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第七章
『極東ファンタジア トッカータとフーガ』#30 ヒアビッチ
しおりを挟むドトールとはポルトガル語で博士(ドクター)の意味らしい。全ての事柄には名前が付いていてる。そして人間は言葉でものを考える。
だから少しばかり心を病んでいる俺は、自分が出会う場所に使われる名称にはそこに"何か特別な意味がある"のではないかと直ぐに考えてしまうのだ。
ここの社名の由来は、創業者がブラジルのコーヒー農園で働いていた時に住んでいた地名「ドトール・ピント・フェライス通り85番地」だと云う。
その一支店に俺は藤巻大先生を呼び出していた。
でも藤巻麗華はこんな庶民的なカフェチェーン店に似合う様な女ではない。
少なくとも、外見上は、である。
しかし俺がおしゃれな高級カフェに藤巻を誘ったとしても、そこが彼女の店から遠ければコスパが理由で簡単に断られていただろう。
つまり彼女は思い切り現実的な女だった。
「轟。これからの話、あんたが私の店に来るか、スマホで連絡出来ない内容じゃなかったら、もう縁を切るからね。」
もうかなり寒くなっているのにアイスコーヒーを頼んだ藤巻はストローで氷を掻き回す。
彼女は深めの焙煎でボディの強いコーヒーが好きだ。それを人目も憚らずかなりの勢いで吸い上げる。
それも藤巻の意思表示の一つだ。
彼女の行為には全て意味がある、もしくは観るものにそう思わせる派手さや美しさがある。
それは数年前、ある大手の探偵事務所に同期で探偵員として雇われていた時と変わらない。
藤巻麗華を初めて見た時、"女だてらに"と思った事を今でも俺は恥じている。
今や藤巻麗華は、裏の世界にも顔が効くバリバリの実業家で、俺の方はしがない街の個人探偵だ。
「済まない。手短に云うよ。実は俺んとこのヒアについて相談したいんだ。」
「はぁ何でアタシが?轟、此有君はあんたとこのバイトでしょ。」
「それはそうなんだが」
「まさかあんた、いい歳こいて、私に恋愛相談でもするつもりなの?確かに此有君は可愛いけど、あんたが彼とこれから一生付き合ってぇとか、考えられないでしょう?それとも此有君が時々、私と寝てるのが気に食わなくなったとか?」
藤巻の、綺麗に染めてあって引っめから左前に一房落ちた金髪の前髪が少し揺れた。
一緒に仕事をしてた時は黒髪だった。
「そう云うんじゃなくて、俺、最近 ヒアに付いての悪い噂話を聞いちゃったんだよな…。」
それは、立ちバックのままでヒアが相手のナニを咥えこんだまま歩き回ったとか、後の位置にあるアナルで駅弁ファクを可能にしたとか、聞くに耐えない内容の話が殆どだった。
しかもその数が多い。
「何?他人事みたいに。そう言えば此有君にこの前街であった時、彼、最近は事務所に顔出してないって言ってたね。それに口調がちょっと変だった。なんて云うか男に振られた女みたいに自分の事、俺じゃなく甘えた感じでボクとかね。シシィボーイみたいよね、演技じゃなくて。彼と別れたの?」
「男と女の関係じゃあるまいし、別れるなんていい方するなよ。これでも雇用関係にあるんだからな。奴は長期の無断欠勤だよ。」
とは言ってみたものの、俺とヒアがギクシャクしだしたのは神戸の仕事の後からだった。
これは俺の自惚れた妄想かも知れないが、ヒアは廻戸と俺の関係を疑っているのかも知れなかった。廻戸と関係する?誓ってそんな事はない。…肉体上ではだが。
「…ふん。でその無断欠勤してるバイト君になんの心配してるわけ?」
「最近、ヒアの渾名が変わったみたいなんだ。遊び仲間にヒアビッチって呼ばれ始めてるらしい。」
「ヒアビッチ…。」
「確かに奴は夜遊びもしてるし、俺が命じた潜入捜査みたいなので色味の強い仕事だってさせてきた。でも本質的には奥手の良い奴なんだ。周りにビッチ呼ばわりされる訳が無い。と言うか今までそんな噂はたたなかった。ここ最近急にだ。」
