喚きながら、彼はすでに婚姻と番を結んだαの前に現れたフェロモンテロの実行犯としてそのまま然るべき場所に連れていかれたそうだ。
彼の言葉が本音であれば、斗愛はきっと央のことが。自身が斗愛の執着の対象から外れたのは喜ばしいことだが、まさか自身の番に惚れ込むとは、和人もこればかりは想定外だった。
「……あいつ、また来そうだな」
「僕も、不思議とそんな気がする」
その都度返り討ちにするまでだと、鼻息を荒くしている和人を尻目に「もう大丈夫だろう」と央は密かに笑みを浮かべる。
人生とは結婚したらそこで安泰、子供を作ったらそこでハッピーエンド、番ってしまえばもう安心であり二人は永遠に心も体も一緒……というわけにはいかないのだろう。
現に運命と番った和人と斗愛が前回の人生であのようになってしまったのだ。また、運命の番というものは遺伝子レベルで相性がよいαとΩなのだから、天文学的な確率だとしてもまた別の運命に出くわしてしまう可能性もあるのだ。
「倒しても復活する魔王みたい……」
「んー?」
げんなりした央の呟きは、どうやら和人の耳には入らなかったようだ。ガスマスクもそのままに頬擦りしてくる最愛に「痛い、外せ」とチョップをかます央は、けれども幸せそうな表情を浮かべていた。
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読んでくださってありがとうございます!少しでも楽しんでいただけたのなら幸いです。
またちょこちょこ書いていると思いますが、お暇な時にでもまた目を通していただけると嬉しいです。
めちゃくちゃ面白かったです!!すっごく良かったです👑
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ステキな作品✨ありがとうございました😭
読んでくださってありがとうございます!少しでも楽しんでもらえたのなら、当方としてもこれ以上の幸いはありません。央のような漢気ある受け、良いですよね笑 ご感想ありがとうございます。
最後まで読んでくださって、心苦しくも嬉しいです!さぞお疲れかと存じます。どうぞ少しリラックスなさってください。
全方位完全なるハッピーではないかもしれませんが、むりやりでも全員未来がある感じにできたかとは思います笑 ありがとうございます。