邪霊駆除承ります萬探偵事務所【シャドウバン】

二市アキラ(フタツシ アキラ)

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第六章

『男達の世界』#29 鞍馬の火祭り

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    ヒアの手が、力なく開いた俺の手に被さってきて優しく撫でてくれていた。
 時々、ヒアが人差し指で、俺の手の甲に文字を描くのだが、何と書いているのかは判らなかった。
 ヒアの手は乾燥していて、すべらかで、とても気持ちがよかった。

 ここは神戸から京都に向かう特急電車の中だ。
 四人掛けボックス席構成車両の端には、中途半端に残った二人掛けの椅子があるが、俺達が満員電車の中で運良く座れたのは、その席だった。

 当然、立っている乗客達は、自分の場所を選べない。
 俺達の席の側にいた、大学生風の男は自分の目のやり場に困っていたようだ。
 それは、そうだろう。
 昼日中から、得たいの知れない男同士が手を握り合っているのだから、、、。
 もちろん普段の俺なら、ヒアにそんな事をさせたりはしないし、ヒアもわきまえている筈だった。
 ヒアがそんな事をしたのは、そして俺がそれを受け入れたのは、俺自身が余りにも疲れ果てていたからだ。

 窓の外に須磨の海岸線が流れ去っていく。
 穏やかで美しい晩秋の海だった。
 そんな海を見ていても、俺の神経は突如として乱れ、インプリが拷問されるシーンに直結されてしまう。
    そして無惨な死。
 俺の手がびくりと痙攣した時、ヒアが乾いた手で握りしめてくれる。
 それは癒しであると共に、あのメダイヨンの感触を思い出させる引き金でもあった。


 気絶した俺、というよりも、あの場にいた全ての人間を狂気の淵から助け出してくれたのは、他ならぬ益増組の会長本人だった。
 会長自らが、数十人の部下を連れて現場に出向かなければならないほど、事態は切迫していたようだ。

 今から思えば、それは俺達にとって非常に幸運な事だったのだ。
 なぜなら、暴走した廻戸を止められるのは、会長しかいなかったからだ。
 あの時の廻戸を思うと、損壊したインプリの死体を更に切り刻み直ぐにでもそれを、神戸の町中に撒き散らしかねなかった。
 目抜き通りのゴミ箱に詰め込まれた黒いビニール袋には、、、という展開だ。
 『犯人は一体なんの為に、こんな目立つ場所に、切り刻んだ死体を捨てたんでしょうね?』という奴だ。

 俺達は、会長によって回収され、それぞれしかるべき場所で処置を受けた。
 俺は無傷だったので、他の連中のように、病院に回されることもなく、会長宅にて充分な睡眠と、入浴の施しを受けた。

 次の朝、会長との2度目の会見のチャンスを得た俺は、メダイヨンの存在と、俺が書いた筋書きを直接、会長に話した。
 その時、俺の目の前にいた男はもう「怪物」ではなく、只の老人だった。
 俺が疲れ果てている原因の一つは、その時の益増会長の姿にもあった。


「零の父親の高尚は酷い男だった。自分の息子に手を出すのだからな。儂は今でも幼い零が、儂に泣いてすがって助けを求めよった日の事が忘れられん。その一方で、それなりに高尚は父親としての自覚もあったようだ。だから零は余計に揺れたんじゃろう。」
 『あんたの血がそうさせたんだよ。』とは、口が裂けても言えなかった。

「組長はその弱みで、そしてアナタは孫への盲目の愛で、零さんを怪物に育て上げていったって訳ですね。」
 俺は血糊でコビリついた分厚く大きなメダイヨンを会長に手渡した。

「、、いや怪物は、もう一人いましたね。廻戸もそうだ、、。」
 老人はそれには答えず、じっと俯いたままメダイヨンの表面を指先で撫で回していた。

「若くて綺麗な娘達だったんだろうな、、生きていれば人生を充分楽しめたろうに、、。」
 あんたにゃその台詞は似合わないと口から出かけたが、俺は今度もそれを止めた。
 この老人が本心で言っているのが判ったからだ。
 少なくともこの瞬間は、、だが。

「轟君。もう帰って貰っていい。あんたは良くやってくれた。報酬については、外で待ってる部下に、段取りを付けさせてあるから、、。」
 そう言うと益増は、そのまま彫像のように凍り付いてしまった。
 そのせいで俺は、「組は零をどうする積もりなんです?」という疑問を投げかける事が出来なくなってしまった。

 そうだ、、。
 もうこれは俺の手を離れた仕事なんだ。
 探偵家業は、依頼人が持ち込んだ仕事を成し遂げれば、もうそれ以上の関わりを持ってはならない。
 それが鉄則だった。

 俺は、多額の報酬を手にして、ヒアの待っているホテルに帰った。
 会長が零に仏心を出して、奴を生き延びさせるような事になれば、俺はやはり口封じの為に殺されるかもしれない。

 だが今となっては、そんな事はどうでも良いことだった。
 全ての出合いが運命のように思えた。
 そして今はもう、ただ休みたかった。

 いつの間にか電車は、海岸線から遠ざかる地点まで進んでいた。
 だが時々は、車窓の向こうに流れ飛んで行く建物の間から、ひょっこりと海がその色を見せる事もあった。

 海は、落日に黄金色に輝いていた。
 そして俺は、俺に付きまとう「忘れていた幻の依頼」の半分が、インプリの死によって達成されたのを苦い思いで確認した。

 晩秋の夕暮れ、陽の落ちるのは早い。
 空はもう薄暗い赤色に変わりつつある。
 そして明日は鞍馬の火祭りの日だ。
 俺はもう一度、その祭りを見る上気したヒアの火照った横顔を見たいと思った。


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