「確かに此有君は可愛い所があるよね。性欲と天真爛漫さが同居してる。それでいて馬鹿じゃない。芯が強くて見えない所で男気もある。外見とのギャップ萌え。だから気に入ってたんだけど。…私もそのヒアビッチには、ちょっと違和感を覚えるわね。」
「 藤巻はヒアの秘密知ってるだろ…?俺は前から気になっていたんだ。最近あの色ボケ婆ぁが浮かび上がって来る頻度が多くなっているんじゃないかって…」
「ババア?此有君に取り憑い付いているていう、ご先祖様の守護霊ってか怨霊みたいな奴ね。」
俺は好んでヒアが千代という化け物婆ぁの怨霊に取り憑かれている事を藤巻に話した訳ではない。
むしろ勘の良い藤巻に、その秘密を探り出されたという感じだった。
藤巻は探偵をやらせても超一級品だった。
それにヒアと性的接触のある藤巻は、ほっておいてもいずれヒアの異常性に気づいていた筈だ。
ただしまだ藤巻は、ヒアの発火能力については知らない筈だった。
「確かに此有君はとんでもなく卑猥で下品になる時があるわね。私達の関係はアブノーマルだけど、セックスの時、遥かにそれを越える異常性を見せる事が時々あった。あれが普通に顔を出すとなると、、ヒアビッチはありかもね。」
ビッチという言葉の意味を直訳すると「メス犬」になる。
一般的には、どんな男性にでついていくような軽い女性を意味する言葉として使われるが、どんな言葉でもその意味は時代背景や使われ方によって若干変化するものだ。
特に日本では外国語が輸入される場合には妙に格好良く変化したりする時がある。
ヒアにはメス犬は似合わない。
メスの匂いがないからだ。
「洋画に時々登場するバンプで格好良い女みたいなヒア、でも奴は男だぜ。」とそんなふうな渾名だと思っていたのだ、最初は。
しかし伝え聞くヒアビッチの噂話の中身はどれもこれも本当にメス犬だった。
ただ、情けないが、もしヒアに取り憑いているあのクソ婆ぁが前面に現れているのなら、俺はそれらの噂を否定する自信がなかった。
「で、藤巻に頼みたいのは、祈祷師というか払い屋みたいな人間を紹介して貰えないかなって事なんだ。」
俺は思い切ってそう言ってみた。
俺と藤巻の関係性だと、断られる可能性が大きかった。
だが、俺には他に頼る術がなかったのだ。
「えっ、それ轟の専門分野じゃないの?私が、今時、陰陽師とかを名乗る胡散臭い詐欺師達と関係があると思ってる?」
「払い屋についてはある程度の事は知ってるさ。…君のいう通り、本物はごく少数だ。でも居るのはいる。パチモンじゃなくて本物はさ、でも俺みたいな雑魚では接触すること自体が無理なんだ。それに俺には金も権力もない。あるのはゴミみたいなコネだけだ。」
「私はそのゴミみたいなコネの一人なわけ?」
「ああっ!も、もちろん違う。藤巻は俺の知り合いの中では数少ない成功者だ、だから頼んでんるだろ。ソレに藤巻ちゃんは上流階層に顔が聞く。きっと本物の祓い師を俺に紹介出来る筈だ。というか、君にしか頼れない。」
俺は以前のヒアを失いたくなかった。
ヒア自身が自分に取り憑いた悪霊ババアの事をどう考えいるのかは知らない。
そんな事はどうでもいいのだ。
それだけ俺にとっては、過去のヒアと過ごした日々が大切なのだ。
「今度は私にちゃん付け。いちいち轟は感度が低いよね。でも考えておいてあげる。…勘違いしないでよ。轟の為と云うより、此有君が気にかかるから。私、彼とはまだ遊び足りてないのよ。」
「そ、そうなのか?」
軽い嫉妬のようなものを感じて俺は慌ててその感情を引っ込めた。
藤巻はそういう相手の内面の変化も見逃さない。
折角、協力を取り付けられようとしているのだ。
こんなチャンスは二度とない。
「でも出来たとしても、心当たりを紹介して上げるだけよ。あとは自分でなんとかする事ね。…最後に言っとくけど、今度のは根性入れてやんないと危ないわよ。」
藤巻が根性と言う時は本気だ。
そして 根性 、それは俺の最も苦手な分野だった 。
でもそんな感じで俺は藤巻麗華から協力を得ることができたのだった。
・・・・
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